桐生 茶臼山〜秘境の石切場探検〜
冬になり、低山登りの季節がやってきた。
年明け最初の登山先に選んだのはG県東部にある茶臼山だ。桐生市と太田市にまたがる294mの低山である。
同じ名前の山は多いが、茶臼に形が似ている山を茶臼山と名付けることが多いためらしい。
…茶臼ってどんなもの?
石臼とは違うのだろうか?現代っ子の私にはイマイチピンとこないが、かつての日本では皆がすぐに形を思い浮かべられる身近な道具だったのだろう。
気になってネットで調べてみたが、「富士山のような末広がり型の山」を差すとのこと。説明文と一緒に茶臼の写真も添えられていたが、どうみても、円筒形の石臼であった。末広がり型…??イマイチ納得できないが、これはそういうものだ、と知識として覚えておくこととする。
さて、G県桐生市の茶臼山であるが、地元の小学生のハイキングコースになっており、お手軽簡単に登れる山だ。
というのも、今回のメンバーであるジェイ氏はキャンパーではあるが、登山はほぼ未体験。登りに対する不安を激しく訴えられたので「小学生が登る山だから!大丈夫だから!」と言い聞かせられる山を選択したのだ。
コースはいろいろあるようだが、一番メジャーだと思われる東毛青少年自然の家から登るコースを選択した。
上毛新聞社「ぐんま百名山」によると、ぐるっと周遊できて、2時間10分くらいだそうだ。丁度いい。
10:00 東毛青少年自然の家の駐車場に集合。
まさかの小雪舞い散る空模様である。たとえ悪天候でも、私は登る。登るが…天候不良は悔しい。
空を見上げて「雪止まないかな~」とつぶやいていたところ、ジェイ氏が到着。
車から降りてきたジェイ氏は妙な笑顔を浮かべて「やっちまいました…」といきなり懺悔した。
「靴が…ク●ックスで来ちまいました…。玄関までは持ってたんだけど、車に乗せるのを忘れた…」
なんと、ジェイ氏は靴を忘れたという。足元はサンダルだ。
確か富士山でも同じ足元の人を見たので、茶臼山くらいなら登れるだろうけど…
「ジェイ氏、やっちまったね…」との私のセリフに「でも、これは持って来た!」と、ごそごそとT型ストックを取り出して来た。「どうだ!」と言わんばかりに、私の目の前に突きつけてくる。
登山初心者のくせにイイモノ持ってるじゃないか。
ストックがあればク●ックスでも大丈夫だ、多分。
何故か、1人だけサンダル履きで登らせるのは申し訳ない、という心境になり、私とでんさん(もう一人のメンバー)もスニーカーで登ることにする。
コ●バースで登るの、すごく久しぶりだ。登山ぺーぺー時代にはよく登っていた。懐かしい気持ちに、少しテンションが上がる。
なんだかんだで10:30登山開始。
「ぐんま百名山」に紹介されていた周遊コースの「三本松コース」で登ろうと思っていたが、ク●ックス問題が発生したので、駐車場に張られていたコース案内のうち、最も簡単だとされてた「鎖場コース」で登ることにする。
最も簡単なのに、鎖場…。
何か矛盾したネーミングに首を捻りつつ歩き出すと、すぐに疑問は氷解した。
崖に鎖が3本ほど垂らされており、アスレチック的に登ることが出来るようになってる。もちろん、ここを登らなくても道はある。子どもの練習用?に設置されているようだ。
鎖場コースは最も簡単と言うだけあり、それほど急な登りは無い。
雪も止み、穏やかに会話をしながら頂上を目指した。
ク●ックスのジェイ氏も「これなら大丈夫。山歩き、楽しいじゃないか」とご満悦だ。
でんさんは「ジェイ氏、この山が大丈夫なら、高い山も大丈夫だよ。高い山はロープウェイで一気に標高を稼ぐだけで、この山とほとんど同じだから」と言葉巧みに誘惑している。でんさん、やり手だ。
周りは寒いが、歩いているので体はほかほかだ。
11:15 茶臼山山頂到着。
茶臼山の頂上には電波塔がどーんとそびえている。赤城山の地蔵岳みたいだ。(地蔵の方が大規模)
晴れれば眺望良好らしいが、この日はあいにくのどんより天気。目の前にそびえているであろう赤城山すらほとんど窺えなかった。残念無念、涙が出ちゃう。
しかし、下界は割とよく見える。低山はここがイイ。雲の中の真っ白地獄で何も見えなくなる高い山とは違う。
「あそこ、競艇場かなあ」「車が結構走ってる」などと、しばらく下界を見下ろして楽しむ。この時、何故か私の頭にはド●フの雷様たちが浮かんできていた。彼らが雲の上にいたからだろうな、多分。
頂上から少しだけ下った場所にある四阿で昼食にする。
人が全くいないので、私たちで占領だ。
実は、今回の登山のメインテーマは「山頂でお餅を食べよう!」であった。
お正月の余ったお餅を山の上で食べる。我ながら、なんてナイスな企画なんだろう。自画自賛だ。
「ふっふっふっ、餅レシピをクックパッドで検索してきたぜ!」
「実は、正月には餅つき機でついた。自家製なので、おいしいはずだ」
などと思い思いにザックから切り餅を出す私たち。やる気にあふれている。
調理中、四阿の外を見ると、また雪が激しく降っている。
「こ…こなーゆきー ねえ るるるるるるる~」と歌い出す私。後半の歌詞はよくわからない。
お餅調理に夢中の2人は、私をほどよく放っておいてくれた…。
私の歌声だけが、灰色の空に消えていく。
寒い…。何か、外の温度と心の温度が相まって、いっそう寒さが身に染みる。
あんこをクッカーで煮て、焼いたお餅を投入する。あっという間にお汁粉が完成した。
ほかほかのお汁粉を一口すすると「あったまるー」と思わずつぶやいてしまう。冷えた心に染み渡る。
ちらちら舞う雪を眺めながら、ぬくぬくとお汁粉をいただく。まるで、こたつで雪見だ●ふく、の様な贅沢感だ。
ジェイ氏とでんさんも、それぞれ「餅は何でも合う!」「ご飯に合うものは全部いけるね」と、満足げに出来上がったお餅料理を食している。
お互いに交換していろいろ食べたが、お餅にたらこスパソースをかけたもの(仮に「たらこもち」とでも命名しよう)が、簡単お手軽でかなりおいしかった。でんさん制作。
12:30 充実のお昼ご飯タイムを終了して、下山を開始する。雪は止んだ。
下山ではあるが、ただ下るのでは無く、ぐるっと大回りの周遊コースを取って下る。
この周遊コースの終盤にある「石切場」が割と面白そうなのだ。
上毛新聞社「ぐんま百名山」によると「西洋の神殿か古代遺跡を思わせるような」と記載されている。
「まあ、よくある城跡の礎石程度のものかもしれないので、あまり期待しないでおこう」
「そうね。G県東部に住んでるけど、ここに古代遺跡みたいなものがあるなんて、聞いたことないしね」
東部の住民である私もでんさんも聞いたことがないので、やはり、たいしたことないのかもしれない。
行きと同じルートをだいたい庚申塔までたどり、ここから周遊ルートに入る。
そのまま稜線(?)を籾山峠方面へ南下し、石尊宮から下りに入る。
13:00 石尊宮を右折すると、下りの山道は落ち葉に覆われていて、とにかく滑る。しかも、踏み跡があまり無く、道がわかりづらい。
