富士山~日本一の焼印集め~
山に登るようになって、だいたい5年。
ついに日本一の山を極めることになった。
昨年までの私は「富士山にはあまり興味がない」などと言っていた。
聞くところによると、ひたすらザレ場を登るだけの単調な登山道で、とにかく人が多く、大渋滞するからつまらない、らしいので、「まあ、富士山は眺めればいいかな」なんて生意気な事を嘯いていたのだ。
しかし、なんだかんだ言っても日本一の山。その高さは3776mと随一で、日本人はみんな子どもでも暗記している。(ちなみに2番目に高い北岳は3,193mなので、ダントツだ)
遠くからでも際立つ美しい円錐形の姿。目にすると「富士山だ!」と誰でもすぐにわかる。
私も、大阪へ向かう飛行機から富士山を見たとき、一人で大興奮して写真を撮りまくった。
富士は日本一の山!富士山は特別!
やはり、一度くらいは登っておかないといけないのではないか。
一度も登らずに、つまらない山だと勝手に評するなんて、失礼極まりないのではないか。
そんな思いがむくむくとわき上がり、そして、どんどん膨らみ抑えきれず、今年、ついにその頂に向かうこととなった。
※今回は日本一の山のため、私の熱量がハンパなく、かなりロングな文となっております。すみません。
今回の富士登山のメンバーは3人。
実は、今年すでに一度登っているチャーミー巨匠が導いてくれる予定だったのだが、都合により、直前に欠席となってしまった。
残りのメンバーである私とリティーとイト坊の3人のひよっこ達は、チャーミー巨匠作成の異様に細かいマニュアル(前回の登山記録)の指示により、頂上を目指すことになった。
チャーミー巨匠のマニュアルは、とにかく精緻でスバラシイ出来だ。なにしろ、パーキングエリアのお茶(無料)にて休憩、ということまで書いてある。さすが巨匠だ。細かいところまで抜かりは無い。
8:30 富士山パーキングから5合目までのシャトルバスに乗る。
今回のルートは最も初心者向けだという富士吉田口からの1泊2日だ。
このルートの場合、ガイドブックなどではお昼頃から登り出せばよい、と書いてあるが、余裕を持ってゆっくり登るために、早めのスタートを切った。
3700m超なんて高所には行ったことがなく、自分かどうなっちゃうのか予想がつかないので、できる限りの安全策をとることにしたのだ。
しかし、富士山には必須だと思われる酸素を誰一人持参していない。慎重なんだか、いい加減なんだか…
9:15 5合目着
ものすごい混雑である。ここが2305mの高所であることが嘘のように、人であふれかえっている。
シャトルバスだけではなく、団体の大型観光バスもどんどん到着し、芋洗いの如き様相だ。もちろん、インバウンドの皆さんも大勢いる。
とりあえず、高所順応も兼ねて、ゆっくり朝食を食べ(うどん)、私たちは最初のミッションに取りかかる。
それは、金剛杖を買うこと!
これは、チャーミー巨匠が「絶対にやるべき!」と強く主張されていたことだ。
富士山の山小屋では、それぞれ焼印があり、これを杖に押してもらいながら頂上を目指すことが出来るのだ。簡単に言うと、焼印スタンプラリーだ。
特に今年は「令和元年」の焼印が押してもらえる。どうせ登るなら、絶対に今年中がいい、とチャーミー巨匠は声を大きくしていた。
事前に、巨匠が先日集めたという焼印が押された金剛杖の写真を見て、私たちは「これは、絶対にやりたい!」と一気にやる気になった。カッコいいのだ、すごく!
5合目の売店では、いくつかのサイズで売られていたが、私はトレッキングポールを持っていたので、ミニタイプ(50cmくらい)のものにした。
リティーとイト坊はロングタイプ(杖状)を購入し、準備は万端だ。
さあ、焼印集めの旅に出かけるぞ。
10:15 馬たちの横を通って、登山開始だ。(6合目まで、馬に乗って行けるのだ。有料)
はじめは平坦な道なので、事前学習として見てきた「アメトーーク 富士山芸人」の話などをしながら、ゆっくりと歩く。
対向する人々は、多分、頂上から帰ってきた人だ。何だか目がうつろな人がちょいちょいいる。
「富士山に登るとめっちゃ疲れる」と声高に叫んでいた勝●さん(前述の富士山芸人にて)のことを思いだし、ちょっとオソロシイ気持ちになる。
いや、これは武者震いだ。水●橋博士(こちらも富士山芸人にて)は小学生の子どもと登ったと言っていたではないか。大丈夫だ、私。と自分に言い聞かせる。
11:00 6合目 安全指導センターに到着。
朝はぴかぴかの天気だったが、このあたりから下降気味で、まわりはガスが少し出始めてきた。まあ、雨は降らないであろう。
ここからが富士山登山だ。
目の前に、ばばーんと山頂までのルートが一気に広がる。森林限界を過ぎているので、遮るものはなく、あの円錐形の斜面をひたすら登りまくる登山道がしっかりと見える。
先は途方も無く遠いような気がする。が、考えようによっては、ゴールとおぼしき地点が確認できるので、気持ちは楽なのかもしれない。
最初の山小屋である花小屋まではザレ道をつづら折りに登る。
12:00 花小屋着 7合目。標高は2700m。
ここで初めての焼印をいただく。
思っていたよりも細部までくっきり押され、不動明王の憤怒の表情もばっちりだ。
一気にテンションがあがり、お互いに焼印を見せ合って喜ぶ。同じ印を押して貰っているのだが…。
「これは楽しい。焼印集め、最高!」
「下から押していって、一番上に頂上の印を貰うぞ」
「小屋ごとにデザイン違うんだよね。楽しみすぎるじゃないか!」
ここからは山小屋がだいだい10~15分間隔くらいで次々に現れる。
ちょっと上を見上げば、すぐに次の小屋が見えているのだ。次の目標が近い、というのは気持ち的にとても楽だ。
焼印をもらって、次の山小屋へ、というラリーを繰り返し、どんどん登って行く。山小屋ごとに焼印を貰っているので、休憩もしっかり取れており、全然苦しくない。
本来、焼印をもらわずに、ストイックに登り続ければ、この急坂はかなりキツいのかもしれない。足下はごつごつした岩場だ。(溶岩?)
焼印集めをしてよかったな~。全く苦にならなかった。むしろ、楽しい行程だ。
13:15 7合目東洋館にて昼食。小屋で「どん兵衛」縦タイプを購入して、すする。
ここで私はどんどん大きくなっている不安について、同行の2人に相談することにする。
「棒(金剛杖ミニ)に焼印を押すスペースが無くなって来た。頂上までもたないかもしれない…」
「やっぱり。そんな気はしていたよ」
「予想外に、1つの小屋で2つ押してくれたりしたからねえ…」
金剛杖を売っている山小屋もあったが、ロングタイプのみで、私の求めるミニは7合目にいる現在では入手困難になっている。
ロングタイプは邪魔だし、すでにミニで収集を始めちゃった今頃になって、ロングタイプに移行はしたくない。
「なぜ、最初の段階で気づかなかったのだろう…。このことは、次回への反省点として、心のノートに書き留めておくよ」
相談したところで、解決には至らない。
ロングタイプを最初から購入している2人は嬉しそうに、残りの山小屋の数からして、裏面はこのあたりから押してもらえば、頂上でばっちり一番上だ、などと話している。
うらやましい…。2人に気づかれないように、こっそり涙をぬぐう。(誇張表現)
性能的には劣るとわかっていても、ストックは家に置いてきて、金剛杖をついて登るのが、富士山の正解なのかもしれない。
15:30 8合目の元祖室到着。本日は、ここで宿泊だ。
通常の山小屋では遅いくらいの到着時間だが、富士山の山小屋でのこの時間の到着は早い方の様だった。案内されたカイコ棚のような宿泊場所には人はまだ少なかった。
この時点での私の金剛杖の焼印状況はすでに満員御礼。この元祖室の焼印すら押して貰える余地はない。
元祖室では、ここのみの焼印が押された激ミニ棒が売られているので、とりあえずそれを購入しようと売店に行ったところ、隅の方に小さな棒(25cmくらい)が積まれているのを発見する。
声を震わせながら「この棒は売っていますか?」と聞いたところ「売ってます。300円」との返答が即座に返ってきた。
ジーザス!神は我を見捨ててはいなかった!
この山小屋を宿泊先に選んだ采配に感謝する。
これでなんとか頂上まで焼印の旅を続行できる。
嬉しくて、ついつい夕食時(カレー)にリティーとビールで祝杯をあげる。ガイドブックには「高所では飲酒を控えましょう」と書かれていたことが、頭の片隅をよぎるが、冷えたビールの誘惑には勝てなかった。いいの、祝杯だから。
午前1:30 ご来光登山のための起床時間。
真夜中という言葉が正しい時間に、山小屋では容赦なく電気が点き、出発を促す。(30分だけ。その後は再び消灯)
正気の沙汰ではない時間だが、私たちもこの時間に合わせて山小屋を出発した。
全然眠れていないので、もう何時出発でも何の問題もない。
さすがの私も「ギョウザ」とあだ名される詰め詰めスペースの上に、他の皆さんの物音やいびき(眠れている人もいるのだ…)で、しっかり眠ることは無理であった。まあ、横になって休めたので、体力は回復しているはずだ。多分。
イト坊は「隣のマッチョな外国人(フランス人?)がこっちを向いて寝ているから、気まずかった…」とこぼしていた。ここで国際交流はちょっとハードルが高かったか?
