睡紫庵文庫

身辺雑記をまじえた読書雑記です。

「凍」沢木耕太郎

日本には、山岳小説というジャンルがある。

唯川恵「純子のてっぺん」の解説を読んでいて、そういえばそうだったな、と気がついた。

私は長々と読書を趣味にしていて、さらに数年前から山にも時々登りに行っているが、山岳小説は一切読んでいない。

山岳小説の代表とされている新田次郎作品すらも全く読んでいない。

それは、本当に山登りを始めるまで、登山に興味がなかった(というより、むしろ嫌いだった)からなのだが、一作だけ読んだことがある。

それは、沢木耕太郎「凍」だ。

 

「凍」は山野井康史と山野井妙子(夫妻)によるヒマラヤのギャチュンカン北壁ルートでの登攀の様子を描いたノンフィクションだ。

私はもともとは、ノンフィクションはあまり読まない。どちらかというと、フィクションの方が好きである。

全く興味がないジャンル(山岳小説)に加えて、ノンフィクション、というダブルパンチにも関わらず、この本を読むことにしたのは、ひとえに作者が沢木耕太郎だったから、という理由だけであるが、沢木耕太郎の筆力は折り紙付きなので面白く読める確信があった。

果たして、読んでみれば、異様なまでの迫力に圧倒されてぐいぐい読み進め、読後は「すごい世界があるもんだ」と妙な敗北感を感じたのだった。

そのおかげで、これ以後数年間、山岳小説にまったく手を出すことはなかった。

沢木耕太郎の描く登山の世界があまりにも過酷だったので、恐ろしくなった私はうっかり敬遠してしまったのだ。

山登りを始めた最近は、ようやく少し読んでいるが、もっと早く読んでおけばよかった、と後悔することしきりである。

沢木耕太郎が筆力がありすぎるのが悪い…と思わなくもないが、選ぶのは自分である。恨むなら自分の小心さを恨むべきであろう。

 

 

「凍」で描かれるヒマラヤ登山の世界は、私がいつも楽しく登っている山登りの世界とは全くの別物だ。

そもそもギャチュンカンの標高は7952m

富士山よりさらに3200mも高い。富士山二つ分くらいの高さである。(それでも8000mに届かないため、登る人は少ないとか)

日本一が二つ!!もう、日本人の私には想像すらできないような高さだ。

そんな高所にもかかわらず、山野井夫妻は酸素を使わずシェルパもつけない。(アルパインスタイル)

富士山ですら、酸素は持って行った方がいいと言われているのに、その2つ分の山で酸素無し。それも、日帰りですむような距離ではなく、アタックに4泊5日かかる計画なのだ。

せめて富士山用の酸素くらい持って行った方がいいんじゃ…などと、読みながら余計な心配をしてしまう。そんなものあっても、焼け石に水なのだろうが。

さらに、その頂上にいたるアタックルートは2000m近い壁登りのクライミングだ。壁の途中でビバークしつつ頂上を目指す。

2000m壁を登るってどういうことなのだろうか…。私の大好きな谷川岳は1977mだが、ほぼ谷川岳分をずっと登るということか。

なんかもう、スケールが大きすぎてよくわからない。よくわからないが、壁というからには、登っている間中、ちょっと足を滑らせたりすると、一気に滑落する危険な場所であるということはわかる。

 

そんな登攀の下降時は、危険で過酷な状況が次から次へと降りかかってくる。

下降中にテントを張る場所も確保できず、わずか10cm程度の岩棚に腰掛けてのビバーク

雪崩に巻き込まれ、ロープを2本渡したブランコに腰を下ろした状態でのビバーク

空気の薄い高所に長くいたことにより、目が見えなくなった状況での下降。

極限状態での救助隊の幻影。

 

登山って恐ろしい。

山は危険だ。登山は命を落とすこともある場所だ。山をなめてはいけない。

そう言われているのは最もである。

読みながら、緊張のあまり奥歯をかみしめる。怖い。とにかく怖い。

ページをめくる手は止らないが、ずっと「マジ!?これはヤバいよ!」と貧相な語彙力の警報が頭を駆け巡っている。

 

しかし、そんな恐ろしい状況の下降の状況よりも、激しい衝撃を受けたのは、凍傷により指を切断することになったにもかかわらず(康史さんは手の指5本、右足の指5本全部。妙子さんは両方全部の指)、また山に登り出していく、という終盤だ。

 

登山にまったく興味の無かった当時の私は思った。

そんな状態になっても懲りないのか。普通、もう、やめるだろうに。というか、やめた方がいいよ。

 

登山とはなんと業の深い、恐ろしい世界なのだろうか。

命を危険にさらすような場所に、自ら率先して、高いお金を掛けて行くのだ。

憑かれたように山を目指す登山家は自分の理解が及ばない、まったく違う世界に住んでいる。

私は絶対にこの世界には足を踏み入れないようにしよう。というより、踏み入れたくない。

 

 

その数年後、その恐怖心が薄れた頃に、ぬるっと山登りの世界に片脚を突っ込んでしまい、たまに山岳小説も読むようになった今、久しぶりに「凍」を読み返してみた。

やっぱり恐ろしい。

「すごいな。私もいつかやってみたいな」とは決して思わない。

壁登りは私には遠い世界だ。

谷川岳で上るルートは天神平からで、決して一の倉沢には行かない。

 

でも、たとえ凍傷で指を失ったとしても、「また山に登ろう」と思う気持ちは理解できるようになったかもしれない。

頂上に立った時の景色と達成感をもう味わえないと思うと、寂しくて仕方がないだろう、と私も思うのだ。

 作中で山野井夫妻は言っている。

「無理かな」「無理だよね」

でも、無理かもしれないけれど、もう一度山に行きたい。

登山中毒と言えるかもしれない、その欲望は、私も理解できるようになってしまった。

 

もしかすると、また数年経つと、恐ろしいから絶対にやらない、と思っているライミングに挑戦しているのかもしれない。

その時「凍」を再度読み返したら、また違う感想を持つのだろう。

そんな日は来ない、と今は思っているのだが…。

 

凍 (新潮文庫)

凍 (新潮文庫)

 

 

 

牡丹咲く~庭の花~

庭の牡丹が咲いた。

今年は当たり年なのか、とにかく大量につぼみをつけ、一気に咲いたので、花盛りである。

巨大な花がみっしりと枝先で重たそうに、ぼよんぼよんと揺れている。

牡丹そのものは1本しかないので、そこだけが何やら異世界のような彼岸の入口のような不思議な感じだ。

さすが百花の王。その存在感はずば抜けている。

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牡丹はアップで撮りたくなる。

そのまま、庭をうろうろすると、あちこちで花が咲いている。春なのだ。

毎年同じ花が咲いているはずだが、「君の名は」と聞きたくなる花にも出会う。

よし!と気合いを入れて、以前買ったまま活用されていない「ヤマケイポケットガイド 野の花」のページをめくるが、探し方も良くわからない。

どういう順番に掲載されているのだ?

