「さかなクンの一魚一会」さかなクン
私は以前から、さかなクンのことを尊敬している。
「魚が好き」というだけのことを、とことんまで突き詰め、その想いでご飯を食べていける地位にまで上り詰めた人物だ。なかなか、好きという想いだけでそこまでいける人はいない。
あの魚への愛情はホンモノだ。
彼は魚を心から愛している、真の魚人だ。半漁人…はちょっと違うか。
そんな私の勝手なリスペクトに、ある日、衝撃が走った。
ぼーっとテレビを見ていたところ(内容は全く記憶に無い)、さかなクンが釣りをしていた。さかなクンはどうやら釣りが趣味らしい。ここで、何か小さなひっかかりを感じたのだが、その後、さかなクンの口から「このお魚ちゃんはとってもおいしいですよ」との発言があり、釣った魚を食べている姿を見て、私は本当に驚いた。稲妻に打たれた様だった。ぎょぎょっ!
さかなクン、魚、食べるんだ!
共食い…!?
何故か私は、さかなクンは愛すべき魚を食べたりなんかしない、と勝手に思い込んでいたのだ。
名前も「さかなクン」だし、身も心も魚に捧げてしまった人で魚族に近い存在になっているので、友達として飼ったり、海や水族館で眺めているだけだと思っていた。イメージとすると、竜宮城の乙姫様みたいな感じ。乙姫様は浦島太郎をごちそうでもてなしたけれど、多分、お刺身とかは出していないはずだ。
いやいや、よく考えれば、そんな訳ない。一体、何故そんな思い込みをしていたのか、バカな私め。
以前、朝日新聞に掲載されたさかなクンのエッセイ「いじめられている君へ」の中でも、いじめにあっている同級生と一緒に釣りに行った、という話が書かれていたではないか。(この文章は、今は教科書にも載っているらしい)
むしろ、お魚をおいしく頂けるというのは健全な魚好きだ。お刺身も焼き魚も煮魚もおいしい。私も大好きだ。寿司ももちろん大好物。
魚が好きすぎて、サンマもサバも鮭も食べられない、なんて人はちょっと行き過ぎだなあ、と思う。でも、さかなクンは行き過ぎの人の様な気がしていたのだ…。勝手に思い込んでいて、大変申し訳ない。
しかし、さかなクンの自叙伝「さかなクンの一魚一会」を読むと、私の思い込みに近い、幼魚期のさかなクンのエピソードが書かれている。
幼魚期のさかなクンはタコに夢中になっていた。
友達のおじいちゃんがタコとり名人であると聞き、夏休みにタコ釣りに連れて行ってもらう。さすがは名人のおじいちゃんだ。見事なタコ釣りで、さかなクン念願のタコをゲット!
さかなクンは生まれて初めて見る、ホンモノのタコに飛び上がって大喜び。
すると、おじいちゃんはタコをすかさず捕まえ、胴体に指を入れて、タコの胴体をひっくり返して内臓を引きちぎり、ビシビシと石にタコをたたきつけたのだった。
「ぎゃあああああ。やめてー」とさかなクンは叫ぶけれど「なに言ってんだ、こうしなきゃ旨くなんねーんだよ」とおじいちゃんはビシビシを続行。
幼魚のさかなクンはタコに恋い焦がれていただけに、残酷でショックな出来事として、しばらく引きずったそうだ。
幼魚だとね。やっぱりね。
こういう体験から、「もう嫌だ」とならないのがさかなクンの凄いところだ。その後もタコへの愛情は全く冷めず、千葉のいとこの家に行き、近くの海岸でタコを探しに出かける。
いろいろ苦労して、またもやタコゲット!
今度こそ、水槽で飼う気満々で、タコをバケツに入れたまま、しばらく昼寝をし、バケツを覗いて見ると、タコはすでに白くなっており、足も力なくでろーんと伸びきったままになっている。
おばさんは「炎天下ですっとバケツの中にいたら、そりゃあタコだって死んじゃうわよ。今日はやっぱりたこ焼きパーティね」と、タコを台所に運ぼうとする。
さかなクンは「まだ生きてるもん!」とタコを海水につけてみるが、すでに死んでしまったタコの足はだらーんと伸びたまま。
結局、タコはおばさんに渡され、冷凍されたそうだ。
多分、たこ焼きになったのだろう。(そこまでは書かれていない)
その後、ウマヅラハギに恋したさかなクンは、料亭の生け簀で泳いでいるウマヅラハギちゃんを発見。
ウマヅラハギを飼いたいさかなクンは、お母さんにおねだりし、料亭で「表で泳いでいるウマヅラハギちゃんをください」とお願いする。
しばらくして、さかなクンの目の前に現れたのは、ウマヅラハギちゃんの活け作り…!!料亭だからね!
そのショックな姿にさかなクンは思わず泣いてしまう。
しばらくめそめそしていたさかなクンだったが「気持ちはわかるけど。でもこれ、もうお作りにしちゃったから食べてみなよ。ウマヅラハギの命をムダにしたくないだろ。うまいぞー」との板前さんの言葉に、お刺身を口に運んでみる。
すると、あまりのおいしさに涙はピタッと止ったという。
今風に言うと、食育だ。
人は魚を始めとした、いろいろな命ある生き物を食べ物にしているのだ。
やっぱり、さかなクンは健全な魚好きだと思う。
魚好きが高じて、魚を食べないなんて思い込んでいたことが本当に申し訳ない。再度、謝らせていただきたい。ごめんなさい。
ちなみに、私も子どもの頃、スーパーで売られていたドジョウ(多分、柳川鍋とか唐揚げ用)を水槽でしばらく飼っていた。割と長生きした。
「食べるのなんて、かわいそう。うちの水槽で飼う!」という子どもの気持ちは、私もさかなクンも多分同じだっただろう。
さかなクンはそのまま魚に対する「好き」の気持ちを純粋に育てていって、今のお魚博士、大学の名誉助教授にまで成長させたのだ。やっぱり、すごい。好きこそものの上手なれ、という言葉を体現している。
私はその後、特に何かに打ち込むことも無く、ドジョウは食べるもの、という認識の普通の大人になってしまった。ちょっと寂しい…。
「これが好き」と胸を張って言えるものがあり、その好きなもののことをずっと考えたり、調べたり、そして、それを職業にできたりすることは、とてもうらやましい。
私も何かに打ち込んでいれば、今とは違った生き方をしていたかもしれない、などど夢想してみたりする。
ちなみに、この本は、今年の人間ドックお供本だった。(検査の合間に読む本)
とても読みやすく、ぐいぐい読んでいたので「●●番さ~ん」と自分の番号が呼ばれていることに気づかない事態が数度発生した。名前では無く、その日限りの番号で呼ばれるので、本に夢中になっていると気づかないのだ。
うーむ。分量的には最適だったのだが、ちょっとお供本には向かなかったようだ。
やはり、写真やイラストが多く掲載されていて、章立てが細かい本が人間ドックには合う。来年はまた、山ガイドとかにしようかな。