小屋の外に出ると、暗闇の中、昼間より遙かに多くの登山者達が列を成して、登山道を登っていく。
これが噂のヘッデンの行列か。
日本で一番高い場所近くで、こんな真夜中に大量の人がうごめいている。よく考えたらものすごく奇妙な状況だ。
天気は良好で風も無く、星がものすごく綺麗だ。
夏だというのに冬の大三角形が大パノラマで広がっている。とりあえず「オリオン座!」と、最も有名な星座を指さして楽しむ。
しかし、本当は双子座のカストルとポルックスを見て、「ベルサイユのばら」を思い出していたのだが、そのことは口に出せなかった…。
きみは~ひかり~ ぼくは~かげ~ はなれなれない ふたりのきずな~♪ オスカーール!!
こんな高所でも、マニアな自分を褒めてあげたい…。
富士山の山小屋は驚きの24時間営業で、こんな夜中でも登山者の杖に焼印を押してくれる。
元祖室で入手したミニミニ金剛杖にはどんどん焼印がたまっていく。嬉しい。
しかし、ミニミニ金剛杖は本当にミニミニなので、一つ押して貰うごとに、残りのスペースに対する不安が増す。
最後の山小屋である、8合5勺の御来光館で焼印を押してもらうと、なんとかもう1カ所は押せそうなスペースが残った。
このスペースで、山頂の焼印をゲットすればよいのだ。よかった。ここまで集めて、山頂の焼印がもらえないという悲劇的な事態だけは避けたい。
渋滞のろのろ登山であったが、9合目付近からは急にスピードアップし、ガツガツ登ると、そこは富士山頂だった。
だいたい時間は4:30。
ついに念願の山頂で久須志神社の「富士頂上」の朱い焼印をいただく。(正確に言うと、頂上の印は焼いていない。朱を打ち込む感じだ)
ミニミニ金剛杖の余白にぴったり収まり、焼印集めはこれにてフィナーレを迎える。
3人でそれそれの杖を眺め、ぐふぐふと満足の忍び笑いを漏らす。
「この杖を見ながら、ビール飲んだら最高の気持ちになると思う」
「家のどこに飾るか、今、真剣に考えてる」
もう、嬉しくてたまらない。
チャーミー巨匠、私たち、やりとげました!
5:15 待ちに待った御来光。
濃い藍色に覆われた世界に一気に光が差す。本当に嘘みたいに一瞬で闇が払われるのだ。
見ているだけでわかる。
太陽って絶対にものすごく熱い。
ぎらぎらあふれる真っ赤な光が、太陽のとんでもない力を私に見せつけてくるのだ。なんだか暑いのだ。見ていると。
そして、ある意味、完全な敗北感も感じた。
太陽には絶対に何者も勝てはしないのだ。
今日、生まれたての太陽をバックに、金剛杖を持って写真を撮るなんて、最高の一日の始まりだ。
御来光鑑賞後は、すっかり明るくなった朝の山頂で、お鉢巡りをすることにする。
アメトーーク富士山芸人では「頂上まで行くと疲れ切っているので、お鉢巡りをする元気がなくて、行かない」と言われていたが、私たちはまだまだ元気であった。
多分、前日からゆっくりゆっくり登っているので、体力を消耗していないのだろう。焼印と御来光でテンションがあがりにあがっているので、アドレナリンが異常分泌していて疲れを感じさせないだけかもしれないが…。
ちなみに、心配していた高山病は私たちには全く無問題であった。
火口を覗いたり、静岡側の海が見える景色に歓声を上げたり(3人ともG県民なので、海に対する憧れは人一倍)して、お鉢を回ると、冨士浅間神社に到着する。だいたい6:30。
ここで私は重大な事実に気がつく。
浅間神社でも焼印押してくれてる…。
悲しいかな、私のミニミニ棒は先ほどの久須志神社ですべてのスペースを使い切っており、もう浅間神社の入る余地はどこにもない…。
久須志神社でフィニッシュじゃなかったとは。しかも、肝心要の浅間神社の印がいただけないなんて…。
呆然と立ちすくむ私を尻目に、ロングタイプで余裕がある同行の2名は杖に印を押して貰っている。
悔しいが、仕方ない。ここは諦める。
久須志神社でも山頂の印だ。二つ無くても、山頂は山頂なのだ。
「浅間神社で完全制覇かな」と私に見せつけてくるイト坊に少し殺意を覚える…。
いかんいかん。責めるなら、最初の段階でミニを2本買わなかった自分を責めなくては。
ちなみに、チャーミー巨匠は、巨大な板に焼印を押して貰うことを目論んでいたそうな。
「巨匠、どうやって、巨大な板持って登るつもりだったんだろう?」と、首をひねるリティー。巨匠だから、なんとかなるのだろう、多分。
7:00 馬の背を登って、最高峰の剣ヶ峰に到達。ここが3776m。
山頂の碑では写真を撮る人々が長蛇の列。普通に待っていたら、小一時間かかってしまうくらいだったので、写真はパスした。こればっかりは、どうしようもない。
そのままお鉢を時計回りに回ると、遠くに山並みが見える。絶景だ。
多分我がふるさとの山、赤城山のシルエットも見える。
「すごいな、富士山。高すぎるからなんでも見える」
「お鉢巡り、最高に楽しいじゃないか。この景色を見ないで下ったらもったいない!」
絶景を背景に、カンフーポーズやらトクホポーズ、金剛杖を使ったフェンシングポーズなどで、次々に写真を撮りあって遊ぶ。傑作写真が続々だ。
「名残惜しい。下山したくない」
あたりには寝転がって昼寝(朝寝?)を楽しんでいる人もいる。確かに、ここにただ寝そべるだけで、最高の気持ちになれるだろう。だって、ここは日本で一番高い場所。日本で一番空が近い場所。
名残惜しいが、歩いていれば、お鉢巡りは終了する。
8:10下山開始。
4:30の頂上着から、3時間半以上滞在していたことになる。楽しかった。楽しすぎた。
下山道はひたすら続くザレ場で、ジグザグと斜面を下っていく。
名物の大砂走りのふかふか道ではスピードをあげて下山できるらしいが、私は苦手で、2度ほど転倒してからは慎重に歩くことにした。
下山道は何もない。
登りにはあれだけあった山小屋が全く無く(地図によると、登り道と兼ねた山小屋があるようだったが、わからなかった)、エンターテイメント性は皆無だ。強いてあげれば景色だけが心のよりどころ。
山小屋の出店くらい欲しいところだ。
10:30くらいに6合目の安全指導センターに到着。
ここからは、元気いっぱいの行きの登山者たちとすれ違うことになる。
面白味の少ない下山道をガツガツ下ってきているので、ちょっとお疲れ気味の私。
富士山芸人で劇●ひとりが「下山道で膝が大爆笑」と言っていたが、確かに私の膝も、相当の笑い上戸状態だ。
「まずい、行きに言っていた「目がうつろな下山者」になっているかも…」
リティーとイト坊は体力が有り余っているのか、私よりもはるかに元気そうだ。奴らは私よりも若いからね…。
11:10 5合目に到着。だいたい3時間で下りきった。かなり頑張ったペースだ。
到着の祝いに富士山コーラで乾杯。
大満足で完璧な富士登山であった。
これから、富士山を眺めるたびに「あの頂上に立った」と思い出すことができるのだ。そして、シーズンなら、今、あの斜面を大勢の人が登っている、と思いを馳せることができる。
富士山は特別な山だ。
下山時はその頂上は雲に隠れて見えなかった。でも、その雲の中にある日本最高峰の場所まで登った。
手元にはその証の金剛杖がある。
今後はこの杖を眺める度に、にやにやして、頂上での最高の時間を思い出すだろう。そして、そのうちきっと、また、富士山に行くことになるだろう。
<コースタイム>
8:30富士山パーキング…9:15 5合目(買い物等1時間)…10:15富士吉田登山口…11:00安全指導センター(6合目)…12:00花小屋(7合目)…13:15東洋館(昼食)…15:30元祖室(8合目)宿泊
2:00元祖室…4:30山頂 久須志神社…5:15御来光(朝食)…6:30浅間神社…7:00剣ヶ峰…8:10下山開始…11:10 5合目
木曽駒ケ岳〜ロープウェイ一番乗り〜
今年の夏も、私とキキちゃんの雨女コンビは山へ向かった。行き先は中央アルプスの木曽駒ケ岳。千畳敷カールのお花畑で有名な山だ。
雨女の呪いにかかりっぱなしの私たちなので、梅雨が完全に明けていて、夏本番になっているであろう8月中旬に日程を設定してみた。なんとか抗って、晴れを勝ちとりたい。
そんな私たちをあざ笑うかのごとく、南の海上に台風発生…!!
1週間前の週間天気予報では、雨マークがちらついている。
また…また、雨にたたられるのか。
涙を堪えながら、毎日、天気予報をチェックし続けると、天気予報から雨マークが消えた。台風は南の海上で着々と北上しているようだが、その動きは遅く、どうやら私たちの登山後に日本列島にやってくるらしい。
ハレルヤ!天気の神様に感謝を捧げる。ちょっと、宗教がごっちゃになっているけど。
いくら私たちが雨女だといっても、毎回雨が降るという訳では無いのだ。
前日、関西在住のキキちゃんとは駒ヶ根駅で待ち合わせ。
本来は涼しい土地なのだろうが、この日の駒ヶ根市は暑かった。多分、35度近かったみたい。
遅めのお昼ご飯として、名物ソースカツ丼を汗だくになりながら食す。
店にはエアコンがなかった。普段はそれで大丈夫なのだろうが、この日はさすがにちょっと暑かった。
下界は暑いけれど、山の上に行けば、間違いなく涼しい風が吹いている。それを思えば、なんということはない。
周辺を観光した後、本日の宿にチェックイン。
木曽駒登山者が多く宿泊するらしく、到着後にお茶を振る舞ってくれた宿のお姉さんが、にやりとしながら「明日、木曽駒に行くのなら、耳寄り情報があるの」と耳打ちをしてきた。
「宿泊者だけが乗れる、特別便のバスが4:50に出るの。それには、菅の台の駐車場からの人は乗れないから、ロープウェイの始発に乗れるわよ」
セリフだけだと、銀河鉄道に鉄郎を誘うメーテルみたいで怪しい。しかも、話の内容がイマイチよくわからない。宿泊者だけが乗れる特別便って何?
