睡紫庵文庫

身辺雑記をまじえた読書雑記です。

「杜子春」芥川龍之介

f:id:suishian:20170729173636j:plain

 「子どもには、絶対に「パパ」「ママ」とは呼ばせない!」  

と、前の職場の人が力説していた。(ちなみに男性です)  

「じゃ、なんて呼ばせてるんですか?」と聞いたところ「「お父さん」「お母さん」に決まっているじゃないか!」と力強く宣言。  

「でもさぁ……保育園の先生とかは「パパが迎えに来たよ~」とか普通に言うんだよ!うぉぉ~!」←苦悩しているらしい。  

確かに、今の子どもは「パパ」「ママ」の方が断然多いんだろうな~。  

でも、ずっと「パパ」「ママ」なんだろうか?  

ある程度の年齢になると、「お父さん」「お母さん」になるんだろうか?  

関西だったら、「おとん」「おかん」になるのかもしれないけど。  

北杜夫の娘の齋藤由香さんが、立派な大人になっても「パパ」なんて呼んでたしな……。ずっと、「パパ」「ママ」なのかも。  

いい年した大人が「パパ」「ママ」か……。  

まあ、そういうものかもしれない。  

時代と共に言葉って変わっていくんだな~。  

 

芥川龍之介作品の中で、私は一番、「杜子春」が好きかもしれない。  

主人公杜子春は、仙人になるために、何があっても決して口をきいてはいけないと言われる。  

数々の難関を無言で耐えた杜子春だったが、最後に、目の前でむち打たれる母親を見て、「お母さん。」と叫んでしまう、というストーリーだ。  

初めて読んだときに、この「お母さん。」の一言で、号泣したね。  

芥川、すごいなあ、と。  

ここでは「母上。」でもなく「お母様。」でもなく「母さん。」「おっかさん。」「母ちゃん」でもなく「お母さん。」と一言叫ぶのが、ぴったりだと思う。  

こういう磨き抜かれた文章が芥川の真骨頂。うーん、好きデス!芥川。(告白してみました)  

ところで、ここでもし、「お母さん。」が「ママ。」だったら……と考えてみる。  

……なんか、嫌なんですが……。  

トーリー上は特に問題ないんだけど、どうも……。  

なんだよ、所詮、お金持ちのお坊ちゃんは言いつけも守れないんだね。仙人なんて無理無理、と思ってしまうかも……。(杜子春は元々金持ちの子)  

私が古い人間だからかもしれないけれど、どうも甘ったれな感じがするのだ。  

それならば、さらに甘さレベルを上げて、フランス語で「ママン。」なんてのはどうかしら?  

「ママーン!ああ、僕はなんていけない息子なんだろう?僕のために、ママンがむち打たれるなんて……。僕には耐えられない。さあ、僕を打ってくれ!打つなら僕だあぁぁ……!」(背景には大輪のバラが大量に散り乱れている)  

って感じかしら……。  

何か、これはこれで感動するような気も……。  

極めれば通じるのか?  

でも、これはあくまで杜子春ではない世界でやってもらいたい。一条ゆかりの世界とかでやってもらえれば、さらにいいかも。

やっぱり、杜子春では「お母さん。」がいい。  

でも、そのうち現代の子ども向けの「杜子春」絵本、とかが出来たら、「お母さん。」が「ママ」に変わっているのかもしれないなあ……。  

そして、それは違和感がないのかもしれない。(現代文化した人にもよるとは思うけれど)  

それを淋しいなあ、と思ってしまう私は、トシなんだろうなあ……。