にゅう〜きのこの森〜
ようやく梅雨が明けた。
今年の梅雨は本当に長かった。じっとこらえていただけに、喜びもひとしおだ。
これでようやく、夏空の登山が出来るぞ、とガッツポーズを決める。
梅雨明けと同時にやって来た猛暑もあまり苦にならない。高い山に行けばいいだけのことである。
今回の行き先はにゅう、である。
お手軽に行ける北八ヶ岳の山として、私の行きたい山リストの割と上位にランクインしていた。
なにしろ、名前が可愛い。ひらがなの山は珍しいのではないか。(漢字だと「乳」だそうだ。いきなり可愛くなくなる…)
今回こそは、青空に連なる八ヶ岳の山々の絶景を拝ませていだだこうではないか。ヤッホー。
今回も同行のノムさんは「山と天気と暮らす」(山の天気予報サイト)をじっくり検討して、晴れそうな日をチョイス。
お互いに気合い十分である。
しかしながら、検討を重ねて選んだはずの当日、一言で言い表すとすれば「くもり」の空模様。
おかしい…。数日前まで並んでいた晴れマークはなんだったのだ?
「女心と秋の空」を改めて「女心と山の天気」に変えた方がいいのではないか。ころころ変わって、私の心をもてあそぶ悪いヤツだな、山の天気。
信頼の「山と天気と暮らす」には登山指数Bが並んでいる。どうやら、くもりに加えて、風が強いらしい。午後3時以降は少し良いらしいが、さすがにその時間に頂上に立っているようでは、ものすごく遅いな、と私でも感じる時間だ。
うむ。まあいい。
雨が降らないだけで良しとする。
北八ヶ岳の森の時間が長いルートなので、晴天じゃなくてもそんなに影響はない。
8:00 スタート地点である白駒池駐車場発。
「白駒の池」の大きな看板を通過すると、すぐに緑けぶる森が広がっている。
シラビソの木から光が差し、こんもりと生い茂ったコケが黄緑にきらきらと光っている。
のっけから綺麗な森である。
足下は幅の広い木道で歩きやすい。白駒池までは一般の観光客も沢山訪れるので、がっつり整備されている。
ほどなく白駒池分岐に到着し、池に沿って青苔荘方面に進路を取る。
池に沿っている道のはずだが、あまり池は見えず…。時折、水面が姿を現す程度。
8:30 池周遊コースを終了し、いよいよ、にゅうに向けた登山コースに入る。
「こーけーのー むぅすぅー まぁぁでー」とノムさんが歩きながら口ずさんでいる。
ついつい日本国国歌が頭に浮かぶほど、コケだらけのコケの森である。
前日に少し雨が降ったのか、しっとり湿っていて、緑がつやつやしている。
「はりつめたー ゆみーのー」
私もお返しに米●さん(も●●け姫)を歌ってみる。
「黙れ、小僧!」と即座に●輪様(モ●の君)で返すノムさん。
この森を歩く人の十中八九は、も●●け姫を思い出すだろう。ジ●リって偉大だなあ。
余談だが、私は「も●●け姫」を映画館で見たが、たまたま隣の劇場が「ジ●ラシックパーク」を上演中であった。「も●●け姫」でこだまがころころ鳴る、静かなシーンに、隣から漏れ聞こえる「ギャオーン」という恐竜の雄叫び(?)。気になって仕方がなかった…。
コケむす森を足取り軽く歩いて行くと、あちこちに大好きなキノコを発見する。
コケとキノコはベストフレンド(?)
どちらも私の心をとらえて離さない。
「キノコはイイね」とノムさんと夢中で写真を撮りまくる。
すると突然、自分の失敗に気づいた。
「しまった!「き●この山」をおやつに持ってくるべきだった!」
「それは…!!大失敗だね!」
どうして、この重要な事項に気づかなかったのか。自分の準備不足が悔やまれる。北八ヶ岳の森にはキノコにたくさん出会えることは知っていたのに…。
この森で「き●この山」を食べたら、さらに倍!(byクイズ●ービー)の美味しさだったであろうに…。
次に北八ヶ岳に来るときは、かならず「き●この山」持参、と心のノートに書き留める。
9:00 コケとキノコに癒やされながら、るんるん登っていくと、白樺尾根との分岐に出る。
分岐の看板をみて、首を捻る私とノムさん。
「ニュー中山」
…この先には何があるのだ?田舎のアパートか、パチンコ屋か!?
「あ。ニューは「にゅう」か…」
気づくのに、けっこう時間がかかった。
「にゅう」と「中山」はこちら方面、との標識であった。
「にゅう」→かわいい
「乳」→なんか、変な名前
「ニュー」→昭和感。レトロ。
同じ響きでも、書き方によってかなり印象が異なる。改めて日本語の奥深さに気づかされた。ううむ、にゅう、奥が深い。
ニュー中山方面に進路を取り、再び森の中を登っていく。
だんだんと周りの木の丈が低くなり頂上の近さを感じる。
「そろそろかな」「いや、油断は禁物だ。頂上かと思ったら、もう一山、というのは登山あるあるだよ!」
しかし、あまりフェイント無く、森を抜け、ダイレクトな空が見えると、その先に岩が積み重なった頂上があった。
森を抜けると、本当にすぐ。
10:00 登頂 2352m
森の中ではそれほど登山者と出会わなかったが、頂上ではそこそこの人がやって来ていた。
何故か皆「ニュー」「ニュー」と口にしながら、頂上にやってくる。
この不思議な語感が、登頂の興奮と相まって、ついつい発声したくなってしまうのだろうか。もちろん、私とノムさんも「ニュー」「ニュー」を連発した。
ついでに、頂上の三角点の横の杭には「ニュウ」と書かれていた。新たな表記方法…。多彩である。
ちなみに、天気は真っ白地獄、何も見えねえ、というほどではないが、基本は白い世界であった。天気予報、さすがである。
私たちにしては早い時間に登頂してしまったので、今回は色気を出して、帰りは大回りコースを取り、黒百合ヒュッテまで足を伸ばすことにする。