お姉さんはその情報だけをささやき、私たちの元を去ってしまった。ちょっと待って。もうちょっと情報を!
当初、私は6時か7時くらいに宿を出て、菅の台の駐車場に車をおいて、木曽駒に向かおうと思っていた。木曽駒頂上までのコースタイムを考えると、それで、十分間に合う計算だ。
それなので、「別に謎の特別便に乗らないて、もうちょっと遅い時間の通常のバスに乗ればいいんじゃない?」とキキちゃんに提案してみた。
しかし、キキちゃんは「いや、特別便があるなら、絶対それに乗った方がいい」と強く主張する。
なんでも、キキちゃんの事前情報によると、木曽駒ヶ岳はものすごく人気があるので、ロープウェイは1~2時間待つのが当たり前なのだという。だから、他の人に先んじてロープウェイに乗れるチャンスがあるのなら、絶対にそれを逃してはいけないのだ、と。
「1時間とか待つなんて絶対嫌やもん」としめくくる。
えー、そうなの?そんなに混むの?
疑義を口にしようとして、ふと、何年か前、紅葉の時期の那須岳でエライ目にあったことを思い出し、口をつぐむ。あの時は、ロープウェイは混んでいなかったけど、とにかく駐車場探しの大渋滞で、本当に懲りたのだった。
人気の山はそういうこともあるのかもしれない。
今回は、宿のお姉さんとキキちゃんの意見に従うことにする。
朝、4:30宿を出発し、バス停に向かう。
宿の怪しいお姉さんは4時過ぎれば明るくなってると言っていたが、周りはまだ暗い。日の出はまだらしい。
宿近くのバス停にはすでに10人くらいの人が並んでおり、時間通りにやってきたバスに乗り込むと、すでにかなりの登山者が乗車している。なるほど、確かにものすごく混む山のようだ。
しかも、次々と停車するバス停で乗り込んでくる人が補助席にまで座り、満席状態になると、その後のバス停で待つ人々には「次のバスに乗ってください」とスルーしていく。路線バスなのに!
確かにこの状態では、始発に乗る選択は正しかったかも。
ちなみに、謎の特別便とは、通常の始発より早い時間の臨時便で、マイカー登山者の駐車場である「菅の台」を通らないルートの路線バスであったようだ。菅の台の始発より早いため、ロープウェイに先んじて乗れる、ということなのだ。
おかげで、5:20頃、ロープウェイの始発駅の「しらび平」に到着。
本当に最初のバスだったようで、まだ列には誰も並んでいなかった。謎の特別便の客達が、我先にと列を作る。みんな、早朝からやる気に満ちている。
私たちもいそいそと列に並び、ロープウェイの発車を待つことにする。
しばし待つと、5:30にロープウェイ運転開始。(これも臨時便で、通常より早い)
もちろん、私たちはこの始発にに乗車できる。ロープウェイは満員だ。(他のバスが到着している)
登山者はとにかく朝が早いと言うが、それは本当なんだな、と今頃実感し、私のいつもの出発時間は、相当なのんびりスタイルだった、と1人静かに反省する。だから、いつもバスやらロープウェイやらの最終時間に追われてひやひやしているのか…。
5:45 ロープウェイ千畳敷駅に到着。
すっきり晴れていて、目の前には宝剣岳の山頂がくっきりと青空に突き出している。
最高の景色だ。わくわくする。
登山口に向けて、しばらく道を下ると、そこが、あの千畳敷カールだ。氷河が作った美しいカーブ。ついに来た。
カールの中を気持ちよく歩いていると、周りには高山植物が咲き乱れている。お花畑のベストシーズンだ。
早朝のせいで人も少なく、最高に楽しい。一気にテンションも上昇する。
頭に浮かぶ歌は、やはりあの歌だ。
くちぶっえは なっぜ~ 遠くまで聞こえるの♪
空のどこかからぶら下がる、異様に長いブランコをこぐ●イジが頭をちらついて離れない。
教えて~おじいさん~♪
クルマユリやチシマギキョウなど、花に見とれながら歩いて行くと、あっという間に急登の登山が始まる。
急登ではあるが、道は整備されているので登りやすい。
後ろを振り返ると、ロープウェイの駅の赤い屋根がどんどん小さく見えるようになる。人間の脚力はたいしたものだ。一歩一歩のろのろ登っているようでも、着実に進んでいるのだ。「ウサギとかめ」の寓話が身に染みる。
7:00 三畳敷カールを登り終え、乗越浄土到着。
宝剣岳が目の前にどーんと姿を現す。そちらに向かう登山者も多い。
ついでに登ってしまいたい衝動に駆られるが、かなりの鎖場だと聞いているので、見逃すことにする。
キキちゃんも慎重派なので「私は絶対無理。宝剣先輩は初心者が登ったらダメな山やで」とキッパリ。
ちなみに、ここでキキちゃんの事前情報はほぼ、鈴木ともこ著作の「山登りはじめました」であることが判明。
私も読んでいるので、確かに宝剣岳は途中で諦めたと書いてあったことような気がする。しかし、混雑状況とかの話は全然覚えていなかった。
私の頭は、すぐに内容を忘れてしまうニワトリ頭だ。読んだ本の内容を片っ端から忘れていく。こんなに内容を忘れる頭で、読書を趣味にするのは間違っているのではないか…。
7:30 中岳着。2925m
岩の隙間から、目指す先の木曽駒への道を眺める。
一度下ってから、鞍部を経てもう一度登り返すルートになっているようだ。また登るのに、一度下る悲しさよ…。
8:00 鞍部の頂上山荘
8:20 木曽駒ヶ岳山頂到着。2956m
絶景だ。
雨女コンビだけど、今回の登山は最高の天気。
近くの御嶽山がよく見る。独立峰で目立っている。
現在はまた登れるようになったし、手作りのシフォンケーキが食べられる山小屋もあるらしいので、いつかは登ってみたい。でも、やっぱり、まだちょっと怖い…。
頂上の神社にお参りして、しばし休憩。
いつもの私の登山スタイルだと、頂上で食べるのは昼食なのだが、今回は朝食のおにぎりを食べる。
この時間は、朝だ。
こんな早い時間から頂上に立ってしまうなんて、なんだかすごく贅沢な気持ちがする。
一日の始まりの時間帯に、すでにひとつ大きな仕事をやり遂げているのだ。
なんとなく、えっへん、と胸を張りたい気分だ。
朝から私は、絶景の青空の中にいる。すごい一日だ。
8:45頃、頂上を出発し、帰路に着く。
途中、頂上山荘にて、クレープ(アイス)を食べる。まだ、頂上を出たばかりだが、何しろ、時間に余裕があるので、もう休憩なのだ。のんびりしまくり。
確かに、時間に余裕があるっていいなあ。
10:00 乗越浄土
ここから、千畳敷カールを下っていく。
たくさんの登りの方と挨拶をしながらすれ違う。
いつもの私だったら、この時間は、登り組のメンバーだったはずだ。登りながら「この時間に下ってくる人って、何時から登ってくるんだろう」と思っていたが、今日、身をもって知った。日の出前の4:50からだよ…。(正確には、歩き出したのは5:30くらいだが)
千畳敷カールを下り、登山者ではない散策の観光客の皆さんに混じって、お花畑をしばし楽しむ。登山終了も間近だ。
ああ、下山後にはいつものアレが飲みたいなあ、と思ったら、自然と歌を口ずさんでいた。
「コーラ コーラ コォラー♪」
途端に前を行く、キキちゃんが振り返る。
「そのメロディーは、クイズ●ービーの直前の、●ート製薬!」
「何故か、自然と口ずさんでしまっていた!?私の脳に刻み込まれているらしい…。なんてオソロシイCMなんだ…」
そして、即座に回答するキキちゃん、グッジョブ!
