「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
先日、職場の窓を開けようとしたところ、巨大な蜘蛛の巣が出来ていることに気づいた。
一晩閉めていた間に、よくもここまで立派な巣を作れるな~と感心。
別に壊すほどのこともないと、そのまま窓を全開にしようとしたところ、巣にカナブンがからみついているのを発見した。
カナブンはまだひっかかったばかりらしく、もがもがと動いている。
こいつはいかん!カナブンを助けなくては!
ふと脇を見ると、でっかい地震クモ(足が黄色と黒のタイガースカラーのやつ。女郎蜘蛛?)がカサカサと近寄ってきている。
あわてた私は、そばにあった何かの書類で、救出作戦開始。
巣をぶち破って、カナブンを逃がそうとした。
しかし、蜘蛛の巣って粘着力が強く、書類に張り付きはするけれど、うまいこと破れない。
ますます近づいてくるクモ。
うおお!急がなくては。
と蜘蛛の巣を破壊し尽くす勢いで書類を振り回すと、ようやくカナブンが引っかかっている部分が破れた。
ボトッと落ちるカナブン。
は~よかったよ。カナブン良かったね。
これも功徳になるのかしら?私が地獄に堕ちたとき、救ってくれるかな~?
などど思いつつ、カナブンが落ちた場所を見てみると、カナブン虫の息だ!
体にからみついた蜘蛛の糸でもはや動けない状態になっていて、もがけばもがくほど、もう駄目な感じ。私がボトッと落としたのもよくなかったかも……。
クモの方を見ると、私が破壊し尽くしたぼろぼろの巣で、のそのそと動いている……。
ごめん……。
私がしたことは、余計なお節介だった……。
カナブンは蜘蛛の巣にかかった時点で、もう駄目だったのだ。クモにしてみれば、食料を無くした上に、一生懸命作った巣まで破壊されてしまった。
自然のサイクルに余計な手出しをしてしまった……。私、馬鹿者だ……。
このとき、思い出したのは「銀河鉄道の夜」だ。
銀河鉄道がサソリ座の近くを過ぎるときに、サソリの赤い火のエピソードを紹介する。
サソリがイタチに追いかけられて、逃げ回っているうちに井戸に落ちてしまう。
そこでサソリは「私は今まで沢山の命を奪って生きてきた。それなのに、私が食べられようとしたときには逃げ回ってしまった。どうして、私はだまってイタチに食べられてやらなかったのだろう。そうすればイタチは一日生き延びられたのに」と後悔する。
そうするうちに、サソリは自分の体が赤く燃え、闇夜を照らしていることに気づく。というのがサソリ座なんだそうだ。
このエピソードがラスト近くのジョバンニの名言「ほんとうのみんなの幸せのためなら、ぼくの体なんか百ぺん灼いてもかまわない」につながる。(すごく昔に宮沢りえがこの部分を朗読するCMがあったなあ……)
本当に、私が余計な手出しをしなければ、クモはあと1週間くらいは生き延びられたのに……。カナブンの死も無駄にはならなかった。
うう……本当に余計なことをしてしまった。
カナブンがどんな気持ちで蜘蛛の巣からボトッと落ちたのかは分からないけれど、(おそらく、サソリのように考えたとも思えないが)私が地獄に堕ちたときに、助けてくれないことだけは確実だろう……。そもそもあれはクモの糸の話だし……。
クモには悪いが、また大きな巣をせっせと作ってもらい、がんばって生き延びて欲しい。
カナブンはその死が無駄にならないように、蟻とかに拾ってもらえるといいのだが……。
宮沢賢治世界の「自己犠牲」の精神に加えて、自然界の生死のサイクルについて考えてしまった。
よく「死んだ後役に立たないのは人間くらいだ」と言うが、本当に自分が死んだとき、何かの役にたつのだろうか……?遺産でも残すしかないのか?
蛇足だが、「銀河鉄道の夜」で一番好きなところは「白鳥座」だ。
サギが砂糖菓子になるのだが、足の部分をぽきんと折って食べる場面がある。
おおお!食べてみたい!と真剣に思った。
先日の「やまんば山~」といい、どうも私は食べ物に執着する子どもだったようだ……。