やたらにページをめくってみるが、何一つ得られるものはなく、本を閉じることとなった。君とはやってられんわ。

次いで、インターネット上の花図鑑も検索してみるが、それらしき写真に遭遇しても、イマイチ自信が持てない。

やっぱり、詳しい人に教えて貰うのが一番かもしれない。

確か、以前もそんなことを思って、登山中に咲いている花の名前をいろいろと教えてもらったが、下山後、何一つ覚えていなかった…。やる気が感じられないな、自分。

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マツバウンランでいいのでしょうか?全く自信なし。

 名前が判明している花もある。

藤が重そうに花房を垂れている。

私は藤が好きだ。

藤が好きな理由を話すと長くなるが、簡単に言うと源氏物語」が好きだからだ。

小学生の頃、「マンガで読む偉人シリーズ 紫式部」が私の本棚にあり、何度読んだかわからないくらい、繰り返し読んだ。そんな娘の好みを察した父親が、「マンガで読む源氏物語」を追加で購入してくれたので、そちらもむさぼるように読み尽くしたのだ。

今から思うと、マンガに飢えていただけのような気もするが…。

当時は百人一首の読み札のお姫様を眺めて「式氏内親王几帳があってステキ」とか「小野小町の着物はピンクで可愛い」などと、うっとりしていた。女子らしく、綺麗なお姫様が単に好きだったのだ。(ちなみに持統天皇も几帳がある。皇族は几帳があるルール?)

このまま百人一首を本格的に始めていたら、若宮詩暢(byちはらふる)みたいになれていたのに…。惜しいことをした。

話が大分それてしまったが、源氏物語といえば「若紫」。紫=藤である。

どうでもいいことだが、私が隠居後に住む庵の名前は「睡紫庵」にすると決めている。最初は「垂紫庵」だったが、睡るの方がいいなあ、と思って、このブログを始めるときに変えたのだ。ちなみに「独活亭」もいいなあ、と思っている。

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藤を地植えにすると大変なことになる、と聞いているのでまだ鉢植え。藤棚は憧れ。

もう一つ、私の好きな花と言えば椿である。

今年は咲くのが遅く「つぼみのまま枯れちゃうのか」と私をヤキモキさせたが、3月末からようやく咲き出した。椿って、2月のイメージがあったけど…。

ずぼらな私は何度も水やりを忘れ、水多めが好きな椿たんには辛い環境にあったかもしれない。ごめん。今後はしっかりと水を切らさないようにするので、来年も咲いてください!

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一番好きな黒侘助。完璧。

その他、庭で見つけた春の花。

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桜草。私はコケも好き。

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オダマキ

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満天星と書いて「ドウダン」。美しい漢字。

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オマケ。シクラメンはもう終わりの季節

  

suishian.hatenadiary.jp

 前に書いた。椿のはなし。

 

suishian.hatenadiary.jp

 すごく前に書いた。牡丹のはなし。

「スカーレット」(ドラマ)~趣味の陶芸~

朝ドラを何年かぶりでほぼ全話見た。

「スカーレット」である。

毎回、のほほんとしたり、笑ったり、泣かされたり、時には怒りで震えたり。主人公の人生に寄り添った半年はとても楽しかった。

ラストシーンでは、いろいろあっても続いていく主人公の生活にじんわりと感動し、涙をにじませながら、ドラマ完結の充実感を味わった。これが朝ドラの醍醐味なのだろう。

このままの流れで、次の朝ドラも続けてみてしまうかもしれない。まんまとN●Kの戦略にのせられそうである。

 

さて、そもそも、ものすごく久しぶりに朝ドラを見ることにした理由は、「スカーレット」の主人公が陶芸家だったからだ。

実は、私はかれこれ10年くらい陶芸を趣味にしている。

自分が作りたいものを自分のペースでだらだらと作っているだけなので、ちっとも上達しない。しかも、講師はYou Tubeだ。私の陶芸仲間達は、親しみを込めて「You先生」と呼んでいる。(陶芸動画を時々参考にしている)

You先生はすごい。あっというまに、お皿とかが出来てしまう動画が沢山ある。

つられて強気になり「よぅし、ああいうお皿を作るぞ!簡単にできてたぞ!」と、ろくろの前に座ってはみるものの、現実は「あかん、全然できひん…」と自分の実力に切歯扼腕する日々だ。

ドラマの中で役者さん達は上手にろくろを回していたが、結構難しいのだ。(ちなみに、八郎さん(主人公の夫)が特に上手だった。陶芸仲間はみな、「八郎さん、ステキすぎる!」とメロメロになってしまった)

 

陶芸の手順を簡単に紹介すると、こんな感じだ。

①土を練る。

 良く練って、土の中の空気を出す。特に電動ろくろを使う場合は「菊練り」という方法が必須だ。←結構難しい。

 私はまず始めに、You先生に、この行程を学んだ。

 

②形を作る。

 自分の好きなように形を作る。

 「手びねり」は小学生の時、図工の授業でやった粘土細工と全く同じだ。どう作ってもいいので楽しい。

 ろくろを使うと、基本的には丸いものしか作れない。

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電動ろくろ使用。サラダボウルみたいな器を作りたかった。

③削る。

 自分の好きな形になるまで、削る。

 たまに削りすぎて穴があいちゃったりする…。(こういう時、私は往生際が悪いので、粘土で埋める)

 それから、削る前に土が乾燥してしまい、ガリガリ音を響かせながら、力で削るときもある…。管理不足。

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削った後。写真だとあまりわからないが、底をかなりシャープにした。

④素焼き

一度窯で焼く。だいたい800度くらい。

焼いてしまうと、もう土はもとには戻らない。

 

釉薬掛け

素焼きしたものに、上薬を掛ける。

プロはいろいろなものを独自にブレンドして、オリジナルの釉薬を作るが、素人の私は市販の釉薬をそのまま使用する。

ちなみに、ドラマでは八郎さんがこの釉薬作りの研究をしていた。釉薬の調合方法が書かれたノートが弟子に盗まれる(実際は、盗まれたノートは喜美子との結婚後の夢を書いた夫婦ノートであったが…)というエピソードもあったくらい、ここはプロにとっての勝負所だ。

私は釉薬掛けが苦手で、ここで失敗することが多い…。写真の器も…。

 

⑥本焼き

ラストの行程。窯で1200度で焼く。

私はもちろん電気釜を使っている。ドラマに出てきた穴窯では当然無い。プロでも薪で焚く窯を使う人はごくわずかだ。(ガス窯が多いと思う)

でも、焼き上がったものを窯から出すときに「チリチリチリ…」と貫入(釉薬に入るひび)が入る音は聞こえる。

いい音だ。ささやきのような澄んだ音だ。

ほんのり暖かい器たちを取り出す時は、わくわくしてとても楽しい。「どんな風に仕上がったかな」とどきどきするのだ。

が、自分の作品の出来を目の当たりにすると「…ダメだったか…」と肩を落とすことが大半なのだが…。

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本焼き後。釉薬のムラが気に入らない…。もっと青く出るはずだったのだ。気持ちだけは。

とりあえずできあがり。

よく、ドラマなどでは陶芸家が出来上がったものをバンバン割る光景が描かれるが、私はその気持ちがよくわかる。

「こんな感じに出来上がるはずじゃなかったんだよ~」という落胆してしまう出来であることが多いからだ。

そして、作品が出来上がったはいいけれど、しまっておくのに場所をとるのだ。

気に入らない出来のものを、使うことはまずないし。

だったら割っちゃえ、という発想に至るのは当然の帰結だろう。

でも、やっぱり自分で作ったものなので捨てるに忍びなく、私は大きな段ボールを「駄作箱」と名付け、そこにしまい込んでいる。たまに茶碗が割れた時とかに、がさごそあさる。

ちなみに、本当に時々、自分でも驚くくらい良い感じに出来上がる事がある。(炎マジック?)

