大菩薩嶺~富士見道中~
9月下旬に大菩薩嶺に行ってきた。今回は山の相棒、ノムさんと一緒だ。
この時期に設定したのは、私にとって大きな意味がある。
それは、ついでにぶどうを買えるから!である。
今や衆目が一致するところの、最高においしい品種、シャインマスカットを購入するのだ。産地で買えば、●疋屋クラスのぶどうもグラム売りだ。農家さん、太っ腹!いつもありがとう!
行きの道中、車の窓から眺めるぶどう屋さんは、まだ開店していなかった。でも、たわわに実ったぶどうが、心をかき立てる。
帰りにかならず寄ろうね、とノムさんと固く誓い合う。ノムさんは、このために事前に現金を下ろしてきたそうだ。
「ぶどうは、野菜と違って高級品だって、気づいたの。さすが、私。よく気づいた!」と自画自賛していた。気合いが入っている。
登山だけでも楽しいのに、さらにプラスアルファの楽しみだ。心がトキメク。
9:30 登山口の上日川峠到着。
遅い時間になってしまったせいか、かなりの混雑模様。
駐車場案内のおじさまの指示に従って、なんとか第3駐車場?(歩いて数分)に駐めることができたが、私たちがラストだった。この後、来た人が案内される第4駐車場は徒歩だと15分くらいかかるそうだ。ギリギリセーフ。幸運だ。
毎回思うけど、もっと早く出発するべきだった…。登山者の早立ち、という本来あるべき姿を未だに学べない私たち。生来の怠惰な性格が邪魔しているのだろう、きっと。
9:45 ロッジ長兵衛脇の登山口から登山開始。
そこそこ急な樹林帯をてくてく登る。天気は良好で、綺麗な青空だ。
だいたい30分後の10:15 福ちゃん荘到着。
囲炉裏で鮎?が焼かれていて良い匂いがする。
小屋の名前の謂われは定かでは無いが、多分、小屋のご主人(初代?)の名前からつけられたのだろう。登山関係は「●●ちゃん」というネーミングが多い気がする。「●●ちゃん新道」とか。
何となく、時代を感じる名前だ。
昭和の登山ブームのころは、友人同士はちゃん付けで呼ぶのが流行していたのかと、勝手に推測する。石●浩二さんが「兵ちゃん」と呼ばれているみたいな。(彼の本名は武藤兵吉)
平成にも「●●っち」と呼ぶのが流行した時期があった。でも、「●●っち新道」というのは聞いたことがない…。いや、私が寡聞にして知らないだけで、どこかの山にはあるのかもしれない。
福ちゃん荘でしばし休憩して、10:30頃、再び出発する。
ここからは唐松尾根を頂上に向けて登っていく。
唐松といえば、秋には黄色に紅葉するが、9月下旬のこの時期は、さすがに紅葉には少し早かった。
ここからは「振り返れば富士山」ゾーンとなる。
はじめの頃は、木々の合間からその姿を見るのだが、登るにつれて、遮るものも無く、その綺麗な円錐形の姿が目に入る。
しかし、福ちゃん荘くらいまでは晴天で青空が広がっていたが、だんだんと天気は下降気味になり、白い雲が空を覆いだした。
富士山の姿を隠すほどではないが、頂上あたりが少し怪しい感じになってきた。
「いつ、見えなくなるかわからないから、見えるうちに写真を撮っておこう」
ノムさんと二人で、貪欲に富士山の写真を撮りまくる。
やっぱり、朝早い時間の方が天気がいい。登山者の皆さんはそれを知っているから朝早くから登るのだ。
もうちょっと早くから登るようにした方がいいよなあ…。毎回、思うだけは思うのだけど…。
11:30 轟岩
眺望が良く、富士山もしっかり見える。お昼ご飯に最適の場所だ。
しかし、ここは頂上である大菩薩嶺ではない。大菩薩嶺は、ここから10分くらいの場所にあるという。
「頂上を極めて来てからご飯にしよう」と、とりあえずここは通過し、大菩薩嶺を目指すことにした。
11:45 大菩薩嶺到着。2057m。
周りは木々で覆われており、まったく眺望なし。
頂上の看板はあるが、景色が良くないので、何だか暗い感じがして、ちょっとつまらない。
写真だけ撮って、すぐに引き返す。
12:00 再び轟岩
やはり、景色が良いところは気持ちいい。
雲は多めだが、富士山はまだまだ見通せる。富士山を眺めながら、お昼ご飯を食べるなんて、最高の贅沢だ。ヤッホーだ。
ご飯を食べながら、富士山を眺めていると、ノムさんから「富士山はすごいなあ」との感じ入った、発言がある。
さらに「やっぱり、富士山は孤高のトップアイドルだね。グループアイドルとは違うのよ。聖子ちゃんとか、百恵ちゃんとか」
「連峰系、日本アルプスの皆さんはグループアイドルなのよ」と続ける。
「おお!北アルプス48なのね!センター争い激しいね、北は!」と興奮して答える私。
「穂高さんと槍さんあたりかね。燕さんあたりは美人キャラで確固たる人気を保ってそう」
「中央アルプス48は木曽駒ちゃんが絶対的エースだね。南アルプス48は派手さは無いけど、実力者揃い!鳳凰三山のソロ曲とか、アルバム収録して欲しい!」
食事そっちのけで、異様に盛り上がる。
「槍さんはブルーで、剣さまはブラックかな」と、戦隊モノにまで話が発展する。(ちなみに、レッドは穂高さん。あくまで私とノムさんの意見だ。人によって異論はあることは承知している)
この日、轟岩付近でお昼ご飯を食べている人はたくさんいたが、焼き肉で酒盛りを繰り広げているグループや、ハンバーグを焼いている人など、この日はフライパン率が高かった。
周りからはじゅーっと肉の焼ける音やいい匂いと共に、笑い声が聞こえてきて、たいそう楽しそう。
いいなあ。山の食事って何倍もおいしくて楽しい。
私も次はフライパン系をやってみたい。是非とも、ハンバーーグ!!(by師匠)
ちなみに、私のごはんはG県民ソウルフードである焼きまんじゅうであった。網にしたら火力が足りなくてイマイチだった…。
13:00 いろんな意味で昼食を満喫し、大菩薩峠に向けて出発する。
この道はずっと富士山を右に眺めながらの稜線歩きで、楽しい道だ。快晴なら、最高だろう、多分。
この日は雲が厚いが、なんとか富士山の姿はキープ。ずっと右手にどーんとそびえていた。
やっぱり、富士山は特別だ。このあたりの人は、年中富士山を間近に眺めていて、「ふるさとの山」が富士山なのか。うらやましい。
少し強くなった風の冷たさに、秋の訪れを感じながら、楽しく歩く。
13:45 大菩薩峠手前の親不知の頭
眺めがいい!
●●と煙は高いところが好き、とはよく言ったもので、私はこういう岩場をついつい登ってしまう。ヤギみたいなものだ。
「よし!ラン●ネ表紙風だ!」「いや、これはP●AKS表紙風も行けるぞ!」と、ノムさんと介山荘をバックに、キメキメ写真を撮り合った。いい写真が撮れてご満悦。
私たちの後にやってきた若い娘さんは、ファッション誌の表紙風の写真を取り合っていたし(映え?)、この場所は写真撮影に最高だ。
14:00 大菩薩峠
感慨深いが、実は「大菩薩峠」は未読の上、ストーリーもよくわかっていない。剣豪の話でいいんだっけか?巌流島で武蔵が遅刻するのは違う話だよな…。
とりあえず、「南無八幡大菩薩!!」と心の中で唱えながら、写真を撮る。
大菩薩峠の由来は、源義光が峠を越える際に、八幡大菩薩に祈念したことによるらしいので、再現してみたのだ。密かに楽しい。
確か、平家物語で那須与一が扇を射るときにも、この台詞を言っていた気がする。
源義家は八幡太郎だし、武家と八幡さまは関係が深いのであろう。
ちなみに、私の出身高校では「八幡太郎」というと、学校周辺に出没する変質者のことであった。…すみません、八幡大菩薩…。
轟岩からの道中、ほとんど人がおらず、ノムさんと「どうしていつも周りに人がいなくなってしまうのだろうか…」と話し合っていたほどだったが、ここには人がたくさんいた。
どこからともなく現れる人たちは、私たちとは違うルートからやって来たのだろうか?謎だ。異空間からやってきたのかもしれない。(ラノベ風)
いや、本当は、ただ単に、休憩ポイントには人が集まる、というだけのことなのだろう。
ちなみに、介山荘自体は営業していなかったが、トイレは借りられた。
大菩薩峠からは山を下る。ずっと姿を見せてくれていた富士山とはお別れだ。
道はかなり整備されていて歩きやすい。
かつては営業していたのかもしれない山小屋をいくつか過ぎると、行きにも通った福ちゃん荘に到着する。15:00
ここからは行きと同じルートを戻る。
アスファルト舗装された車道もあるようだが、「いや、土の道を行こう」とのノムさんの言葉により、登山道を下る。こういうところは変にストイックな私たち。
15:30 上日川峠到着
私たちとしてはちょうど良い時間に下山でき、今日もいい山旅であった。
そして、今回は大事なプラスアルファがある。山を下り、勝沼ぶどう郷へ直行し、その日収穫したブドウを購入。いいぶどう買わせていただいてありがとう!