「こんな道なのに、コ●バース!ジェイ氏、ク●ックスで大丈夫!?」
「ストックさん、ありがとう!大丈夫だ」
「この道であってるのかしら?こっち方面の道、人、全然来てないね!」
「ピンクちゃん(登山ルートを示すピンクリボンのこと)がないから、ものすごく不安!」
大声で叫びあいながら、山道を下る。
13:15 この道の選択は失敗だったか!と後悔し始めたあたりで、視界が開け、どーんとコンクリの建造物が姿を現す。
「何だ、あれ!?」
「ダム??ダムだよねえ?ダムカード、ないかな?」
どうやら、砂防ダムのようである。
今日のメンバーはダム好きでもあるので、ちょっとテンションがあがる。ちなみにこの砂防ダムにはダムカードはない。多分。
地図によると、この先は舗装道路を少し歩き、また山道に入るとなっている。
しかし、砂防ダムの脇に、山へ登る道があるのを発見。
「こっちの道かな?」「でも、地図だと違うような…?」
よくわからなかったので、とりあえず少し山道を登ってみることにした。間違ったルートだったら、すぐに戻ればいい。
道を行くと、ルートをそれた脇の木に青いテープがつけられているのを見つける。
「あれ?あっちに行くのかな?」とジェイ氏が道をそれ、確認に行くと、すぐに大声をあげた。
「こ、これは…!!すぐに来て!!」
何だ、何だと、向かった先で見たものに、私とでんさんは「すごい!」と大興奮で叫んでしまった。
まさに、古代遺跡であった。
道の先にぽっかりと口を開けた岩の隙間には、巨大な石切場跡が広がっていた。
当時、平らに切り取られた石壁は少し崩れ、植物だけが絡まっていて、失われた文明の雰囲気を醸し出している。
白い石壁が、日本では無い国のようで「ここはラ●ュタなの?」とついつい口走ってしまう。
まさか、こんなところで古代遺跡に出会うとは!
青テープをたどり、道なき道をかき分けて進むと(落ち葉だらけで道がわかりにくかったので)、さらに数カ所、石切場を覗き込める場所がある。
ここに来て、気分が登山から、秘境探検へと一気に切り替わってしまった。
「隊長!切り通しのツタを抜けた先に、第2の石切場を発見しました!」
「よし、安全を確保して進もう!」
石切場を大興奮でさまようこと30分。堪能し尽くして、砂防ダム脇の道へ戻る。
改めて地図をよく見てみると、「石切場」は地図上、2カ所あり、うち一カ所の石切場Aへの道は破線になっている。
どうやら、この石切場Aをさまよっていたらしい。
まったく何も考えていなかったが、石切場Aにたどり着けたのは本当に幸運だった。
「もしかすると、これは偶然じゃ無いとたどりつけない場所なのかもよ。行こうと思うと絶対に元来た道に戻ってしまうような不思議な場所…」とでんさん。
さすが読書家のでんさん。すばらしい発言だ!
うさぎを追いかけるアリスとか、猫に案内されて店にたどり着く波津彬子さんの世界みたい。私はいくつになっても夢見がち。でんさんも同士だ。
13:50 砂防ダムの先の舗装路を少し歩いた後、案内看板にそって、再び山道に入る、本来のルートに戻る。
14:10 「石切場跡」の看板が現れた。こちらの道の先には、石切場Bがあるらしい。もちろん石切場Bへ行ってみる。
こちらもすごい。
ぽっかり空いた岩の隙間から覗く石切場Aとは異なり、石切場Bはその中まで入っていける。
切り取られた巨大な石の空間で上を見上げて「うへー」と唸ることもできるのだ。
しっかりと見学できるように整備されている印象だ。小学生がハイキングの途中に見学したりするのかもしれない。
こちらの石切場Bしか見なかったのであれば、これでも十分満足だ。西洋の神殿のようで圧倒される。しかし、石切場Aを探検してしまった私たちには、若干物足りない。
行くなら秘境感あふれる石切場Aの方が楽しい。
この感動をバネに、これから石切場Aの広報に努めよう、と3人の意見は一致した。
しかし、石切場Aの楽しさは、整備されていないところにある。
沢山の人が行くようになって、きっちり見学ルートが作られたりしたら魅力が半減してしまうかもしれない…。密かに広報することにする。このブログはその第一歩だ。
ちなみに、この石切場は「薮塚石」を切り出していた場所だそうだ。
藪塚石は、かまどの石等として広く流通したようだが、「水に弱い」という決定的な弱点を持ち、現在では廃れてしまったとのことである。
水に弱けりゃダメだよな…。
石切場Bから、集合場所である東毛青少年自然の家まではすぐである。
14:20 滝の入神社に到着し、周遊ルートはほぼ完了。
14:30 てくてく道路を歩き、東毛青少年自然の家駐車場に到着。
当初の予想を裏切る楽しさがあり、充実した一日であった。茶臼山、スバラシイ。
ジェイ氏も「最高だった。登山、これからも行く」と力強く宣言してくれた。しめしめ。登山要員を一人確保だ。
今回、唯一の反省点はコ●バースで登ってしまったことだろうか…。
やはり、トレッキングシューズの方がいい。当たり前のことだった。低山だとなめてかかった自分に猛省を促したい。
そして、ク●ックスて登り切ったジェイ氏に拍手を送りたい。でも、次はせめてスニーカーにしてね。
「sol×solがおしえる 多肉植物育て方ノート」松山美紗 監修
冬になると、なんとなく部屋が狭く感じる。
ベランダに出しっ放しにしている多肉植物たちを室内に入れるからだ。
1鉢2鉢ならたいしたことないが、小さい鉢がごちゃごちゃと20鉢くらいある。けっこうな量なのだ。
多肉植物はとにかく種類が多く、世界中にコレクターがいるらしい。コレクターってどこにでもいる…。コレクターの世界の奥の深さよ。
私は別に多肉植物コレクターではないが、ちょこちょこ買っているうちに、だんだん増えてしまったのだ。
私が多肉植物を育て出したのは、多分10年以上前だ。つきあいで「寄せ植え教室」に参加したところ、寄せ植える植物が多肉植物だったのだ。パンジーとかの寄せ植えだと思ってたのに…。
初めて多肉植物を手にして「何じゃコレ…。葉っぱが肉肉しい…」と不信感いっぱいだったのだが、できあがった寄せ植えを毎日眺めているうちにだんだんと愛着が湧いてきた。
ハムっぽい感触の葉っぱは、しっとりとして手になじむし、ぷりんぷりんした見た目もかわいい。
そして、何より水をこまめにやらなくても全然枯れない。多肉植物は葉に水分をためる植物なので、多少、水やりを忘れたところで問題ないのだ。ラクダと同じだ。
しばらく「けっこういい寄せ植えじゃないか~」と眺めていたところ、何やら葉っぱがぐんぐん伸びていく。
「生長早いんだな。大きくなれよ~(by●大ハム)」と楽しく見守っていたが、多肉ちゃんは茎をどんどん伸ばし、葉の密度はすっかすかのひょろひょろに。
「これは…生長じゃないかもしれない…」とようやく気づき、ネットで検索して、この状況が日光不足の「徒長」であることを知る。
アカンやん!窓際に置いといたのに!
