尾瀬ヶ原~雨ニモマケズ~
梅雨が明けたら山歩きを再開しようと思っていた。
しかし、待てど暮らせど、毎日空はどんよりと厚い雲が覆っている。天気予報によると、梅雨明けは7月いっぱいは無理そうらしい。
もう、こうなったら仕方あるまい。
雨だろうが、もういい。
待ちきれないので、とりあえず、行く。
時期的に尾瀬のアイドル、ニッコウキスゲが咲いている。この時期を逃すわけにはいかないのだ。
昨年は大江湿原のニッコウキスゲが見たくて、福島側の沼山峠から尾瀬沼方面へ行ったが、今年はG県側の鳩待峠からのスタンダードコースで行く。
東電小屋の手前あたりにニッコウキスゲが咲いているらしいので、それが楽しみだ。
それにしても、何度かニッコウキスゲの時期に尾瀬に行っているが、いつも雨に降られている。7月下旬はやはり例年梅雨が明けていないものなのかもしれない。
今回も「どうせカッパ着るから防寒のジャケットとか持ってこなかったよ」「私もジャケットない。でもゲイターはしっかり持ってきたよー」と同行のノムさんと語り合う。もう、雨は覚悟の上だ。
戸倉の駐車場でバスに乗り、なんだかんだで鳩待峠発は9:00頃。
人はまばらである。外出控えに加えてこの天候では当然か。多分、山小屋予約しちゃったしね、という人がほとんどなのだろう。私たちは、雨ニモマケズ日帰りで来ちゃったのだが…。
駐車場でバスを待つ間に、上下カッパ+ザックカバーを装着する。(ノムさんはゲイターも装着)
私は割と面倒がって、下のカッパ(ズボン)をはかないことが多いが、今回はもう完全装備である。だって、今日は完全に雨だから。
覚悟を決めれば、私もやるのである。
鳩待峠から山ノ鼻ビジターセンターまでは森の中である。それなので、木が天然の傘になって雨をあまり感じることなく、快適に進むことができる。
「木はありがたいねえ」
「雨だと緑が濃くていいねえ」
久しぶりの山歩きに、私とノムさんの機嫌は上々だ。
途中、「うぉぅ!巨大ナメちゃん遭遇!!」とノムさんが叫ぶ。
ノムさんの行く木道の上に、枯れた笹の葉のような薄茶色の細長いモノが横たわっている。
なんと、よく見ると巨大なナメちゃん(ナメクジさん)である。
その大きさ、およそ15cmくらい。普段、植木鉢の底とかにひっついているナメちゃんの数倍はある巨大さである。
「ここまで大きいと全然気持ち悪くないねー」
「擬態がうますぎて、誰かに踏まれちゃうよ。早く非難して」
「がんばれナメちゃん、もう少しで木道の端だぞ」
ノムさんと2人で応援するが、ナメちゃんはマイペースでゆっくり進むだけ。
「Good Luck!ナメちゃん。今日は人は少ない。幸運を祈るぜ」
超スローペースのナメちゃんにつきあいきれず、その場を後にした。
山歩き、楽しい。とても楽しい。
10:00 山ノ鼻ビジターセンター到着。
雨は小降りになっていた。まったく降っていないわけではないが「この程度なら、降っていないと私は判断するね」と堂堂と言い切れる程度の小雨だ。
ここから、尾瀬ヶ原を歩き出すと、前方に燧ヶ岳、後方に至仏山がそびえ立つ、最高のロケーションになる。
雨なので、そのあたりの景色は全く期待していなかったのだが、ほとんどやんでいる状態の小雨なので、山がそこそこ姿を見せている。
そして、周りには小さな花があちこちで咲き、湿原を黄色に染めている。
「キンコウカさん、かわいい!」
「アヤメ平じゃなくても、けっこう咲いているんだ!」
やっぱり尾瀬はキレイだ。
もやで薄ぼんやりとした湿原が、キンコウカの黄色でキラキラしている。
この時期にはビッグに生長しまくった水芭蕉や、下界より遙かに巨大な紫のアザミなどが木道のすぐ脇に顔を出している。