シャインマスカットおいしい!甲斐路も美味!幸せだ。
ちなみに、勝沼のぶどう屋さんはだいたい5時くらいまでは営業している。
<コースタイム>
9:45上日川峠…10:15福ちゃん荘…11:30雷岩…11:45大菩薩嶺…12:00雷岩(昼食1時間)…13:45親不知の頭…14:00大菩薩峠…15:00福ちゃん荘…15:30上日川峠
山の御朱印
数年前から御朱印をコツコツ集めることを趣味にしている。
もう一つの趣味である登山のついでにも御朱印を頂くことが多いので、山で頂いた御朱印をまとめてみることにした。
山の御朱印の収集パターンは分類すると、だいたい次の3パターンになる。
ケース① 頂上ある神社で神主さんなどに書いてもらう。
どの山にも頂上に祠や社があるが、そこに人がいることは滅多になく、これは非常にレアケースだ。ものすごく人気の山に限られる。
ケース② 麓の神社等で頂く。
頂上が「奥社」などになっており、麓に神社本体があるケース。
車や公共交通機関でたどり着ける場所にあり、登山をしなくても参拝できる。
このケースが最も多いと言えるだろう。
ケース③ 神社に置いてある書き置きを頂く。
頂上でも麓でも神社に人がおらず、あらかじめ紙に書いてある書き置きの御朱印を頂くケースだ。
お金はだいたい賽銭箱に投入する。田舎によくある無人の野菜直売所方式だ。
お金を払わずに持ち逃げも可能だが、そんなことしたらまさしく罰当たりだ。恐ろしくてできない。
1 上毛三山
G県を象徴する上毛三山。
赤城山 榛名山 妙義山 それぞれ、G県民にこよなく愛されている。
ちなみに、G県の小学校の運動会は「赤城団」「榛名団」「妙義団」に分かれる、ということは有名だ。
しかし、東部出身の私の小学校では、そんな別れ方はしなかったと思う…。人数が多い時代だったから、3つの団じゃ足りなかったのかもしれないが。そして、途中で他県に転校したので、記憶が曖昧なだけかもしれないが。
収集パターンは最もオーソドックスなケース②である。
登山口付近(山の中腹)にそれぞれ神社がある。
2 高尾山
誰もが楽しめる山、高尾山の薬王院。
地元八王子出身のヒ●ミさんは「高尾山はすごいんだぞ!天狗がいるんだぞ!」と胸を張って主張しておられた。
確かにすごいぞ、高尾山!あれだけ賑わっているのは、天狗様のご加護のおかげか。
ちなみに私は烏天狗が可愛くて好きだ。高尾山にはたくさんいる。
収集パターンは、頂上にあるわけでは無いが、そこそこ登らないとたどり着けない場所にあるため、ケース①としたい。
ただし、ロープウェイやリフトを使えば、すぐに着くといえばすぐに着く。そいう意味ではケース②としても間違いではないか。
3 寶登山
寶 登山。ものすごく縁起のいい名前だ。福々しい。
宝に登る山。いや、ストレートに「宝の山」なのか。
竹取物語に出てくる車作皇子が持参する「蓬莱の玉の枝」が生えていそうだ。
そうか、だから、臘梅が咲き乱れているのか。臘梅の黄色は黄金につながるイメージなのかもしれない。
うっかり者が、地名を根拠に埋蔵金発掘とかをしてしまいそうな気もする。
収集パターンはケース①である。頂上の神社脇の売店で「奥宮」の御朱印が頂ける。
しかし、私が登った時は、書き置きしかなかった。(書ける人がお昼休み中?)
麓には宝登山神社本宮がある。
4 日光男体山
「男山」ときたら、対になる「女山」があるものだが、日光では「女峰山」が対になるらしい。まだ登ったことが無いので、いつか登ってみたいものだ。
「女峰」といってイチゴを思い出すのは、もはや、かなりの年齢の世代になってしまったかもしれない。
ストロベリー王国が猛プッシュしている「スカイベリー」も「皇海山」から名付けられたそうな。空じゃないのだ。good!
しまった。イチゴの話では無い。御朱印の話だ。
収集パターンはケース②。中禅寺湖のほとりにある。
5 筑波山
筑波山は高尾山とイメージがかぶるエンターテイメント性にあふれる山だが、こちらはなめてかかってはいけない山だ。
ロープウェイやケーブルカーを使わないと、まあまあ厳しい。
以前も書いたが、軽い気持ちで登山未経験の友人を誘ったところ、二度と一緒に山に行ってくれなくなったくらいだ…。やっぱり、最初は尾瀬から誘うのが最善の策だな。
こちらの収集パターンはしっかりとケース①だ。頂上に人が常駐するくらい人気の山なのだ。女体山、男体山、両方に人がいる。
ただし、ロープウェイやケーブルカーを使えば、すぐに着く。高尾山同様、ケース②と言えなくもないか…。
6 立山
立山の三つの峰のうち、雄山の頂上では、御朱印を書いて貰える。
多分、夏場だけだろうが、人が常駐しているのだ。3000mを超える山の上に。私が行ったときは神主さんを含め、5人くらいは人がいた。
山小屋バイトと同じように、夏場はずっと頂上で住み込みなのだろうか?それとも1週間交代くらいなのだろうか?意表をついて、室堂から毎日往復登山をしているのだろうか?
頂上で御朱印を頂けるのは嬉しいけれど、いろいろと余計な心配をしてしまった。
こちらは超レアなケース①。頂上まで登らないと頂けない。
7 富士山
富士山の山頂には浅間大社がある。
某大学を受験した時に、「富士山の頂上にある神社の名前を答えよ」という問題があり、当時の私は解答できなかった。(こんな変な設問をする大学は滅多に無い)
そんなのみんな知らないよ、とそのときは思ったのだが、今なら「浅間大社」としっかり解答欄を埋めることができる。
その頃、御朱印集めか、登山かどちらかを趣味にしていればよかったのになあ、と後悔してももう遅い。結果は不合格であった。
ちなみに、「浅間山」が身近なG県民には、「富士山の上に浅間があるっておかしくない?」という、しっくりこない気持ちがどうしても消えない…。
こちらもケース①。山頂で頂ける。
富士山は年間30万人が登る山なので、もちろん人が常駐しているのだ。多分、夏中、山頂にいるのだろう。(途中で交代するのかもしれないが)
富士山の上で暮らすって、なんだか凄い。うらやましい。山小屋バイトってこんな気持ちから始まるのだろうか?
オマケ 稲荷山
伏見稲荷大社の鳥居をくぐりにくぐって、山頂まで行くと頂ける。
(正確には山頂付近の「御膳谷奉拝所」で頂ける)
これも、ケース①といえるだろう。
あれ?ケース①はあまりレアじゃない感じになってしまった。
「この御朱印が凄い!」地球の歩き方編集室/「御朱印トレッキング」(公社)東京都山岳連盟監修
富士山で焼印を集めまくった私だが、それと同時に御朱印も頂いてきた。
焼印だけでは片手落ち!御朱印も見逃す訳にはいかない。
富士山の山頂には久須志神社(浅間神社の末社)と冨士山頂上浅間大社奥社があり、それぞれ御朱印が頂けるのだ。
なかなかの高額(1000円)だったが、山頂の御朱印はこのチャンスを逃したら、一生後悔するかもしれない、との強い覚悟で、両方頂いてきた。何しろ、この先、富士山の頂上まで行くことが、そんなに度々あるとは思えない。
頂上まで登って、山の神様(富士山はコノハナサクヤ)にご挨拶した証だ。とても嬉しい。
もちろん、事前情報で御朱印がいただけることは知っていたので、自前の御朱印帳を持参した。
しかしながら、帰宅して、バイブルである「この御朱印が凄い!」(第壱集)を開いて、自分のミスに気づいてしまった。
5合目の小御嶽神社でも御朱印がもらえたらしいのだ。しかも、小御嶽神社の御朱印は、そのものズバリど真ん中に「富士山」と、どーんと書かれるらしい。
しまったー。こっちも頂けばよかったー。
登山前に5合目でうどんを食べているときに、神社があるな、とは思っていた。そして
、ものすごく混んでいるな、とも確か思った。(5合目は全体的にどこもかしこも混んでいた)しかし、その時は、御朱印の発想はなく、頂上までの道のりのことばかり考えていて、お参りすらしそびれてしまったのだ。
登山前の事前学習の時に、どうしてこの本を開かなかったのか、と自分を責めるが、今となっては後の祭りだ。
本を開きながら、一人静かに反省する。根が暗いので、ひたすら、どんより落ち込むだけ。
さらに「この御朱印が凄い!」を再読してみたところ、いろいろな情報が詰め混まれていることに気づいた。
富士山山頂でいただいた御朱印の色は、なんとなく黒ずんでいる。他の寺社の鮮やかな朱印とは明らかに色が違う。
頂いた時は、さすが富士山山頂は、渋い色だな、と思った。渋い大人は深煎りコーヒーをブラックで飲む、みたいな感じだ。
実はそんな、簡単なものじゃなかった!