ひょろひょろに伸びた多肉ちゃんをあわてて外に出してみたが、時すでに遅し。そのまま、半分ほどがご臨終した。
ごめん…。知識が無いって、許されない時もあるのだ。
この反省を活かし、多肉ちゃんの実用書を何冊か購入し、知識の習得に努めた。
その中で、一番お気に入りの本が「sol×solがおしえる 多肉植物育て方ノート」だ。
(ちなみにsol×solとは、多肉諸物専門のお店だ)
何がいいって、掲載されている写真が非常にお洒落なのだ。ステキすぎる。
すでに多肉植物を「かわいこちゃん」ととらえることのできる私の目には、アイドル名鑑であるかの様に見えてくる。いろいろな多肉ちゃんの写真がずらりと掲載。
さらに、掲載されている寄せ植えが、ものすごく可愛い!そのかわいい寄せ植えが置かれた部屋の写真は、インテリア雑誌そのものだ。
す…ステキ!
「多肉植物育て方ノート」には寄せ植えの作り方もしっかりと書かれている。
早速、本を片手に、葉差しで増やした多肉ちゃんたちで寄せ植えを作ってみたりする。
割と簡単に良い感じに出来る。ほれぼれ。
多肉ちゃん、できる子や…。
私のようなずさんな人間でも、そこそこな寄せ植えができてしまう。ポテンシャルが高い。
いそいそと出来上がった寄せ植えを窓際において、重大な事実に呆然とする…。
徒長するかも…。
多肉ちゃんは日光が好き。日光不足だと、あっという間に徒長してしまうのは、一番最初に経験済みだ。
屋外に置けば多分、ぷりぷりのまま良い感じに生長してくれるだろう。
しかし、ステキに出来上がった寄せ植えは、インテリア雑誌みたいにお洒落な感じに室内に置きたいのだ。私のごちゃごちゃな部屋が多肉ちゃんの寄せ植え一つでお洒落になる訳が無い、という声はちょっと置いておく。
本当なら、窓際じゃ無くて、本棚とかお風呂場とかの水回りあたりに置いてみたりもしたい。しかし、そこは日光が足りないのだ。もっと光を…!!(byゲーテ)
とりあえず、窓際においてしばらく愛でることにする。あまり長期間じゃなければ大丈夫だ。
徒長の兆しが見えたら、室外に出して、場合によっては切り戻しをして形を戻す。
めんどくさい…。
結局、いくつか作って友達にあげたりしたが、最近はあまり作っていない。作っても、屋外に放置している。
マメじゃ無い私を許して…。でも、私は多肉ちゃんの「水やりしなくても大丈夫」というずさんなところに惚れたのよ。しょうがないよね。
「多肉植物育て方ノート」にはいろいろな種類の多肉植物が掲載されている。
しかし、それでも図鑑としては全く足りていない。我が家の多肉ちゃんたちでも掲載されていないものがかなりある。
冒頭にも書いたが、多肉植物はとにかく種類が多いのだ。
「えっそれも多肉ちゃん?」と言いたくなるようなものも沢山ある。ただの球根からちょろーんと葉っぱが生えているだけのものとか。←こんな変な植物なのに、買うとかなりいいお値段がする。レア?