そういう時は、一軍選手として、私の食卓にスタメン登場することになるのだ。今使っているお茶碗とかは自作の一軍選手だ。(一軍レベルの薬味入れが出来たこともあるが、すでにスタメン(市販品)が不動の地位を築いていたので、代打程度にしか登場しない…)

 

ドラマの中には、登場人物たちが作った作品がたくさん登場した。

すぐに影響される私は「ああいう作品を作ろう!」と気持ちを鼓舞されまくりだ。今、創作意欲が最高潮に燃え上がっている。

一番真似したいのは、武志(主人公の息子)が作った水の波紋を描いた大皿だ。青がキレイ。指で緩やかな筋を付ける作風を真似したい。「学ぶは真似ぶ」だ。

八郎さんが最初に新人賞をとった赤い大皿もステキだが、あれは釉薬が難しそうで手が出ない。いつかは真似してみたい憧れの作品だ。

とりあえず、手近なところで、喜美子みたいにコーヒーカップの底にお花の絵でも描いてみようかと考えたりしている。

作る前に出来上がりを想像する時間が一番楽しいかもしれない。

現在、陶芸を行っている場所が使えず、胸に燃えたぎる創作意欲が行き場を失っている。これから作る作品をいろいろ考えて、創作ノートでも作ることにしよう。

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素焼き前のコーヒーカップ

 

余談だが、③削りの行程で出た「削りかす」は水を加えると粘土として再生する。

私は「削り節」じゃなかった、「削りかす」を着古したヒー●テックに包んで、数分水に浸している。水を絞ってしばらくおくと、粘土として再生する。

1年に1度くらいこの作業を行うが、かなりの量が再生するので「このサイクルで再生し続ければ、粘土買わなくてもいいんじゃないかな」という不思議な気持ちになる。

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ヒート●ックで簡単再生。

ちなみに「青の花 器の森」(小玉ユキ)という作品も、私の創作意欲をかきたてるマンガだ。

突然、勾玉作り

もともと影響を受けやすい性格である。

東博の特別展「出雲と大和」で勾玉の展示を見て、「そうだ、勾玉つくろう」と突然思い立った。

やっぱり、宝飾品には心引かれるものがあったのか、あの独特の形の謎に興味が湧いたのか、自分でもよくわからないが、勾玉を作ることに決めたのだ。

というのも、私の手元には勾玉の素材となる石があったからだ。

数年前、発掘関係の仕事をしている知人から「勾玉にするといいよ」と貰った黒い石があった。何の石なのかはよくわからないが「ちょっと硬いけど、磨くとキレイになると思う」と言われた記憶がある。

思い立ったが吉日。よし。作ってみよう。

幸い、石を切る金ノコや、やすりも発見した。道具は揃っている。

 

まず、勾玉の大きさに合わせて、石を切る作業を行う。

貰った石はそこそこの大きさだったので、作りたい勾玉の大きさ程度に切り出す必要があったのだ。

金ノコをギコギコと押したり引いたりしまくる。

徐々に溝が出来、刃は石を切断していく。

が、石は硬い。とにかく硬い。

1時間ギコギコして、1ミリ進むくらいの進捗状況だ。

これは…もしや、途方も無い時間をかけないと切断できないのではないだろうか。

まだ寒い時期であったが、この先の展開に不安を覚え、冷や汗がにじむ。いや、本当はのこぎりをひきまくったせいで、単純に暑くなっていただけかもしれない。

午前中からスタートした切断作業は、お昼ご飯を食べても、晩ご飯を食べても一向に終わる気配を見せない。

もうやめよう。誰に頼まれたわけでもないし。

という後ろ向きな考えが頭をよぎったりもしたが「ここまで来て、途中で投げ出すなんて出来るわけないやろ!」と、生来の頑固な負けず嫌いの性格の方が全面に出て、本当に1円の得にもならない作業を、ただひたすら続けた。

私は登山が趣味だが、雨が降ってきたりしても「せっかく来たから頂上まで行くぜ!」と無理をする、本来、登山に向いていない性格だ。勇気ある撤退が出来る性格が必要だとわかってはいるのだが…。

 

ギコギコ作業を続けて、およそ10時間(多分)

ようやく、石の切断に成功。

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切断完了

えいどりあーーーん!やりとげたぜ!

思う念力岩をも通す!いや、正に、雨だれ石を穿つだ!

石を切り始めた時は、1時間もあれば終わると軽く考えていた。しかし、実際は、午前中から切り始めて、夜の9時過ぎまでかかった。その間、他のことはほぼ何一つやっていない。

金ノコを引き続けた右手親指は、じんじんと痺れている。(親指で押さえながらノコギリをひいていたらしい)

疲労困憊だ。

石を切断したことで、ものすごい達成感に浸っていたが、実はこの作業は勾玉作りのほんの一丁目なのだ。

まだまだ先は長いが、このぼろぼろの体はもう使い物にならない…。

さすがにこの日は、これ以上の作業は断念することにした。

古代の先人は、私が切った石より遙かに硬い翡翠や瑪瑙で勾玉をつくっていたのだ。

すごい根気だ。

玉造部(勾玉作りの職人集団)の先人達に、言いしれぬ尊敬の念を抱いて、布団に疲れた体を横たえた。

 

さて、勾玉の素材になる石を切り出したら、ここから先は、ひたすら自分の好みの形になるまで削り続ける作業になる。

当初、私が用意した道具は粗めの紙やすりであった。

ザリザリこすると、だんだんと角が取れて丸くなってくる。

だかしかし、数時間ザリザリしても、削り作業は遅遅として進まない。そりゃそうである。金ノコでの切断に1日かかったのだ。

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ちょっと角がとれました。

一計を案じた私は、ここで新道具を投入した。

ダイヤモンドやすり(ダ●ソー商品)である。

角形と丸形の2本用意した。

ダイヤモンドはこの世で一番硬い鉱物だそうだ。

これで、削り作業がガツガツ進むこと、間違いない!頼むぞ、期待の新人!

 

果たして、ダイヤモンドやすりの能力は素晴らしかった。

紙やすりより遙かに早いスピードで石が削れていく。

丸形のやすりの活躍により、懸案の勾玉のくぼみ部分も形が取れてきた。

すごいよ、現代日本。こんな高性能の商品が110円(税込み)で購入できるのなんて。ダイヤモンド使っているのに、このお値段!