「この御朱印が凄い!」によると、この色は、朱肉に富士山の溶岩をすりつぶしたものを混ぜ、溶岩の色に似せているのだそうだ。
溶岩が混ざっているとは!ホンモノだ!!
相場より相当高い費用は、山頂価格というよりは溶岩価格だったのかもしれない。これは納得のお値段だ。
富士山を登っているときに、実感として、周りの岩が赤いな、と感じていた。同行のイト坊と「赤富士って本当なんだねえ」「昔の富士山の絵を見ると、赤で書かれたものがたくさんあるらしいよ」などと会話していたのだ。
朱印の赤色で富士山の溶岩の色を表すとは、さすが山頂の浅間神社だ。
御朱印を見返す度に、あの富士山の光景がよみがえってくるではないか。ありがたい!
そして、山頂でただ御朱印を貰っただけでは、溶岩が混ざっていることなど知らなかった。
知った今、いただいた御朱印にありがたさと益々の愛着を感じる。お気に入り御朱印だ。英語で言うとMy favorit GOSYUINだ。英語で言う必要なかったか。
知ることって大事なことだ。教えてくれてありがとう、本よ。
もう一つ、この本で得た情報をついでに記しておく。
富士山の土地の所有者は一体誰なのか?
実は、8合目より上は、浅間神社の境内なのだそうだ。(それより下は…?どうやら国有地か県有地のよう)
このあたりのいきさつは、本には記載されていないが、いろいろ面白そうなので、別に調べてみたいと思う。(静岡山梨県境問題とかもからむみたい)
日本の山にはそれぞれ山の神様がいて、概ねその神様を祀った神社がある。山は信仰の対象で、修験者達などが修行の場として、山道を切り開いて、山頂などに祠や社を設置した。
有名な剱岳の逸話(明治時代に剱岳に初登頂した際に、頂上で平安時代くらいの僧侶の持ち物である錫杖の頭が発見された)もあるとおり、修験者は登山家と言った方がいいのでは、と思うくらい、各地の険しい山を登頂している。
それなので、登山のために山に行くと、一緒に神社やお寺にも参拝できることが多い。そうすると、御朱印も頂けるのだ。
登山と御朱印集めはとても近い場所にある。
先日、深夜のア●ゾン閲覧中に私はある本のタイトルに釘付けになった。
「御朱印トレッキング」東京都山岳連盟 監修
操られるように自然と人差し指に力がこもり、ぽちっと買い物カートに追加してしまった。
やはりあったか。登山と御朱印集めの二つを合わせたガイド本が。
あると思ったのだ。だって、先ほども言ったが、登山と御朱印集めはとても近いのだ。山に登りに行くついでに、御朱印も集められるのだ。
だったら、両方を兼ね備えた本が出るのも必然だ。かゆいところに手が届く、日本の出版業界!ニッチな需要に応えてこそ!
この本のターゲットはどのどちらか一方でも興味がある人なのだろうが、その両方に興味がある私が購入しないわけがない。深夜のア●ゾンという危険ゾーンにいなかったとしても、即決で購入したはずだ。多分…。
さて、「御朱印トレッキング」は東京近郊の低山トレッキングを中心に、御朱印も頂ける社寺を紹介している。
低山中心ではあるが、なんと富士山も紹介されている。やはり、これはどうしても押さえておかねばならない、と東京都山岳連盟が考えたのだろう、きっと。
紹介されているのは、まずは静岡県の富士山本宮浅間大社から山梨の北口本宮富士山浅間大社に巡り、吉田ルートで富士山頂まで登るというがっつりコースだ。
そうか。麓の浅間大社から巡る方が、より本格的だったか。
しかしながら、この本では富士スバルライン5合目を通過するコースだが、小御嶽神社には全く触れず、完全スルーである。
「この御朱印が凄い!」によると、「富士山」御朱印が頂けるというのに。
代わりと言っては何だが、焼印集めが紹介されている。
私とすると、「この御朱印が凄い!」と「御朱印トレッキング」の2冊の情報が、うまい具合に補完し合っているので、ちょうど良い。ガイドブックは2冊以上は読む方が、自分好みの情報が取捨選択できてちょうど良いのかもしれない。
しかし、この2冊を改めて読んだのは富士山下山後なのだった…。
その他にも、「御朱印トレッキング」ではオススメの山と寺社のコースが紹介されている。
最も目を引いたのは、御岳山と武蔵御嶽神社だ。
お犬様(狼)を祀っているという。秩父の三峯神社のように、狼が狛犬なのだろうか。是非とも行ってみたい。
トレッキングコースもケーブルカーが利用できて3時間半くらいと冬の低山めぐりにとても良さそうである。
今年の冬は御岳山だな、と期待ににやにや含み笑いをしながら、心のノートにメモをした。いい本、見つけたな~。
しかし、本を読み進めていくと、私に大きな失望が走った。
12年に一度の戌年の式年大祭の年のみ狼の限定御朱印が頂けるという。
本には「今年はいただける」などと記載があるが、私は令和元年、亥年に読んでいるのである。次の戌年っていつよ!11年先だよ!
通常の御朱印も木(杉?)でなかなかステキな意匠だが、どうせなら狼の方がいい。だって、カッコいいから。俗な理由で申し訳ない…。
11年後に行くために、ずっと暖めておくべきか、もう諦めて今年行くか…迷う。
限定御朱印の事など知らなければ、すっきり思い立った時に行けるのだが…。時に情報はあればあったで人を惑わすものなのだ。
その他、紹介されていたコースでは、鎌倉アルプスに行きたい。鎌倉五山制覇は私の悲願である。
日本全国この御朱印が凄い! 第壱集 増補改訂版 (地球の歩き方―御朱印シリーズ)
- 作者: 地球の歩き方編集室
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド・ビッグ社
- 発売日: 2015/04/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
富士山~日本一の焼印集め~
山に登るようになって、だいたい5年。
ついに日本一の山を極めることになった。
昨年までの私は「富士山にはあまり興味がない」などと言っていた。
聞くところによると、ひたすらザレ場を登るだけの単調な登山道で、とにかく人が多く、大渋滞するからつまらない、らしいので、「まあ、富士山は眺めればいいかな」なんて生意気な事を嘯いていたのだ。
しかし、なんだかんだ言っても日本一の山。その高さは3776mと随一で、日本人はみんな子どもでも暗記している。(ちなみに2番目に高い北岳は3,193mなので、ダントツだ)
遠くからでも際立つ美しい円錐形の姿。目にすると「富士山だ!」と誰でもすぐにわかる。
私も、大阪へ向かう飛行機から富士山を見たとき、一人で大興奮して写真を撮りまくった。
富士は日本一の山!富士山は特別!
やはり、一度くらいは登っておかないといけないのではないか。
一度も登らずに、つまらない山だと勝手に評するなんて、失礼極まりないのではないか。
そんな思いがむくむくとわき上がり、そして、どんどん膨らみ抑えきれず、今年、ついにその頂に向かうこととなった。
※今回は日本一の山のため、私の熱量がハンパなく、かなりロングな文となっております。すみません。
今回の富士登山のメンバーは3人。
実は、今年すでに一度登っているチャーミー巨匠が導いてくれる予定だったのだが、都合により、直前に欠席となってしまった。
残りのメンバーである私とリティーとイト坊の3人のひよっこ達は、チャーミー巨匠作成の異様に細かいマニュアル(前回の登山記録)の指示により、頂上を目指すことになった。
チャーミー巨匠のマニュアルは、とにかく精緻でスバラシイ出来だ。なにしろ、パーキングエリアのお茶(無料)にて休憩、ということまで書いてある。さすが巨匠だ。細かいところまで抜かりは無い。
8:30 富士山パーキングから5合目までのシャトルバスに乗る。
今回のルートは最も初心者向けだという富士吉田口からの1泊2日だ。
このルートの場合、ガイドブックなどではお昼頃から登り出せばよい、と書いてあるが、余裕を持ってゆっくり登るために、早めのスタートを切った。
3700m超なんて高所には行ったことがなく、自分かどうなっちゃうのか予想がつかないので、できる限りの安全策をとることにしたのだ。
しかし、富士山には必須だと思われる酸素を誰一人持参していない。慎重なんだか、いい加減なんだか…
9:15 5合目着
ものすごい混雑である。ここが2305mの高所であることが嘘のように、人であふれかえっている。
シャトルバスだけではなく、団体の大型観光バスもどんどん到着し、芋洗いの如き様相だ。もちろん、インバウンドの皆さんも大勢いる。
とりあえず、高所順応も兼ねて、ゆっくり朝食を食べ(うどん)、私たちは最初のミッションに取りかかる。
それは、金剛杖を買うこと!
これは、チャーミー巨匠が「絶対にやるべき!」と強く主張されていたことだ。
富士山の山小屋では、それぞれ焼印があり、これを杖に押してもらいながら頂上を目指すことが出来るのだ。簡単に言うと、焼印スタンプラリーだ。
特に今年は「令和元年」の焼印が押してもらえる。どうせ登るなら、絶対に今年中がいい、とチャーミー巨匠は声を大きくしていた。
事前に、巨匠が先日集めたという焼印が押された金剛杖の写真を見て、私たちは「これは、絶対にやりたい!」と一気にやる気になった。カッコいいのだ、すごく!