黒百合ヒュッテは八ヶ岳の数ある山小屋の中でも、一番行ってみたいと思っていた山小屋だ。何しろ、黒百合のマークがかわいい。マフィンが食べられたりと女性人気が非常に高いらしい。
にゅうの山頂を下り、中山方面へ。
ほとんど人と遭遇しない。さっき、山頂で出会った人たちは、こちらのコースをとらず、みんなピストンで帰るのだろうか。もったいない。
歩いていると、風がどんどん強くなり、時々「おおぅ」と体を持って行かれそうになる。「山と天気と暮らす」の予報どおりの強風。本当に、最近の天気予報の精度は目を見張るものがある。すごい。
11:30 中山峠
11:40 黒百合ヒュッテ
時間がちょうど良いので、黒百合ヒュッテでお昼ご飯をいただくことにする。
ラーメン(王道のサッポロ一番)なども持って行っていたのだが、あこがれの黒百合ヒュッテである。ごはんも食べちゃうのだ。
山の中でビーフシチューが食べられる。なんて贅沢なのかしら。
食後にお湯を沸かしてコーヒーで一服していると、だんだんと空に晴れ間が見えてきた。感動の青い空である。
午後から晴れるって、またしても天気予報ドンピシャ。
あまりにも的中率が高いので、ちょっと恐ろしく感じるほどだ。気象予報士の勉強してみたいな。
気象予報士の資格を取れば、きっと自分で登る山の天気予報が出せる。魅力的だ。
いや、自分でやらなくても、信頼の「山と天気と暮らす」があれば大丈夫か…。
12:30 満腹のお腹をさすりながら、黒百合ヒュッテ発。にゅう分岐までは来た道を戻る。
「カレーでお腹が満たされている」とは、今回のノムさんの名言。ノムさんは常に名言を世に送り出してくれる。
スバラシイ友人を持って幸せである。
12:45 にゅう分岐
13:10 中山 2496m
ひとつのピークなのだが、周りを木に囲まれており、特になんと言うこともない場所である。
やっぱり、山の頂上は眺望が開けていないと何となく寂しい。
それでも、にゅうの頂上より100m以上高い場所なのだ。そんなに登った気はしなかったのだが、結構登ったらしい。
13:30 中山展望台
ここは打って変わって、眺望最高。
信頼のおける天気予報どおり、ほぼ晴れ。
やっぱり、景色がいいと、気分もいい。
「今回は、なんか余裕がある登山だね」
「何だか、余裕がある登山なんて、私たちらしくないねー」
展望台では、休憩している人たちも何人かいて、毎度「おかしい、周囲に人がいなくなってしまった。みんな帰っちゃったのかしら」とつぶやいている私たちだが、今回は他の登山者さん並の時間に帰れそう、という自信が湧いてきた。
今日の私たちは、いつもの私たちとは違う。ふふふ。
地図によると、ここから次のポイントとなる高見石小屋までは40分とのことである。
そこから駐車場までが約35分、と持参した地図には書かれている。
3時くらいには帰れそうである。余裕がある。
展望台から先は、高見石小屋へ向けた激下りルートに突入する。
私たちは下りが苦手である。
さらに、湿った岩にコケが生えていたりして、滑りやすいので、いつもより慎重に足の置き場を探しつつ下る。
もちろん、後続者にはどんどん抜かれる。(これはいつものことだが)
下りが早い人って、本当に早い。すごいなー。足の置き場に迷いなく、どんどんどんどん進んでいく。滑って転んだりしないのだろうか。
そして、膝の軟骨はすり減っていないのだろうか。グルコサミン飲んでるのかな。
私たちは慎重にゆっくりくだったが、二人とも1,2回転倒した。なんだろう、バランスが悪いのだろうか。それとも、重いお尻が悪いのか?
「おかしい、そんなに登った覚えがないのに、何でこんなに下るのだ?」
「ミステリー!山のミステリー!」
時々生えているキノコに癒やされたりしながら、高見石小屋を目指す。
15:00 高見石小屋着
コースタイム40分って、本当なのか?倍以上(1.5時間)かかった私たちって…。
事実は事実として受け止めて、今後、下りのコースタイムは、さらに倍!(byクイズ●ービー)で計算するようにしよう。
中山展望台で「余裕!」と高らかに笑っていた時の計算では、もう、駐車場に着いているはずだったのに…。
おかしい。
さて、高見石小屋のすぐ脇には高見石がある。
岩が積み重なっていて、その頂上は景色抜群らしい。
予定よりも相当遅くなっているのだが、なぜかまだ余裕を感じていて「せっかくだから登ろう」と高見石にチャレンジする。
結構、怖い。
ルートを示す「○」が岩に書かれているが「ここからその○までどうやって行くのさ!?」と聞かずにはいられない。誰も答えてくれないのだが…。
なんとか登り切った高見石からの眺めは最高。この時間には完全な晴れになっている。
「今日一番の絶景!登ってよかった高見石!」
ちなみに、登りよりも下りの方が怖かった…。
「三点支持!三点支持だよ」とのノムさんのアドバイスに「三点目がお尻になってるけど大丈夫!?」と尻餅をつきながら叫び返し、近くにいたお兄さんに笑われた…。
お尻は安定感がある。
15:45 高見石小屋発。再び激下り。
白駒荘までのコースタイムは25分って書いてあるけれど…45分後の16:30に到着した。
やっぱり、倍か…。
白駒荘まで下りてくると、まわりは登山スタイルではない、一般の観光客の方ばかり。
通常の山ならもう誰もいない時間だが、観光客の方がいるので、最後の下山者かも、という焦りがなく、のんびり池を眺めたりして過ごす。
一日、満喫出来て楽しかったなー。
結局、白駒池駐車場に到着したのは17:00であった。
遅い…。
中山展望台のあたりで余裕があるなんて、どうして思ってしまったのか。
全然、余裕じゃなかった。
でも、ちゃんと暗くなる前に下山できているので良しとしよう。
次こそは余裕のある登山!毎回思っているけれど、余裕のある登山!