古代の玉造部の先人に対して、何か申し訳ない気持ちになる。

当時はどんな道具で削っていたのだろう。

タイムマシンで、ダイヤモンドやすりを届けたい気持ちだ。

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約1週間後。形になってきた?(濡らした状態で写真撮った)

約1週間後。まあまあ、勾玉のもとになる形っぽくなってきた。

…1週間、暇さえあれば削り続けて、こんなものである。ダイヤモンドやすりで格段にスピードアップしたはずだが、先は長い。

しかし、この削り作業は全く苦にならない。時間を忘れて没頭できる。

一心不乱に、ざりざり削っているだけの作業だが、切断作業よりも楽しいのは何故だろうか。「ここをもうちょっと、つるんと丸くしたい」とかの、クリエイティブな(?)思考が入るからなのか。不思議である。

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約2週間後。形はほぼ完成。

何かにとりつかれたかのように、石を削り続けること2週間。

ようやく形はほぼ完成した。

私は、比較的足(勾玉の先っぽ)が長い形が好みである。そして、先が尖った靴のように、シュッと細くなっている形が好きだ。

スマートで都会っぽいから。私は田舎者なので、都会にあこがれるのだ。

 

ここから、ダイヤモンドやすりを終了し、1000番台と2000番台の目の細かい紙やすりを使って表面を磨いていく。

ダイヤモンドやすりで削った状態では、がさがさで白くなっていて、若干不安を感じていたが、多分、紙やすりで磨くと、つやつやのぴかぴかお肌になるはずだ。

 だって、石をくれた知人が「キレイになる」って言っていたから。

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完成。観葉植物の緑に映える、艶のある黒!

紙やすりって、凄い。
磨き続けて数時間後、表面はつやつやのぴかぴかになった。艶のある黒ってキレイ!

ありがとう、石をくれた方!数年越しに、石は勾玉になりました!

 最後に、穴を開けて完成だ。

穴開け…。結構、大変だったので、電動ドリルを使ってしまった。

電動ドリル使っても、数時間かかったけど…。

玉造部の方に対して、何となく後ろめたい。

 

勾玉作りに着手して、15日でようやく完成にこぎつけた。

長かった…。

この間、空いた時間は、ほぼこの作業に費やした。正に没頭していた。気持ちだけは、玉造部の工人だった。

大王様に私のつくった勾玉の首飾りをお納めしたい!

…いや、こんなに苦労して作った勾玉はずっと私の手元に置いておきたい!誰にも渡したりするもんか!

 

実は、ちょっと形に不満もあるのだが、(丸い部分の形がちょっと気に入らない…)苦労して作っただけに、思い入れもひとしお。

大事にしよう。

そして、次に作る勾玉はもうちょっと柔らかい石を使おう。

次に作る石を求めて、ア●ゾンで石を探す私なのであった。

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ダイヤモンドやすり。功労賞。敢闘賞。ありがとう、ダ●ソー!

 

「ハイジ」シュピリ(2回目)

山に行くときなどは、各地の道の駅や高速のサービスエリアに寄ったりするのが楽しみだ。

地元の銘菓や特産の野菜を買ったりするのが好きなのだ。

例えば秋に谷川岳に行ったりすれば、G県が誇る幻のりんご「ぐんま名月」を購入したりする。隣のストロベリー王国に行けば、餃子やかんぴょうを買ったり、長野方面ではそばやみすず飴、山梨方面ではほうとう信玄餅を購入。

地元感があるものがいろいろ揃っていて、購入欲がそそられるのだ。女は買い物とおしゃべりが好き!

 

そんな道の駅やサービスエリアには、お土産や野菜直売所に加えて、結構な割合で焼きたてパン店があることが多い。

パンなら地元でも売っているので、わざわざ旅先で買う必要性をあまり感じないので、私はあまり利用しない。たまに朝食として買うことがあるくらい。

しかし、一緒に山に行くことの多いノムさんパン屋が大好き。「このパンおいしそう」と言って、買って帰ったりしている。

 

他の友人にも「パン、買って帰っちゃう」という人は割と多い。

そして、ノムさんをはじめとした「焼きたてパンを旅先で買う派」は概ね口を揃えてこういう。

固いドイツパンが好き

「しっかりしていて満足する」「かめばかむほど味が出る」などと、するめに対するかのような感想を言い合い、「やっぱそうだよねー」「わたしもー」と共感し合っているのだ。

いやいやいや。

私は共感できない。

パンは白くて柔らかいものが、上等でおいしくて最高なのだ。

だって、ハイジがそう言っていたから!

黒パンは固くてペーターのおばあさんは食べられないんだから!

 

「ハイジ」のこのエピソードは、「クララが立った!」と共に、私の世代ではみんな知っていると思う。

ハイジの友人、ペーターのおばあさんは固い黒パンをかむことが大変であまり食べられず、いつも「あたしにゃかたすぎて」と言っていた。

それを知っていたハイジはフランクフルト(都会)のクララの家で、おばあさんへのお土産にしようと、毎日せっせと白パンをためていたのだ。

いろいろあって、フランクフルトから山に帰るとき、ハイジはカゴいっぱいの白パンをおばあさんへのお土産に持って帰る。(ハイジがため込んだ白パンロッテンマイヤーさんに見つかって捨てられてしまったので、持って帰った白パンはクララがくれた新しいもの)

おばあさんは「まあ、おまえ、まあ、おまえってば!こんなありがたいものを持ってきてくれて!」と大喜び。さらに「だけど、何よりありがたいのは、おまえのいることよ!」とハイジの髪やほほをなでるのだ。

 

ハイジは本当に良い子だ!

ハイジのアニメをみた私は「ハイジのようにお年寄りにはやわらかい白パンをあげるような子どもになろう」と感動の涙をぬぐいつつ、強く決意したのだった。

そして、私の頭の中には、黒パン=固くてまずいもの 白パン=柔らかくて高価なもの という図式が完全にインプットされてしまった。

食卓にヤ●ザキのロールパン(8個くらいが袋に入っているやつ)が登場するたびに、「白パンが食べられる私って幸せだ…」と自らの幸せをかみしめていた。(このパンがアニメの「白パン」のビジュアルに似ていた)

しかし、不思議なことに、自分の身の回りでは「黒パン」を見かけない。食パンも菓子パン(チョココロネとか2色パンとか、当時は甘い系のパンがメインだった)も、みんな中身は白くてやわらかい白パンだった。

多分、ハイジは昔の話なので現代は固くてまずい黒パンは無くなってしまったのだろう、と自分を納得させていたときに、給食の献立に発見してしまったのだ。

黒糖パン

これだ!

これが黒パンなんだ!

今は白パンが主流だが、かつての貧しい時代を子ども達に忘れさせないように、給食という場では、かの黒パンを出しているのだ。

いうなれば、時々、給食に麦飯が出される日があったようなものだ。(大根飯はさすがにやりすぎなので、麦飯くらいなら、と教育的配慮で提供されていると当時は思っていた。正しいかどうかは知らない。ちなみに私は「おしん」も視聴している)

 

初めて目にした黒パンを、私はおそるおそる手でちぎってみた。

普通にちぎれた。

ちぎった黒パンをそっと口にしてみる。

こころなしか、いつものコッペパンよりも固い気がする。

これが、おばあさんが固くて食べられてないと言っていた黒パン…!!