また、名前が知的でロマンチックなものが多く、「かーーっ名前つけた人、センス良すぎる!」とうなってしまうことも多数だ。
「月兎耳(つきとじ)」は見た目が兎の耳みたいだから。全体に細かい毛がふわふわしていて、先が黒いのだ。
すばらしいネーミング!「月」が付いているところがセンスの良さだ。
「朧月」「ブロンズ姫」も好きな名前だ。
ちなみに、我が家の朧月は、初めて作った寄せ植えから生き残っている長老だ。
私のテキトーな世話にも負けず、ものすごく丈夫なのだ。このまま長生きして欲しい。
また、花が綺麗なものが多い。
奇妙な形態の極みだと思うリトープス属の花はけっこうお気に入りだ。
リトープスは植物には決して見えない。強いて言うならキノコに近いような気がする…。
最初は「キモチワルイから、私はリトープス属には手を出さない」と決めていたが、今では「リトちゃん、かわいい模様だね」と、ぴとぴとお触りしながら話しかけている自分がいる…。人って変われるものだなあ。
最後に、今、一番気に入っている多肉ちゃんの写真を載せておく。
「ビーンズレーマニー」である。
「多肉植物育て方ノート」に載っていないし、私が持っている他の本にも載っていないので、イマイチ詳細はよくわからないが、ころころした感じが気に入っている。
伸びすぎているので、そのうちカットするつもりだ。
冬になると、多肉ちゃん達が室内で圧倒的な存在感を放っているので、やはり、どうにも気になってしまう。
そして、ついつい葉差しで増やしてしまったりする。(多肉植物は簡単に増やせる。葉っぱを取って、土に転がしておけばよい)
春になったら、また寄せ植えを作ろうかな。かわいく仕上げて、お洒落なインテリアに再挑戦したいものだ。
今日、「多肉植物育て方ノート」の写真を、またじっくりと眺めてしまったので、気持ちが盛り上がっている。
愛いヤツめ…。ふふふ…。
初日の出 2020
あけましておめでとうございます。
無事に年を越せました。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、今年は初日の出見物に行ってきた。人生初の試みである。
今までの私の頭の中には「初日の出」なんて代物はまったくなかったのだが、昨年、富士山の御来光を拝んで、「ありがたや!」と突然開眼したのである。
以来、近場の初日の出スポットをちまちま調べ、見物場所を刀水橋(G県と飛んで県(仮)の県境)に決定した。隠れた穴場らしい。
折りよくも、天気予報によると、今年は太平洋側は絶好の初日の出日よりらしい。
G県と飛んで県(仮)の県境が太平洋側なのかは、若干疑義があるところであるが、多分大丈夫だ。なにしろ、元旦の晴れ出現ランキングではG県の県庁所在地は93%で堂々の第3位なのだ。ちなみに飛んで県(仮)の県庁所在地は86%で第4位。(ウェザーニュースの調査による。ちなみに1位は静岡と徳島で驚異の100%だ)
その県境の刀水橋が今年晴れないわけがない。
勢い込んで、朝、6時。初日の出見物に出かける。ちなみに、日の出時刻は6:55だ。
真っ暗かと思ったが、外はすでに薄明るかった。
一緒に見物に出かけた父(山男)は「実はヘッドランプ持ってきたけど、いらなかったな」と、すこしはにかんで私に見せてきたので「いらないよ。街には街灯もあるんだよ」と答えたが、実は私もポケットにヘットランプを忍ばせていた…。ついつい登山気分になってしまって…。
見栄を張って、スカしたこと言ってしまって申し訳ない、父よ。
到着した橋の上には、かなりの人数が震えながら日の出を待っている。
こんなに沢山の人が初日の出見物に行くものなのか。私は今まで●●年生きてきて、ただの一度も来たことがなかったのに…。
いくつになっても日々は新しい発見に満ちている。
橋の真ん中あたり(ややG県側)に位置どり、日の出を待ちかまえる。
空は快晴。…であるが、何故か、肝心要の東側だけ、低い雲に覆われている。
他の方角はすべて雲一つない暗闇(?青空ではない…)だというのに。
なんか、練習では世界新記録を出しているのに、本番でメダルが取れないスポーツ選手みたいじゃないか…とオリンピック開催の年始めに思ってしまった…。
いやいやいや。大丈夫だ。雲の位置が低いので、その雲の上に日が昇るところが見られそうである。世界新は出せなくても、金メダルは取れそうだ。
東の雲のあたりは、だんだんオレンジの輝きが強まっていく。
今か、今出るのか、と寒さに耐えながらじりじり待ち続け、午前7時をまわった頃、金色の光の塊がゆっくりと姿を見せる。
太陽って凄い。金の光がぎらぎら迸る。野蛮なまでに明るい。
父は「太陽の周りに紫の光が!なんだ、この現象は!」と一人で騒いでいたが、まぶしすぎるだけだと思う…。「来年はサングラス持ってこよう」と静かに諭してみた。
太陽を眺めたり、写真を撮ったりでばたばたと忙しい。
あっという間に太陽は昇りきり、あたりは暗闇から朝の光景に様変わりだ。
東の空に雲なんてたいした問題ではなかった。95%、いやほぼ100%バッチリな初日の出であった。
時間にすると約5分。
満足しきった私を含めた見物客は橋を後にする。
この短い時間のために、朝もはよから、寒さもいとわず大勢が集まるのだ。
そして、多分、みな「今年はいい初日の出が見られた。来年も来るぞ」と思っていると思う。
短いけれど、充実した時間であった。いい年明けになった。
初日の出見物に心をわしづかみされた私は、また来年もこの場所に立つことになるだろう。
いつもと同じように朝日が昇ると、雪化粧の赤城山と真っ白な浅間山がよく見えた。
今年は浅間に登りたい、と新年の抱負を胸に帰路に着いた。
「あやうしズッコケ探検隊」那須正幹
山を歩いているときに、ユリが咲いていると、私は何となく安心する。
何故か。
それはユリ根は食べられるからだ。
これで、いざという時(山で遭難した時?)も、最悪食料は確保できる。
スーパーでユリ根が売られているのを見るときも、茶碗蒸しの中にユリ根を見つけたときも「ユリ根は食べられる!」とほっこりと安心するのだ。
妙なところにだけ、強い防衛本能を発揮する私は、非常事態に役に立つものを発見すると「大丈夫だ!」と力強く自分に言い聞かせてしまうのだ。子どもの頃に「備えよ常に」がモットーのガール●カウトに入っていたからなのだろうか。
ユリ根が食べられる、ということは、小学生の頃に読んだ「あやうしズッコケ探検隊」で学んだ。
ズッコケ3人組シリーズは、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんの小学生3人組が様々な活躍をする児童書だ。宝探しをしたり、事件を解決したり、学校新聞を作ったり。
私が小学生の頃は大ベストセラーシリーズで、どこの本屋さんでも平積みで売られていた。当時、私も大好きで、シリーズ全作ではないが、かなりの冊数を本棚に並べていた。
今回、久しぶりに開いてみたら、表示カバー折り返しにある既刊シリーズ一覧のそれぞれのタイトル横に、鉛筆で「○」「△」「×」が書かれていた。おそらく、「○」は持っている本、「△」は図書館で借りて読んだ本、「×」はまだ読んでいない本、であろう。
小学生当時から、変にマメな私。コレクター魂から、シリーズ全作読破を目論んでいたのであろう。(多分、達成した)
ちなみに、現在の私は、家にある本のデータベースを作っている。シリーズものはデータベースで全巻所持しているかは常に確認出来る状態だ。三つ子の魂百までとはよく言ったものだと思う。
「あやうしズッコケ探検隊」は、3人組が無人島に漂流する、という内容で、シリーズ中の私のナンバー1作品。
無人島漂流モノは私が好きな小説のジャンルだ。
たいした道具も無い中で、どうやって食料や日常生活で必要なものを確保していくのか。知識と知恵を総動員しての無人島生活。
少年たちが(残念ながら少女がいることはあまりない)、工夫を凝らし、協力し合って、無人島での生活を送っていく様子に、「私だったらこうするな」と物語に参加している気持ちで読み進めていく。
火起こしで漂流した仲間が困っていたら、すぐに「メガネで光を集めて着火させるんだ」と提案するのにな、とか。…こういう話にはメガネキャラが必ずいると決まっているのだ。
さて、「あやうしズッコケ探検隊」である。
3人が流れ着いた島では、すぐに川が発見され、水問題はクリア。釣り道具も持っていたので、魚釣りにより食料問題もだいだいクリア。(ついでにサザエもゲット)
しかし、3人の中で一番博識(?)なハカセは言う。「人間はつねに食物のバランスを考えなくてはならない。動物性タンパク質ばかりでなく植物性のビタミンだとか炭水化物をとらなくては栄養がかたよってしまう」
小学生とは思えない、さすがハカセとのあだ名を持つ少年の発言だ。
そこで、食べられる植物を探したところ、八百屋の息子のハチベエが「おまえ知らないのか。ユリの根っこって、たべられるんだぜ」とユリ根を発見するのである。
これは私にとっての朗報であった。
だって、遭難する時に釣り竿を持っている確率は低いので(そもそも釣り竿を所持していない)魚ゲットは私にとってはかなり高いハードルだったのだ。さらに、サザエは貝類が苦手な私にとっては、できれば避けたい食材だ。いざという時にはもちろんたべる覚悟はあるけれども…。
そんな中でユリ根は、掘ればいいのである。私でも簡単に獲得できそうだ。
しかも、ゆでて食べると、ジャガイモとクワイを一緒にしたようなお味だという。調理法も簡単だ。
これだ!これなら、私でも無人島でしばらく生活ができそうだ!