<コースタイム>
8:00白駒池駐車場…8:30分岐(にゅう方面)…9:00白樺尾根との分岐…10:00にゅう頂上…11:30中山峠…11:40黒百合ヒュッテ(昼食50分)…13:20中山展望台…15:00高見石小屋…15:30高見石…16:30白駒山荘…17:00白駒池駐車場
尾瀬ヶ原~雨ニモマケズ~
梅雨が明けたら山歩きを再開しようと思っていた。
しかし、待てど暮らせど、毎日空はどんよりと厚い雲が覆っている。天気予報によると、梅雨明けは7月いっぱいは無理そうらしい。
もう、こうなったら仕方あるまい。
雨だろうが、もういい。
待ちきれないので、とりあえず、行く。
時期的に尾瀬のアイドル、ニッコウキスゲが咲いている。この時期を逃すわけにはいかないのだ。
昨年は大江湿原のニッコウキスゲが見たくて、福島側の沼山峠から尾瀬沼方面へ行ったが、今年はG県側の鳩待峠からのスタンダードコースで行く。
東電小屋の手前あたりにニッコウキスゲが咲いているらしいので、それが楽しみだ。
それにしても、何度かニッコウキスゲの時期に尾瀬に行っているが、いつも雨に降られている。7月下旬はやはり例年梅雨が明けていないものなのかもしれない。
今回も「どうせカッパ着るから防寒のジャケットとか持ってこなかったよ」「私もジャケットない。でもゲイターはしっかり持ってきたよー」と同行のノムさんと語り合う。もう、雨は覚悟の上だ。
戸倉の駐車場でバスに乗り、なんだかんだで鳩待峠発は9:00頃。
人はまばらである。外出控えに加えてこの天候では当然か。多分、山小屋予約しちゃったしね、という人がほとんどなのだろう。私たちは、雨ニモマケズ日帰りで来ちゃったのだが…。
駐車場でバスを待つ間に、上下カッパ+ザックカバーを装着する。(ノムさんはゲイターも装着)
私は割と面倒がって、下のカッパ(ズボン)をはかないことが多いが、今回はもう完全装備である。だって、今日は完全に雨だから。
覚悟を決めれば、私もやるのである。
鳩待峠から山ノ鼻ビジターセンターまでは森の中である。それなので、木が天然の傘になって雨をあまり感じることなく、快適に進むことができる。
「木はありがたいねえ」
「雨だと緑が濃くていいねえ」
久しぶりの山歩きに、私とノムさんの機嫌は上々だ。
途中、「うぉぅ!巨大ナメちゃん遭遇!!」とノムさんが叫ぶ。
ノムさんの行く木道の上に、枯れた笹の葉のような薄茶色の細長いモノが横たわっている。
なんと、よく見ると巨大なナメちゃん(ナメクジさん)である。
その大きさ、およそ15cmくらい。普段、植木鉢の底とかにひっついているナメちゃんの数倍はある巨大さである。
「ここまで大きいと全然気持ち悪くないねー」
「擬態がうますぎて、誰かに踏まれちゃうよ。早く非難して」
「がんばれナメちゃん、もう少しで木道の端だぞ」
ノムさんと2人で応援するが、ナメちゃんはマイペースでゆっくり進むだけ。
「Good Luck!ナメちゃん。今日は人は少ない。幸運を祈るぜ」
超スローペースのナメちゃんにつきあいきれず、その場を後にした。
山歩き、楽しい。とても楽しい。
10:00 山ノ鼻ビジターセンター到着。
雨は小降りになっていた。まったく降っていないわけではないが「この程度なら、降っていないと私は判断するね」と堂堂と言い切れる程度の小雨だ。
ここから、尾瀬ヶ原を歩き出すと、前方に燧ヶ岳、後方に至仏山がそびえ立つ、最高のロケーションになる。
雨なので、そのあたりの景色は全く期待していなかったのだが、ほとんどやんでいる状態の小雨なので、山がそこそこ姿を見せている。
そして、周りには小さな花があちこちで咲き、湿原を黄色に染めている。
「キンコウカさん、かわいい!」
「アヤメ平じゃなくても、けっこう咲いているんだ!」
やっぱり尾瀬はキレイだ。
もやで薄ぼんやりとした湿原が、キンコウカの黄色でキラキラしている。
この時期にはビッグに生長しまくった水芭蕉や、下界より遙かに巨大な紫のアザミなどが木道のすぐ脇に顔を出している。
さっきのナメちゃんといい、尾瀬はすべてが通常よりビッグな世界なのかもしれない。やはり下界とは違う、異境感がある。
「尾瀬を舞台にした映画とかみたいねえ」
「登山映画がいっぱいあるんだから、尾瀬があってもいいよね。恋愛モノだね」
「都会から逃げてきた歩荷さんが主人公とか?」
「若手のイケメン俳優よね。岡田将●とかどうかな」
「イイね!彼は影があるね!」
尾瀬は平らなので、どんどん歩きながらアホ話がとても弾む。
ちなみに、この日は「ガラスの仮面」の一番好きな舞台についても語り合った。(私とノムさん2人の意見としては、「吸血鬼カーミラ」が高評価。乙部のりえについても語り合った)
10:50 牛首分岐
ここからメイン(?)の道を分かれて、ヨッピ吊橋、東電小屋方面に向かう。
この日は、そもそも人は少なめだったが、ここからのルートはさらに人が少なくなる。
尾瀬の木道は行きと帰りの人用に2本併設されていて、通常は1本を前後に並んで歩くのだが、今日は人がほとんどいないので、ノムさんと並んで、アホ話をしながら歩ける。
「ニッコウキスゲ、ほとんど咲いていないね」
「本当にレアキスゲだね。たまに、1本とか咲いているだけ」
などと話しながら歩いて行くと、突然、ニッコウキスゲの乱舞が目に飛び込んで来た。
「これはすごい!一面キスゲちゃん!」
ニッコウキスゲで周りが黄色の波である。
「ここだったか、キスゲちゃんの群生地!」
「極楽のようだねえ」
G県民に染みついている「上毛かるた」の「せ」は「仙境尾瀬沼 花の原」だ。
仙人がいる。ここは霞を食べる仙人の住む場所だ。
写真を撮りまくっていると、このあたりだけ、柵(電柵?)で囲まれていることに気づく。わかりやすく、柵の向こうはニッコウキスゲがほとんど咲いていない。
尾瀬の関係者の皆さんは口を揃えて「日光から来る鹿がニッコウキスゲを食べちゃうから、ものすごく減ってしまった。鹿害をどうするかが、大問題だ」と言っていたが、なるほど、確かに鹿が入れないようにした場所はニッコウキスゲが咲き乱れるようだ。
ニッコウキスゲに惑わされながら木道をどんどん進むと、柵で囲われたゾーンは終了し、ぱたっとニッコウキスゲは姿を消す。
うーん、鹿さんたち。容赦なく食べ過ぎだ。
12:00 ヨッピ吊橋を過ぎ、東電小屋に到着。
当初の予定では、ここでお昼ごはんにしようと思っていた。
しかし、この時点で小雨だった雨がかなりの本降りに。この雨の中、屋根のない場所でご飯を食べるのは辛い。
東電小屋でご飯が食べられないだろうか、と濡れ鼠の状態で、そっと中をのぞき込んだが(怪しい…)、中では食事ができる様子ではなかった。(宿泊のみのよう)
「屋根の下に入りたいよう」と指をくわえて、暖かそうな小屋内に入れる隙が無いかと目をこらすが、そこには日帰り客の場所はない。
「ノムさん、ここはあきらめよう。食事ができる小屋があると思われる見晴まで行こうじゃないか」
「そうしよう。暖かいモノが食べたいよう」
おやつのチョコレートを食べて空腹を紛らわせ、そそくさと東電小屋を後にする。
お腹空いた…。
12:45 見晴着。
さすが見晴。小屋が沢山あり、食事が出来る小屋もちらほら見える。
しかも、この時点で雨はかなり小降りに。
このくらいの雨なら外でご飯でもいいかな、と思っていたところ、弥四郎小屋の軒下に椅子があったので、そこを利用させてもらいお昼ご飯にする。
今回の私のお昼ご飯はホットケーキであった。
袋をもみもみして種を作って焼くだけ、という例の画期的商品だ。一度やってみたかった。
しかしながら、私は重大なミスを犯した。
肝心要の「油」を忘れたのだ。