私は健康で歯も丈夫だから普通に食べられる。健康と若さに感謝しつつ食べる。

周りの同級生たちは「黒糖パンは甘いからおいしい」などと言っている。

君たちは、これが高齢者には固くて食べられないパンだということを知らないから、そんなことを言えるのだ、と心の中だけで猛反発していた。

 

バカめ…。

当時の自分の胸ぐらをつかんで「それは黒パンじゃない!」とぐらぐらと揺さぶりたい気持ちでいっぱいだ。全然固くなかったではないか!

しかし、子どもの思い込みは強いもので、若干の疑問がよぎりはしたものの、本当にそう信じていたのだ。だって、まわりに黒パンがそれしか無かったから!

この間違いに気づいたのはいつくらいだったか…。

少なくとも自分でお金を稼ぐようになってからだ。

どこだったか記憶は曖昧だが、確か、ちょっとしゃれたレストランとかで、パンを選択した時に「おいしいけど、固いなー」と思い、ふと気づいたのだ。(ちなみに、ご飯かパンを選べるときにはだいたいご飯を選ぶ。あまりお腹が空いていない時に、たまーにパンを選択する)

この固さ!もしやこれが、黒パンなのでは…。

これかー。エウリカー!

明らかに給食の黒糖パンとは違う味と見た目に、長年の間違いを指摘され、非常にもの悲しい気持ちになった。

ちなみに、黒パンはライ麦で作るから黒いらしい。小麦粉で作ると白パン

 

長いこと黒パンを間違えていたことは判明したが、私は今でも忠実に「黒パン=固くてまずい」を信じている。

それなので、やはり、パンを買うときは、白くて柔らかいパンを選択する。

私の中では「ヤ●ザキ ダ●ルソフト」が最高級品だ。だって、耳までやわらかいのだ!

私は「食パンの耳が好き」という人種とはわかりあえない。

(ちなみに、私の感触では「ドイツパンが好き」人種=「食パンの耳が好き」人種 だ。統計は取っていないが、多分正しい)

しかし、一度、本場のドイツパンをがっつり食べてみたいな、とも思うのだ。

私の歯が丈夫なうちに、ドイツに行ってみたいものだ。

そして、牛乳(本格的にするならヤギ乳)に浸しながら、やっぱりおばあさんには食べにくいパンだなあ、と実感したい。

あ、本場のチーズもたべてみたいし、本当のアルプスも見てみたいので(登るのは無理?)、やっぱり、スイスに行ってみたいなあ。

 

ちなみに、小学生時代の私はハイジにあこがれて、家のコンロでチーズをあぶって食パンにのせて食べていた。(ハイジあるある)

アニメみたいにとろけないことが不満だった…。

あれは、チーズの種類が悪かったのか、アニメの演出だからあんな風にとろけるのか、未だにちょっとよくわからない…。

 

ハイジ (福音館古典童話シリーズ)

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 私が持っているのはこの本。

なつかしの山へ

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  • 発売日: 2016/05/31
  • メディア: Prime Video
 

アニメ版。

アマゾンで検索したら、何故かこの回だけ出てきた。

フランクフルトから帰る回だ。 

 

大野山~某アイドル聖地(?)で富士山を~

冬は空気が澄んでいるので、景色がよく見える季節だ。

この季節を逃さず、富士山が綺麗に見える低山を登りたい、という気持ちで手頃な山を探していたところ、「大野山」という名前に目がとまった。

確か、山の相棒ノムさんは、某アイドルの中ではリーダーである大●氏が一番好きだと言っていた。

さらにルート図を見ていたところ「嵐橋」「嵐集落」などという文字が目に飛び込んで来た。

これは…!!某アイドルの聖地なのではないか!?

あわててノムさんに連絡したところ、「行くしかないじゃないか!」と即答される。間髪を入れずとはこのことだ。髪の毛一本の隙間も無いほど早かった。

多分、某アイドルのファンで、且つ登山が趣味の方には、(僅少…?)ものすごく有名な山に違いない。いい山を見つけた!これが噂に聞く、聖地巡礼だ。←ちょっと違う?

 

大野山は丹沢山に属している。

丹沢山系はガイドブックなどでは「アクセスが良い」などと書かれていることが多いが、それはあくまで大都会(東京)からのアクセスであって、北関東からは大都会を経由していく場所なので、かなり遠い。

そのため、塔ノ岳とか大山とかが人気があることは知っていたが、丹沢はずっとノーマークだった。

しかし、グーグル先生に聞いてみたところ、圏央道を使えば意外とG県東部からは時間がかからず、だいたい2時間で到着するらしいのだ。

2時間なら尾瀬(県内)に行くより近いではないか!

ごめんなさい、登山ガイドブック!今まで「所詮、大都会中心なんだよね。ブ●ータス、おまえもか、って感じだよ。けっ」とけなしていたが、北関東からもアクセスけっこういいみたい。

これからは、丹沢も守備範囲だ。ありがとう、某アイドル。私の守備範囲を広げてくれて!

 

意外と近いことが判明したので、午前6:00にG県東部を出発。ゆっくりめの出発でも大丈夫だ。

飛んで県の高速を走っていると、目の前に雪をかぶった山がどーんと現れる。

「あ、富士山だね」とノムさんが言ったが「えっ、富士山がこんな大きいわけ無いじゃん。浅間だよ」と返す私。

いや待て私。G県で見る浅間よりも遙かに大きいぞ!ここは飛んで県だ。浅間の訳が無い。

ということは富士山かーー!!

こんなに富士山が大きく見えるとは!飛んで県民、うらやましい。

私はG県民が染みついているので、富士山っぽい山は浅間山、とすぐに判断してしまうが、ホンモノの富士山であった。

都会の街の上に富士山が鎮座する風景は、かなりの違和感だ。

さらに、登山口に近づくと、雪の全く無い山の合間から、真っ白な富士山がぬぅっと顔を出している。

なんか、ダイダラボッチがある。大入道が山から顔を出している感じだ。

子どもの頃に読んだ「ぐりとぐらのかいすいよく」で海に現れる「うみぼうず」も何となく思い出した。おおきい人だった、確か。

このあたりに住んでいる人は、この風景の中で生活しているので、違和感なんて感じないんだろうな。

それどころか、故郷を離れて暮らしていた人が、ぬぅっと顔を出す富士山を見ると「帰ってきた」と感じたりするのだろう。「ふるさとの山」が富士山なんてうらやましい。

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富士山がぬぅ。

8:30過ぎに山北駅に到着。

事前に調べておいた「さくらの湯」の駐車場に車を置かせて貰う。

ここから電車で一駅隣の谷峨駅に向かい、大野山経由で山北駅に戻ってくる周遊コースだ。

だいたい9:00  山北駅から電車に乗って驚く。

車内にはこれから登山するぞ、という気合いに満ちた格好の人々が大勢いたからだ。

大野山って、結構メジャーな山だったのか!