アホな話をしながら歩いていると、到着はあっという間。
10:45 ロープウェイ千畳敷駅に到着。登山終了。
私は、希望通り、コーラにありついた。ぷはーっ炭酸、染みる。
登山にはカップ●ードルとコーラがベストマッチだ。無くてはならない。
登山混雑時の自動販売機は、コーラが売り切れていることもよくあるが、今回は下山時間が早いので、ちゃんと購入できた。これも、早朝登山の利点だろう。
でも、あまり冷えていなかった…。私たちを抜いていった方が、冷えたコーラを軒並み購入してしまったのだろか。まだまだ、ということか。
ちなみに、キキちゃんは「早く乗らないと、ロープウェイが大混雑する。今、どのくらい、待ってるのかな」と、コーラを飲む私をおいて、すぐに確認に行った。
キキちゃんの視察によると、待っている人は、ロープウェイ1台に乗りきれるくらいの人数だったそうな。
実際、私たちは、ほぼ待ち無しで乗れた。
多分、下りが混雑するのは午後なのだろう。ちなみに、私たちが到着した11時くらいのしらび平では、千畳敷行きが混雑しているようで、整理券が発行されていた。
しらび平からのバスにもすぐに乗れ、今回の木曽駒の乗り物系はほぼすべて混雑知らずだった。
宿のお姉さん情報と、キキちゃんの主張に感謝するほかない。ありがとう。私一人だったら、もっと遅い時間から登り初めて、かなりロープウェイを待ったと思う。
情報収集って大事だ。
スムーズで楽しい登山に大満足。3000m近い中央アルプスに、午前中で日帰り登山できるなんて、嘘のようだ。ロープウェイ、ありがとう。
キキちゃんも「今回の登山は天気も時間もよくて、すごく楽しかった」と満足そうに言っていた。
本当に。
余裕があるって、スバラシイ。
<コースタイム>
4:50バス停…5:20しらび平…5:30ロープウェイ…5:40千畳敷駅…7:00乗越浄土…7:30中岳…8:20木曽駒ヶ岳(休憩30分)…9:15頂上山荘(おやつ)…10:00乗越浄土…10:45千畳敷駅
尾瀬沼~チーズフォンデュで満喫しすぎ~
8月上旬に尾瀬沼に行ってきた。
G県民の私にとって、尾瀬の玄関口と言えば、鳩待峠。そこから、尾瀬ヶ原を一周するのが近年の定番コースだった。
しかし、今回は久しぶりに尾瀬沼方面にトライしてみた。何でも、今年はニッコウキスゲが7月の終盤が最盛期らしく、ということは、8月上旬でも大江湿原には咲いているに違いない、と期待しての決定だ。
登山口は福島県側の沼山峠。初めてだ。Googleさんに道を聞いてみたところ、G県東部からは4時間以上かかると言っている…。
めっちゃ遠い…。
ちなみに鳩待峠なら、2時間半くらいだ。
鳩待峠と沼山峠の間は歩いて行ける距離(ただし、1日以上かかるが…)なのに、車では簡単に行き来できない。なんだか不思議な気もするが、山にに囲まれているのだから、それが当たり前なのだ。富士山の山梨側と静岡側の登山口だって、相当離れている。
4:30 登山口まで遠いことを承知の上で、だいたい日の出と共に出発。朝日がまぶしい。
今回も山の相棒、ノムさんに同行していただく。ノムさんと尾瀬沼に行くのは5年ぶりくらいかもしれない。いや、もっとか?
あの時は、鳩待峠から入り、尾瀬ヶ原、尾瀬沼を抜けて、大清水に出る、という大縦断コースを日帰りで敢行した。
とにかく疲れて、最後の方は無言だった。この私たちがしゃべる気力を無くしてしまったのだ。通常、1泊2日のコースだからねえ…。
思い返せば、当時は、本当に何もわかっていなかったので、無茶をしまくりだった。
大清水に着いたはいいけど、バスがすでに終わっていて、自力でタクシーを呼んで、なんとか帰った。大失敗。
失敗を重ねて、人は成長していく生き物なのだ、きっと。
那須で高速を下り、そこからはひたすら下道を2時間ごんごん走る。
9:30 ようやく、駐車場の御池に到着。途中、サービスエリアやコンビニに寄ったりしていた時間もあるが、5時間かかった。
やっぱり、遠い。本来は泊が必要だったかもしれないと、ちょっと思う。
私とノムさんのコンビは、成長したつもりになっているだけで、案外、昔とかわらない無茶をずっとしているのかもしれない。成長したと勘違いしているあたり、昔よりもタチが悪いではないか…。
バスに乗り、沼山峠を目指す。
しっかりと最終バスの時間17:10を心に刻み込む。毎回、このチェックだけは怠らない。これが、ぺーぺー時代からの成長の証だろうか。
10:00 沼山峠着
登山口を入ると、最初は樹林帯の登り。尾瀬なので、きっちり木道が整備されていて、歩きやすい。階段激登り箇所もあるが、段差が少なく、揃っているので、それほどキツくは無い。でも、ぜーぜー息は切らしてしまうが…。
しばらく登ると、今度は下りとなる。
どうせ下るなら、登らなくてもいいじゃんね…。なんてことを毎回思うあたり、進歩のカケラもない私…。
歩いていると、毎度登場するアブがぶんぶんと、まわりを回り出す。もう、慣れているので、アブくらいでで動揺したりはしない。うっとうしいけど。
特にノムさんは妙に好かれているので(体温高い?)、腐れ縁の友達のような感覚になっているようだ。
「あぶさん、やっぱり来るのか。もー、来なくていいって言ってるのに」
「ノムさんを歓迎しての、よろこびの舞だよ!久しぶりだねって!」
「そんなにわたしが好きなの?あぶさん。しょうがないなー」
1時間ほど、あぶさんと共に樹林帯を歩くと、ニッコウキスゲの群生地で有名な大江湿原へ出る。
ニッコウキスゲは私たちが行く前の週末くらいが最盛期だったようなので、まだ咲いているだろう、と期待していた。
道の両脇の樹木が無くなり、一気に視界が広がった先には、背の高い草の揺れる湿原が黄色に染まる光景が…ということは全く無く、ニッコウキスゲはあまり咲いていなかった…。
1週間でみんな咲ききってしまうのか。シーズンが短い花なのね。だからこそ、一気に咲いて、黄色い絨毯になるのだろう。短期集中型。
ちょっとがっかり。しかし、肩を落として歩いて行くと、両脇にだんだんと黄色の花が増えてきた。
おや、まだそこそこ咲いているのかしら?
沼に近づくにつれて、ニッコウキスゲの花数は増えていき、黄色の絨毯とまではいかないが、かなり見応えのある景色に。
そのほか、コオニユリやコバギボウシ、ワレモコウなども咲いていて、百花繚乱だ。
「ひゃっぽう。極楽のようだねえ」
一気にテンションのあがる私たち。
私は従来「花よりも、観葉植物が好き」などとスカしたことを言うタイプだが、やっぱり花が咲いていると、楽しくなってしまうのだ。
11:30 尾瀬沼のほとりの長蔵小屋着。
さて、今回はニッコウキスゲだけを目当てに来たのでは無い。
もう1つのミッションとして「山ごはんの充実」を掲げてきたのだ。
尾瀬なら、あちこちにベンチはあるし、何回か来ていてコースタイムも読みやすいので、一歩進んで、話題の「山ごはん」のレベルを上げることにしたのだ。
当初はノムさんの「ホットサンドが食べたい」との希望があったのだが、「ホットサンドメーカー重いよね…」という状況を前にして、折衷案(?)でチーズフォンデュで手を打つことにした。
これなら、家で具を切って持って行くだけ。後は、チーズフォンデュの素(?)を暖めるだけ。とても簡単!
あれ?あまり料理らしいことをしていないな…。チーズを暖めるだけと、お湯湧かしてラーメンにそそぐだけと、たいして違わない気もする。
「山ごはん」として、一歩前進したのかどうか、若干疑義はあるといえばあるが、かんたん、おいしいで最高の選択だったと思う。
ちなみにノムさん提供のミニトマトが、意外においしくて感動した。オクラも美味。
長蔵小屋前ベンチで、舌鼓を打つ時間は至福の時間。
のんびりご飯を食べ、お腹がふくれたところで、活動を再開する。
この時点で時間は12:30過ぎ。
「とりあえず尾瀬沼を一周しようか」と、念のため地図を取り出し、コースタイムを確認する。
「ううむ。だいたい2時間半くらいかかる計算だけど、どうかな?そこから、沼山峠までの時間を考えると、割とギリギリの時間だけど」
「…多分、大丈夫。行ってみよう」
「そうだよね、大丈夫だよね。沼まわりたいもんね」
私とノムさんのコンビは、いつも最終バスやらロープウェイの時間に迫られて行動しているが、一向に改まらないのは、二人とも能天気な性格だからだろう。類は友を呼ぶのだ。
数年前の、大清水でのバスもう無い事件が一瞬頭をよぎったが、コースタイムから考えても大丈夫だろうと強気の判断をする。
大丈夫だ。最終バスの時間はきちんと抑えている。
尾瀬沼ヒュッテの望遠鏡で燧ヶ岳の頂上に立つ人々を眺めたりして、尾瀬沼一周に出発したのは12:45くらい。
尾瀬沼山荘手前で、沼の対岸の燧ヶ岳の撮影会をしているあたりから、空には黒い雲がだんだんと立ちこめてきた。
「やばい。これは降るね」
撮影している燧ヶ岳の上の方にも雨雲が迫っている。
夏だから、午後になると雨が降る確立が高いことは承知してはいたのだが、今回はなんとなく大丈夫なような気がしていたのだ。
「どうにか保ってくれないかな」と空を見上げて祈るが、今回は頼みの綱(?)である晴れ守を持ってこなかった。(かわりに雷除け御守を持っていた)
だめかもしれない…。
