睡紫庵文庫

身辺雑記をまじえた読書雑記です。

「老人と海」ヘミングウェイ

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 「老人と海」を「ああ、マグロと格闘する漁師の話ね」と簡潔に言ってみると、なぜだかすごく笑われる。  

「確かに漁師の話だけどさ~。そう言っちゃ身も蓋もないじゃん」なんて言われる。  

でも、本当にそういう内容じゃないか!私は間違ってないぞ!  

どうも、日本人の感覚として、マグロ→一本釣り(格闘)→大物→大漁旗→→日本海の荒波→男のロマン!海はよ~ぉぉぉ!(歌って下さい)→手ぬぐいを鉢巻にした渡哲也!  と思考が展開してしまうのだ。  

そういうテレビ番組がけっこうあるし。  

「大間で出会ったマグロ漁師の男気!」←タイトル  

「船長、この道何年くらいになるんですか?」(レポーター兼体験取材の微妙なポジションのタレント。テレ朝ならラッシャー板前)  

「そうさな~だいたい40年にはなっかな?」  

「ずっと、この道一筋なんですか?」  

「おうよ。親の代からマグロだな。息子は継がねっちゅうから、どうしたもんだと思っていたんだが、まあ、こいつ(と斜め後ろにいる若者に目をやる。茶髪の今風のイケメン)がマグロやってみてえっつーもんで、跡継ぎは出来たんだけどな」  

「ほー、和志さん(若者の仮名)はどうして、マグロ漁に」  

「……あっ、なんか、憧れがあって。こう、男の世界っつーか(かなりシャイ。ちょっと素敵)」  

「ははぁ、よかったですねえ、跡継ぎができた、っていうのはねえ」  

「んだ。やっぱりな。これから経験積めば、いい漁師になんべ」  

「ところで、明日は何時出航でしょう?」(唐突。おそらく台本通り)  

3時だ」  

「うわーっ早いですね~」(←つい「分かってるくせに!」と突っ込みたくなるような、わざとらしい棒読みセリフ)  

という状況が即座に目に浮かんでしまうのだ。我ら日本人には!  

でも、「老人と海」はアメリカの小説である。(舞台はキューバだけど)  

アメリカの小説なのに、何で日本海の荒波!?というギャップがあり、笑っちゃうんだろうな~。  

けれど、「老人と海」の内容は、日本海マグロ漁師のテレビ番組と基本的には同じだ。  

マグロとの一対一の戦い!まさに死闘!一本釣りだぜ!熱いぜ!  

ただ、マグロとの戦いに勝利するも、鮫に食いちぎられてしまって、結局は骨しか残らなかった……。老いた漁師は戦い疲れた体を横たえて、また次の漁に出るのだ……というところが、まあ、ちょっと冷めていて、厭世的っちゃ厭世的。でも、熱い。うっとおしいくらい熱い。  

洋の東西を問わず、漁師の熱さは同じなのかもしれん。  

この作品がノーベル文学賞を受賞したってことは、「大間で出会ったマグロ漁師の男気」だって、ピュ-リッツアー賞もらったっていいよな。テレビ番組ならエミー賞か?  

または、アカデミー賞ドキュメント部門とかさ。そんな部門があるのかどうか知らないけど。    

ところで、老漁師は、でっかいマグロ(本マグロ=クロマグロか?)を、もし釣り上げて湊まで搬送できたら、どうするつもりだったのかな~?  

やっぱり、漁協キューバにあるのかどうかは知らない)の人がキロ5千円とか値段をつけて、セリに掛けられていくのかしら?  

あの、布で隠した中で指を握って値段交渉する例のやり方かしら?関係ないけど、あの交渉の仕方って、なんかいやらしいわね。うふ。人に見られないように、こっそり手を握るのよ!もしかしたら「セリ後、例の喫茶店で」というメモを渡しているかもしれないわ!きゃあ~!どうしましょう!って、それはどうでもいいことだけれども。  

まあ、そんなこんなで売られたマグロくんは間違いなく、日本に輸出されるね。日本はマグロ大好き国だもん。  

そして、築地の寿司屋とかに並ぶわけか……。  

食べたいな、「老人と海」のマグロ。大トロ、いくらくらいなんだろう?時価だな、間違いなく。  

 

と、ここまで書いて、老人サンチャゴが戦った魚が、実はマグロではなく、カジキだったことが発覚!(今、うちの文庫本の裏の解説を読んだ)  

あれ?マグロじゃないのか?カジキか?(よく「カジキマグロ」と言うけど、カジキとマグロは全然別の魚らしい)  

いや、カジキでもいいんだけど、どうもマグロに比べると、熱さが2割減くらいな感じが……。  

ヘミングウェー!所詮、あなたはアメリカ人だよ!  

日本人のマグロに対する異様な執着心と愛情がわかってないな!  

日本の作家だったら、絶対に戦う相手はマグロだよ!本マグロ、クロマグロだよ!  

こういうところに、洋の東西の差が出るのか……。よく分かったよ……。