私は今回偶然見つけただけで、まったく知らなかったので、地元の人がハイキングで登る山だと思っていた。

違ったみたい。

私がど田舎北関東民なだけで、大都会民には知られた山だったらしい。丹沢はノーマークだったから、知らなかったんさねー。(G県方言)

しかし、まわりの登山スタイルの大都会民(推定)を見ていると、どうも女性比率が高い気がする。

これはやはり…。某アイドルの聖地なのではないか?

ノムさん、やはり某アイドルファンには知れ渡っている山なのではないかい?」

「うむ。もしや、嵐集落に住まう人々なのかもしれん

「その集落、ファンが住む集落なの!?

くだらないことを言っていると、電車はすぐに谷峨駅に到着。

無人駅であったが、駅前はこれから大野山に登るであろう人たちで混雑していた。

 

駅から大野山を目指して舗装路を歩くと、すぐに吊り橋が現れる。

その名も「嵐橋」

だから何だ、ということはないが、何かトキメキを感じる。

多分、彼らがデビューするずっと前から、この名前でここにあったのだろう。まさか、今、私たちにきゃーきゃー喜ばれることになるとは思ってなかっただろうなあ…。

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吊り橋なので10人まで。

嵐橋を渡り、舗装された山道をてくてく登っていくと、嵐集落があり、その脇の細い道からが舗装されていない山道になる。

普通の山間の小さな集落であった。もちろんファンが住まう集落では無い。

百人一首に「嵐吹く 三室の山の紅葉場は 竜田の川の 錦なりけり」という歌があるが、このあたりも紅葉がきっと綺麗なのだろう。

いや、名前からすると、本来は風の強い地域なのかもしれない。

同じく百人一首に「吹くからに 秋の草木のしおるれば むべ山風を 嵐というらん」という歌もある。(ちなみにこの歌は「ふ」の一字決まり)

この日は風のない、穏やかな登山日和であったが。

 

道はひたすら地味な上り坂だが、ずっとダイダラボッチ富士山がはっきりと見えている。

 

歩き続け、だんだんと高度があがると、富士山の裾野が見えてくる。

「裾野は長し 富士山!赤城みたいだね!

G県民が染みついている私は、日本一の山に対して大変失礼な発言をする。

単独峰の綺麗な裾野が見えてくると、富士山のダイダラボッチ感が薄れてきて、「キレイだよー。ほんと最高だよー」とカメラマンのような発言をして、写真を撮りまくった。

カメラの腕がまるでナッシングの私でも、絵はがきのような写真が撮れる。

しかし、人間の目ほど、高性能のレンズは無い。

「どうして、この目で見た大迫力の感動が、写真にするとこぢんまりとなっちゃうの!?」

それを表現できるのがプロなのか…。

プロが撮ると、実物よりも良いことが多々あるものなあ…。それで、温泉宿を決めるときに何度だまされたか…。

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裾野は長し 富士山

スカイツリーと同じ634m付近を通過してほどなく、11:00ころ、休憩所に到着。

ここからは山頂に向けて回り込んでいく道になるが、「さあ、富士山を見てくださいよ!」と言わんばかりの富士山ロードである。

ずっと、最高の見晴らしだ。

大野山という私を滅して、ひたすら富士山を立てるという、どこか太鼓持ち、いや、ジャ●ーズジュ●アのような山である。

大スターの先輩を立てる。いい山だ。

 

さらにである。

富士山に夢中になっていて、しばらく気づかなかったが、斜め反対方向(南側)に目を向けると、なんと、海も見えるのである。相模湾?)

う、海だーー!!

海なし県民の習性として、海を見つけたら、必ず声を出して周囲に知らせる。

「すごいね、大野山!富士山も海も見えるなんて!一度で二度おいしい!二兎追う者が二兎とも得るだよ!」

ノムさんと私は大興奮である。

実力ある。大野山。さすがである。

 

休憩所から、富士山を共にてくてく歩く。

頂上に着きそうで着かない。

「もー、焦らし上手だなあ」

なんて言っていても、歩いていれば、頂上には着く。

11:15 大野山頂上到着。723m。

子羊のチェーンソーアートがお出迎えをしてくれた。この山はチェーンソーアートも一つの見所らしい。登山道のあちこちにある。

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頂上からも富士山ばっちり

頂上は広い草地になっていて、ベンチ等もいくつかあり、シートを広げた家族連れや10人弱のグループなどの食事で賑わっていた。

電車の中では女性率高い、と思っていたが、別にそういうわけではなかったようだ…。おかしい、あの女性グループ達はどこへ行ってしまったのだ?

実はこの山はすぐ近く(一本木分岐)まで車で上ってこられるのだ。

ほんの少しだけ歩いて、富士山を見ながらランチ、などという贅沢ピクニックも可能な山である。家族連れはそのパターンかもしれない。

 

私たちもここで昼食休憩。

今回の私は基本に立ち返ってチ●ンラーメンにしてみた。くぼみに卵を落とすことも忘れない。

今回、このために卵ケース(2個タイプ)を新たに投入した。

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チ●ンラーメンと一緒に撮ればよかった…

ラーメンをすすりながら、東側に目を向けると、三保ダムが見えた。

この山の底力は本当にすごい。

富士山も、海も、ダムも見えるのだ。

空は文句のつけようもない青空。

雨でも楽しいとか、苦労して登るとより頂上の達成感があるとか、もちろんそれは間違いじゃないけれど、やっぱり、天気が良いときの登山が最高だ。
ここのところ、ノムさんとの登山は天気が今一つだったので、久しぶりの快晴に感無量である。お互いに無言でうなずき、感動を伝え合う。グッジョブ、大野山。

 

12:30 ゆっくりめのお昼休憩を終え、下山開始。

下山ルートではもう富士山は見えない。さよなら富士山。また会う日まで。

駐車場のある一本木分岐の先の牧場を過ぎると、放牧地(電柵あり)脇の階段をひたすら下る。本当にひたすら…。

途中、登りの人とすれ違ったが「これはキツい…」と息を切らせていた。確かに、この階段上りはキツい。

ずっと登ってきて、疲れた体にむち打つトドメの長階段…。キツすぎる。しかも、日当たり良好だ。夏場はさらにキツいだろう。

こっちのルートから登る選択をしなくてよかった。次来ることがあっても、今回と同じルートにしよう。

長い階段を過ぎると、樹林帯の中の山道をひたすら下る。ずっとずっと下りである。

登りだったら、この道もけっこうキツいだろうなあ…。

 

13:30頃 山道を終了し、舗装路に出る。

案内看板によると、ここから駅まで約50分とのこと。結構長い。

炭焼き小屋や廃校になった小学校を通り、集落内の車も通れないような細くて急な坂道をどんどん下ると、大きな車道に到着。

そこからは通常の道路を駅までひたすら歩く。

駅の手前は単線の線路に桜並木、という春には鉄っちゃん垂涎の光景が見られそうな道であった。

案内看板とチェーンソーアートがあちこちに設置してあるので、地図が苦手(控えめな表現)な私たちでも迷わず到着できる。

長めの街歩きはけっこう辛いかな、と思っていたが、割と楽しく歩けた。知らない街を歩くと、当たり前のことなのだが「ここで普通に生活している人がいるんだな」と実感する。

山間の集落で暮らしている子どもは足腰強くなるだろうな。箱根駅伝の5区を走る人たちは、こういうところ出身なのかもしれない。

 