さっきのナメちゃんといい、尾瀬はすべてが通常よりビッグな世界なのかもしれない。やはり下界とは違う、異境感がある。
「尾瀬を舞台にした映画とかみたいねえ」
「登山映画がいっぱいあるんだから、尾瀬があってもいいよね。恋愛モノだね」
「都会から逃げてきた歩荷さんが主人公とか?」
「若手のイケメン俳優よね。岡田将●とかどうかな」
「イイね!彼は影があるね!」
尾瀬は平らなので、どんどん歩きながらアホ話がとても弾む。
ちなみに、この日は「ガラスの仮面」の一番好きな舞台についても語り合った。(私とノムさん2人の意見としては、「吸血鬼カーミラ」が高評価。乙部のりえについても語り合った)
10:50 牛首分岐
ここからメイン(?)の道を分かれて、ヨッピ吊橋、東電小屋方面に向かう。
この日は、そもそも人は少なめだったが、ここからのルートはさらに人が少なくなる。
尾瀬の木道は行きと帰りの人用に2本併設されていて、通常は1本を前後に並んで歩くのだが、今日は人がほとんどいないので、ノムさんと並んで、アホ話をしながら歩ける。
「ニッコウキスゲ、ほとんど咲いていないね」
「本当にレアキスゲだね。たまに、1本とか咲いているだけ」
などと話しながら歩いて行くと、突然、ニッコウキスゲの乱舞が目に飛び込んで来た。
「これはすごい!一面キスゲちゃん!」
ニッコウキスゲで周りが黄色の波である。
「ここだったか、キスゲちゃんの群生地!」
「極楽のようだねえ」
G県民に染みついている「上毛かるた」の「せ」は「仙境尾瀬沼 花の原」だ。
仙人がいる。ここは霞を食べる仙人の住む場所だ。
写真を撮りまくっていると、このあたりだけ、柵(電柵?)で囲まれていることに気づく。わかりやすく、柵の向こうはニッコウキスゲがほとんど咲いていない。
尾瀬の関係者の皆さんは口を揃えて「日光から来る鹿がニッコウキスゲを食べちゃうから、ものすごく減ってしまった。鹿害をどうするかが、大問題だ」と言っていたが、なるほど、確かに鹿が入れないようにした場所はニッコウキスゲが咲き乱れるようだ。
ニッコウキスゲに惑わされながら木道をどんどん進むと、柵で囲われたゾーンは終了し、ぱたっとニッコウキスゲは姿を消す。
うーん、鹿さんたち。容赦なく食べ過ぎだ。
12:00 ヨッピ吊橋を過ぎ、東電小屋に到着。
当初の予定では、ここでお昼ごはんにしようと思っていた。
しかし、この時点で小雨だった雨がかなりの本降りに。この雨の中、屋根のない場所でご飯を食べるのは辛い。
東電小屋でご飯が食べられないだろうか、と濡れ鼠の状態で、そっと中をのぞき込んだが(怪しい…)、中では食事ができる様子ではなかった。(宿泊のみのよう)
「屋根の下に入りたいよう」と指をくわえて、暖かそうな小屋内に入れる隙が無いかと目をこらすが、そこには日帰り客の場所はない。
「ノムさん、ここはあきらめよう。食事ができる小屋があると思われる見晴まで行こうじゃないか」
「そうしよう。暖かいモノが食べたいよう」
おやつのチョコレートを食べて空腹を紛らわせ、そそくさと東電小屋を後にする。
お腹空いた…。
12:45 見晴着。
さすが見晴。小屋が沢山あり、食事が出来る小屋もちらほら見える。
しかも、この時点で雨はかなり小降りに。
このくらいの雨なら外でご飯でもいいかな、と思っていたところ、弥四郎小屋の軒下に椅子があったので、そこを利用させてもらいお昼ご飯にする。
今回の私のお昼ご飯はホットケーキであった。
袋をもみもみして種を作って焼くだけ、という例の画期的商品だ。一度やってみたかった。
しかしながら、私は重大なミスを犯した。
肝心要の「油」を忘れたのだ。
結論から言おう。大失敗した。
油をしかないで焼くと、当然のことだが、張り付いてはがれない。そして、どんどん焦げていく。