結論から言おう。大失敗した。
油をしかないで焼くと、当然のことだが、張り付いてはがれない。そして、どんどん焦げていく。
ひっくり返せないまま、片面だけ焦げ付く…。
味は悪くなかったけど。(負け惜しみ)
次回、油を持参して、再度挑戦することを誓う。給食で良く出たマーガリンの個パックとかがあるとベストだろう。
ちょっと悲しい。
お昼をゆっくり食べて、14:00に見晴発。
相変わらず人は少ない。ちらほらやってくる人たちはみんな山小屋泊(またはテント)なのだろう。
「本当に毎回思うけど、どうしていつも周りに人がいなくなっちゃうのかな?」
「2時くらいには山を下りてないといけない、と言われているらしいけどねえ」
「最終バスの時間はおさえてるから大丈夫だよ。間に合わなかったことないもんね」
妙な自信が私たちにはある。
雨はほとんど上がり、木道をちょろちょろ歩くセキレイ(?)一家をのほほんと追いかけながら、鳩待峠を目指す。
14:40 竜宮(小屋は開いていない)
15:15 牛首
ここでようやく「あとどのくらいかかるか時間をみておく?」と地図を広げる。
そして、ようやく自分たちが置かれた状況に気づくことになる。
「ノムさん…。ここから山ノ鼻までが40分。山ノ鼻から鳩待までが一時間半らしい」
「バスの最終は17:20だ。あれ?間に合わないのでは…?」
「鳩待へのラストスパートは登りだ…。ちょっと危険かもしれない…」
また最後の人になっちゃったかもしれない。それも、バスに間に合わない人に。
でも、何故か「大丈夫、間に合うよ。いつも間に合うもん」とこの期に及んで強気の私たち。
16:00 山ノ鼻
いつもなら、ここで休憩を入れるところだが、さすがに危機感があるので、そのまま通過し、鳩待を目指す。
少々ペースを上げているのと、雨が止んで気温が上がってきたせいなのか、だんだん暑くなってくる。
しかも、随所に階段などが登場し、登りのキツさから、額から汗が次々と流れる。
「キツいけど、脂肪が燃焼している気がする」
「今日、痩せたかな」
「痩せたに決まってるじゃないか」
ポジティブだ。ポジティブに考えると、なにもかもが楽しい。
鳩待峠への道は、あちこちに「鳩待峠 ●●●m」との標識があり(10m単位で刻んでくる)ある程度、時間が読める。
残り1kmくらいになった段階で「これは行ける。余裕や」とわかり、それまで無言で黙々と歩いていた私たちも再びおしゃべりを始める。
「やっぱり、間に合うじゃないか。やれば出来る子だ!」
「間に合わない人が出ないように、地図のコースタイムはサバよんでるね、多分」
最後の石段登りを「他の山に比べれば、こんなのナンボのもんじゃい!」と気合いで登り切り鳩待峠着。16:45であった。
30分近く余裕を持って到着できた。
「やったー。なんだかんだで余裕があるじゃないの」
花豆ソフトクリームを食べる余裕まであった。花豆ソフト、美味。
久しぶりの山歩きで、とにかく楽しい1日だった。朝から晩まで満喫出来て最高。
尾瀬なので、雨でも無問題。結局1日降ったり止んだりだったが、人が少なくて、かえって良かったかも。
これから徐々に登山に行こうと思っているが、テント泊とかもいいよなー、などと新たな野望をノムさんと語りあっている。
尾瀬でテン泊もいい。
今年中に尾瀬にはもう一度くらいは行きたい。何度行っても楽しい場所だ、尾瀬は。
<コースタイム>
8:30戸倉第一駐車場…9:00鳩待峠…10:00山ノ鼻ビジターセンター…10:50牛首…12:00東電小屋…12:45見晴(食事1'15)…14:00見晴発…14:40竜宮…15:15牛首…16:00山ノ鼻ビジターセンター16:45鳩待峠
旅館のビニール巾着~山の持ち物 その1~
そろそろ山に行きたい、とは思っているが、季節は梅雨ど真ん中である。
去年は立山で雨風にさらされていたな、なんて懐かしく思い出すが、今年は梅雨明けまでもう少し様子見をしている。
とりあえず、今は山の持ち物でも見直してみようと思い立ち、うきうきと雑誌を見たりしていたところ、ふと、ものすごく欲しいと思っていたものがあったことを思い出した。
温泉旅館のビニール巾着である。
私は山に行くとき、荷物の小分け袋として、このビニール巾着を愛用しているのだ。
私にとってのスタッフサックだ。
柔らかくて丈夫。ビニールなので、もちろん水気にも強い。しかも、ビニール特有のがさがさ音は少なく、Tシャツとかを入れて、ぎゅーっと押しつければそのまま抵抗なく小さく収まる。
色も豊富なので、白は着替え、赤は防寒用の上着、黄色は行動食、などと見た目で中身がわかるようにできたりもする。
スバラシイ。見た目とかさえ気にしなければ、パーフェクトと言ってもいいのではないか?正にパッキングのためにあるような袋である。
私は普段、パッキングは得意だ、とうそぶいているが、それはこのビニール巾着があるからこそなのだ。
しかしである。
ここ最近、温泉旅館でこのビニール巾着を見かけなくなってしまったのだ。
一時期はどこの温泉旅館に泊っても、浴衣の横にそっと奥ゆかしく、このビニール巾着とタオルと歯ブラシはセットで添えられていた。
温泉のお供として、主にタオルを収納するために添えられたビニール巾着は、長いこと日本の温泉旅館の定番であった。私は、どうして、どこでも同じ袋なんだろう、とまで思っていた。
それなのに、ここ最近は主に手提げ式の袋に主役を取って変わられてしまったのだ。
温泉旅館に行くたびに、今回はどうだろう、と期待して乱れ箱(浴衣を入れておく箱)を見るが、去年くらいから全くビニール巾着には出会えていない。
無くしてわかる、そのありがたみ。
確かに、お風呂に行くときにタオル他を入れて歩くには、手提げタイプの方が便利だ…。逆になんで、長いことその事実に気づかすに、巾着タイプを提供し続けた来たのだ、日本の温泉旅館よ。
温泉旅館の客としてはわかる、もしくはありがたい改革なのだが、私にとっては改悪以外の何者でもない。
愛用のビニール巾着の入手経路を絶たれるという、緊急事態。
今はまだいい。過去にためたビニール巾着があるので、それが使える。
しかし、写真を見てもわかるように、何回も使い込んでいるので、結構くたびれてきているのだ。そのうち、穴があいたり、端っこが破れてきたりするものも出てくるだろう。
そうしたら、頑張って欲しい気持ちはあるが、現役を退いて貰うしかない。それなのに、その穴を埋める若手が全くいないのだ。
これはゆゆしき事態である。
どうにかして、ビニール巾着の若手を入手しなければならない。
多分、パッケージプラザとかの店には売っている。
ついでに、先日メルカリで検索してみたところ、結構売られている。(意外と買う人はいるらしい)
その気になれば、簡単に入手は可能である。
でも、どうしても、以前は無料で入手していたのにー、という気持ちが邪魔をして、購入する気持ちになれないのだ。現に今は足りているし。
さらに、どうせお金出すなら、ちゃんとしたスタッフサック買えばいいんじゃないの?という声も、頭のどこかから聞こえてくる。
ううむ。気づいた時に行動(購入)した方がいいような気もするし、これを期に、新しい道(立派なスタッフサック)を歩き出した方がいいような気もするし…。
迷う。とても迷っている。
とりあえず、まだビニール巾着を提供してくれている温泉旅館はきっとあると信じて、旅館で探し続けたいと思う。
ちなみに、友人に何度かこのビニール巾着のハイスペックさを力説してみたが、共感してくれる人はいなかった…。
見た目がイマイチなところが良くないのだろうか?スーパーの袋的なチープさが良くないのだろうか…?