13:15 尾瀬沼山荘に着いたあたりから、ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
まだ、たいしたことはないが、今後の状況に少し不安を覚える。が、どんどん進む。
この先の道は木道の整備不良箇所が多く、また、木道がない通常の道もかなり多い。行き交う人の姿もほとんどない。
「おかしいねー。また、人が全然いなくなっちゃったよ」
「みんな、もう帰っちゃったのかなー」
「この会話、毎回してるよね」
失敗から学ぶはずなのだが、私たちは全然学んでいないようだ。
「余裕のある行程」か…。
沼岸をしばらく歩いていると、急にざざーっという激しい音と共に、ついに、樹木の屋根ではカバーしきれないほどの強い雨脚になった。
これはもう、観念して、カッパとザックカバーを装着する。
前回、立山に行った時に新調したカッパは2回の山行で2回登板することになった。100%の稼働率だ。これは縁起が良いのか、悪いのか…。
雨が降りしきる中、スピードを緩めず歩いていると、雨宿りをしている方に出会う。
彼は今日は宿泊組なのだろう。私たちも、出来るものなら、少し雨宿りをして、小雨になったあたりで再スタートしたいところだが、何しろ、最終バスの時間という大きな制約がある。
「ノムさん。最終バスがあるから、私たちは雨でも歩き続けなくちゃいけないよね」
との私の言葉に、ノムさんは力強い台詞を返してくれた。
「大丈夫。間に合わなかったら、泊ればいい」
おお!ノムさんは常にスバラシイ名言で私を導いてくれるなあ。さすがだ、友よ。
「そうだよね。間に合わなければ、泊ればいいんだ」
(尾瀬の山小屋は完全予約制だが…)
一気に気持ちが楽になり、雨の中、楽しく沼まわりを歩く。
それにしても、尾瀬沼南岸コースは木道がボロボロである。いっそのこと、無しでもいいのではないだろうか。
14:40 沼尻到着。雨だったが、だいたい予定通りの到着。これなら、なんとか最終バスに間に合いそう。雨もほぼ上がった。
休憩所(売店有り)で、尾瀬沼を眺めて写真を撮ったりしていると、売店のお兄さんに「今日はどこ泊るの?」と声を掛けられる。
「今日、帰ります!」と私が言い切ると、「帰るの!?最終バスの時間はわかってるの!!」と非常に驚かれる。
「沼山峠17:10です!」と答えると、少し安心したようで「大清水って言われたら、どうしようかと思ったよ。沼山峠でも、結構、ギリギリだよ。急いだ方がいいよ」とアドバイスをいただく。
やっぱり、ギリギリだったか…。そして、数年前、大清水でバスもうない事件を私たちは経験しているのだよ…。そんなことは、今、ここで口にはできないが…。
ノムさんと二人、苦笑を交わし、早々に沼尻を後にした。
沼尻から大江湿原まではだいたい1時間くらい。
急に気持ちが焦ってきて、やや早めに歩く。途中、人にはほとんど会わず。
尾瀬沼山荘あたりから、全然、人に会わない。天下の尾瀬だというのに。
「お兄さんは急げって言ってたけど、多分、間に合うと思うんだけどねえ」
「しかし、不安になるくらい、誰にも会わないねえ…」
出会うのはカエルばかり(雨が降ったので、たくさん出てきた)の道を、黙々と歩く。
15:40 大江湿原到着。
私は、ここを15:30に通過すれば大丈夫だ、と計算していたので、大分安心する。
さきほどまで、無人の道を歩いていたのに、ここに来たら、急にたくさんの人が現れた。よく見ると、皆、ザックを背負っていない軽装である。本日、宿泊組が散歩しているのか…。
大江湿原を沼山峠方面に進むにつれ、人影はどんどん減っていき、前を行くお兄さん1人になってしまった。
「ノムさん、あの第一村人だけが、友みたいだよ」
「でも、私たちの他にも帰る人がいるというのは心強いねえ」
時間が読める場所に来ているので、私たちの会話も再び余裕が出てきた。
16:40 沼山峠到着。30分も余裕を持って到着できた。
「なんだ。やっぱり大丈夫だったじゃん」
「しかも、かなりの余裕だよ」
全く反省のない私たち。
売店で買ったコーラを飲みながら、最終バスの到着を待つ。
周りを見回すと、大江湿原から一緒だった第一村人さんの他7名がバスを待っている。
最終バス乗車は私とノムさんを含めて9名だった。
…ラスト10人に入ってしまった…。
これは、本当に最後に残った人たちだ。
次回はもうちょっと余裕のある行程にしなければいけないと思う。人間は学べる生き物であるはずだ、多分。
ついでに、駐車場から那須までの2時間の下道が、夜だと街灯も無く、ご飯を食べる場所も無いので、やっぱり、泊付きの方がいいかもしれない、と強く思った。
那須までずっと腹ぺこ。早く帰れば、多分、ご飯にはありつけたのだろうなあ…。
<コースタイム>
9:30御池…10:00沼山峠…11:00大江湿原…11:30長蔵小屋(昼食1時間)…13:15尾瀬沼山荘…14:40沼尻…15:40大江湿原…16:40沼山峠…17:40御池
「さかなクンの一魚一会」さかなクン
私は以前から、さかなクンのことを尊敬している。
「魚が好き」というだけのことを、とことんまで突き詰め、その想いでご飯を食べていける地位にまで上り詰めた人物だ。なかなか、好きという想いだけでそこまでいける人はいない。
あの魚への愛情はホンモノだ。
彼は魚を心から愛している、真の魚人だ。半漁人…はちょっと違うか。
そんな私の勝手なリスペクトに、ある日、衝撃が走った。
ぼーっとテレビを見ていたところ(内容は全く記憶に無い)、さかなクンが釣りをしていた。さかなクンはどうやら釣りが趣味らしい。ここで、何か小さなひっかかりを感じたのだが、その後、さかなクンの口から「このお魚ちゃんはとってもおいしいですよ」との発言があり、釣った魚を食べている姿を見て、私は本当に驚いた。稲妻に打たれた様だった。ぎょぎょっ!
さかなクン、魚、食べるんだ!
共食い…!?
何故か私は、さかなクンは愛すべき魚を食べたりなんかしない、と勝手に思い込んでいたのだ。
名前も「さかなクン」だし、身も心も魚に捧げてしまった人で魚族に近い存在になっているので、友達として飼ったり、海や水族館で眺めているだけだと思っていた。イメージとすると、竜宮城の乙姫様みたいな感じ。乙姫様は浦島太郎をごちそうでもてなしたけれど、多分、お刺身とかは出していないはずだ。
いやいや、よく考えれば、そんな訳ない。一体、何故そんな思い込みをしていたのか、バカな私め。
以前、朝日新聞に掲載されたさかなクンのエッセイ「いじめられている君へ」の中でも、いじめにあっている同級生と一緒に釣りに行った、という話が書かれていたではないか。(この文章は、今は教科書にも載っているらしい)
むしろ、お魚をおいしく頂けるというのは健全な魚好きだ。お刺身も焼き魚も煮魚もおいしい。私も大好きだ。寿司ももちろん大好物。
魚が好きすぎて、サンマもサバも鮭も食べられない、なんて人はちょっと行き過ぎだなあ、と思う。でも、さかなクンは行き過ぎの人の様な気がしていたのだ…。勝手に思い込んでいて、大変申し訳ない。
しかし、さかなクンの自叙伝「さかなクンの一魚一会」を読むと、私の思い込みに近い、幼魚期のさかなクンのエピソードが書かれている。
幼魚期のさかなクンはタコに夢中になっていた。
友達のおじいちゃんがタコとり名人であると聞き、夏休みにタコ釣りに連れて行ってもらう。さすがは名人のおじいちゃんだ。見事なタコ釣りで、さかなクン念願のタコをゲット!
さかなクンは生まれて初めて見る、ホンモノのタコに飛び上がって大喜び。
すると、おじいちゃんはタコをすかさず捕まえ、胴体に指を入れて、タコの胴体をひっくり返して内臓を引きちぎり、ビシビシと石にタコをたたきつけたのだった。
「ぎゃあああああ。やめてー」とさかなクンは叫ぶけれど「なに言ってんだ、こうしなきゃ旨くなんねーんだよ」とおじいちゃんはビシビシを続行。
幼魚のさかなクンはタコに恋い焦がれていただけに、残酷でショックな出来事として、しばらく引きずったそうだ。
幼魚だとね。やっぱりね。
こういう体験から、「もう嫌だ」とならないのがさかなクンの凄いところだ。その後もタコへの愛情は全く冷めず、千葉のいとこの家に行き、近くの海岸でタコを探しに出かける。
いろいろ苦労して、またもやタコゲット!
今度こそ、水槽で飼う気満々で、タコをバケツに入れたまま、しばらく昼寝をし、バケツを覗いて見ると、タコはすでに白くなっており、足も力なくでろーんと伸びきったままになっている。
おばさんは「炎天下ですっとバケツの中にいたら、そりゃあタコだって死んじゃうわよ。今日はやっぱりたこ焼きパーティね」と、タコを台所に運ぼうとする。
さかなクンは「まだ生きてるもん!」とタコを海水につけてみるが、すでに死んでしまったタコの足はだらーんと伸びたまま。
結局、タコはおばさんに渡され、冷凍されたそうだ。
多分、たこ焼きになったのだろう。(そこまでは書かれていない)
その後、ウマヅラハギに恋したさかなクンは、料亭の生け簀で泳いでいるウマヅラハギちゃんを発見。
ウマヅラハギを飼いたいさかなクンは、お母さんにおねだりし、料亭で「表で泳いでいるウマヅラハギちゃんをください」とお願いする。
しばらくして、さかなクンの目の前に現れたのは、ウマヅラハギちゃんの活け作り…!!料亭だからね!