14:30 スタート地点である山北駅に到着。  

700m程度の山なので、楽ちんな低山、だと思っていたが、ずっと地味な登りなので結構疲れた…。

スタート地点が低いから、標高差は結構あるのだ。(約600m)

筑波山登った時に学んだはずだったのに…。すぐに忘れる鳥頭。

 でも、ずっと快晴で、楽しい山登りであった。富士山最高。

そして、今年は某アイドル、ひとまずのラストイヤー。

多分、沢山のファンがこの山を登るのではないだろうか。どうなのかしら?ファンの間の知名度は?結局聖地なのかはよくわからなかった…。

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下山途中に見つけた梅。もうすぐ春。

<コースタイム>

8:30山北駅…9:00谷峨駅…9:15嵐橋…10:50 634m地点…11:00休憩所…11:15山頂…(お昼休憩)…12:30下山開始…13:30炭焼き小屋…14:30山北駅

桐生 茶臼山〜秘境の石切場探検〜

冬になり、低山登りの季節がやってきた。

年明け最初の登山先に選んだのはG県東部にある茶臼山だ。桐生市太田市にまたがる294mの低山である。

同じ名前の山は多いが、茶臼に形が似ている山茶臼山と名付けることが多いためらしい。

…茶臼ってどんなもの?

石臼とは違うのだろうか?現代っ子の私にはイマイチピンとこないが、かつての日本では皆がすぐに形を思い浮かべられる身近な道具だったのだろう。

気になってネットで調べてみたが、「富士山のような末広がり型の山」を差すとのこと。説明文と一緒に茶臼の写真も添えられていたが、どうみても、円筒形の石臼であった。末広がり型…??イマイチ納得できないが、これはそういうものだ、と知識として覚えておくこととする。

 

さて、G県桐生市茶臼山であるが、地元の小学生のハイキングコースになっており、お手軽簡単に登れる山だ。

というのも、今回のメンバーであるジェイ氏はキャンパーではあるが、登山はほぼ未体験。登りに対する不安を激しく訴えられたので「小学生が登る山だから!大丈夫だから!」と言い聞かせられる山を選択したのだ。

コースはいろいろあるようだが、一番メジャーだと思われる東毛青少年自然の家から登るコースを選択した。

上毛新聞社「ぐんま百名山」によると、ぐるっと周遊できて、2時間10分くらいだそうだ。丁度いい。

 

10:00  東毛青少年自然の家の駐車場に集合。

まさかの小雪舞い散る空模様である。たとえ悪天候でも、私は登る。登るが…天候不良は悔しい。

空を見上げて「雪止まないかな~」とつぶやいていたところ、ジェイ氏が到着。

車から降りてきたジェイ氏は妙な笑顔を浮かべて「やっちまいました…」といきなり懺悔した。

「靴が…ク●ックスで来ちまいました…。玄関までは持ってたんだけど、車に乗せるのを忘れた…」

なんと、ジェイ氏は靴を忘れたという。足元はサンダルだ。

確か富士山でも同じ足元の人を見たので、茶臼山くらいなら登れるだろうけど…

「ジェイ氏、やっちまったね…」との私のセリフに「でも、これは持って来た!」と、ごそごそとT型ストックを取り出して来た。「どうだ!」と言わんばかりに、私の目の前に突きつけてくる。

登山初心者のくせにイイモノ持ってるじゃないか。

ストックがあればク●ックスでも大丈夫だ、多分。

何故か、1人だけサンダル履きで登らせるのは申し訳ない、という心境になり、私とでんさん(もう一人のメンバー)もスニーカーで登ることにする。

コ●バースで登るの、すごく久しぶりだ。登山ぺーぺー時代にはよく登っていた。懐かしい気持ちに、少しテンションが上がる。

 

なんだかんだで10:30登山開始。

「ぐんま百名山」に紹介されていた周遊コースの「三本松コース」で登ろうと思っていたが、ク●ックス問題が発生したので、駐車場に張られていたコース案内のうち、最も簡単だとされてた「鎖場コース」で登ることにする。

最も簡単なのに、鎖場…。

何か矛盾したネーミングに首を捻りつつ歩き出すと、すぐに疑問は氷解した。

崖に鎖が3本ほど垂らされており、アスレチック的に登ることが出来るようになってる。もちろん、ここを登らなくても道はある。子どもの練習用?に設置されているようだ。

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鎖場。登らなくてもよい。

鎖場コースは最も簡単と言うだけあり、それほど急な登りは無い。

雪も止み、穏やかに会話をしながら頂上を目指した。

ク●ックスのジェイ氏も「これなら大丈夫。山歩き、楽しいじゃないか」とご満悦だ。

でんさんは「ジェイ氏、この山が大丈夫なら、高い山も大丈夫だよ。高い山はロープウェイで一気に標高を稼ぐだけで、この山とほとんど同じだから」と言葉巧みに誘惑している。でんさん、やり手だ。

 

周りは寒いが、歩いているので体はほかほかだ。

11:15 茶臼山山頂到着。

茶臼山の頂上には電波塔がどーんとそびえている。赤城山地蔵岳みたいだ。(地蔵の方が大規模)

晴れれば眺望良好らしいが、この日はあいにくのどんより天気。目の前にそびえているであろう赤城山すらほとんど窺えなかった。残念無念、涙が出ちゃう。

しかし、下界は割とよく見える。低山はここがイイ。雲の中の真っ白地獄で何も見えなくなる高い山とは違う。

「あそこ、競艇場かなあ」「車が結構走ってる」などと、しばらく下界を見下ろして楽しむ。この時、何故か私の頭にはド●フの雷様たちが浮かんできていた。彼らが雲の上にいたからだろうな、多分。

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街を見下ろす。G県は結構都会なのだ。

頂上から少しだけ下った場所にある四阿で昼食にする。

人が全くいないので、私たちで占領だ。

実は、今回の登山のメインテーマは「山頂でお餅を食べよう!」であった。

お正月の余ったお餅を山の上で食べる。我ながら、なんてナイスな企画なんだろう。自画自賛だ。

「ふっふっふっ、餅レシピをクックパッドで検索してきたぜ!」

「実は、正月には餅つき機でついた。自家製なので、おいしいはずだ」

などと思い思いにザックから切り餅を出す私たち。やる気にあふれている。

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基本。餅は焼く!奥ではジェイ氏が麻婆豆腐風餅を作成中。

調理中、四阿の外を見ると、また雪が激しく降っている。

こ…こなーゆきー ねえ るるるるるるる~」と歌い出す私。後半の歌詞はよくわからない。

お餅調理に夢中の2人は、私をほどよく放っておいてくれた…。

私の歌声だけが、灰色の空に消えていく。

寒い…。何か、外の温度と心の温度が相まって、いっそう寒さが身に染みる。

 