お洒落でない。これは間違いない。でも、ものすごく出来るヤツなのだ。
最後に、こんな私だが、下山後のお風呂セットは購入したスタッフサックを使っている。(コールマン製品)
見た目以上にぎゅっと沢山のものが入って、丈夫で便利だ。さすがに高性能である。
このスタッフサックの中に、着替えを入れたビニール巾着をさらに入れる。これが私の定番だ。
ここでも、ビニール巾着は無くてはならない存在だ。
私、ビニール巾着に頼り切ってる…。
やっぱり、買い足しておくべきなのかも。
ついでに 一応付け加えるが、温泉旅館のビニール巾着以外に、無印良品のたためる巾着袋も実は愛用している。
オマケ
温泉セットに入れている手ぬぐい。
ぐんまちゃんは素直だから、G県民の胸に秘めた思いをストレートに声に出せるのだ。
G県の中村染物工場の商品。見つけた瞬間、即買い。
「かわいい京都御朱印ブック」西村由美子
私は数年前から御朱印収集も趣味にしている。
集め始めたきっかけを話し出すと長くなるのだが、簡単に言うと、NHK大河ドラマ「平清盛」にはまったからだ。
何かというと低視聴率大河ドラマとしてあげられる作品だが、私は大好きだった!なんで人気がでなかったのか、未だにわからない。
美しすぎる待賢門院璋子(壇れい)と西行(藤木直人)のなんとも言えないすれ違いとか、悪左府と呼ばれた藤原頼長(山本耕史)やら、「平家にあらずんは人にあらず」の平時忠(森田剛)やらの怪演とか、平重盛(窪田正孝)の白い直衣が半端なく似合う様子とか、今でも語り出したら止まらないくらいだ。
(北条政子(杏)も建春門院滋子(鳴海凛子)も崇徳上皇(井浦新)も良かった!源頼朝(岡田将生)も他にも…!!言い足りないので、ここらでやめておくが)
当時、あふれる思いを抑えきれず、京都の六波羅蜜寺(平清盛像がある。ついでに空也上人像もある)に出かけたところ、けっこうな人数が御朱印を貰うために並んでいる列を見かけ「ここで御朱印を貰わないなんて、大河ドラマファンの名が廃る!」と、勢いに任せて自然と列に並んでしまったのだ。
六波羅蜜寺ではものすごい熱量で御朱印を貰ったが、平清盛への愛に対する熱量であったため、その後、御朱印収集はたまに貰う程度で、落ち着いていた。
しかし、数年度の平成27年。
友人マーサ(御朱印集めの先輩)に「御朱印帳もかわいいのがたくさんあるよね」と言われて、「確かに…」と深く頷いた。
「でも、マーサ。私、ちょこちょこ御朱印貰ってるけど、全然1冊が埋まる感じがしないよ。次の御朱印帳のことは考えられない状態だよ」
「そう。私もそう。だから、ここらで一発、本場に乗り込むのはどうかね」
私の言葉に、マーサは深く頷き、重々しく告げた。
「京都で御朱印を貰いまくるのはどうかな」
「京都…!!大本場!!」
かつて何かの本で「京都には全部で寺社がいくつあるのか正確な数字はわからない」と書いてあった記憶がある。(本当かな?)そのくらい、寺と神社にあふれる街、京都。
しかも、意外と街が小さくコンパクトにおさまっているので、移動時間が少なく、あちこち何カ所も回れるのだ。ビバ、観光都市!
話はすぐにまとまり、行きの新幹線の中で互いに行きたい寺社のセレクトを発表する。
すると、二人のカバンの中から同じ本が出てきた。
それが「かわいい京都御朱印ブック」である。
友達だから、好み似てるもんね…。想定しておくべき事態だった、と後悔したが後の祭り。
二人で同じガイドブックを買うという非効率極まりない状態になったが、事前に同じ本を見ているので、ルート設定はサクサク進んだ。
「この八咫烏シリーズは行っときたいね」
「私もそう思ってたー」
「この字カッコいいね」
「私もそう思ってたー」
「京都御朱印ブック」には私たちの好みにドンピシャな御朱印が沢山掲載されていて、私とマーサの欲望を駆り立てる。
御朱印って、本来は納経して、仏との結縁の印に頂くものらしい…。
現在、私とマーサには煩悩を呼び覚ますものになっているような気がする。いいのか、それで。いいのだ、それで。
2泊3日の行程で、京都の有名どころの社寺はほとんど行かず、「京都御朱印ブック」に掲載されている割とマイナーな寺社ばかりを巡りまくる。目的はそれのみなのだ。
結果、いただいた御朱印の数、22個。頑張った。
おかげで、初めて六波羅蜜寺で購入した御朱印帳がすべて埋まった。
さすが大本場、京都。狭い街にぎちぎちに寺社が詰まっている。
「嬉しすぎる…。こんなバラエティに富んだ御朱印を集められたのも「京都御朱印ブック」のおかげだよ」
「やっぱり、先達はあらまほしきものだねえ。ありがたや」
二人で「京都御朱印ブック」に感謝する。
ちなみに、マーサは御朱印をいただくマナーとして、おつりの無いように大量の百円玉を持参していたが、すでにそれは1日目で使い果たしていた。
ついでに、お賽銭も「御朱印で納付するから…ね」と途中から相場がガタンと落ちていた。(私は最初からお賽銭の最低相場(?)である)
この時頂いた「京都御朱印ブック」掲載の御朱印をいくつか載せてみる。
動物シリーズ
女子なので、動物のハンコが押されると「かわいー」と嬉しくなる。とりあえず、何でも感動は「かわいー」で表現するのだ。
熊野神社と言えば、八咫烏。サッカーファンにはおなじみの足が3本のカラスだ。
本宮は和歌山であるが、京都には分社(?)が3つもあり、いずれも八咫烏印を採用している。
これは二人で「絶対に3つ揃えよう」と、完全に意見が一致したものだ。
新熊野神社は能面の印もあり、こちらも良い感じ。
●八坂庚申堂(金剛寺)
ちょっとわかりづらいが、「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿の印である。
毛玉っぽくて、ジ●リ映画に出てきそうな感じがかわいい。
余談だが、私は庚申講が好きである。
その人が眠っている間に、三尸の虫が悪行を閻魔大王に言いつけに行く日だから、一晩中寝ずに飲み食いす、という「えっ、そんな屁理屈…。単に一晩中飲み明かしたいだけなんじゃ…」と思ってしまうところが、大変好ましいと思っている。
●千本ゑんま堂
閻魔大王様というのはとても珍しいと、コレクター魂を揺さぶられ、絶対に行こう、とこちらも二人の意見が完全に一致した。