ひっくり返せないまま、片面だけ焦げ付く…。
味は悪くなかったけど。(負け惜しみ)
次回、油を持参して、再度挑戦することを誓う。給食で良く出たマーガリンの個パックとかがあるとベストだろう。
ちょっと悲しい。
お昼をゆっくり食べて、14:00に見晴発。
相変わらず人は少ない。ちらほらやってくる人たちはみんな山小屋泊(またはテント)なのだろう。
「本当に毎回思うけど、どうしていつも周りに人がいなくなっちゃうのかな?」
「2時くらいには山を下りてないといけない、と言われているらしいけどねえ」
「最終バスの時間はおさえてるから大丈夫だよ。間に合わなかったことないもんね」
妙な自信が私たちにはある。
雨はほとんど上がり、木道をちょろちょろ歩くセキレイ(?)一家をのほほんと追いかけながら、鳩待峠を目指す。
14:40 竜宮(小屋は開いていない)
15:15 牛首
ここでようやく「あとどのくらいかかるか時間をみておく?」と地図を広げる。
そして、ようやく自分たちが置かれた状況に気づくことになる。
「ノムさん…。ここから山ノ鼻までが40分。山ノ鼻から鳩待までが一時間半らしい」
「バスの最終は17:20だ。あれ?間に合わないのでは…?」
「鳩待へのラストスパートは登りだ…。ちょっと危険かもしれない…」
また最後の人になっちゃったかもしれない。それも、バスに間に合わない人に。
でも、何故か「大丈夫、間に合うよ。いつも間に合うもん」とこの期に及んで強気の私たち。
16:00 山ノ鼻
いつもなら、ここで休憩を入れるところだが、さすがに危機感があるので、そのまま通過し、鳩待を目指す。
少々ペースを上げているのと、雨が止んで気温が上がってきたせいなのか、だんだん暑くなってくる。
しかも、随所に階段などが登場し、登りのキツさから、額から汗が次々と流れる。
「キツいけど、脂肪が燃焼している気がする」
「今日、痩せたかな」
「痩せたに決まってるじゃないか」
ポジティブだ。ポジティブに考えると、なにもかもが楽しい。
鳩待峠への道は、あちこちに「鳩待峠 ●●●m」との標識があり(10m単位で刻んでくる)ある程度、時間が読める。
残り1kmくらいになった段階で「これは行ける。余裕や」とわかり、それまで無言で黙々と歩いていた私たちも再びおしゃべりを始める。
「やっぱり、間に合うじゃないか。やれば出来る子だ!」
「間に合わない人が出ないように、地図のコースタイムはサバよんでるね、多分」
最後の石段登りを「他の山に比べれば、こんなのナンボのもんじゃい!」と気合いで登り切り鳩待峠着。16:45であった。
30分近く余裕を持って到着できた。
「やったー。なんだかんだで余裕があるじゃないの」
花豆ソフトクリームを食べる余裕まであった。花豆ソフト、美味。
久しぶりの山歩きで、とにかく楽しい1日だった。朝から晩まで満喫出来て最高。
尾瀬なので、雨でも無問題。結局1日降ったり止んだりだったが、人が少なくて、かえって良かったかも。
これから徐々に登山に行こうと思っているが、テント泊とかもいいよなー、などと新たな野望をノムさんと語りあっている。
尾瀬でテン泊もいい。
今年中に尾瀬にはもう一度くらいは行きたい。何度行っても楽しい場所だ、尾瀬は。
<コースタイム>
8:30戸倉第一駐車場…9:00鳩待峠…10:00山ノ鼻ビジターセンター…10:50牛首…12:00東電小屋…12:45見晴(食事1'15)…14:00見晴発…14:40竜宮…15:15牛首…16:00山ノ鼻ビジターセンター16:45鳩待峠
旅館のビニール巾着~山の持ち物 その1~
そろそろ山に行きたい、とは思っているが、季節は梅雨ど真ん中である。
去年は立山で雨風にさらされていたな、なんて懐かしく思い出すが、今年は梅雨明けまでもう少し様子見をしている。