5合目の売店では、いくつかのサイズで売られていたが、私はトレッキングポールを持っていたので、ミニタイプ(50cmくらい)のものにした。
リティーとイト坊はロングタイプ(杖状)を購入し、準備は万端だ。
さあ、焼印集めの旅に出かけるぞ。
10:15 馬たちの横を通って、登山開始だ。(6合目まで、馬に乗って行けるのだ。有料)
はじめは平坦な道なので、事前学習として見てきた「アメトーーク 富士山芸人」の話などをしながら、ゆっくりと歩く。
対向する人々は、多分、頂上から帰ってきた人だ。何だか目がうつろな人がちょいちょいいる。
「富士山に登るとめっちゃ疲れる」と声高に叫んでいた勝●さん(前述の富士山芸人にて)のことを思いだし、ちょっとオソロシイ気持ちになる。
いや、これは武者震いだ。水●橋博士(こちらも富士山芸人にて)は小学生の子どもと登ったと言っていたではないか。大丈夫だ、私。と自分に言い聞かせる。
11:00 6合目 安全指導センターに到着。
朝はぴかぴかの天気だったが、このあたりから下降気味で、まわりはガスが少し出始めてきた。まあ、雨は降らないであろう。
ここからが富士山登山だ。
目の前に、ばばーんと山頂までのルートが一気に広がる。森林限界を過ぎているので、遮るものはなく、あの円錐形の斜面をひたすら登りまくる登山道がしっかりと見える。
先は途方も無く遠いような気がする。が、考えようによっては、ゴールとおぼしき地点が確認できるので、気持ちは楽なのかもしれない。
最初の山小屋である花小屋まではザレ道をつづら折りに登る。
12:00 花小屋着 7合目。標高は2700m。
ここで初めての焼印をいただく。
思っていたよりも細部までくっきり押され、不動明王の憤怒の表情もばっちりだ。
一気にテンションがあがり、お互いに焼印を見せ合って喜ぶ。同じ印を押して貰っているのだが…。
「これは楽しい。焼印集め、最高!」
「下から押していって、一番上に頂上の印を貰うぞ」
「小屋ごとにデザイン違うんだよね。楽しみすぎるじゃないか!」
ここからは山小屋がだいだい10~15分間隔くらいで次々に現れる。
ちょっと上を見上げば、すぐに次の小屋が見えているのだ。次の目標が近い、というのは気持ち的にとても楽だ。
焼印をもらって、次の山小屋へ、というラリーを繰り返し、どんどん登って行く。山小屋ごとに焼印を貰っているので、休憩もしっかり取れており、全然苦しくない。
本来、焼印をもらわずに、ストイックに登り続ければ、この急坂はかなりキツいのかもしれない。足下はごつごつした岩場だ。(溶岩?)
焼印集めをしてよかったな~。全く苦にならなかった。むしろ、楽しい行程だ。
13:15 7合目東洋館にて昼食。小屋で「どん兵衛」縦タイプを購入して、すする。
ここで私はどんどん大きくなっている不安について、同行の2人に相談することにする。
「棒(金剛杖ミニ)に焼印を押すスペースが無くなって来た。頂上までもたないかもしれない…」
「やっぱり。そんな気はしていたよ」
「予想外に、1つの小屋で2つ押してくれたりしたからねえ…」
金剛杖を売っている山小屋もあったが、ロングタイプのみで、私の求めるミニは7合目にいる現在では入手困難になっている。
ロングタイプは邪魔だし、すでにミニで収集を始めちゃった今頃になって、ロングタイプに移行はしたくない。
「なぜ、最初の段階で気づかなかったのだろう…。このことは、次回への反省点として、心のノートに書き留めておくよ」
相談したところで、解決には至らない。
ロングタイプを最初から購入している2人は嬉しそうに、残りの山小屋の数からして、裏面はこのあたりから押してもらえば、頂上でばっちり一番上だ、などと話している。
うらやましい…。2人に気づかれないように、こっそり涙をぬぐう。(誇張表現)
性能的には劣るとわかっていても、ストックは家に置いてきて、金剛杖をついて登るのが、富士山の正解なのかもしれない。
15:30 8合目の元祖室到着。本日は、ここで宿泊だ。
通常の山小屋では遅いくらいの到着時間だが、富士山の山小屋でのこの時間の到着は早い方の様だった。案内されたカイコ棚のような宿泊場所には人はまだ少なかった。
この時点での私の金剛杖の焼印状況はすでに満員御礼。この元祖室の焼印すら押して貰える余地はない。
元祖室では、ここのみの焼印が押された激ミニ棒が売られているので、とりあえずそれを購入しようと売店に行ったところ、隅の方に小さな棒(25cmくらい)が積まれているのを発見する。
声を震わせながら「この棒は売っていますか?」と聞いたところ「売ってます。300円」との返答が即座に返ってきた。
ジーザス!神は我を見捨ててはいなかった!
この山小屋を宿泊先に選んだ采配に感謝する。
これでなんとか頂上まで焼印の旅を続行できる。
嬉しくて、ついつい夕食時(カレー)にリティーとビールで祝杯をあげる。ガイドブックには「高所では飲酒を控えましょう」と書かれていたことが、頭の片隅をよぎるが、冷えたビールの誘惑には勝てなかった。いいの、祝杯だから。
午前1:30 ご来光登山のための起床時間。
真夜中という言葉が正しい時間に、山小屋では容赦なく電気が点き、出発を促す。(30分だけ。その後は再び消灯)
正気の沙汰ではない時間だが、私たちもこの時間に合わせて山小屋を出発した。
全然眠れていないので、もう何時出発でも何の問題もない。
さすがの私も「ギョウザ」とあだ名される詰め詰めスペースの上に、他の皆さんの物音やいびき(眠れている人もいるのだ…)で、しっかり眠ることは無理であった。まあ、横になって休めたので、体力は回復しているはずだ。多分。
イト坊は「隣のマッチョな外国人(フランス人?)がこっちを向いて寝ているから、気まずかった…」とこぼしていた。ここで国際交流はちょっとハードルが高かったか?
小屋の外に出ると、暗闇の中、昼間より遙かに多くの登山者達が列を成して、登山道を登っていく。
これが噂のヘッデンの行列か。
日本で一番高い場所近くで、こんな真夜中に大量の人がうごめいている。よく考えたらものすごく奇妙な状況だ。
天気は良好で風も無く、星がものすごく綺麗だ。
夏だというのに冬の大三角形が大パノラマで広がっている。とりあえず「オリオン座!」と、最も有名な星座を指さして楽しむ。
しかし、本当は双子座のカストルとポルックスを見て、「ベルサイユのばら」を思い出していたのだが、そのことは口に出せなかった…。
きみは~ひかり~ ぼくは~かげ~ はなれなれない ふたりのきずな~♪ オスカーール!!
こんな高所でも、マニアな自分を褒めてあげたい…。
富士山の山小屋は驚きの24時間営業で、こんな夜中でも登山者の杖に焼印を押してくれる。
元祖室で入手したミニミニ金剛杖にはどんどん焼印がたまっていく。嬉しい。
しかし、ミニミニ金剛杖は本当にミニミニなので、一つ押して貰うごとに、残りのスペースに対する不安が増す。
最後の山小屋である、8合5勺の御来光館で焼印を押してもらうと、なんとかもう1カ所は押せそうなスペースが残った。
このスペースで、山頂の焼印をゲットすればよいのだ。よかった。ここまで集めて、山頂の焼印がもらえないという悲劇的な事態だけは避けたい。
渋滞のろのろ登山であったが、9合目付近からは急にスピードアップし、ガツガツ登ると、そこは富士山頂だった。
だいたい時間は4:30。
ついに念願の山頂で久須志神社の「富士頂上」の朱い焼印をいただく。(正確に言うと、頂上の印は焼いていない。朱を打ち込む感じだ)
ミニミニ金剛杖の余白にぴったり収まり、焼印集めはこれにてフィナーレを迎える。
3人でそれそれの杖を眺め、ぐふぐふと満足の忍び笑いを漏らす。
「この杖を見ながら、ビール飲んだら最高の気持ちになると思う」
「家のどこに飾るか、今、真剣に考えてる」
もう、嬉しくてたまらない。
チャーミー巨匠、私たち、やりとげました!