小学生当時の私はここでしっかり「ユリ根=非常食」の知識による、いざというときへの安心を手にして満足したのである。
しかし、今回久しぶりに再読してみたところ、大きな心配がむくむくと芽生える事態が発生していたことに気づいた。
3人の無人島サバイバル生活は実質1週間なのだが、そのわずか1週間の間に、ユリ根を掘り尽くしているのである!
正確には、群生していた1カ所を掘り尽くし、別の場所へユリを掘りに行かなくてはならなくなったのだ。
「この島の海岸には、オニユリの群落があちこちに点在していたから、たちまちこまることはなかったけれど」と作中では書かれているが、たちまちは困らなくても、将来的には困るではないか!
しかも、1カ所を掘り尽くしてしまったら、その場所では翌年は花が咲かず、長期間の漂流生活には耐えきれない。
考えの浅い小学生3人組め!どうして、半分くらいでやめておく分別を持たないのか。
たかだか3人の小学生の胃袋を満たすだけでも、すぐに掘り尽くされてしまうユリ根…。
これは、漂流時の食料の決定打としては、いささか不安が残る。短期間向けなのか。
作中ではまったく問題になっていない部分で頭を抱える私。
ズッコケ3人組は1週間程度で漂流生活を終了しているが、私が漂流するときには1週間程度で助けられる保証はどこにもないのである。
これはいけない。ユリを見て「非常食確保。安心」と思っていたが、本当は全く安心ではなかったのだ。
ユリ根以外の漂流時の食料の知識を得なくてはならない。
長いこと、ユリ根で安心、と思っていたものが崩れてしまい、今、非常に切羽詰まった気持ちになっている。
この気持ちを落ち着けるためには、すぐさま本棚をあさり、無人島漂流モノの小説を再読して、ユリ根に変わる食料の知識を探さねばならない。
幸い、私は無人島漂流モノ小説を何冊か所持している。この中に決定打があることを切に願う!!
ポプラ社文庫版もあります。
その後、某芸人さんの無人島サバイバルロケを見たところ、ユリ根がめっちゃ登場していた!
サバイバルの師匠が教えたもの。ユリ根、ドングリ、ツワブキ!
やっぱり、私の無人島生き残り方法に間違いは無かった。ユリ根でイイのだ。
しかし、ロケで作った食材はほぼ最悪のお味だったらしい…。
某芸人さんが「おげぇぇ…」と吐き出している姿に爆笑しながら、ユリ根、やっぱダメかも…とちょっと複雑な気持ちにもなった。
ワイナリー収穫祭2019
自分が自分だと思える根拠は、昨日も一昨日もそのずっと前も自分だったからだろう。
記憶だ。
自分であった、という記憶があるからこそ、初めましての自己紹介も出来るのだ。
そして、過去の記憶の積み重ねが、自分としての成長の基礎になっている。足し算引き算を覚えて、かけ算割り算へ進み、三角関数やら虚数の計算やらに進めるのも、過去に学んだ記憶があるからだ。
記憶は自らのアイデンティティの基。この記憶をなくすということは、自分であることすら、自分に証明できないという、不安定を超えて、ひどい恐怖を抱かせる事態なのだ。
記憶をなくした。ワインを飲み過ぎて。
某ワイナリーの収穫祭に出かけたのだ。
この収穫祭はワイナリーのブドウ棚の下で、その年製造されたワインをみんなで楽しく飲むお祭りだ。
大変楽しい。
しかし、楽しいだけではない、かなりな危険ポイントも内包した祭りなのだ。
危険ポイント その1 1人1本ワインが配布される。
入場料を払うと、1人1本ワインとグラスが配布されるのだ。
そもそも、1人1本というのは、普通に考えると、結構な量なのではないだろうか。ファミリー参加の方とかもいるし。みな、大丈夫なのだろうか?