とりあえず、今は山の持ち物でも見直してみようと思い立ち、うきうきと雑誌を見たりしていたところ、ふと、ものすごく欲しいと思っていたものがあったことを思い出した。
温泉旅館のビニール巾着である。
私は山に行くとき、荷物の小分け袋として、このビニール巾着を愛用しているのだ。
私にとってのスタッフサックだ。
柔らかくて丈夫。ビニールなので、もちろん水気にも強い。しかも、ビニール特有のがさがさ音は少なく、Tシャツとかを入れて、ぎゅーっと押しつければそのまま抵抗なく小さく収まる。
色も豊富なので、白は着替え、赤は防寒用の上着、黄色は行動食、などと見た目で中身がわかるようにできたりもする。
スバラシイ。見た目とかさえ気にしなければ、パーフェクトと言ってもいいのではないか?正にパッキングのためにあるような袋である。
私は普段、パッキングは得意だ、とうそぶいているが、それはこのビニール巾着があるからこそなのだ。
しかしである。
ここ最近、温泉旅館でこのビニール巾着を見かけなくなってしまったのだ。
一時期はどこの温泉旅館に泊っても、浴衣の横にそっと奥ゆかしく、このビニール巾着とタオルと歯ブラシはセットで添えられていた。
温泉のお供として、主にタオルを収納するために添えられたビニール巾着は、長いこと日本の温泉旅館の定番であった。私は、どうして、どこでも同じ袋なんだろう、とまで思っていた。
それなのに、ここ最近は主に手提げ式の袋に主役を取って変わられてしまったのだ。
温泉旅館に行くたびに、今回はどうだろう、と期待して乱れ箱(浴衣を入れておく箱)を見るが、去年くらいから全くビニール巾着には出会えていない。
無くしてわかる、そのありがたみ。
確かに、お風呂に行くときにタオル他を入れて歩くには、手提げタイプの方が便利だ…。逆になんで、長いことその事実に気づかすに、巾着タイプを提供し続けた来たのだ、日本の温泉旅館よ。
温泉旅館の客としてはわかる、もしくはありがたい改革なのだが、私にとっては改悪以外の何者でもない。
愛用のビニール巾着の入手経路を絶たれるという、緊急事態。
今はまだいい。過去にためたビニール巾着があるので、それが使える。
しかし、写真を見てもわかるように、何回も使い込んでいるので、結構くたびれてきているのだ。そのうち、穴があいたり、端っこが破れてきたりするものも出てくるだろう。
そうしたら、頑張って欲しい気持ちはあるが、現役を退いて貰うしかない。それなのに、その穴を埋める若手が全くいないのだ。
これはゆゆしき事態である。
どうにかして、ビニール巾着の若手を入手しなければならない。
多分、パッケージプラザとかの店には売っている。
ついでに、先日メルカリで検索してみたところ、結構売られている。(意外と買う人はいるらしい)
その気になれば、簡単に入手は可能である。
でも、どうしても、以前は無料で入手していたのにー、という気持ちが邪魔をして、購入する気持ちになれないのだ。現に今は足りているし。
さらに、どうせお金出すなら、ちゃんとしたスタッフサック買えばいいんじゃないの?という声も、頭のどこかから聞こえてくる。
ううむ。気づいた時に行動(購入)した方がいいような気もするし、これを期に、新しい道(立派なスタッフサック)を歩き出した方がいいような気もするし…。
迷う。とても迷っている。
とりあえず、まだビニール巾着を提供してくれている温泉旅館はきっとあると信じて、旅館で探し続けたいと思う。
ちなみに、友人に何度かこのビニール巾着のハイスペックさを力説してみたが、共感してくれる人はいなかった…。
見た目がイマイチなところが良くないのだろうか?スーパーの袋的なチープさが良くないのだろうか…?