ちなみに、こちらのご本尊は大王様の像で、ろうそくに照らされる厳ついお顔の前に、欲にまみれた我が身をさらすと、完全にびびってしまい「すみません。すみません」とおもわず謝ってしまった。
やっぱり三尸の虫の報告を阻むために、庚申の日は徹夜した方がいいのだろうか。真剣に悩む。
余談だが、閻魔大王といえば、京都では六道珍皇寺も有名である。
小野篁が夜な夜な冥界に下りたという井戸がこのお寺にある。
期間限定(?)で紺地に金文字の「閻魔大王」の御朱印も頂けるのだが、この時は「小野篁」の御朱印を頂いてしまった。今から思えば「閻魔大王」を頂いておくのだった…。
つづいて植物シリーズ
平野神社は京都では桜の神社で有名である。でも、桜しかないので、観光客にはあまり知られていないと思う。
実は、北野天満宮は「京都御朱印ブック」に掲載されていなかった。
行った時期が梅の時期だったので、ルートの途中にあったこともあり「御朱印目的じゃないところも行ってみようよ」と、たまたま寄ってみたのだ。
すると、はからずも梅の御朱印。
北野神社の桜と北野天満宮の梅が並び、私はひとりで大喜び。(マーサはそれほど喜んでいなかった)
この見開き、華やかでいいな~。
北野天満宮の飛梅伝説が、私は結構好きである。ついでに梅酒も好きである。
山城国一之宮。
下鴨神社は緑で押してくれるので、鮮やかでキレイ。
ちなみに、前にブログのどこかにも書いたと思うが、私は源氏物語の中で「葵の上」が最も好きである。ついでに徳川家もキライでは無い。
「やっぱり、上賀茂神社。ちょっと遠いけど、ここは外すわけにはいかない」と、またしても私とマーサの意見は完全に一致した。某国の首相と大統領のように。(byサンドウィッチマン伊達ちゃん←わかりづらいネタですみません。どうしても書きたくなってしまった)
この時、上賀茂神社で購入した「雷除け御守」は私の登山のお供になっている。天下の上賀茂神社の御守だ。今のところ、雷に遭遇したことはないので、きっとこの御守のおかげであろう。
上賀茂神社の正式名称は「賀茂別雷神社」という、ということを、この時初めて知った。
この旅のあと、私とマーサの御朱印熱は一気に上昇し、あちこち巡り歩くことになる。
京都御朱印巡りがとても楽しかったのだ。
そして、現在、「御朱印帳が埋まらない」などと言っていたことを遠い目で思い出すくらいに、かなりの冊数を重ねている。
しかし、冊数だけならば、あちこち巡ったような気がしているが、行ってみたい寺社は尽きない。
京都も、この時に22カ所も巡ったが、断腸の思いで断念した寺社が沢山あるのだ。いくらコンパクト京都と行っても、限界はある。
最後に、今後、「京都御朱印ブック」に掲載されていて、是非行きたいと思っている寺社を2つあげたい。
その1 廬山寺
廬山寺創建の元三大師は鬼に化けて疫病神を追い払ったとされる伝説があり、鬼の朱印(角大師)を押して頂けるらしいのだ。
私は厄除けのお札に書かれている角大師の図柄がとても好きなので、是非とも頂きに行きたいと思っている。
その2 晴明神社
ここには実は、何度か行っている。
が、その際に「納経印」と書かれていたので「私、お経書いてきてないよ」と、そのまま帰った苦い思い出がある。
あの頃は、御朱印を集め始めたばかりだったので、何故かびくびくしていたのだ。
ちなみに、桔梗が咲く時期限定の「桔梗守り」もステキだ。
秋頃には、是非ともまた行きたいと思っているのだが、どうだろう…??
その際には、鞍馬山の木の根道を通って貴船神社まで歩く、義経ごっこをする予定である。ちなみに、大河ドラマ「平清盛」では、義経は神木隆之介だった!
「凍」沢木耕太郎
日本には、山岳小説というジャンルがある。
唯川恵「純子のてっぺん」の解説を読んでいて、そういえばそうだったな、と気がついた。
私は長々と読書を趣味にしていて、さらに数年前から山にも時々登りに行っているが、山岳小説は一切読んでいない。
山岳小説の代表とされている新田次郎作品すらも全く読んでいない。
それは、本当に山登りを始めるまで、登山に興味がなかった(というより、むしろ嫌いだった)からなのだが、一作だけ読んだことがある。
それは、沢木耕太郎「凍」だ。
「凍」は山野井康史と山野井妙子(夫妻)によるヒマラヤのギャチュンカン北壁ルートでの登攀の様子を描いたノンフィクションだ。
私はもともとは、ノンフィクションはあまり読まない。どちらかというと、フィクションの方が好きである。
全く興味がないジャンル(山岳小説)に加えて、ノンフィクション、というダブルパンチにも関わらず、この本を読むことにしたのは、ひとえに作者が沢木耕太郎だったから、という理由だけであるが、沢木耕太郎の筆力は折り紙付きなので面白く読める確信があった。
果たして、読んでみれば、異様なまでの迫力に圧倒されてぐいぐい読み進め、読後は「すごい世界があるもんだ」と妙な敗北感を感じたのだった。
そのおかげで、これ以後数年間、山岳小説にまったく手を出すことはなかった。
沢木耕太郎の描く登山の世界があまりにも過酷だったので、恐ろしくなった私はうっかり敬遠してしまったのだ。
山登りを始めた最近は、ようやく少し読んでいるが、もっと早く読んでおけばよかった、と後悔することしきりである。
沢木耕太郎が筆力がありすぎるのが悪い…と思わなくもないが、選ぶのは自分である。恨むなら自分の小心さを恨むべきであろう。
「凍」で描かれるヒマラヤ登山の世界は、私がいつも楽しく登っている山登りの世界とは全くの別物だ。
そもそもギャチュンカンの標高は7952m。
富士山よりさらに3200mも高い。富士山二つ分くらいの高さである。(それでも8000mに届かないため、登る人は少ないとか)
日本一が二つ!!もう、日本人の私には想像すらできないような高さだ。
そんな高所にもかかわらず、山野井夫妻は酸素を使わず、シェルパもつけない。(アルパインスタイル)
富士山ですら、酸素は持って行った方がいいと言われているのに、その2つ分の山で酸素無し。それも、日帰りですむような距離ではなく、アタックに4泊5日かかる計画なのだ。