そのショックな姿にさかなクンは思わず泣いてしまう。
しばらくめそめそしていたさかなクンだったが「気持ちはわかるけど。でもこれ、もうお作りにしちゃったから食べてみなよ。ウマヅラハギの命をムダにしたくないだろ。うまいぞー」との板前さんの言葉に、お刺身を口に運んでみる。
すると、あまりのおいしさに涙はピタッと止ったという。
今風に言うと、食育だ。
人は魚を始めとした、いろいろな命ある生き物を食べ物にしているのだ。
やっぱり、さかなクンは健全な魚好きだと思う。
魚好きが高じて、魚を食べないなんて思い込んでいたことが本当に申し訳ない。再度、謝らせていただきたい。ごめんなさい。
ちなみに、私も子どもの頃、スーパーで売られていたドジョウ(多分、柳川鍋とか唐揚げ用)を水槽でしばらく飼っていた。割と長生きした。
「食べるのなんて、かわいそう。うちの水槽で飼う!」という子どもの気持ちは、私もさかなクンも多分同じだっただろう。
さかなクンはそのまま魚に対する「好き」の気持ちを純粋に育てていって、今のお魚博士、大学の名誉助教授にまで成長させたのだ。やっぱり、すごい。好きこそものの上手なれ、という言葉を体現している。
私はその後、特に何かに打ち込むことも無く、ドジョウは食べるもの、という認識の普通の大人になってしまった。ちょっと寂しい…。
「これが好き」と胸を張って言えるものがあり、その好きなもののことをずっと考えたり、調べたり、そして、それを職業にできたりすることは、とてもうらやましい。
私も何かに打ち込んでいれば、今とは違った生き方をしていたかもしれない、などど夢想してみたりする。
ちなみに、この本は、今年の人間ドックお供本だった。(検査の合間に読む本)
とても読みやすく、ぐいぐい読んでいたので「●●番さ~ん」と自分の番号が呼ばれていることに気づかない事態が数度発生した。名前では無く、その日限りの番号で呼ばれるので、本に夢中になっていると気づかないのだ。
うーむ。分量的には最適だったのだが、ちょっとお供本には向かなかったようだ。
やはり、写真やイラストが多く掲載されていて、章立てが細かい本が人間ドックには合う。来年はまた、山ガイドとかにしようかな。
立山(2日目)~白き地獄の頂~
2日目である。今日は立山に登る。
雄山 大汝山 富士の折立を縦走し、大走りから下山する予定だ。残雪状況によっては、大走りではなく、ピストンの下山も視野に入れている。
みくりが池温泉にて、5:00起床。
前日、ここから日の出を見るのもいいね、などとノムさんと話をしていたが、無理であった。外に出て、空を見上げると、日はとっくに昇っていた。(日の出の時刻はだいたい4:30くらい)
天候は、雲多めながらも、まあまあ。山がキレイだ。
さすが、登山指数(?)Aである。
行けそう。
スキップでその辺を走り回りたいところだが、ぐっと堪え、小さくガッツポーズを決めるに留まる。
「極楽立山」へ期待が持てそうだ。
バイキング形式の朝ご飯をいただき、準備を整えて、みくりが池温泉を出発。だいたい7:00。
室堂ターミナルで、不要の荷物をコインロッカーに預けたりしていたので、立山に向けて歩き出したのは、8:00くらいになっていた。わりと時間がかかってしまった。
でも、まだ、バスの始発が到着していない時間なので、登山客の姿はまばらである。
室堂山荘を過ぎると、残雪に覆われたルートが現れる。室堂ターミナルの掲示板情報によると、一ノ越までのルートの8割が残雪あり、だそうだ。
8割って、ほとんど雪ということではないか。気をつけて行こう。
そして、歩くにつれて、周りはだんだん白いガスに覆われ始める。
おかしい。この景色は2年前に来た時にも見たような気がする。
足下は残雪で、どこを見渡してもガスがただよう薄ぼんやりとした白い世界で「これが立山の地獄の世界か…」と途方にくれたような気持ちになる。
梅雨ど真ん中だもんなー。無念。晴守りの力もこのあたりが限界か。
「ノムさん、確か「ときめきトゥナイト」の魔界って、霧がたちこめているんだよね…」
「そうだ!確か、サンドは霧になって出没するのよね!」←マニアック
そうか、やはりここは魔界か。
ノムさんと2人、同世代にしか通じないマンガの話に花を咲かせながら、だらだら歩いていると、真っ白世界もなかなか楽しい。アロン様、どこかにいないかな。
9:30 一ノ越山荘着。
途中、休憩を大分とったので、かなり遅いペース。まあいいのだ、マイペースで。
前回来た時は、真っ白のガスと強風により、ここから引き返した。
今回は…またもや、真っ白のガスと強風に包まれている。雨も降っていた2年前よりはましだが。
またなのー!!立山って、本当はいつ来てもガスに覆われている山なのか!
一ノ越山荘は鞍部の風の通り道にあるので、他の場所よりは強風を感じるようだ。それにしても、この先の岩場もかなりの強い風が吹いていると思われる。
山小屋の中でホットコーヒー(200円)を飲みながら、ううむ、と考えを巡らせたが、今回の答えは1つだった。
行こう、頂上目指して!
一緒に休憩していた皆さんも、みな、そのまま山を登るルートに進路をとっていた。私たちもとりあえず、行けるところまでは行ってみよう。
2連続敗退はなんとしても避けたい。行かせてくれ、おっかさん!
今回手袋を忘れた私は、ここで軍手(200円)を購入し、レベルアップ。素手だと、霧で手がびしょびしょになって寒かったのだ。これで岩場もどんとこいだ。
昨日、アルペンルートを巡っているときに、お土産の「雷鳥さん軍手」が欲しくなったのだが、あのとき、買っておけばよかった。多分、軍手が必要になるぞ、という虫の知らせだったのに。欲望には従っておくべきだったのだなあ。
一ノ越山荘からの道は、むき出しの岩場だ。森林限界を突破したガレ道。残雪はない。
晴れならば、多分、最高の景色に包まれて登山ができるのだろう。
しかし、今、私たちを覆うのは白いガス…。先の見えない地獄の階段…。
風上に岩が無いと、吹きっさらしの強風にさらされ「風、つえー」とついつい大声で叫んでしまう。自然の感情の発露。叫ばすにはいられない。
でも、意外とよろけたりはしない。人間って、自分で思っているよりもしっかり大地に立てるものなのだ。
岩場に可憐な花が咲いていたりしたのだが、強風と戦って登っていたので「今、花に気持ちをさいている余裕がない!すまん、花!」と写真も撮らずに、ひたすら頂上を目指して登る。
何が咲いていたんだろう。下山した今はちょっと気になるが、もはやわからない。黄色いのと白いのが咲いていた…。
岩場を登ること、およそ1時間半。
11:00少し前に、ついに雄山山頂着。
ガスの水分でびしょびしょ、よれよれの汚い姿ではあったが、ついに憧れの山頂に着いた。苦労して登っただけに、喜びもひとしお。感無量!
さっそく、雄山神社のご祈祷をうける。ちょうど11時のご祈祷に間に合った。
神主さんのお話を聞いている途中、2年越しの登頂への感動がわき上がり、うっかり涙しそうになる。
立山は古くから、修験道の霊場であり、もくもく煙が立ちこめる地獄と頂上からの絶景の極楽の両方がある場所とされてきたそうだ。極楽の頂上の景色は未だ見ることが出来ないが、ここまでたどり着くと、確かに極楽に上り詰めたという気持ちになる。
一ノ越で諦めないで、登ってこれてよかった。
ご祈祷を終えて、社殿(?)を出ると、吹き付ける強風におもわず「わーっ」と声を上げてしまう。台風か!?
頂上なので、遮るものがなく、風が直接吹き抜けるのだ。
建物の中の穏やかな空気との隔世感がすごい。建物ってすごい。
天候もあまり良くないので、ここで折り返しかな、とも考えたが、「大汝山20分」の看板を見て、そのくらいなら行くか、と色気を出してしまい、もう一山行くことにした。
雄山は3003m、大汝山は3015mで、最高峰だというのも魅力的。
大汝山へのルートは概ね、山肌に沿ってつけられている。山がちょうど防風壁になり、雄山登頂時の風にさらされた感じとは全く異なり、かなり快適に歩けた。相変わらずの白きガスの世界だが…。
雄山神社まではそこそこ登山者もいたのだが、大汝までいかずに引き返した人が多いのか、人影はほぼない。ちょっと寂しい気持ちもするが、様々なポースを決めた写真を撮りまくったりして、なかなか楽しい。やはり、風のないルートはいいねえ。
12:10ころ、大汝山登頂。
大汝山の頂上は、登山道の脇にいきなり登場し、積み上げられたような岩場の上にある。とても狭く、頂上を示す看板は手書きの板だ。空に突き出た感じがあまりなく、岩に包まれたような場所で、何故か妙に落ち着く。
今回は、大汝山まで到着できた。嬉しい。
頂上の少し先にある「大汝休憩所」で遅めのお昼ご飯。
小屋の外でお湯を沸かし、インスタントラーメン(ミニ)を食す。
が、ここで重大問題が発生。
「しまった、箸を持ってこなかった…」
うろたえる私。もうすでにラーメンにお湯を注いでしまっている。どうしよう!ど、どどどドラえも~ん(byのび太くん)
ここで頼りになるノムさんに閃光のごとくひらめきが!
「大丈夫。みくりがけ温泉パンセットの中に、魚肉ソーセージがある!これを箸にすればいい!」
考案者のノムさんによると、ソーセージの先を横に半分くらい囓り、そのギザギザの不揃い部分で麺をすくうと、良い感じだとのこと。
確かに食べられる!大内宿のネギですくう蕎麦に比べたら、格段にこっちの方が使いやすい。
窮すれば通ず!人間の英知を見た。スバラシイ。
楽しい食事を終え、大汝休憩所を後にする。13:15頃。
富士の折立まで30分くらいで行けるのだろうが、時間も遅くなっていたし、多分、残雪の大走りは結構辛いだろうとの判断で、ここから折り返して室堂を目指すことにした。
何より、この悪天候の中、大汝まで来られたことで大満足。富士の折立は、次に来るとき(晴天の時!)にとっておこう。
13:45 再び雄山。
14:45 一ノ越山荘。
ここから室堂を目指して、残雪地帯を下る。
「滑るから気をつけて下ろうね」
と互いに声を掛けたが、その舌の根も乾かぬうちに、ノムさん転倒!立ち上がるが、またすぐに転倒。そして、おしりで斜面を下っていく。つるーっと。
「ノムさーん、大丈夫かー」
と私も声をかけるが、後を追うかのごとく転倒。
あまりの事態に二人で大笑い。コントの様だ。
…雪道の下りは怖い。
ふたりとも、立派な脂肪に覆われているので、特段怪我は無かったけど…。
そして、周りは登山者の姿はほとんど無い。
毎度の事ながら、下山が遅いので、周りに人がいなくなってしまうのだ。
「確か最終バスの時間が17:00くらいだよね。私たちは絶対にその前に下るから関係ないと思ってたけどさ…」
「おかしいねえ。なんで、毎回最終便ギリギリになっちゃうのかねえ」
それは、計画の立て方が甘いからだろう…。あと、必要以上にアホ写真撮ったりして遊んでいるからだろう…。
わかっちゃいるけどやめられない(by植木等)いや、ご利用は計画的に!だ。
室堂手前、一日あたりを包んでいたガスが少しだけ晴れ、振り返ると、今まさに登ってきた立山が姿を現した。
がんばった。上にいるときは真っ白地獄だったけれど、本当にあの場所に立っていたのだ。
下ってしまうと、嘘のように感じるが、ザックの中には、頂上でもらったお札も入っている。やったなあ、私。
最後の残雪地帯も楽しい気分で越え(転倒は最初のところだけで、後は大丈夫だった)室堂に到着した。16:00
室堂でロッカーから荷物を取り出したり、雄山神社の古い社殿を見物したりした後、バスに乗ろうと乗り場に行ったところ
「今、16:20のバスが出たので、次は最終の17:05です」
…結局最終バス…。
まあ、乗れないわけじゃないからいいか…。
<コースタイム>
8:00室堂…9:30一ノ越山荘…11:00雄山(30分休憩)…12:10大汝山(お昼ご飯1時間)…13:45雄山…14:45一ノ越山荘…16:00室堂
立山+黒部ダム(1日目)~極楽のアルペンルート~
今年の梅雨前線はどうしたことか。
確かに毎年、7月頭までは日本では梅雨だ。梅雨なので、当たり前だが雨が降りやすい。
そのことを承知はしていたのだが、「梅雨といったって、毎日雨が降るわけじゃ無い」「7月に入れば明けている可能性もある」「それよりも圧倒的に、みくりが池温泉の予約が取れる日を優先しよう」と、今回の立山行きを決定した。
今回は山の相棒、ノムさんと行く。ノムさんは晴れ女なので、予約の段階では「多分、大丈夫だろう」とかなり楽観的な気持ちだった。
頼みの綱、晴れ守もある。きっと晴れる!