お洒落でない。これは間違いない。でも、ものすごく出来るヤツなのだ。
最後に、こんな私だが、下山後のお風呂セットは購入したスタッフサックを使っている。(コールマン製品)
見た目以上にぎゅっと沢山のものが入って、丈夫で便利だ。さすがに高性能である。
このスタッフサックの中に、着替えを入れたビニール巾着をさらに入れる。これが私の定番だ。
ここでも、ビニール巾着は無くてはならない存在だ。
私、ビニール巾着に頼り切ってる…。
やっぱり、買い足しておくべきなのかも。
ついでに 一応付け加えるが、温泉旅館のビニール巾着以外に、無印良品のたためる巾着袋も実は愛用している。
オマケ
温泉セットに入れている手ぬぐい。
ぐんまちゃんは素直だから、G県民の胸に秘めた思いをストレートに声に出せるのだ。
G県の中村染物工場の商品。見つけた瞬間、即買い。
「凍」沢木耕太郎
日本には、山岳小説というジャンルがある。
唯川恵「純子のてっぺん」の解説を読んでいて、そういえばそうだったな、と気がついた。
私は長々と読書を趣味にしていて、さらに数年前から山にも時々登りに行っているが、山岳小説は一切読んでいない。
山岳小説の代表とされている新田次郎作品すらも全く読んでいない。
それは、本当に山登りを始めるまで、登山に興味がなかった(というより、むしろ嫌いだった)からなのだが、一作だけ読んだことがある。
それは、沢木耕太郎「凍」だ。
「凍」は山野井康史と山野井妙子(夫妻)によるヒマラヤのギャチュンカン北壁ルートでの登攀の様子を描いたノンフィクションだ。
私はもともとは、ノンフィクションはあまり読まない。どちらかというと、フィクションの方が好きである。
全く興味がないジャンル(山岳小説)に加えて、ノンフィクション、というダブルパンチにも関わらず、この本を読むことにしたのは、ひとえに作者が沢木耕太郎だったから、という理由だけであるが、沢木耕太郎の筆力は折り紙付きなので面白く読める確信があった。
果たして、読んでみれば、異様なまでの迫力に圧倒されてぐいぐい読み進め、読後は「すごい世界があるもんだ」と妙な敗北感を感じたのだった。
そのおかげで、これ以後数年間、山岳小説にまったく手を出すことはなかった。
沢木耕太郎の描く登山の世界があまりにも過酷だったので、恐ろしくなった私はうっかり敬遠してしまったのだ。
山登りを始めた最近は、ようやく少し読んでいるが、もっと早く読んでおけばよかった、と後悔することしきりである。
沢木耕太郎が筆力がありすぎるのが悪い…と思わなくもないが、選ぶのは自分である。恨むなら自分の小心さを恨むべきであろう。
「凍」で描かれるヒマラヤ登山の世界は、私がいつも楽しく登っている山登りの世界とは全くの別物だ。
そもそもギャチュンカンの標高は7952m。
富士山よりさらに3200mも高い。富士山二つ分くらいの高さである。(それでも8000mに届かないため、登る人は少ないとか)
日本一が二つ!!もう、日本人の私には想像すらできないような高さだ。
そんな高所にもかかわらず、山野井夫妻は酸素を使わず、シェルパもつけない。(アルパインスタイル)
富士山ですら、酸素は持って行った方がいいと言われているのに、その2つ分の山で酸素無し。それも、日帰りですむような距離ではなく、アタックに4泊5日かかる計画なのだ。
せめて富士山用の酸素くらい持って行った方がいいんじゃ…などと、読みながら余計な心配をしてしまう。そんなものあっても、焼け石に水なのだろうが。
さらに、その頂上にいたるアタックルートは2000m近い壁登りのクライミングだ。壁の途中でビバークしつつ頂上を目指す。