あんこをクッカーで煮て、焼いたお餅を投入する。あっという間にお汁粉が完成した。

ほかほかのお汁粉を一口すすると「あったまるー」と思わずつぶやいてしまう。冷えた心に染み渡る。

ちらちら舞う雪を眺めながら、ぬくぬくとお汁粉をいただく。まるで、こたつで雪見だ●ふく、の様な贅沢感だ。

ジェイ氏とでんさんも、それぞれ「餅は何でも合う!」「ご飯に合うものは全部いけるね」と、満足げに出来上がったお餅料理を食している。

お互いに交換していろいろ食べたが、お餅にたらこスパソースをかけたもの(仮に「たらこもち」とでも命名しよう)が、簡単お手軽でかなりおいしかった。でんさん制作。

 

12:30 充実のお昼ご飯タイムを終了して、下山を開始する。雪は止んだ。

下山ではあるが、ただ下るのでは無く、ぐるっと大回りの周遊コースを取って下る。

この周遊コースの終盤にある「石切場」が割と面白そうなのだ。

上毛新聞社「ぐんま百名山」によると「西洋の神殿か古代遺跡を思わせるような」と記載されている。

「まあ、よくある城跡の礎石程度のものかもしれないので、あまり期待しないでおこう

「そうね。G県東部に住んでるけど、ここに古代遺跡みたいなものがあるなんて、聞いたことないしね」

東部の住民である私もでんさんも聞いたことがないので、やはり、たいしたことないのかもしれない。

行きと同じルートをだいたい庚申塔までたどり、ここから周遊ルートに入る。

そのまま稜線(?)を籾山峠方面へ南下し、石尊宮から下りに入る。

 

13:00 石尊宮を右折すると、下りの山道は落ち葉に覆われていて、とにかく滑る。しかも、踏み跡があまり無く、道がわかりづらい。

「こんな道なのに、コ●バース!ジェイ氏、ク●ックスで大丈夫!?

ストックさん、ありがとう!大丈夫だ」

「この道であってるのかしら?こっち方面の道、人、全然来てないね!

「ピンクちゃん(登山ルートを示すピンクリボンのこと)がないから、ものすごく不安!」

大声で叫びあいながら、山道を下る。

13:15 この道の選択は失敗だったか!と後悔し始めたあたりで、視界が開け、どーんとコンクリの建造物が姿を現す。

「何だ、あれ!?」

「ダム??ダムだよねえ?ダムカード、ないかな?

どうやら、砂防ダムのようである。

今日のメンバーはダム好きでもあるので、ちょっとテンションがあがる。ちなみにこの砂防ダムにはダムカードはない。多分。

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砂防ダム。天端は歩けません。

地図によると、この先は舗装道路を少し歩き、また山道に入るとなっている。

しかし、砂防ダムの脇に、山へ登る道があるのを発見。

「こっちの道かな?」「でも、地図だと違うような…?」

よくわからなかったので、とりあえず少し山道を登ってみることにした。間違ったルートだったら、すぐに戻ればいい。

 

道を行くと、ルートをそれた脇の木に青いテープがつけられているのを見つける。

「あれ?あっちに行くのかな?」とジェイ氏が道をそれ、確認に行くと、すぐに大声をあげた。

こ、これは…!!すぐに来て!!

何だ、何だと、向かった先で見たものに、私とでんさんは「すごい!」と大興奮で叫んでしまった。

まさに、古代遺跡であった。

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石切場。秘境感ただよう

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廃墟感も満点。

道の先にぽっかりと口を開けた岩の隙間には、巨大な石切場跡が広がっていた。

当時、平らに切り取られた石壁は少し崩れ、植物だけが絡まっていて、失われた文明の雰囲気を醸し出している。

白い石壁が、日本では無い国のようで「ここはラ●ュタなの?」とついつい口走ってしまう。

まさか、こんなところで古代遺跡に出会うとは!

 

青テープをたどり、道なき道をかき分けて進むと(落ち葉だらけで道がわかりにくかったので)、さらに数カ所、石切場を覗き込める場所がある。

ここに来て、気分が登山から、秘境探検へと一気に切り替わってしまった。

「隊長!切り通しのツタを抜けた先に、第2の石切場を発見しました!」

「よし、安全を確保して進もう!」

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切り通しの先の石切場

石切場を大興奮でさまようこと30分。堪能し尽くして、砂防ダム脇の道へ戻る。

改めて地図をよく見てみると、「石切場」は地図上、2カ所あり、うち一カ所の石切場Aへの道は破線になっている。

どうやら、この石切場Aをさまよっていたらしい。

まったく何も考えていなかったが、石切場Aにたどり着けたのは本当に幸運だった。

「もしかすると、これは偶然じゃ無いとたどりつけない場所なのかもよ。行こうと思うと絶対に元来た道に戻ってしまうような不思議な場所…」とでんさん。

さすが読書家のでんさん。すばらしい発言だ!

うさぎを追いかけるアリスとか、猫に案内されて店にたどり着く波津彬子さんの世界みたい。私はいくつになっても夢見がち。でんさんも同士だ。

 

13:50 砂防ダムの先の舗装路を少し歩いた後、案内看板にそって、再び山道に入る、本来のルートに戻る。

14:10 「石切場跡」の看板が現れた。こちらの道の先には、石切場Bがあるらしい。もちろん石切場Bへ行ってみる。

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石切場B。どーん!

こちらもすごい。
ぽっかり空いた岩の隙間から覗く石切場Aとは異なり、石切場Bはその中まで入っていける。

切り取られた巨大な石の空間で上を見上げて「うへー」と唸ることもできるのだ。

しっかりと見学できるように整備されている印象だ。小学生がハイキングの途中に見学したりするのかもしれない。

 

こちらの石切場Bしか見なかったのであれば、これでも十分満足だ。西洋の神殿のようで圧倒される。しかし、石切場Aを探検してしまった私たちには、若干物足りない。

行くなら秘境感あふれる石切場Aの方が楽しい。

この感動をバネに、これから石切場Aの広報に努めよう、と3人の意見は一致した。

しかし、石切場Aの楽しさは、整備されていないところにある。

沢山の人が行くようになって、きっちり見学ルートが作られたりしたら魅力が半減してしまうかもしれない…。密かに広報することにする。このブログはその第一歩だ。

ちなみに、この石切場は「薮塚石」を切り出していた場所だそうだ。

藪塚石は、かまどの石等として広く流通したようだが、「水に弱い」という決定的な弱点を持ち、現在では廃れてしまったとのことである。

水に弱けりゃダメだよな…。

 

石切場Bから、集合場所である東毛青少年自然の家まではすぐである。

14:20 滝の入神社に到着し、周遊ルートはほぼ完了。

14:30 てくてく道路を歩き、東毛青少年自然の家駐車場に到着。

 

当初の予想を裏切る楽しさがあり、充実した一日であった。茶臼山、スバラシイ。

ジェイ氏も「最高だった。登山、これからも行く」と力強く宣言してくれた。しめしめ。登山要員を一人確保だ。

今回、唯一の反省点はコ●バースで登ってしまったことだろうか…。

やはり、トレッキングシューズの方がいい。当たり前のことだった。低山だとなめてかかった自分に猛省を促したい。

そして、ク●ックスて登り切ったジェイ氏に拍手を送りたい。でも、次はせめてスニーカーにしてね。

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頂上にあった。給食のお盆…。晴れれば穂高が見えるらしい。