「幸福の王子」オスカー・ワイルド
今年も我が家の軒に、ツバメが巣を作った。
現在、5羽の雛が孵ってちぃちぃ鳴いている。かわいい~。
先日、この雛たちの写真を撮ろうとカメラを向けたところ、親鳥にえらいこと威嚇攻撃されてしまった。ちっ。いいじゃないか、家主はこっちなのよ!軒を貸して母屋を取られるとは、こういうことか!?
ツバメが軒に巣を作ると、その家に幸せが訪れるという。
それなので、我が家も気前よくツバっち一家に軒を貸している。毎日、雛の成長を見るのも楽しみだし。
いったい、どんな幸せが来るのかしら?わくわく。宝くじとか当たんないかな~?
ツバメは幸せの使者、という認識は、いつどこで発生したのか知らないが、私は「幸福な王子」がその元ではないか、と思っている。
広場に立つ宝石で飾られた王子の像は「ツバメよ、私がまとっている宝石を貧しい人々のところへ届けておくれ」と言い、ツバメはその願いを叶えるために小さな体で一生懸命働く。
王子のために働いているうちに、季節は冬へと変わり暖かい地方へ渡らなかったツバメは、王子の足下で息絶える、というお話だ。
ちなみに、私はこの話を萩岩睦美「銀曜日のおとぎ話」の中で読んだぞ。主人公のポーが「なんてかわいそうなお話なのかしら……」と号泣していたっけ。
確かに、かわいそうな、悲しい話だ。でも、だからこそ、綺麗な美しい話だ。
悲しい背景があることを知らず、宝石を恵まれた貧しい人々は、ちょっと幸せになる。幸せを分け与えていた方は、名乗ることもなく、ひっそりと消えていく。(宝石のなくなった王子はぼろぼろになったので、捨てられちゃいます)
うーん、美しいなあ。
このオスカー・ワイルドの美意識は、私は好きだ。
でも、大人になって、ちゃんと読んでみたところ、けっこう突っ込むべきところは多い気がする……。
そもそも、広場にキンキラキンの像建てちゃって、防犯的に問題ないのか!?とか。一応、高いところに設置されているみたいだけど、その気になれば簡単にたどり着けると思う。
いくら治安の良い日本だって、1週間も経たないうちに、それこそ貧しい人々に略奪されちゃうと思うけどね……。
でも、イギリス人は名誉を重んじる人々だから、そんなおおっぴらな盗みは働かないのかしら?「こんな赤子の手をひねるより簡単な盗みは、私の名誉にかけて出来ない!」って感じ?
または、渡り鳥だって分かっているツバメに無理言って、自分のために働かせる王子って、ひどい人なんじゃ……とか。
冬になっても元気なスズメとかに頼めばいいじゃん!
読んでいると、ツバメは何度も「そろそろ南に渡りたいんです!」と王子に訴えているにもかかわらず「お願いだ。もう一度だけ働いておくれ」と無理を言っているのだ。
ツバっち、かわいそうだよ!
(途中からはツバメは自分の意志で渡るのを辞めちゃうんですけどね。王子を好きになっちゃうから)
しかも、このツバっちは暖かいシーズンに阿呆なことに葦に恋してふらふらしていたために、本来するべきである巣作り→雛誕生、もできなかったはず。(だから、南に渡るのも遅れてしまった)
子孫すら残さずに、ひっそりと死んでいくツバメ……。ああ、これが涙無しに読めるだろうか、いや、読めない(反語)
我が家のツバっち一家がそんな悲しい最後をとげてしまうなら、あんまり幸せ運んで来てくれなくていいや……。「ツバメとして当たり前の幸せを、おまえには送って欲しい」……オスカル!(←すみません。ベルばらが分からない人は無視して下さい)
でも、2億円の宝くじの当たり券をツバっちが運んで来たらどうしよう……。きゃー、大変!
とりあえず、警察には届けなくちゃいけないかも。
でも、落とし主が分かっても1割もらえるのよね。ふふふ。いいなあ。
我が家のツバメです。威嚇されながら撮ったので、わかりにくいです。