2000m壁を登るってどういうことなのだろうか…。私の大好きな谷川岳は1977mだが、ほぼ谷川岳分をずっと登るということか。
なんかもう、スケールが大きすぎてよくわからない。よくわからないが、壁というからには、登っている間中、ちょっと足を滑らせたりすると、一気に滑落する危険な場所であるということはわかる。
そんな登攀の下降時は、危険で過酷な状況が次から次へと降りかかってくる。
下降中にテントを張る場所も確保できず、わずか10cm程度の岩棚に腰掛けてのビバーク。
雪崩に巻き込まれ、ロープを2本渡したブランコに腰を下ろした状態でのビバーク。
空気の薄い高所に長くいたことにより、目が見えなくなった状況での下降。
極限状態での救助隊の幻影。
登山って恐ろしい。
山は危険だ。登山は命を落とすこともある場所だ。山をなめてはいけない。
そう言われているのは最もである。
読みながら、緊張のあまり奥歯をかみしめる。怖い。とにかく怖い。
ページをめくる手は止らないが、ずっと「マジ!?これはヤバいよ!」と貧相な語彙力の警報が頭を駆け巡っている。
しかし、そんな恐ろしい状況の下降の状況よりも、激しい衝撃を受けたのは、凍傷により指を切断することになったにもかかわらず(康史さんは手の指5本、右足の指5本全部。妙子さんは両方全部の指)、また山に登り出していく、という終盤だ。
登山にまったく興味の無かった当時の私は思った。
そんな状態になっても懲りないのか。普通、もう、やめるだろうに。というか、やめた方がいいよ。
登山とはなんと業の深い、恐ろしい世界なのだろうか。
命を危険にさらすような場所に、自ら率先して、高いお金を掛けて行くのだ。
憑かれたように山を目指す登山家は自分の理解が及ばない、まったく違う世界に住んでいる。
私は絶対にこの世界には足を踏み入れないようにしよう。というより、踏み入れたくない。
その数年後、その恐怖心が薄れた頃に、ぬるっと山登りの世界に片脚を突っ込んでしまい、たまに山岳小説も読むようになった今、久しぶりに「凍」を読み返してみた。
やっぱり恐ろしい。
「すごいな。私もいつかやってみたいな」とは決して思わない。
壁登りは私には遠い世界だ。
谷川岳で上るルートは天神平からで、決して一の倉沢には行かない。
でも、たとえ凍傷で指を失ったとしても、「また山に登ろう」と思う気持ちは理解できるようになったかもしれない。
頂上に立った時の景色と達成感をもう味わえないと思うと、寂しくて仕方がないだろう、と私も思うのだ。
作中で山野井夫妻は言っている。
「無理かな」「無理だよね」
でも、無理かもしれないけれど、もう一度山に行きたい。
登山中毒と言えるかもしれない、その欲望は、私も理解できるようになってしまった。
もしかすると、また数年経つと、恐ろしいから絶対にやらない、と思っているクライミングに挑戦しているのかもしれない。
その時「凍」を再度読み返したら、また違う感想を持つのだろう。
そんな日は来ない、と今は思っているのだが…。
大野山~某アイドル聖地(?)で富士山を~
冬は空気が澄んでいるので、景色がよく見える季節だ。
この季節を逃さず、富士山が綺麗に見える低山を登りたい、という気持ちで手頃な山を探していたところ、「大野山」という名前に目がとまった。
確か、山の相棒ノムさんは、某アイドルの中ではリーダーである大●氏が一番好きだと言っていた。
さらにルート図を見ていたところ「嵐橋」「嵐集落」などという文字が目に飛び込んで来た。
これは…!!某アイドルの聖地なのではないか!?