いや、よく考えたら持って帰ってもいいのか…。
当日の私たちの頭には、まったくその選択肢は浮かばなかった。
それどころか「ワイン1本なんて、すぐ無くなっちゃうね。お代わり!」と、お代わりワイン(別料金)まで、頂いてしまった。しかも、一度ではなく、何度も…
危険ポイント その2 ブドウ棚の斜面は酔いがまわりやすい。
やはり、人類は野生を忘れてしまっているのだろうか。
地面が平らなところじゃないと、平衡感覚の方の酔いとの相乗効果なのか、どんどん酔う。
他のグループでも泥酔者続出。ブドウ棚の斜面を転がり落ちる人も続出。(足下がおぼつかないから)
今年は、その斜面を転がる泥酔者に私も名を連ねてしまった…。
翌日、お風呂に入っているときに、自分の手足のあちこちにアザやら切り傷やらが発見された。何回か転倒して、斜面を必死でよじ登った記憶がうっすらとある…。
酔った状態で登山しちゃいけないな、と今回学んだ…。
危険ポイント その3 朝から飲んでいる。
収穫祭のスタートは午前10:00からだが、受付は8:00からだ。
10:00スタートだからといって、それまでワインを前にじっと我慢しなければいけないわけではない。適宜初めて良し。そのため、実質的なスタートは8:00と言って良いだろう。
8:00というのは、普通に考えると結構朝だ。
友人達は「会社行く時よりも早い時間に起きたけど…」とぶつぶつ言っていたが、それでも遅かった。これは来年度以降への反省点だ。
私たちは駅に着いたのは8:00過ぎ。そこからシャトルバスの長蛇の列に並んだり、場所を確保したりで、実際に飲み出したのはだいたい10:00くらいである。
楽しく飲み続け、気づいたら、周りに人がいなくなっていた。終わりの17:00まで飲み続けてしまったのだ。
冷静にそろばんをはじくと、7時間飲み続けた計算になる。
嘘だろー。そんなに時間が経っていたはずないよー。
時間泥棒(by「モモ」)に時間を盗まれていたとしか思えない…。
そう。その飲み続けた7時間のうち、後半の記憶が一部綺麗に抜けているのだ。
「あれ、気づいたら周りに人が全然いないね。おかしいねー?」と陽気に語らい、ワイなりの人に「帰ってくださーい」と言われた記憶はある。
その後、私がトイレから出たら「Youも酔っ払うんだねー」と友人達に声をかけられたところから、唐突にまた私の記憶が始まる。
間に、お片付けをして、ブドウ棚を下りたのだと思われる。
その証拠に、荷物(ザック)は持っているし、手にはシートをしっかり抱えている。しかし、ザックに何が入っているのか、まったく記憶に無い。(なぜシートはザックにしまっていないのかもわからない)
帰宅してザックを開けてみたら、自分の荷物のみならず、食べ残しのチーズとか水とかがちゃんと入っていた。私が入れたのか、友人が持たせてくれたのか全く覚えていない…。
一体、その間、自分はどんな言動をとっていたのだろうか。なんか失礼かつブラックな発言とかしていたらどうしよう!
ここまで綺麗にすっぽり記憶が抜け落ちたことが無かったので、もう、怖くて仕方が無い。
後日、友人に聞いてみたら「割としっかりしてたと思うけど」と言われたが、それでは記憶がよみがえったときの「Youも酔っ払うんだねー」との整合性がとれないでは無いか!気を遣ってくれているのか!?気になるので、心を鬼にして、本当の私の行動を教えてくれー!
記憶喪失になった、マンガの登場人物達は、こういう不安でオソロシイ気持ちになっていたのね。
「はいからさんが通る」で記憶喪失になった少尉が謎のロシア美女とイイ関係になって帰ってきた姿をみて、「どないやねん、少尉」と思っていたけれど、今ならわかる。不安な気持ちであふれんばかりになっていたときに、寄り添ってくれる人がいたら、心が動くのは当然のことなのだ。
とりあえず、今後はワインの飲み過ぎに注意することにする。記憶がなくなるまでは飲まない。自分でセーブできるのかどうか、非常に心許ないが…。
そして、とても楽しかったので、来年も絶対に参加する。登山の早起き経験を活かして、もっと早い時間から行って、さらに長い時間楽しむのだ。
私の辞書に「反省」という文字はあるが、「懲りる」という文字は無い。
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大菩薩嶺~富士見道中~
9月下旬に大菩薩嶺に行ってきた。今回は山の相棒、ノムさんと一緒だ。
この時期に設定したのは、私にとって大きな意味がある。
それは、ついでにぶどうを買えるから!である。
今や衆目が一致するところの、最高においしい品種、シャインマスカットを購入するのだ。産地で買えば、●疋屋クラスのぶどうもグラム売りだ。農家さん、太っ腹!いつもありがとう!
行きの道中、車の窓から眺めるぶどう屋さんは、まだ開店していなかった。でも、たわわに実ったぶどうが、心をかき立てる。
帰りにかならず寄ろうね、とノムさんと固く誓い合う。ノムさんは、このために事前に現金を下ろしてきたそうだ。
「ぶどうは、野菜と違って高級品だって、気づいたの。さすが、私。よく気づいた!」と自画自賛していた。気合いが入っている。
登山だけでも楽しいのに、さらにプラスアルファの楽しみだ。心がトキメク。
9:30 登山口の上日川峠到着。
遅い時間になってしまったせいか、かなりの混雑模様。
駐車場案内のおじさまの指示に従って、なんとか第3駐車場?(歩いて数分)に駐めることができたが、私たちがラストだった。この後、来た人が案内される第4駐車場は徒歩だと15分くらいかかるそうだ。ギリギリセーフ。幸運だ。
毎回思うけど、もっと早く出発するべきだった…。登山者の早立ち、という本来あるべき姿を未だに学べない私たち。生来の怠惰な性格が邪魔しているのだろう、きっと。
9:45 ロッジ長兵衛脇の登山口から登山開始。
そこそこ急な樹林帯をてくてく登る。天気は良好で、綺麗な青空だ。
だいたい30分後の10:15 福ちゃん荘到着。
囲炉裏で鮎?が焼かれていて良い匂いがする。
小屋の名前の謂われは定かでは無いが、多分、小屋のご主人(初代?)の名前からつけられたのだろう。登山関係は「●●ちゃん」というネーミングが多い気がする。「●●ちゃん新道」とか。
何となく、時代を感じる名前だ。
昭和の登山ブームのころは、友人同士はちゃん付けで呼ぶのが流行していたのかと、勝手に推測する。石●浩二さんが「兵ちゃん」と呼ばれているみたいな。(彼の本名は武藤兵吉)
