「文明の憂鬱」平野啓一郎
新潮文庫 460円
このごろ、「う゛」という表記をやたら見かける気がする。
昔は「ベートーベン」だった人が「ベートーヴェン」になり、「バイオリン」は「ヴァイオリン」になった。
これは「V」は「う゛」で表そう、という一応の決まり?(誰が定めたかは不明)に基づいて?なるべく原語の発音に近い表記にしたい、という最近の日本の流行?
下唇をかんで「う゛ぃ~」と発音!
それが時代の流れなのかな~、と余り気にせずにいたのだが、私的には受け入れられない表記が出てきた。
ヴィデオ!
さらに
テレヴィ!
そこまで……!!
(DVDはアルファベット表記だから特に気にならないが、カナ表記をすれば間違いなく「ディー・ヴィ・ディー」であろう)
作家、平野啓一郎氏はこの「テレヴィ」「ヴィデオ」派なのだ……。
小説を読んでいる分にはいい。そんなにこの単語が出てこないから。
時々「オゥチッ!」(←私の発音風に表記してみました)とショックを受ける程度で済む。
が、彼のエッセイを読んでいると、かなりの頻度で「テレヴィ」が出てきてしまうのだ!
「文明の憂鬱」を読んでいると、何度も「テレヴィ」が出てくるので、そのたびにうぬぅ…と唸ってしまう。
「テレヴィ」にいちいち引っかかっているので、エッセイの内容があまり頭に入ってこないのよ~!
気取っているのか!?を通り越して、気は確かか!?と思ってしまうのは私だけ?
時々、普通に会話している中で、カタカナ語の部分だけ、妙にスバらしい発音の人がいるけど、あれを聞いたときと似たような感覚。
「私はもう英語でHarry Potter(あえて彼の発音に沿った表記をするならば「ヘリィ ポタェー」って感じ)の最終巻を読んじゃいましたよ~」と言ったのは、某英語教員……。
おかしいから! 英語がネイティブな人ならともかく、あんた日本人だろう!?
「テレビ」や「ビデオ」はもう日本語としての相当長い歴史を持っているのに、突然、そんな「ヴィ」とか言われててもな~。
そもそも「ヴィ」って日本語じゃないじゃん……。五十音一覧にないもん。
原音に近く、と言ったって、所詮日本語じゃないんだから、完璧な表記が出来るわけがない。
どうしても、カタカナだと「違う!」というなら、アルファベットとかの原語で表記するしかないだろう!?
とか、理屈を捏ねてみたが、そんなことよりなにより、
読んでいて気持ちが悪いんだよ~!
それだけ!
どうにかならないかな……。
せめて、「TV」と「VTR」に替えてくれないかな……。
余談だが、子どもの頃、「シャーロック・ホームズ」(偕成社版)と「シャーロック・ホウムズ」(岩波少年文庫版)が両方あって、気持ち悪かった。
「ホウムズ」だと別人みたいなんだもん。不満。
「アルセーヌ・ルパン」はこれ以外の表記を見たことがないが、原語表記に近づけると「アルセーヌ・リュパン」になるらしい。が、未だ「リュパン」は見かけたことがない。
「ホームズ」や「ルパン」の長い歴史が日本に浸透しているからね。今更、表記変えたら反発が大きいだろうからね。
しかし、私が子どもの頃親しんだ「ワトソン」博士は、今では「ワトスン」博士らしい……。
彼は相棒ホームズほどの知名度がなかったからなのか?
そして、私も「ワトスン」なら意外と違和感がないのはどうしてだろう……?
切ないな、ワトソン……。