せめて富士山用の酸素くらい持って行った方がいいんじゃ…などと、読みながら余計な心配をしてしまう。そんなものあっても、焼け石に水なのだろうが。
さらに、その頂上にいたるアタックルートは2000m近い壁登りのクライミングだ。壁の途中でビバークしつつ頂上を目指す。
2000m壁を登るってどういうことなのだろうか…。私の大好きな谷川岳は1977mだが、ほぼ谷川岳分をずっと登るということか。
なんかもう、スケールが大きすぎてよくわからない。よくわからないが、壁というからには、登っている間中、ちょっと足を滑らせたりすると、一気に滑落する危険な場所であるということはわかる。
そんな登攀の下降時は、危険で過酷な状況が次から次へと降りかかってくる。
下降中にテントを張る場所も確保できず、わずか10cm程度の岩棚に腰掛けてのビバーク。
雪崩に巻き込まれ、ロープを2本渡したブランコに腰を下ろした状態でのビバーク。
空気の薄い高所に長くいたことにより、目が見えなくなった状況での下降。
極限状態での救助隊の幻影。
登山って恐ろしい。
山は危険だ。登山は命を落とすこともある場所だ。山をなめてはいけない。
そう言われているのは最もである。
読みながら、緊張のあまり奥歯をかみしめる。怖い。とにかく怖い。
ページをめくる手は止らないが、ずっと「マジ!?これはヤバいよ!」と貧相な語彙力の警報が頭を駆け巡っている。
しかし、そんな恐ろしい状況の下降の状況よりも、激しい衝撃を受けたのは、凍傷により指を切断することになったにもかかわらず(康史さんは手の指5本、右足の指5本全部。妙子さんは両方全部の指)、また山に登り出していく、という終盤だ。
登山にまったく興味の無かった当時の私は思った。
そんな状態になっても懲りないのか。普通、もう、やめるだろうに。というか、やめた方がいいよ。
登山とはなんと業の深い、恐ろしい世界なのだろうか。
命を危険にさらすような場所に、自ら率先して、高いお金を掛けて行くのだ。
憑かれたように山を目指す登山家は自分の理解が及ばない、まったく違う世界に住んでいる。
私は絶対にこの世界には足を踏み入れないようにしよう。というより、踏み入れたくない。
その数年後、その恐怖心が薄れた頃に、ぬるっと山登りの世界に片脚を突っ込んでしまい、たまに山岳小説も読むようになった今、久しぶりに「凍」を読み返してみた。
やっぱり恐ろしい。
「すごいな。私もいつかやってみたいな」とは決して思わない。
壁登りは私には遠い世界だ。
谷川岳で上るルートは天神平からで、決して一の倉沢には行かない。
でも、たとえ凍傷で指を失ったとしても、「また山に登ろう」と思う気持ちは理解できるようになったかもしれない。
頂上に立った時の景色と達成感をもう味わえないと思うと、寂しくて仕方がないだろう、と私も思うのだ。
作中で山野井夫妻は言っている。
「無理かな」「無理だよね」
でも、無理かもしれないけれど、もう一度山に行きたい。
登山中毒と言えるかもしれない、その欲望は、私も理解できるようになってしまった。
もしかすると、また数年経つと、恐ろしいから絶対にやらない、と思っているクライミングに挑戦しているのかもしれない。
その時「凍」を再度読み返したら、また違う感想を持つのだろう。
そんな日は来ない、と今は思っているのだが…。
牡丹咲く~庭の花~
庭の牡丹が咲いた。
今年は当たり年なのか、とにかく大量につぼみをつけ、一気に咲いたので、花盛りである。
巨大な花がみっしりと枝先で重たそうに、ぼよんぼよんと揺れている。
牡丹そのものは1本しかないので、そこだけが何やら異世界のような、彼岸の入口のような不思議な感じだ。
さすが百花の王。その存在感はずば抜けている。
そのまま、庭をうろうろすると、あちこちで花が咲いている。春なのだ。
毎年同じ花が咲いているはずだが、「君の名は」と聞きたくなる花にも出会う。
よし!と気合いを入れて、以前買ったまま活用されていない「ヤマケイポケットガイド 野の花」のページをめくるが、探し方も良くわからない。
どういう順番に掲載されているのだ?
やたらにページをめくってみるが、何一つ得られるものはなく、本を閉じることとなった。君とはやってられんわ。
次いで、インターネット上の花図鑑も検索してみるが、それらしき写真に遭遇しても、イマイチ自信が持てない。
やっぱり、詳しい人に教えて貰うのが一番かもしれない。
確か、以前もそんなことを思って、登山中に咲いている花の名前をいろいろと教えてもらったが、下山後、何一つ覚えていなかった…。やる気が感じられないな、自分。
名前が判明している花もある。
藤が重そうに花房を垂れている。
私は藤が好きだ。
藤が好きな理由を話すと長くなるが、簡単に言うと「源氏物語」が好きだからだ。
小学生の頃、「マンガで読む偉人シリーズ 紫式部」が私の本棚にあり、何度読んだかわからないくらい、繰り返し読んだ。そんな娘の好みを察した父親が、「マンガで読む源氏物語」を追加で購入してくれたので、そちらもむさぼるように読み尽くしたのだ。
今から思うと、マンガに飢えていただけのような気もするが…。
当時は百人一首の読み札のお姫様を眺めて「式氏内親王は几帳があってステキ」とか「小野小町の着物はピンクで可愛い」などと、うっとりしていた。女子らしく、綺麗なお姫様が単に好きだったのだ。(ちなみに持統天皇も几帳がある。皇族は几帳があるルール?)
このまま百人一首を本格的に始めていたら、若宮詩暢(byちはらふる)みたいになれていたのに…。惜しいことをした。
話が大分それてしまったが、源氏物語といえば「若紫」。紫=藤である。
どうでもいいことだが、私が隠居後に住む庵の名前は「睡紫庵」にすると決めている。最初は「垂紫庵」だったが、睡るの方がいいなあ、と思って、このブログを始めるときに変えたのだ。ちなみに「独活亭」もいいなあ、と思っている。
もう一つ、私の好きな花と言えば椿である。
今年は咲くのが遅く「つぼみのまま枯れちゃうのか」と私をヤキモキさせたが、3月末からようやく咲き出した。椿って、2月のイメージがあったけど…。
ずぼらな私は何度も水やりを忘れ、水多めが好きな椿たんには辛い環境にあったかもしれない。ごめん。今後はしっかりと水を切らさないようにするので、来年も咲いてください!