平成にも「●●っち」と呼ぶのが流行した時期があった。でも、「●●っち新道」というのは聞いたことがない…。いや、私が寡聞にして知らないだけで、どこかの山にはあるのかもしれない。
福ちゃん荘でしばし休憩して、10:30頃、再び出発する。
ここからは唐松尾根を頂上に向けて登っていく。
唐松といえば、秋には黄色に紅葉するが、9月下旬のこの時期は、さすがに紅葉には少し早かった。
ここからは「振り返れば富士山」ゾーンとなる。
はじめの頃は、木々の合間からその姿を見るのだが、登るにつれて、遮るものも無く、その綺麗な円錐形の姿が目に入る。
しかし、福ちゃん荘くらいまでは晴天で青空が広がっていたが、だんだんと天気は下降気味になり、白い雲が空を覆いだした。
富士山の姿を隠すほどではないが、頂上あたりが少し怪しい感じになってきた。
「いつ、見えなくなるかわからないから、見えるうちに写真を撮っておこう」
ノムさんと二人で、貪欲に富士山の写真を撮りまくる。
やっぱり、朝早い時間の方が天気がいい。登山者の皆さんはそれを知っているから朝早くから登るのだ。
もうちょっと早くから登るようにした方がいいよなあ…。毎回、思うだけは思うのだけど…。
11:30 轟岩
眺望が良く、富士山もしっかり見える。お昼ご飯に最適の場所だ。
しかし、ここは頂上である大菩薩嶺ではない。大菩薩嶺は、ここから10分くらいの場所にあるという。
「頂上を極めて来てからご飯にしよう」と、とりあえずここは通過し、大菩薩嶺を目指すことにした。
11:45 大菩薩嶺到着。2057m。
周りは木々で覆われており、まったく眺望なし。
頂上の看板はあるが、景色が良くないので、何だか暗い感じがして、ちょっとつまらない。
写真だけ撮って、すぐに引き返す。
12:00 再び轟岩
やはり、景色が良いところは気持ちいい。
雲は多めだが、富士山はまだまだ見通せる。富士山を眺めながら、お昼ご飯を食べるなんて、最高の贅沢だ。ヤッホーだ。
ご飯を食べながら、富士山を眺めていると、ノムさんから「富士山はすごいなあ」との感じ入った、発言がある。
さらに「やっぱり、富士山は孤高のトップアイドルだね。グループアイドルとは違うのよ。聖子ちゃんとか、百恵ちゃんとか」
「連峰系、日本アルプスの皆さんはグループアイドルなのよ」と続ける。
「おお!北アルプス48なのね!センター争い激しいね、北は!」と興奮して答える私。
「穂高さんと槍さんあたりかね。燕さんあたりは美人キャラで確固たる人気を保ってそう」
「中央アルプス48は木曽駒ちゃんが絶対的エースだね。南アルプス48は派手さは無いけど、実力者揃い!鳳凰三山のソロ曲とか、アルバム収録して欲しい!」
食事そっちのけで、異様に盛り上がる。
「槍さんはブルーで、剣さまはブラックかな」と、戦隊モノにまで話が発展する。(ちなみに、レッドは穂高さん。あくまで私とノムさんの意見だ。人によって異論はあることは承知している)
この日、轟岩付近でお昼ご飯を食べている人はたくさんいたが、焼き肉で酒盛りを繰り広げているグループや、ハンバーグを焼いている人など、この日はフライパン率が高かった。
周りからはじゅーっと肉の焼ける音やいい匂いと共に、笑い声が聞こえてきて、たいそう楽しそう。
いいなあ。山の食事って何倍もおいしくて楽しい。
私も次はフライパン系をやってみたい。是非とも、ハンバーーグ!!(by師匠)
ちなみに、私のごはんはG県民ソウルフードである焼きまんじゅうであった。網にしたら火力が足りなくてイマイチだった…。
13:00 いろんな意味で昼食を満喫し、大菩薩峠に向けて出発する。
この道はずっと富士山を右に眺めながらの稜線歩きで、楽しい道だ。快晴なら、最高だろう、多分。
この日は雲が厚いが、なんとか富士山の姿はキープ。ずっと右手にどーんとそびえていた。
やっぱり、富士山は特別だ。このあたりの人は、年中富士山を間近に眺めていて、「ふるさとの山」が富士山なのか。うらやましい。
少し強くなった風の冷たさに、秋の訪れを感じながら、楽しく歩く。
13:45 大菩薩峠手前の親不知の頭
眺めがいい!
●●と煙は高いところが好き、とはよく言ったもので、私はこういう岩場をついつい登ってしまう。ヤギみたいなものだ。
「よし!ラン●ネ表紙風だ!」「いや、これはP●AKS表紙風も行けるぞ!」と、ノムさんと介山荘をバックに、キメキメ写真を撮り合った。いい写真が撮れてご満悦。
私たちの後にやってきた若い娘さんは、ファッション誌の表紙風の写真を取り合っていたし(映え?)、この場所は写真撮影に最高だ。
14:00 大菩薩峠
感慨深いが、実は「大菩薩峠」は未読の上、ストーリーもよくわかっていない。剣豪の話でいいんだっけか?巌流島で武蔵が遅刻するのは違う話だよな…。
とりあえず、「南無八幡大菩薩!!」と心の中で唱えながら、写真を撮る。
大菩薩峠の由来は、源義光が峠を越える際に、八幡大菩薩に祈念したことによるらしいので、再現してみたのだ。密かに楽しい。
確か、平家物語で那須与一が扇を射るときにも、この台詞を言っていた気がする。
源義家は八幡太郎だし、武家と八幡さまは関係が深いのであろう。
ちなみに、私の出身高校では「八幡太郎」というと、学校周辺に出没する変質者のことであった。…すみません、八幡大菩薩…。
轟岩からの道中、ほとんど人がおらず、ノムさんと「どうしていつも周りに人がいなくなってしまうのだろうか…」と話し合っていたほどだったが、ここには人がたくさんいた。
どこからともなく現れる人たちは、私たちとは違うルートからやって来たのだろうか?謎だ。異空間からやってきたのかもしれない。(ラノベ風)
いや、本当は、ただ単に、休憩ポイントには人が集まる、というだけのことなのだろう。
ちなみに、介山荘自体は営業していなかったが、トイレは借りられた。
大菩薩峠からは山を下る。ずっと姿を見せてくれていた富士山とはお別れだ。
道はかなり整備されていて歩きやすい。
かつては営業していたのかもしれない山小屋をいくつか過ぎると、行きにも通った福ちゃん荘に到着する。15:00
ここからは行きと同じルートを戻る。
アスファルト舗装された車道もあるようだが、「いや、土の道を行こう」とのノムさんの言葉により、登山道を下る。こういうところは変にストイックな私たち。
15:30 上日川峠到着
私たちとしてはちょうど良い時間に下山でき、今日もいい山旅であった。
そして、今回は大事なプラスアルファがある。山を下り、勝沼ぶどう郷へ直行し、その日収穫したブドウを購入。いいぶどう買わせていただいてありがとう!
