「杜子春」芥川龍之介
「子どもには、絶対に「パパ」「ママ」とは呼ばせない!」
と、前の職場の人が力説していた。(ちなみに男性です)
「じゃ、なんて呼ばせてるんですか?」と聞いたところ「「お父さん」「お母さん」に決まっているじゃないか!」と力強く宣言。
「でもさぁ……保育園の先生とかは「パパが迎えに来たよ~」とか普通に言うんだよ!うぉぉ~!」←苦悩しているらしい。
確かに、今の子どもは「パパ」「ママ」の方が断然多いんだろうな~。
でも、ずっと「パパ」「ママ」なんだろうか?
ある程度の年齢になると、「お父さん」「お母さん」になるんだろうか?
関西だったら、「おとん」「おかん」になるのかもしれないけど。
北杜夫の娘の齋藤由香さんが、立派な大人になっても「パパ」なんて呼んでたしな……。ずっと、「パパ」「ママ」なのかも。
いい年した大人が「パパ」「ママ」か……。
まあ、そういうものかもしれない。
時代と共に言葉って変わっていくんだな~。
芥川龍之介作品の中で、私は一番、「杜子春」が好きかもしれない。
主人公杜子春は、仙人になるために、何があっても決して口をきいてはいけないと言われる。
数々の難関を無言で耐えた杜子春だったが、最後に、目の前でむち打たれる母親を見て、「お母さん。」と叫んでしまう、というストーリーだ。
初めて読んだときに、この「お母さん。」の一言で、号泣したね。
芥川、すごいなあ、と。
ここでは「母上。」でもなく「お母様。」でもなく「母さん。」「おっかさん。」「母ちゃん」でもなく「お母さん。」と一言叫ぶのが、ぴったりだと思う。
こういう磨き抜かれた文章が芥川の真骨頂。うーん、好きデス!芥川。(告白してみました)
ところで、ここでもし、「お母さん。」が「ママ。」だったら……と考えてみる。
……なんか、嫌なんですが……。
ストーリー上は特に問題ないんだけど、どうも……。
なんだよ、所詮、お金持ちのお坊ちゃんは言いつけも守れないんだね。仙人なんて無理無理、と思ってしまうかも……。(杜子春は元々金持ちの子)
私が古い人間だからかもしれないけれど、どうも甘ったれな感じがするのだ。
それならば、さらに甘さレベルを上げて、フランス語で「ママン。」なんてのはどうかしら?
「ママーン!ああ、僕はなんていけない息子なんだろう?僕のために、ママンがむち打たれるなんて……。僕には耐えられない。さあ、僕を打ってくれ!打つなら僕だあぁぁ……!」(背景には大輪のバラが大量に散り乱れている)
って感じかしら……。
何か、これはこれで感動するような気も……。
極めれば通じるのか?
でも、これはあくまで杜子春ではない世界でやってもらいたい。一条ゆかりの世界とかでやってもらえれば、さらにいいかも。
やっぱり、杜子春では「お母さん。」がいい。
でも、そのうち現代の子ども向けの「杜子春」絵本、とかが出来たら、「お母さん。」が「ママ」に変わっているのかもしれないなあ……。
そして、それは違和感がないのかもしれない。(現代文化した人にもよるとは思うけれど)
それを淋しいなあ、と思ってしまう私は、トシなんだろうなあ……。