5:15 待ちに待った御来光。
濃い藍色に覆われた世界に一気に光が差す。本当に嘘みたいに一瞬で闇が払われるのだ。
見ているだけでわかる。
太陽って絶対にものすごく熱い。
ぎらぎらあふれる真っ赤な光が、太陽のとんでもない力を私に見せつけてくるのだ。なんだか暑いのだ。見ていると。
そして、ある意味、完全な敗北感も感じた。
太陽には絶対に何者も勝てはしないのだ。
今日、生まれたての太陽をバックに、金剛杖を持って写真を撮るなんて、最高の一日の始まりだ。
御来光鑑賞後は、すっかり明るくなった朝の山頂で、お鉢巡りをすることにする。
アメトーーク富士山芸人では「頂上まで行くと疲れ切っているので、お鉢巡りをする元気がなくて、行かない」と言われていたが、私たちはまだまだ元気であった。
多分、前日からゆっくりゆっくり登っているので、体力を消耗していないのだろう。焼印と御来光でテンションがあがりにあがっているので、アドレナリンが異常分泌していて疲れを感じさせないだけかもしれないが…。
ちなみに、心配していた高山病は私たちには全く無問題であった。
火口を覗いたり、静岡側の海が見える景色に歓声を上げたり(3人ともG県民なので、海に対する憧れは人一倍)して、お鉢を回ると、冨士浅間神社に到着する。だいたい6:30。
ここで私は重大な事実に気がつく。
浅間神社でも焼印押してくれてる…。
悲しいかな、私のミニミニ棒は先ほどの久須志神社ですべてのスペースを使い切っており、もう浅間神社の入る余地はどこにもない…。
久須志神社でフィニッシュじゃなかったとは。しかも、肝心要の浅間神社の印がいただけないなんて…。
呆然と立ちすくむ私を尻目に、ロングタイプで余裕がある同行の2名は杖に印を押して貰っている。
悔しいが、仕方ない。ここは諦める。
久須志神社でも山頂の印だ。二つ無くても、山頂は山頂なのだ。
「浅間神社で完全制覇かな」と私に見せつけてくるイト坊に少し殺意を覚える…。
いかんいかん。責めるなら、最初の段階でミニを2本買わなかった自分を責めなくては。
ちなみに、チャーミー巨匠は、巨大な板に焼印を押して貰うことを目論んでいたそうな。
「巨匠、どうやって、巨大な板持って登るつもりだったんだろう?」と、首をひねるリティー。巨匠だから、なんとかなるのだろう、多分。
7:00 馬の背を登って、最高峰の剣ヶ峰に到達。ここが3776m。
山頂の碑では写真を撮る人々が長蛇の列。普通に待っていたら、小一時間かかってしまうくらいだったので、写真はパスした。こればっかりは、どうしようもない。
そのままお鉢を時計回りに回ると、遠くに山並みが見える。絶景だ。
多分我がふるさとの山、赤城山のシルエットも見える。
「すごいな、富士山。高すぎるからなんでも見える」
「お鉢巡り、最高に楽しいじゃないか。この景色を見ないで下ったらもったいない!」
絶景を背景に、カンフーポーズやらトクホポーズ、金剛杖を使ったフェンシングポーズなどで、次々に写真を撮りあって遊ぶ。傑作写真が続々だ。
「名残惜しい。下山したくない」
あたりには寝転がって昼寝(朝寝?)を楽しんでいる人もいる。確かに、ここにただ寝そべるだけで、最高の気持ちになれるだろう。だって、ここは日本で一番高い場所。日本で一番空が近い場所。
名残惜しいが、歩いていれば、お鉢巡りは終了する。
8:10下山開始。
4:30の頂上着から、3時間半以上滞在していたことになる。楽しかった。楽しすぎた。
下山道はひたすら続くザレ場で、ジグザグと斜面を下っていく。
名物の大砂走りのふかふか道ではスピードをあげて下山できるらしいが、私は苦手で、2度ほど転倒してからは慎重に歩くことにした。
下山道は何もない。
登りにはあれだけあった山小屋が全く無く(地図によると、登り道と兼ねた山小屋があるようだったが、わからなかった)、エンターテイメント性は皆無だ。強いてあげれば景色だけが心のよりどころ。
山小屋の出店くらい欲しいところだ。
10:30くらいに6合目の安全指導センターに到着。
ここからは、元気いっぱいの行きの登山者たちとすれ違うことになる。
面白味の少ない下山道をガツガツ下ってきているので、ちょっとお疲れ気味の私。
富士山芸人で劇●ひとりが「下山道で膝が大爆笑」と言っていたが、確かに私の膝も、相当の笑い上戸状態だ。
「まずい、行きに言っていた「目がうつろな下山者」になっているかも…」
リティーとイト坊は体力が有り余っているのか、私よりもはるかに元気そうだ。奴らは私よりも若いからね…。
11:10 5合目に到着。だいたい3時間で下りきった。かなり頑張ったペースだ。
到着の祝いに富士山コーラで乾杯。
大満足で完璧な富士登山であった。
これから、富士山を眺めるたびに「あの頂上に立った」と思い出すことができるのだ。そして、シーズンなら、今、あの斜面を大勢の人が登っている、と思いを馳せることができる。
富士山は特別な山だ。
下山時はその頂上は雲に隠れて見えなかった。でも、その雲の中にある日本最高峰の場所まで登った。
手元にはその証の金剛杖がある。
今後はこの杖を眺める度に、にやにやして、頂上での最高の時間を思い出すだろう。そして、そのうちきっと、また、富士山に行くことになるだろう。
<コースタイム>
8:30富士山パーキング…9:15 5合目(買い物等1時間)…10:15富士吉田登山口…11:00安全指導センター(6合目)…12:00花小屋(7合目)…13:15東洋館(昼食)…15:30元祖室(8合目)宿泊
2:00元祖室…4:30山頂 久須志神社…5:15御来光(朝食)…6:30浅間神社…7:00剣ヶ峰…8:10下山開始…11:10 5合目
木曽駒ケ岳〜ロープウェイ一番乗り〜
今年の夏も、私とキキちゃんの雨女コンビは山へ向かった。行き先は中央アルプスの木曽駒ケ岳。千畳敷カールのお花畑で有名な山だ。
雨女の呪いにかかりっぱなしの私たちなので、梅雨が完全に明けていて、夏本番になっているであろう8月中旬に日程を設定してみた。なんとか抗って、晴れを勝ちとりたい。
そんな私たちをあざ笑うかのごとく、南の海上に台風発生…!!
1週間前の週間天気予報では、雨マークがちらついている。
また…また、雨にたたられるのか。
涙を堪えながら、毎日、天気予報をチェックし続けると、天気予報から雨マークが消えた。台風は南の海上で着々と北上しているようだが、その動きは遅く、どうやら私たちの登山後に日本列島にやってくるらしい。
ハレルヤ!天気の神様に感謝を捧げる。ちょっと、宗教がごっちゃになっているけど。
いくら私たちが雨女だといっても、毎回雨が降るという訳では無いのだ。
前日、関西在住のキキちゃんとは駒ヶ根駅で待ち合わせ。
本来は涼しい土地なのだろうが、この日の駒ヶ根市は暑かった。多分、35度近かったみたい。
遅めのお昼ご飯として、名物ソースカツ丼を汗だくになりながら食す。
店にはエアコンがなかった。普段はそれで大丈夫なのだろうが、この日はさすがにちょっと暑かった。
下界は暑いけれど、山の上に行けば、間違いなく涼しい風が吹いている。それを思えば、なんということはない。
周辺を観光した後、本日の宿にチェックイン。
木曽駒登山者が多く宿泊するらしく、到着後にお茶を振る舞ってくれた宿のお姉さんが、にやりとしながら「明日、木曽駒に行くのなら、耳寄り情報があるの」と耳打ちをしてきた。
「宿泊者だけが乗れる、特別便のバスが4:50に出るの。それには、菅の台の駐車場からの人は乗れないから、ロープウェイの始発に乗れるわよ」
セリフだけだと、銀河鉄道に鉄郎を誘うメーテルみたいで怪しい。しかも、話の内容がイマイチよくわからない。宿泊者だけが乗れる特別便って何?
お姉さんはその情報だけをささやき、私たちの元を去ってしまった。ちょっと待って。もうちょっと情報を!
当初、私は6時か7時くらいに宿を出て、菅の台の駐車場に車をおいて、木曽駒に向かおうと思っていた。木曽駒頂上までのコースタイムを考えると、それで、十分間に合う計算だ。
それなので、「別に謎の特別便に乗らないて、もうちょっと遅い時間の通常のバスに乗ればいいんじゃない?」とキキちゃんに提案してみた。
しかし、キキちゃんは「いや、特別便があるなら、絶対それに乗った方がいい」と強く主張する。
なんでも、キキちゃんの事前情報によると、木曽駒ヶ岳はものすごく人気があるので、ロープウェイは1~2時間待つのが当たり前なのだという。だから、他の人に先んじてロープウェイに乗れるチャンスがあるのなら、絶対にそれを逃してはいけないのだ、と。
「1時間とか待つなんて絶対嫌やもん」としめくくる。
えー、そうなの?そんなに混むの?
疑義を口にしようとして、ふと、何年か前、紅葉の時期の那須岳でエライ目にあったことを思い出し、口をつぐむ。あの時は、ロープウェイは混んでいなかったけど、とにかく駐車場探しの大渋滞で、本当に懲りたのだった。
人気の山はそういうこともあるのかもしれない。
今回は、宿のお姉さんとキキちゃんの意見に従うことにする。
朝、4:30宿を出発し、バス停に向かう。
宿の怪しいお姉さんは4時過ぎれば明るくなってると言っていたが、周りはまだ暗い。日の出はまだらしい。
宿近くのバス停にはすでに10人くらいの人が並んでおり、時間通りにやってきたバスに乗り込むと、すでにかなりの登山者が乗車している。なるほど、確かにものすごく混む山のようだ。
しかも、次々と停車するバス停で乗り込んでくる人が補助席にまで座り、満席状態になると、その後のバス停で待つ人々には「次のバスに乗ってください」とスルーしていく。路線バスなのに!