その他、庭で見つけた春の花。
前に書いた。椿のはなし。
すごく前に書いた。牡丹のはなし。
「スカーレット」(ドラマ)~趣味の陶芸~
朝ドラを何年かぶりでほぼ全話見た。
「スカーレット」である。
毎回、のほほんとしたり、笑ったり、泣かされたり、時には怒りで震えたり。主人公の人生に寄り添った半年はとても楽しかった。
ラストシーンでは、いろいろあっても続いていく主人公の生活にじんわりと感動し、涙をにじませながら、ドラマ完結の充実感を味わった。これが朝ドラの醍醐味なのだろう。
このままの流れで、次の朝ドラも続けてみてしまうかもしれない。まんまとN●Kの戦略にのせられそうである。
さて、そもそも、ものすごく久しぶりに朝ドラを見ることにした理由は、「スカーレット」の主人公が陶芸家だったからだ。
実は、私はかれこれ10年くらい陶芸を趣味にしている。
自分が作りたいものを自分のペースでだらだらと作っているだけなので、ちっとも上達しない。しかも、講師はYou Tubeだ。私の陶芸仲間達は、親しみを込めて「You先生」と呼んでいる。(陶芸動画を時々参考にしている)
You先生はすごい。あっというまに、お皿とかが出来てしまう動画が沢山ある。
つられて強気になり「よぅし、ああいうお皿を作るぞ!簡単にできてたぞ!」と、ろくろの前に座ってはみるものの、現実は「あかん、全然できひん…」と自分の実力に切歯扼腕する日々だ。
ドラマの中で役者さん達は上手にろくろを回していたが、結構難しいのだ。(ちなみに、八郎さん(主人公の夫)が特に上手だった。陶芸仲間はみな、「八郎さん、ステキすぎる!」とメロメロになってしまった)
陶芸の手順を簡単に紹介すると、こんな感じだ。
①土を練る。
良く練って、土の中の空気を出す。特に電動ろくろを使う場合は「菊練り」という方法が必須だ。←結構難しい。
私はまず始めに、You先生に、この行程を学んだ。
②形を作る。
自分の好きなように形を作る。
「手びねり」は小学生の時、図工の授業でやった粘土細工と全く同じだ。どう作ってもいいので楽しい。
ろくろを使うと、基本的には丸いものしか作れない。
③削る。
自分の好きな形になるまで、削る。
たまに削りすぎて穴があいちゃったりする…。(こういう時、私は往生際が悪いので、粘土で埋める)
それから、削る前に土が乾燥してしまい、ガリガリ音を響かせながら、力で削るときもある…。管理不足。
④素焼き
一度窯で焼く。だいたい800度くらい。
焼いてしまうと、もう土はもとには戻らない。
⑤釉薬掛け
素焼きしたものに、上薬を掛ける。
プロはいろいろなものを独自にブレンドして、オリジナルの釉薬を作るが、素人の私は市販の釉薬をそのまま使用する。
ちなみに、ドラマでは八郎さんがこの釉薬作りの研究をしていた。釉薬の調合方法が書かれたノートが弟子に盗まれる(実際は、盗まれたノートは喜美子との結婚後の夢を書いた夫婦ノートであったが…)というエピソードもあったくらい、ここはプロにとっての勝負所だ。
私は釉薬掛けが苦手で、ここで失敗することが多い…。写真の器も…。
⑥本焼き
ラストの行程。窯で1200度で焼く。
私はもちろん電気釜を使っている。ドラマに出てきた穴窯では当然無い。プロでも薪で焚く窯を使う人はごくわずかだ。(ガス窯が多いと思う)
でも、焼き上がったものを窯から出すときに「チリチリチリ…」と貫入(釉薬に入るひび)が入る音は聞こえる。
いい音だ。ささやきのような澄んだ音だ。
ほんのり暖かい器たちを取り出す時は、わくわくしてとても楽しい。「どんな風に仕上がったかな」とどきどきするのだ。
が、自分の作品の出来を目の当たりにすると「…ダメだったか…」と肩を落とすことが大半なのだが…。
とりあえずできあがり。
よく、ドラマなどでは陶芸家が出来上がったものをバンバン割る光景が描かれるが、私はその気持ちがよくわかる。
「こんな感じに出来上がるはずじゃなかったんだよ~」という落胆してしまう出来であることが多いからだ。
そして、作品が出来上がったはいいけれど、しまっておくのに場所をとるのだ。
気に入らない出来のものを、使うことはまずないし。
だったら割っちゃえ、という発想に至るのは当然の帰結だろう。
でも、やっぱり自分で作ったものなので捨てるに忍びなく、私は大きな段ボールを「駄作箱」と名付け、そこにしまい込んでいる。たまに茶碗が割れた時とかに、がさごそあさる。
ちなみに、本当に時々、自分でも驚くくらい良い感じに出来上がる事がある。(炎マジック?)
そういう時は、一軍選手として、私の食卓にスタメン登場することになるのだ。今使っているお茶碗とかは自作の一軍選手だ。(一軍レベルの薬味入れが出来たこともあるが、すでにスタメン(市販品)が不動の地位を築いていたので、代打程度にしか登場しない…)
ドラマの中には、登場人物たちが作った作品がたくさん登場した。
すぐに影響される私は「ああいう作品を作ろう!」と気持ちを鼓舞されまくりだ。今、創作意欲が最高潮に燃え上がっている。
一番真似したいのは、武志(主人公の息子)が作った水の波紋を描いた大皿だ。青がキレイ。指で緩やかな筋を付ける作風を真似したい。「学ぶは真似ぶ」だ。
八郎さんが最初に新人賞をとった赤い大皿もステキだが、あれは釉薬が難しそうで手が出ない。いつかは真似してみたい憧れの作品だ。
とりあえず、手近なところで、喜美子みたいにコーヒーカップの底にお花の絵でも描いてみようかと考えたりしている。
作る前に出来上がりを想像する時間が一番楽しいかもしれない。
現在、陶芸を行っている場所が使えず、胸に燃えたぎる創作意欲が行き場を失っている。これから作る作品をいろいろ考えて、創作ノートでも作ることにしよう。
余談だが、③削りの行程で出た「削りかす」は水を加えると粘土として再生する。
私は「削り節」じゃなかった、「削りかす」を着古したヒー●テックに包んで、数分水に浸している。水を絞ってしばらくおくと、粘土として再生する。
1年に1度くらいこの作業を行うが、かなりの量が再生するので「このサイクルで再生し続ければ、粘土買わなくてもいいんじゃないかな」という不思議な気持ちになる。
ちなみに「青の花 器の森」(小玉ユキ)という作品も、私の創作意欲をかきたてるマンガだ。