私は2年前にも立山に行っているのだが、その際は悪天候(雨+強風)の真っ白地獄により、途中下山した。
「今度こそは、絶対に晴れの日に、最高の景色の中、頂上に立つ!」という並々ならぬ気合いがあり、だからこそ、今回は晴れるに違いない、という妙な確信があったのだ。同じ事は2度は続かないはずだ。
しかし、6月下旬からとにかく毎日雨、雨、雨。太陽が全然顔を見せない。
恨みを込めて、我がG県の空を眺めるが、灰色の雲がどよーんと重く垂れ込めていて、赤城山の姿すら見えない。
ものすごく梅雨だ。晴れの気配が見当たらない。
どこの天気予報を見ても、雨がずっと続きます、と気象予報士が口を揃えている。
ピンポイント予報でアルペンルートの天気予報も毎日確認していたが、ちょこちょこ変わりはするものの、概ね、曇りと雨。
梅雨前線がちょっと北に行くか、南に行くかで予報がどんどん変わるらしいが、晴れマークがつくことはほとんどなかった…。
もう、これは腹をくくるしか無い。とりあえず、行ってみる。
行ってみて、登れなければ、黒部ダムとみくりが池温泉で満足すればいい、と自分に言い聞かせた。でも、本当にそうなったら、涙が出ちゃう…女の子だもん。(byアタックNO1)
一応、念を入れて、今回の登山に備えて、カッパを新調した。備えよ常に、はガール●カウトモットーなのだ。
1日目の行程は、長野側の扇沢からアルペンルートに入り、黒部ダムを見学して、室堂のみくりが池温泉泊だ。
2日目に立山に登り、そのままアルペンルートを富山側に抜ける予定。
2年前に来た時は、この区間はトロリーバスだったが、今年から電気バスに変わったらしい。購入したアルペンルートの切符に「電気バス元年」と書かれていた。
なるほど、乗り物もどんどん変わっていくのだなあ。でも、ヘッドマークの関電マークは変わらずそのままなのがいい。
バスを降りて、ひんやり寒い隧道を抜けると、そこは大迫力の黒部ダムだ。
なんと、天気は良好!扇沢ではどよーんとしていたが、山を越えたら、ちらちら青空すら見えるではないか!
ダムの向こうに残雪の立山連峰がくっきりその姿を現している。
明日、あの山の上まで登るのだ。すごいな、本当に行けるのかな。
やはり、今回、天気は大丈夫な気がする。
期待に気持ちが盛り上がり、ザックにくくりつけた晴れ守を「頼むで!」という気持ちを込めて、しっかり握りしめた。
黒部ダムはこの時期、観光放流中で、美しいアーチ面の2カ所から、水が勢いよく噴き出している。
大迫力だ。
さすが、観光を意識して作られており、間近で見られるレインボーテラス、堰堤と同じ高さで見られる放水観覧ステージ、上から一望できるダム展望台が設けられていて、放水をいろいろな高さから観覧できるようになっている。
レインボーテラスからダム展望台までは、鉄の階段が設置されていて、だいたい距離にして350m登りっぱなし。
辛い…!!
荷物をすべて背負っているので、かなり重い。
「まさか山を登る前に、こんな試練があるとは…!!」
「なんで、ロッカーに荷物を預けるという選択肢を忘れていたのだ!?」
まわりの観光客の皆さんは、荷物が軽いからだと思うが、それほど辛そうな様子を見せずに登っていたが、私たちだけは、ぜーぜー息を切らしながら登った。
名物、ダムカレーとハサイダーを食し、資料館でダム建設の歴史のビデオに感動し、(昭和調のナレーションがイイ)黒部ダム、大満喫。多分、2時間以上うろうろした。
くろよん(黒部第4ダムの略称)、すごい。
莫大な建設費と多くの殉職者を出した、この事業の是非について、意見はいろいろあるだろうが、とりあえず、近いうちに「黒部の太陽」(石原裕次郎版)を見ようと心に誓った。
ついでに、2年前に学習したので、今回はダムカードもスムーズに入手した。(売店のレジで声を掛けると貰える。案内看板などは一切無いので、少しだけ勇気が必要)
黒部ダムを後にすると、アルペンルートの様々な乗り物が次から次へと登場する。
黒部湖から黒部平まではケーブルカー
黒部平から大観望まではロープウェイ
大観望から室堂まではトロリーバス
どの乗り物もなかなか楽しいが、一番の見所は、間に支柱が一本も無いロープウェイだろう。
空中にぷらんと放り出されるような、やや心細い気持ちにさせるが、まわりは圧倒的なアルプスの山並みの絶景に囲まれている。
開放感というのか、なんとも言えない不思議な気持ちになる。下界では味わえない。
若干雲が出てきたが、まあまあの天候で、絶景を堪能。
行ける。今回は頂上まで登れる。
何か、確信に満ちた気持ちが私の胸にわき上がってきた。単なる願望なのかもしれないが…。
パンタグラフで電気を供給して走るトロリーバス(日本ではここでしか走っていない)を下りると、立山登山のお膝元の室堂に到着だ。
かなりの残雪。さすが北アルプスだ。
かなりガスが出てきていたので、雪と相まって、周りが全体的に白い。
雪を背景にスマホ(アイちゃん)でノムさんと写真を撮ったが、アイちゃんは勝手に、撮影地を「立山山岳スキー場」と判断してくれた。(GPS機能)
スキー場に来たわけでは無い…。アイちゃん、グッジョブ。
残雪地帯の遊歩道をてくてく歩き、本日の宿泊地の「みくりが池温泉」へ向かう。
すると、途中でやたら人が集まっている場所がある。
「なんだろう?団体さんかな?」
と近づいてみると、
雷鳥さんご一家登場!
どっしり構えたおかあさんの周りをヒナ鳥がちょろちょろ動き回っている。
かわいい!!
「雷鳥は人に嫌なことをされたことがないので、全然人を怖がらないんですよ」と自然解説員さんっぽい人が教えてくれた。
ありがとう、先達!雷鳥に嫌なことしないでいてくれて。
ものすごいラッキー!と感動したが、その後、他の場所でも雷鳥さん一家に遭遇する。
意外と、雷鳥さんはふらふら出没するみたい…。(曇りの日が最も出没するらしい)
しかも、全く人を気にしていないので、ずっとその場所に留まっている。長っ尻。
「雷鳥さん、近くまで出没してくれるのは嬉しいけど、そんな警戒心がなくて大丈夫なの!?」
「自分が人気者であることを知った上の行動っぽいな。サービス精神旺盛なアイドルなのか!!」
3000羽くらいしかいない希少な鳥さんらしいが、この日について言えば、あまり希少感がなかった…。意外と気さくな感じ。現代風の会いに行けるアイドルっぽい。雷鳥さんも時代に合わせているのか?
室堂に降り立った時点では、かなりガスっていて、「やはり真っ白地獄なのか…」と肩を落とす天候だったが、みくりが池手前にさしかかると、まるで奇跡のように、みるみる霧が晴れ、立山三山がくっきりと姿を見せてくれた。
池が鏡となって、山を移している。
観光ガイド本などで「行ってみたい!」と私を魅了した、あの景色そのまま。
「魔法のように霧が晴れた!」
「いつ写真撮るの?」「今でしょ!」
「囃子(仮)先生、ありがとう!」(お礼を言う相手が違う、と今気づいた)
大興奮して、写真を撮りまくる。近くにいた登山者(?)の方も「おお!」と歓声を上げて一眼レフを構えていた。
嘘みたいだ。いきなり、晴れるなんて。
ノムさんの晴れ女パワーが遺憾なく発揮されているのか。
その後、みくりが池温泉に荷物を置いて、あたりを散策していると、どんどん天候が良くなり、周りの山々がくっきり。
Beautiful!Amazing!Thank Godness!