確かにこの状態では、始発に乗る選択は正しかったかも。
ちなみに、謎の特別便とは、通常の始発より早い時間の臨時便で、マイカー登山者の駐車場である「菅の台」を通らないルートの路線バスであったようだ。菅の台の始発より早いため、ロープウェイに先んじて乗れる、ということなのだ。
おかげで、5:20頃、ロープウェイの始発駅の「しらび平」に到着。
本当に最初のバスだったようで、まだ列には誰も並んでいなかった。謎の特別便の客達が、我先にと列を作る。みんな、早朝からやる気に満ちている。
私たちもいそいそと列に並び、ロープウェイの発車を待つことにする。
しばし待つと、5:30にロープウェイ運転開始。(これも臨時便で、通常より早い)
もちろん、私たちはこの始発にに乗車できる。ロープウェイは満員だ。(他のバスが到着している)
登山者はとにかく朝が早いと言うが、それは本当なんだな、と今頃実感し、私のいつもの出発時間は、相当なのんびりスタイルだった、と1人静かに反省する。だから、いつもバスやらロープウェイやらの最終時間に追われてひやひやしているのか…。
5:45 ロープウェイ千畳敷駅に到着。
すっきり晴れていて、目の前には宝剣岳の山頂がくっきりと青空に突き出している。
最高の景色だ。わくわくする。
登山口に向けて、しばらく道を下ると、そこが、あの千畳敷カールだ。氷河が作った美しいカーブ。ついに来た。
カールの中を気持ちよく歩いていると、周りには高山植物が咲き乱れている。お花畑のベストシーズンだ。
早朝のせいで人も少なく、最高に楽しい。一気にテンションも上昇する。
頭に浮かぶ歌は、やはりあの歌だ。
くちぶっえは なっぜ~ 遠くまで聞こえるの♪
空のどこかからぶら下がる、異様に長いブランコをこぐ●イジが頭をちらついて離れない。
教えて~おじいさん~♪
クルマユリやチシマギキョウなど、花に見とれながら歩いて行くと、あっという間に急登の登山が始まる。
急登ではあるが、道は整備されているので登りやすい。
後ろを振り返ると、ロープウェイの駅の赤い屋根がどんどん小さく見えるようになる。人間の脚力はたいしたものだ。一歩一歩のろのろ登っているようでも、着実に進んでいるのだ。「ウサギとかめ」の寓話が身に染みる。
7:00 三畳敷カールを登り終え、乗越浄土到着。
宝剣岳が目の前にどーんと姿を現す。そちらに向かう登山者も多い。
ついでに登ってしまいたい衝動に駆られるが、かなりの鎖場だと聞いているので、見逃すことにする。
キキちゃんも慎重派なので「私は絶対無理。宝剣先輩は初心者が登ったらダメな山やで」とキッパリ。
ちなみに、ここでキキちゃんの事前情報はほぼ、鈴木ともこ著作の「山登りはじめました」であることが判明。
私も読んでいるので、確かに宝剣岳は途中で諦めたと書いてあったことような気がする。しかし、混雑状況とかの話は全然覚えていなかった。
私の頭は、すぐに内容を忘れてしまうニワトリ頭だ。読んだ本の内容を片っ端から忘れていく。こんなに内容を忘れる頭で、読書を趣味にするのは間違っているのではないか…。
7:30 中岳着。2925m
岩の隙間から、目指す先の木曽駒への道を眺める。
一度下ってから、鞍部を経てもう一度登り返すルートになっているようだ。また登るのに、一度下る悲しさよ…。
8:00 鞍部の頂上山荘
8:20 木曽駒ヶ岳山頂到着。2956m
絶景だ。
雨女コンビだけど、今回の登山は最高の天気。
近くの御嶽山がよく見る。独立峰で目立っている。
現在はまた登れるようになったし、手作りのシフォンケーキが食べられる山小屋もあるらしいので、いつかは登ってみたい。でも、やっぱり、まだちょっと怖い…。
頂上の神社にお参りして、しばし休憩。
いつもの私の登山スタイルだと、頂上で食べるのは昼食なのだが、今回は朝食のおにぎりを食べる。
この時間は、朝だ。
こんな早い時間から頂上に立ってしまうなんて、なんだかすごく贅沢な気持ちがする。
一日の始まりの時間帯に、すでにひとつ大きな仕事をやり遂げているのだ。
なんとなく、えっへん、と胸を張りたい気分だ。
朝から私は、絶景の青空の中にいる。すごい一日だ。
8:45頃、頂上を出発し、帰路に着く。
途中、頂上山荘にて、クレープ(アイス)を食べる。まだ、頂上を出たばかりだが、何しろ、時間に余裕があるので、もう休憩なのだ。のんびりしまくり。
確かに、時間に余裕があるっていいなあ。
10:00 乗越浄土
ここから、千畳敷カールを下っていく。
たくさんの登りの方と挨拶をしながらすれ違う。
いつもの私だったら、この時間は、登り組のメンバーだったはずだ。登りながら「この時間に下ってくる人って、何時から登ってくるんだろう」と思っていたが、今日、身をもって知った。日の出前の4:50からだよ…。(正確には、歩き出したのは5:30くらいだが)
千畳敷カールを下り、登山者ではない散策の観光客の皆さんに混じって、お花畑をしばし楽しむ。登山終了も間近だ。
ああ、下山後にはいつものアレが飲みたいなあ、と思ったら、自然と歌を口ずさんでいた。
「コーラ コーラ コォラー♪」
途端に前を行く、キキちゃんが振り返る。
「そのメロディーは、クイズ●ービーの直前の、●ート製薬!」
「何故か、自然と口ずさんでしまっていた!?私の脳に刻み込まれているらしい…。なんてオソロシイCMなんだ…」
そして、即座に回答するキキちゃん、グッジョブ!
アホな話をしながら歩いていると、到着はあっという間。
10:45 ロープウェイ千畳敷駅に到着。登山終了。
私は、希望通り、コーラにありついた。ぷはーっ炭酸、染みる。
登山にはカップ●ードルとコーラがベストマッチだ。無くてはならない。
登山混雑時の自動販売機は、コーラが売り切れていることもよくあるが、今回は下山時間が早いので、ちゃんと購入できた。これも、早朝登山の利点だろう。
でも、あまり冷えていなかった…。私たちを抜いていった方が、冷えたコーラを軒並み購入してしまったのだろか。まだまだ、ということか。
ちなみに、キキちゃんは「早く乗らないと、ロープウェイが大混雑する。今、どのくらい、待ってるのかな」と、コーラを飲む私をおいて、すぐに確認に行った。
キキちゃんの視察によると、待っている人は、ロープウェイ1台に乗りきれるくらいの人数だったそうな。
実際、私たちは、ほぼ待ち無しで乗れた。
多分、下りが混雑するのは午後なのだろう。ちなみに、私たちが到着した11時くらいのしらび平では、千畳敷行きが混雑しているようで、整理券が発行されていた。
しらび平からのバスにもすぐに乗れ、今回の木曽駒の乗り物系はほぼすべて混雑知らずだった。
宿のお姉さん情報と、キキちゃんの主張に感謝するほかない。ありがとう。私一人だったら、もっと遅い時間から登り初めて、かなりロープウェイを待ったと思う。
情報収集って大事だ。
スムーズで楽しい登山に大満足。3000m近い中央アルプスに、午前中で日帰り登山できるなんて、嘘のようだ。ロープウェイ、ありがとう。
キキちゃんも「今回の登山は天気も時間もよくて、すごく楽しかった」と満足そうに言っていた。
本当に。
余裕があるって、スバラシイ。
<コースタイム>
4:50バス停…5:20しらび平…5:30ロープウェイ…5:40千畳敷駅…7:00乗越浄土…7:30中岳…8:20木曽駒ヶ岳(休憩30分)…9:15頂上山荘(おやつ)…10:00乗越浄土…10:45千畳敷駅
尾瀬沼~チーズフォンデュで満喫しすぎ~
8月上旬に尾瀬沼に行ってきた。
G県民の私にとって、尾瀬の玄関口と言えば、鳩待峠。そこから、尾瀬ヶ原を一周するのが近年の定番コースだった。
しかし、今回は久しぶりに尾瀬沼方面にトライしてみた。何でも、今年はニッコウキスゲが7月の終盤が最盛期らしく、ということは、8月上旬でも大江湿原には咲いているに違いない、と期待しての決定だ。
登山口は福島県側の沼山峠。初めてだ。Googleさんに道を聞いてみたところ、G県東部からは4時間以上かかると言っている…。
めっちゃ遠い…。
ちなみに鳩待峠なら、2時間半くらいだ。
鳩待峠と沼山峠の間は歩いて行ける距離(ただし、1日以上かかるが…)なのに、車では簡単に行き来できない。なんだか不思議な気もするが、山にに囲まれているのだから、それが当たり前なのだ。富士山の山梨側と静岡側の登山口だって、相当離れている。
4:30 登山口まで遠いことを承知の上で、だいたい日の出と共に出発。朝日がまぶしい。
今回も山の相棒、ノムさんに同行していただく。ノムさんと尾瀬沼に行くのは5年ぶりくらいかもしれない。いや、もっとか?