シャインマスカットおいしい!甲斐路も美味!幸せだ。
ちなみに、勝沼のぶどう屋さんはだいたい5時くらいまでは営業している。
<コースタイム>
9:45上日川峠…10:15福ちゃん荘…11:30雷岩…11:45大菩薩嶺…12:00雷岩(昼食1時間)…13:45親不知の頭…14:00大菩薩峠…15:00福ちゃん荘…15:30上日川峠
山の御朱印
数年前から御朱印をコツコツ集めることを趣味にしている。
もう一つの趣味である登山のついでにも御朱印を頂くことが多いので、山で頂いた御朱印をまとめてみることにした。
山の御朱印の収集パターンは分類すると、だいたい次の3パターンになる。
ケース① 頂上ある神社で神主さんなどに書いてもらう。
どの山にも頂上に祠や社があるが、そこに人がいることは滅多になく、これは非常にレアケースだ。ものすごく人気の山に限られる。
ケース② 麓の神社等で頂く。
頂上が「奥社」などになっており、麓に神社本体があるケース。
車や公共交通機関でたどり着ける場所にあり、登山をしなくても参拝できる。
このケースが最も多いと言えるだろう。
ケース③ 神社に置いてある書き置きを頂く。
頂上でも麓でも神社に人がおらず、あらかじめ紙に書いてある書き置きの御朱印を頂くケースだ。
お金はだいたい賽銭箱に投入する。田舎によくある無人の野菜直売所方式だ。
お金を払わずに持ち逃げも可能だが、そんなことしたらまさしく罰当たりだ。恐ろしくてできない。
1 上毛三山
G県を象徴する上毛三山。
赤城山 榛名山 妙義山 それぞれ、G県民にこよなく愛されている。
ちなみに、G県の小学校の運動会は「赤城団」「榛名団」「妙義団」に分かれる、ということは有名だ。
しかし、東部出身の私の小学校では、そんな別れ方はしなかったと思う…。人数が多い時代だったから、3つの団じゃ足りなかったのかもしれないが。そして、途中で他県に転校したので、記憶が曖昧なだけかもしれないが。
収集パターンは最もオーソドックスなケース②である。
登山口付近(山の中腹)にそれぞれ神社がある。
2 高尾山
誰もが楽しめる山、高尾山の薬王院。
地元八王子出身のヒ●ミさんは「高尾山はすごいんだぞ!天狗がいるんだぞ!」と胸を張って主張しておられた。
確かにすごいぞ、高尾山!あれだけ賑わっているのは、天狗様のご加護のおかげか。
ちなみに私は烏天狗が可愛くて好きだ。高尾山にはたくさんいる。
収集パターンは、頂上にあるわけでは無いが、そこそこ登らないとたどり着けない場所にあるため、ケース①としたい。
ただし、ロープウェイやリフトを使えば、すぐに着くといえばすぐに着く。そいう意味ではケース②としても間違いではないか。
3 寶登山
寶 登山。ものすごく縁起のいい名前だ。福々しい。
宝に登る山。いや、ストレートに「宝の山」なのか。
竹取物語に出てくる車作皇子が持参する「蓬莱の玉の枝」が生えていそうだ。
そうか、だから、臘梅が咲き乱れているのか。臘梅の黄色は黄金につながるイメージなのかもしれない。
うっかり者が、地名を根拠に埋蔵金発掘とかをしてしまいそうな気もする。
収集パターンはケース①である。頂上の神社脇の売店で「奥宮」の御朱印が頂ける。
しかし、私が登った時は、書き置きしかなかった。(書ける人がお昼休み中?)
麓には宝登山神社本宮がある。
4 日光男体山
「男山」ときたら、対になる「女山」があるものだが、日光では「女峰山」が対になるらしい。まだ登ったことが無いので、いつか登ってみたいものだ。
「女峰」といってイチゴを思い出すのは、もはや、かなりの年齢の世代になってしまったかもしれない。
ストロベリー王国が猛プッシュしている「スカイベリー」も「皇海山」から名付けられたそうな。空じゃないのだ。good!
しまった。イチゴの話では無い。御朱印の話だ。
収集パターンはケース②。中禅寺湖のほとりにある。
5 筑波山
筑波山は高尾山とイメージがかぶるエンターテイメント性にあふれる山だが、こちらはなめてかかってはいけない山だ。
ロープウェイやケーブルカーを使わないと、まあまあ厳しい。
以前も書いたが、軽い気持ちで登山未経験の友人を誘ったところ、二度と一緒に山に行ってくれなくなったくらいだ…。やっぱり、最初は尾瀬から誘うのが最善の策だな。
こちらの収集パターンはしっかりとケース①だ。頂上に人が常駐するくらい人気の山なのだ。女体山、男体山、両方に人がいる。
ただし、ロープウェイやケーブルカーを使えば、すぐに着く。高尾山同様、ケース②と言えなくもないか…。
6 立山
立山の三つの峰のうち、雄山の頂上では、御朱印を書いて貰える。
多分、夏場だけだろうが、人が常駐しているのだ。3000mを超える山の上に。私が行ったときは神主さんを含め、5人くらいは人がいた。
山小屋バイトと同じように、夏場はずっと頂上で住み込みなのだろうか?それとも1週間交代くらいなのだろうか?意表をついて、室堂から毎日往復登山をしているのだろうか?
頂上で御朱印を頂けるのは嬉しいけれど、いろいろと余計な心配をしてしまった。
こちらは超レアなケース①。頂上まで登らないと頂けない。
7 富士山
富士山の山頂には浅間大社がある。
某大学を受験した時に、「富士山の頂上にある神社の名前を答えよ」という問題があり、当時の私は解答できなかった。(こんな変な設問をする大学は滅多に無い)
そんなのみんな知らないよ、とそのときは思ったのだが、今なら「浅間大社」としっかり解答欄を埋めることができる。
その頃、御朱印集めか、登山かどちらかを趣味にしていればよかったのになあ、と後悔してももう遅い。結果は不合格であった。
ちなみに、「浅間山」が身近なG県民には、「富士山の上に浅間があるっておかしくない?」という、しっくりこない気持ちがどうしても消えない…。
こちらもケース①。山頂で頂ける。
富士山は年間30万人が登る山なので、もちろん人が常駐しているのだ。多分、夏中、山頂にいるのだろう。(途中で交代するのかもしれないが)
富士山の上で暮らすって、なんだか凄い。うらやましい。山小屋バイトってこんな気持ちから始まるのだろうか?
オマケ 稲荷山
伏見稲荷大社の鳥居をくぐりにくぐって、山頂まで行くと頂ける。
(正確には山頂付近の「御膳谷奉拝所」で頂ける)
これも、ケース①といえるだろう。
あれ?ケース①はあまりレアじゃない感じになってしまった。