感動を思いっきり表すと、西洋人風になってしまう。日本人の私はシャイだから。
エンマ台(地獄谷展望台)のベンチで周りの景色をぼーっと眺めて過ごす。
すごいところに来ちゃったなー。
ノムさんは「くちぶっえはなぜ~♪」とハ●ジの主題歌を口ずさんでいる。ヨーロレイヒー♪
ハ●ジでしか知らないけど、きっと本場のアルプスもこんな感じなんだろう。
空を見上げると、不思議と、私たちの上だけ帯のように青空が広がっている。
「私のパワーでここだけ晴れ!」
「いや、ノムさん、もしや、近くに修●がいるのでは…?」
「ヤツか…!日本一の晴れ男の、ヤツが来ているのか!!」
ヤツのパワーかどうかはわからないが、立山の極楽を全身で感じることができた。ありがとう修●!
みくりが池温泉に戻り、ご飯をいただいていると、外は雲海と真っ赤な夕焼け。
夕焼けの翌日は晴れるというのが定番なはずだ。
行ける!今回は行ける!梅雨ど真ん中だけど、なんか行ける気がする!
受付に張ってあった天気予報によると、午前中の登山指数(?)はAになっていた。
前回の真っ白地獄を返上して、ついに3000超えの雄山神社で青空極楽に包まれる日がやってきた。
確信に近い晴れへの期待を胸に、温泉でほかほかした体を横たえた。
みくりが池温泉、とてもいいお湯だった。山の上でこんな贅沢ができるなんて、まさに極楽だ。
明日は頑張って登るぞ!
(2日目に続く)
「冒険図鑑」さとうち藍 松岡達英
少し前に地元の図書館に行った際、棚に懐かしい本を見つけた。
「冒険図鑑」である。
私が小学生だった●十年前、読んでいた本だ。確か、山好きの父親が買ってくれた。
児童書はベストセラーになると、長い期間ずっと売れ続けるらしい。小学生だった、私がおばさんになっても。(by森高)
この本も、多分そうだ。
子どもの心をキャッチする何かは、時代が変わってもあまり変わらないものなのだろう。
いつの時代も「冒険」というタイトルで、わくわくしない訳がないじゃないか。
帰宅して、早速本棚の奥をあさると、若干黄ばんだ状態の「冒険図鑑」を発見した。(ついでに「自然図鑑」と「遊び図鑑」も発見)
懐かしい。物持ちの良い自分に感謝だ。
いろいろなイラストが詰め込まれた表紙のデザインが、博物館の標本みたいで、アカデミックな雰囲気を漂わせていて、「この本、やっぱり好き!」と興奮し、小学生当時の様に、ぱらぱらめくって、つまみ読みをしてみる。
松岡達英さんの絵、細密で線が美しく、変なデフォルメがなくてステキだ。
「冒険図鑑」は子ども向けのアウトドアのあれこれ、が書かれた本だ。
ちなみに対象年齢は「少年少女~大人まで」だ。ほぼ全世代。「少年少女」という言葉のチョイスに福音館書店さんのセンスを感じる。ステキ。
内容は子ども(小学生から高校生)のグループがキャンプをするにあたって、必要な知識を紹介、といった体をとって、準備、テントの建て方、料理の仕方、危険への対応など、様々な知識がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
見開き1ページが、1項目の読み切りスタイル。読みやすい。
小学生当時は、本を適当に開き、その箇所だけ読む、といったスタイルでぱらぱら読んでいた。
今なら、トイレで読んだりするかもしれない。あとは、人間ドックのお供本とか。
読み返してみて思ったが、かなり高度な内容もある、と思う。
私が全くできない「地図上で自分がどこにいるか」を判別する方法や、天気図の読み方から雪山で遭難した時のための雪洞の堀り方など。
かなりガチだ。
昨今のキャンプブームで使用されるハイスペックな道具は登場しない。
かまどは石などを利用して作るし、薪は自分で拾い集め、テーブルや椅子も自分で作成する。テントは昔ながらの家形テントだ。(他の形も紹介されている)
ついでに、マッチやライターを使用しないで、きりもみ式や弓切り式で火をつける方法も紹介されている。(ちなみに私は、弓切り式で火をつけて、前髪を燃やしたことがある…)
アウトドアというよりサバイバルという言葉が似合うかもしれない。
子ども向けの本だが、「子どもだからって容赦しないよ」という、真剣さが伝わってくる。だから、読む方も「はい、先生!」とまじめにじっくりと読まなければならない気持ちになる。
当時、ガールスカウトだった私は、家形テントを建てたりする、この本に近いキャンプに行っていたが、かまどはキャンプ場作り付けのものを利用したりしていたので、ここまでガチのキャンプには行ったことがなかった。
本格的なキャンプはすごいな~、とかなり真剣に読んでいたものだった。
なかでも、小学生だった私が真剣に読んでいたのは「野外でのトイレ」だ。
冒険図鑑のイントロダクション部分のマンガでは、キャンプ地に着いた直後に、リーダーのともあき(高校2年生)が「まずトイレを作るか」と言い、地面に穴を掘る。
わーお、本格的なキャンプはトイレも自分で作るのか!
小学生当時の私には衝撃だったのだ。
もちろん、ガールスカウトでも、トイレを自分で作るキャンプには行ったことがない。快適とは言いがたいが、きちんとトイレが設置されている場所でキャンプをしていた。
冒険図鑑で紹介されている手作りトイレは、こんな感じだ。
まず、20センチくらいの深さの穴を掘る。
穴の周りに布を貼って目隠しにする。
臭い対策に杉の葉を敷き詰めたりする。また、使用後にかける土も脇に用意し、手洗い用の水をバケツにくんでおく。
トイレットペーパーは木に刺して使いやすいようにし、足起き用の木を穴の横に設置。
使用中、あき、が両面に書かれた札を用意するとさらによし。
ちなみにキャンプ終了後はしっかりと埋め、後のキャンパーのために、トイレだったことがわかるように、トイレの札を残して置くとよい、とされている。
かなり細やかに気を遣っているトイレであるが、結局は野に掘った穴で用を足す、というだけのものだ。
なお、さりげなく「紙がなくなったら木の葉を使う」などと添え書きされていたりもする。
本当にアウトドアだ。日本語にすると野天だ。
小学生当時の私は「こういう場面になったら、絶対に必要な知識だから、トイレの作り方だけはしっかり覚えておこう」と何度も繰り返して、図解された手作りトイレを眺めていた。
この知識は、いずれ災害時とかに役に立つかもしれないので、今後もしっかりと覚えておこう。再読して、さらに強く聞く心に刻み込んだ。
正直にいうと、「冒険図鑑」の内容で覚えていたのは、トイレの作り方だけだった…。なんだろう、私はトイレに対する関心が人よりもかなり高いような気がする…。なんとなく隠しておく部分だからこそ、「みんな本当はどうなのよ!?」と気になって仕方がないのかもしれない。我が事ながら、やっかいな性格だな、と思う。
ちなみに、登山時には携帯用トイレを持って行っているので、今のところ、それで間に合っている。いずれ、お花を摘みに行く時もあるのだろうが…。
ここまで書いて、緊急時のトイレ対策として、ふと思い出したことがあるので、備忘のためにここに書いておく。
私が韓国へ旅行した時のことである。かなり前だ。
私と友人はショッピングモール(?)のようなところに入っている、ロッ●リアでコーラを飲んで休憩していた。(具体的にどこだったのか、すでに記憶は曖昧…)
コーラを飲み干し、しばらく「韓国のり、お土産に買う?」などど話していると、小さな子どもを抱いた女性がやってきて、私に話しかけた。
「(ハングル)?」←すみません、韓国語の知識が無く、文字で表現できません。
突然、女性に話しかけられ「…えーっと…」と、日本語でつぶやくと、女性は、何だ日本人かい、と理解したようで「ソノコップ、クダサイ。コドモノトイレニシマス」とかなんとか、一応日本語で話かけてくれた。(韓国の方は日本語が話せる人が多かった)
彼女の視線は私の前に置かれたコーラの空き容器に注がれている。
…これ?捨てるだけだから、あげてもいいけど、何に使うの?
子どものトイレ…!!
「ど、どーぞ!!」
と、すぐさまご要望にお応えして、空き容器を差し上げると、女性は「アリガトウ」と足早に去って行った。
子どものトイレ…。
韓国では、紙コップで緊急避難するって、ポピュラーなやり方なのか!?というか、ここはショッピングモール(?)だから、近くにトイレあるんじゃないの?
友人と「今回の旅行、最大のカルチャーショックかもしれない…」と語り合った。
日本でも、高速渋滞中の車中なんかだと、この方法をとることもあるかもしれないが。(子持ちの友人によると、車中には子ども用携帯トイレを常備しているので、それを使う、とのことだった。日本でもありか?)
町中の緊急時には、「冒険図鑑」で仕入れたトイレ作成方法はあまり役にたたない。むしろ、韓国旅行で得た知識が役に立つ。まあ、男子限定だけど…。
最後にひとつ、「冒険図鑑」を再読して気になったことを書いてみる。
この本は1985年初版なので、だいたい35年前に書かれた内容だ。相当前だが、読み返してみてもあまり古さは感じない。アウトドアは自然相手なので、そんなに大きく変わることはないのだろう。
だが、時々「おっ!」という、時代を感じさせる記載がある。
「下着を選ぶ」での記載。
ラクダのシャツがいい。お父さんの小さくなったものをもらおう。長いときは切る。
ラクダのシャツ!わーい!!
今日日のお父さんは、多分、着てない。
現在、書店で売られている版にもこの記載のままなのだろうか。非常に気になる。
今度、大型書店で見つけたら、必ず確認しようと心に決めた。
(ついでに「ヤッケ(ウィンドブレーカー)」の記載も変わっていないか、確認したいと思う。
こちらも結構楽しい。小学校の授業で「植物図鑑を持ってきなさい」と言われて、この本を持って行き、全然役に立たなかったことを覚えている…。分類方法が違ったので。