あの時は、鳩待峠から入り、尾瀬ヶ原、尾瀬沼を抜けて、大清水に出る、という大縦断コースを日帰りで敢行した。
とにかく疲れて、最後の方は無言だった。この私たちがしゃべる気力を無くしてしまったのだ。通常、1泊2日のコースだからねえ…。
思い返せば、当時は、本当に何もわかっていなかったので、無茶をしまくりだった。
大清水に着いたはいいけど、バスがすでに終わっていて、自力でタクシーを呼んで、なんとか帰った。大失敗。
失敗を重ねて、人は成長していく生き物なのだ、きっと。
那須で高速を下り、そこからはひたすら下道を2時間ごんごん走る。
9:30 ようやく、駐車場の御池に到着。途中、サービスエリアやコンビニに寄ったりしていた時間もあるが、5時間かかった。
やっぱり、遠い。本来は泊が必要だったかもしれないと、ちょっと思う。
私とノムさんのコンビは、成長したつもりになっているだけで、案外、昔とかわらない無茶をずっとしているのかもしれない。成長したと勘違いしているあたり、昔よりもタチが悪いではないか…。
バスに乗り、沼山峠を目指す。
しっかりと最終バスの時間17:10を心に刻み込む。毎回、このチェックだけは怠らない。これが、ぺーぺー時代からの成長の証だろうか。
10:00 沼山峠着
登山口を入ると、最初は樹林帯の登り。尾瀬なので、きっちり木道が整備されていて、歩きやすい。階段激登り箇所もあるが、段差が少なく、揃っているので、それほどキツくは無い。でも、ぜーぜー息は切らしてしまうが…。
しばらく登ると、今度は下りとなる。
どうせ下るなら、登らなくてもいいじゃんね…。なんてことを毎回思うあたり、進歩のカケラもない私…。
歩いていると、毎度登場するアブがぶんぶんと、まわりを回り出す。もう、慣れているので、アブくらいでで動揺したりはしない。うっとうしいけど。
特にノムさんは妙に好かれているので(体温高い?)、腐れ縁の友達のような感覚になっているようだ。
「あぶさん、やっぱり来るのか。もー、来なくていいって言ってるのに」
「ノムさんを歓迎しての、よろこびの舞だよ!久しぶりだねって!」
「そんなにわたしが好きなの?あぶさん。しょうがないなー」
1時間ほど、あぶさんと共に樹林帯を歩くと、ニッコウキスゲの群生地で有名な大江湿原へ出る。
ニッコウキスゲは私たちが行く前の週末くらいが最盛期だったようなので、まだ咲いているだろう、と期待していた。
道の両脇の樹木が無くなり、一気に視界が広がった先には、背の高い草の揺れる湿原が黄色に染まる光景が…ということは全く無く、ニッコウキスゲはあまり咲いていなかった…。
1週間でみんな咲ききってしまうのか。シーズンが短い花なのね。だからこそ、一気に咲いて、黄色い絨毯になるのだろう。短期集中型。
ちょっとがっかり。しかし、肩を落として歩いて行くと、両脇にだんだんと黄色の花が増えてきた。
おや、まだそこそこ咲いているのかしら?
沼に近づくにつれて、ニッコウキスゲの花数は増えていき、黄色の絨毯とまではいかないが、かなり見応えのある景色に。
そのほか、コオニユリやコバギボウシ、ワレモコウなども咲いていて、百花繚乱だ。
「ひゃっぽう。極楽のようだねえ」
一気にテンションのあがる私たち。
私は従来「花よりも、観葉植物が好き」などとスカしたことを言うタイプだが、やっぱり花が咲いていると、楽しくなってしまうのだ。
11:30 尾瀬沼のほとりの長蔵小屋着。
さて、今回はニッコウキスゲだけを目当てに来たのでは無い。
もう1つのミッションとして「山ごはんの充実」を掲げてきたのだ。
尾瀬なら、あちこちにベンチはあるし、何回か来ていてコースタイムも読みやすいので、一歩進んで、話題の「山ごはん」のレベルを上げることにしたのだ。
当初はノムさんの「ホットサンドが食べたい」との希望があったのだが、「ホットサンドメーカー重いよね…」という状況を前にして、折衷案(?)でチーズフォンデュで手を打つことにした。
これなら、家で具を切って持って行くだけ。後は、チーズフォンデュの素(?)を暖めるだけ。とても簡単!
あれ?あまり料理らしいことをしていないな…。チーズを暖めるだけと、お湯湧かしてラーメンにそそぐだけと、たいして違わない気もする。
「山ごはん」として、一歩前進したのかどうか、若干疑義はあるといえばあるが、かんたん、おいしいで最高の選択だったと思う。
ちなみにノムさん提供のミニトマトが、意外においしくて感動した。オクラも美味。
長蔵小屋前ベンチで、舌鼓を打つ時間は至福の時間。
のんびりご飯を食べ、お腹がふくれたところで、活動を再開する。
この時点で時間は12:30過ぎ。
「とりあえず尾瀬沼を一周しようか」と、念のため地図を取り出し、コースタイムを確認する。
「ううむ。だいたい2時間半くらいかかる計算だけど、どうかな?そこから、沼山峠までの時間を考えると、割とギリギリの時間だけど」
「…多分、大丈夫。行ってみよう」
「そうだよね、大丈夫だよね。沼まわりたいもんね」
私とノムさんのコンビは、いつも最終バスやらロープウェイの時間に迫られて行動しているが、一向に改まらないのは、二人とも能天気な性格だからだろう。類は友を呼ぶのだ。
数年前の、大清水でのバスもう無い事件が一瞬頭をよぎったが、コースタイムから考えても大丈夫だろうと強気の判断をする。
大丈夫だ。最終バスの時間はきちんと抑えている。
尾瀬沼ヒュッテの望遠鏡で燧ヶ岳の頂上に立つ人々を眺めたりして、尾瀬沼一周に出発したのは12:45くらい。
尾瀬沼山荘手前で、沼の対岸の燧ヶ岳の撮影会をしているあたりから、空には黒い雲がだんだんと立ちこめてきた。
「やばい。これは降るね」
撮影している燧ヶ岳の上の方にも雨雲が迫っている。
夏だから、午後になると雨が降る確立が高いことは承知してはいたのだが、今回はなんとなく大丈夫なような気がしていたのだ。
「どうにか保ってくれないかな」と空を見上げて祈るが、今回は頼みの綱(?)である晴れ守を持ってこなかった。(かわりに雷除け御守を持っていた)
だめかもしれない…。
13:15 尾瀬沼山荘に着いたあたりから、ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
まだ、たいしたことはないが、今後の状況に少し不安を覚える。が、どんどん進む。
この先の道は木道の整備不良箇所が多く、また、木道がない通常の道もかなり多い。行き交う人の姿もほとんどない。
「おかしいねー。また、人が全然いなくなっちゃったよ」
「みんな、もう帰っちゃったのかなー」
「この会話、毎回してるよね」
失敗から学ぶはずなのだが、私たちは全然学んでいないようだ。
「余裕のある行程」か…。
沼岸をしばらく歩いていると、急にざざーっという激しい音と共に、ついに、樹木の屋根ではカバーしきれないほどの強い雨脚になった。
これはもう、観念して、カッパとザックカバーを装着する。
前回、立山に行った時に新調したカッパは2回の山行で2回登板することになった。100%の稼働率だ。これは縁起が良いのか、悪いのか…。
雨が降りしきる中、スピードを緩めず歩いていると、雨宿りをしている方に出会う。
彼は今日は宿泊組なのだろう。私たちも、出来るものなら、少し雨宿りをして、小雨になったあたりで再スタートしたいところだが、何しろ、最終バスの時間という大きな制約がある。
「ノムさん。最終バスがあるから、私たちは雨でも歩き続けなくちゃいけないよね」
との私の言葉に、ノムさんは力強い台詞を返してくれた。
「大丈夫。間に合わなかったら、泊ればいい」
おお!ノムさんは常にスバラシイ名言で私を導いてくれるなあ。さすがだ、友よ。
「そうだよね。間に合わなければ、泊ればいいんだ」
(尾瀬の山小屋は完全予約制だが…)
一気に気持ちが楽になり、雨の中、楽しく沼まわりを歩く。
それにしても、尾瀬沼南岸コースは木道がボロボロである。いっそのこと、無しでもいいのではないだろうか。
14:40 沼尻到着。雨だったが、だいたい予定通りの到着。これなら、なんとか最終バスに間に合いそう。雨もほぼ上がった。
休憩所(売店有り)で、尾瀬沼を眺めて写真を撮ったりしていると、売店のお兄さんに「今日はどこ泊るの?」と声を掛けられる。
「今日、帰ります!」と私が言い切ると、「帰るの!?最終バスの時間はわかってるの!!」と非常に驚かれる。
「沼山峠17:10です!」と答えると、少し安心したようで「大清水って言われたら、どうしようかと思ったよ。沼山峠でも、結構、ギリギリだよ。急いだ方がいいよ」とアドバイスをいただく。
やっぱり、ギリギリだったか…。そして、数年前、大清水でバスもうない事件を私たちは経験しているのだよ…。そんなことは、今、ここで口にはできないが…。
ノムさんと二人、苦笑を交わし、早々に沼尻を後にした。
沼尻から大江湿原まではだいたい1時間くらい。
急に気持ちが焦ってきて、やや早めに歩く。途中、人にはほとんど会わず。
尾瀬沼山荘あたりから、全然、人に会わない。天下の尾瀬だというのに。
「お兄さんは急げって言ってたけど、多分、間に合うと思うんだけどねえ」
「しかし、不安になるくらい、誰にも会わないねえ…」
出会うのはカエルばかり(雨が降ったので、たくさん出てきた)の道を、黙々と歩く。
15:40 大江湿原到着。
私は、ここを15:30に通過すれば大丈夫だ、と計算していたので、大分安心する。
さきほどまで、無人の道を歩いていたのに、ここに来たら、急にたくさんの人が現れた。よく見ると、皆、ザックを背負っていない軽装である。本日、宿泊組が散歩しているのか…。
大江湿原を沼山峠方面に進むにつれ、人影はどんどん減っていき、前を行くお兄さん1人になってしまった。
「ノムさん、あの第一村人だけが、友みたいだよ」
「でも、私たちの他にも帰る人がいるというのは心強いねえ」
時間が読める場所に来ているので、私たちの会話も再び余裕が出てきた。
16:40 沼山峠到着。30分も余裕を持って到着できた。
「なんだ。やっぱり大丈夫だったじゃん」
「しかも、かなりの余裕だよ」
全く反省のない私たち。
売店で買ったコーラを飲みながら、最終バスの到着を待つ。
周りを見回すと、大江湿原から一緒だった第一村人さんの他7名がバスを待っている。
最終バス乗車は私とノムさんを含めて9名だった。
…ラスト10人に入ってしまった…。
これは、本当に最後に残った人たちだ。
次回はもうちょっと余裕のある行程にしなければいけないと思う。人間は学べる生き物であるはずだ、多分。
ついでに、駐車場から那須までの2時間の下道が、夜だと街灯も無く、ご飯を食べる場所も無いので、やっぱり、泊付きの方がいいかもしれない、と強く思った。
那須までずっと腹ぺこ。早く帰れば、多分、ご飯にはありつけたのだろうなあ…。
<コースタイム>
9:30御池…10:00沼山峠…11:00大江湿原…11:30長蔵小屋(昼食1時間)…13:15尾瀬沼山荘…14:40沼尻…15:40大江湿原…16:40沼山峠…17:40御池
「さかなクンの一魚一会」さかなクン
私は以前から、さかなクンのことを尊敬している。
「魚が好き」というだけのことを、とことんまで突き詰め、その想いでご飯を食べていける地位にまで上り詰めた人物だ。なかなか、好きという想いだけでそこまでいける人はいない。
あの魚への愛情はホンモノだ。
彼は魚を心から愛している、真の魚人だ。半漁人…はちょっと違うか。
そんな私の勝手なリスペクトに、ある日、衝撃が走った。
ぼーっとテレビを見ていたところ(内容は全く記憶に無い)、さかなクンが釣りをしていた。さかなクンはどうやら釣りが趣味らしい。ここで、何か小さなひっかかりを感じたのだが、その後、さかなクンの口から「このお魚ちゃんはとってもおいしいですよ」との発言があり、釣った魚を食べている姿を見て、私は本当に驚いた。稲妻に打たれた様だった。ぎょぎょっ!
さかなクン、魚、食べるんだ!
共食い…!?
何故か私は、さかなクンは愛すべき魚を食べたりなんかしない、と勝手に思い込んでいたのだ。
名前も「さかなクン」だし、身も心も魚に捧げてしまった人で魚族に近い存在になっているので、友達として飼ったり、海や水族館で眺めているだけだと思っていた。イメージとすると、竜宮城の乙姫様みたいな感じ。乙姫様は浦島太郎をごちそうでもてなしたけれど、多分、お刺身とかは出していないはずだ。
いやいや、よく考えれば、そんな訳ない。一体、何故そんな思い込みをしていたのか、バカな私め。
以前、朝日新聞に掲載されたさかなクンのエッセイ「いじめられている君へ」の中でも、いじめにあっている同級生と一緒に釣りに行った、という話が書かれていたではないか。(この文章は、今は教科書にも載っているらしい)
むしろ、お魚をおいしく頂けるというのは健全な魚好きだ。お刺身も焼き魚も煮魚もおいしい。私も大好きだ。寿司ももちろん大好物。
魚が好きすぎて、サンマもサバも鮭も食べられない、なんて人はちょっと行き過ぎだなあ、と思う。でも、さかなクンは行き過ぎの人の様な気がしていたのだ…。勝手に思い込んでいて、大変申し訳ない。
しかし、さかなクンの自叙伝「さかなクンの一魚一会」を読むと、私の思い込みに近い、幼魚期のさかなクンのエピソードが書かれている。
幼魚期のさかなクンはタコに夢中になっていた。
友達のおじいちゃんがタコとり名人であると聞き、夏休みにタコ釣りに連れて行ってもらう。さすがは名人のおじいちゃんだ。見事なタコ釣りで、さかなクン念願のタコをゲット!
さかなクンは生まれて初めて見る、ホンモノのタコに飛び上がって大喜び。
すると、おじいちゃんはタコをすかさず捕まえ、胴体に指を入れて、タコの胴体をひっくり返して内臓を引きちぎり、ビシビシと石にタコをたたきつけたのだった。
「ぎゃあああああ。やめてー」とさかなクンは叫ぶけれど「なに言ってんだ、こうしなきゃ旨くなんねーんだよ」とおじいちゃんはビシビシを続行。
幼魚のさかなクンはタコに恋い焦がれていただけに、残酷でショックな出来事として、しばらく引きずったそうだ。
幼魚だとね。やっぱりね。
こういう体験から、「もう嫌だ」とならないのがさかなクンの凄いところだ。その後もタコへの愛情は全く冷めず、千葉のいとこの家に行き、近くの海岸でタコを探しに出かける。
いろいろ苦労して、またもやタコゲット!
今度こそ、水槽で飼う気満々で、タコをバケツに入れたまま、しばらく昼寝をし、バケツを覗いて見ると、タコはすでに白くなっており、足も力なくでろーんと伸びきったままになっている。
おばさんは「炎天下ですっとバケツの中にいたら、そりゃあタコだって死んじゃうわよ。今日はやっぱりたこ焼きパーティね」と、タコを台所に運ぼうとする。
さかなクンは「まだ生きてるもん!」とタコを海水につけてみるが、すでに死んでしまったタコの足はだらーんと伸びたまま。
結局、タコはおばさんに渡され、冷凍されたそうだ。
多分、たこ焼きになったのだろう。(そこまでは書かれていない)
その後、ウマヅラハギに恋したさかなクンは、料亭の生け簀で泳いでいるウマヅラハギちゃんを発見。
ウマヅラハギを飼いたいさかなクンは、お母さんにおねだりし、料亭で「表で泳いでいるウマヅラハギちゃんをください」とお願いする。
しばらくして、さかなクンの目の前に現れたのは、ウマヅラハギちゃんの活け作り…!!料亭だからね!
そのショックな姿にさかなクンは思わず泣いてしまう。
しばらくめそめそしていたさかなクンだったが「気持ちはわかるけど。でもこれ、もうお作りにしちゃったから食べてみなよ。ウマヅラハギの命をムダにしたくないだろ。うまいぞー」との板前さんの言葉に、お刺身を口に運んでみる。
すると、あまりのおいしさに涙はピタッと止ったという。
今風に言うと、食育だ。
人は魚を始めとした、いろいろな命ある生き物を食べ物にしているのだ。
やっぱり、さかなクンは健全な魚好きだと思う。
魚好きが高じて、魚を食べないなんて思い込んでいたことが本当に申し訳ない。再度、謝らせていただきたい。ごめんなさい。
ちなみに、私も子どもの頃、スーパーで売られていたドジョウ(多分、柳川鍋とか唐揚げ用)を水槽でしばらく飼っていた。割と長生きした。
「食べるのなんて、かわいそう。うちの水槽で飼う!」という子どもの気持ちは、私もさかなクンも多分同じだっただろう。
さかなクンはそのまま魚に対する「好き」の気持ちを純粋に育てていって、今のお魚博士、大学の名誉助教授にまで成長させたのだ。やっぱり、すごい。好きこそものの上手なれ、という言葉を体現している。
私はその後、特に何かに打ち込むことも無く、ドジョウは食べるもの、という認識の普通の大人になってしまった。ちょっと寂しい…。
「これが好き」と胸を張って言えるものがあり、その好きなもののことをずっと考えたり、調べたり、そして、それを職業にできたりすることは、とてもうらやましい。
私も何かに打ち込んでいれば、今とは違った生き方をしていたかもしれない、などど夢想してみたりする。
ちなみに、この本は、今年の人間ドックお供本だった。(検査の合間に読む本)
とても読みやすく、ぐいぐい読んでいたので「●●番さ~ん」と自分の番号が呼ばれていることに気づかない事態が数度発生した。名前では無く、その日限りの番号で呼ばれるので、本に夢中になっていると気づかないのだ。
うーむ。分量的には最適だったのだが、ちょっとお供本には向かなかったようだ。
やはり、写真やイラストが多く掲載されていて、章立てが細かい本が人間ドックには合う。来年はまた、山ガイドとかにしようかな。