あわててノムさんに連絡したところ、「行くしかないじゃないか!」と即答される。間髪を入れずとはこのことだ。髪の毛一本の隙間も無いほど早かった。
多分、某アイドルのファンで、且つ登山が趣味の方には、(僅少…?)ものすごく有名な山に違いない。いい山を見つけた!これが噂に聞く、聖地巡礼だ。←ちょっと違う?
大野山は丹沢山系に属している。
丹沢山系はガイドブックなどでは「アクセスが良い」などと書かれていることが多いが、それはあくまで大都会(東京)からのアクセスであって、北関東からは大都会を経由していく場所なので、かなり遠い。
そのため、塔ノ岳とか大山とかが人気があることは知っていたが、丹沢はずっとノーマークだった。
しかし、グーグル先生に聞いてみたところ、圏央道を使えば意外とG県東部からは時間がかからず、だいたい2時間で到着するらしいのだ。
2時間なら尾瀬(県内)に行くより近いではないか!
ごめんなさい、登山ガイドブック!今まで「所詮、大都会中心なんだよね。ブ●ータス、おまえもか、って感じだよ。けっ」とけなしていたが、北関東からもアクセスけっこういいみたい。
これからは、丹沢も守備範囲だ。ありがとう、某アイドル。私の守備範囲を広げてくれて!
意外と近いことが判明したので、午前6:00にG県東部を出発。ゆっくりめの出発でも大丈夫だ。
飛んで県の高速を走っていると、目の前に雪をかぶった山がどーんと現れる。
「あ、富士山だね」とノムさんが言ったが「えっ、富士山がこんな大きいわけ無いじゃん。浅間だよ」と返す私。
いや待て私。G県で見る浅間よりも遙かに大きいぞ!ここは飛んで県だ。浅間の訳が無い。
「ということは富士山かーー!!」
こんなに富士山が大きく見えるとは!飛んで県民、うらやましい。
私はG県民が染みついているので、富士山っぽい山は浅間山、とすぐに判断してしまうが、ホンモノの富士山であった。
都会の街の上に富士山が鎮座する風景は、かなりの違和感だ。
さらに、登山口に近づくと、雪の全く無い山の合間から、真っ白な富士山がぬぅっと顔を出している。
なんか、ダイダラボッチ感がある。大入道が山から顔を出している感じだ。
子どもの頃に読んだ「ぐりとぐらのかいすいよく」で海に現れる「うみぼうず」も何となく思い出した。おおきい人だった、確か。
このあたりに住んでいる人は、この風景の中で生活しているので、違和感なんて感じないんだろうな。
それどころか、故郷を離れて暮らしていた人が、ぬぅっと顔を出す富士山を見ると「帰ってきた」と感じたりするのだろう。「ふるさとの山」が富士山なんてうらやましい。
8:30過ぎに山北駅に到着。
事前に調べておいた「さくらの湯」の駐車場に車を置かせて貰う。
ここから電車で一駅隣の谷峨駅に向かい、大野山経由で山北駅に戻ってくる周遊コースだ。
だいたい9:00 山北駅から電車に乗って驚く。
車内にはこれから登山するぞ、という気合いに満ちた格好の人々が大勢いたからだ。
大野山って、結構メジャーな山だったのか!
私は今回偶然見つけただけで、まったく知らなかったので、地元の人がハイキングで登る山だと思っていた。
違ったみたい。
私がど田舎北関東民なだけで、大都会民には知られた山だったらしい。丹沢はノーマークだったから、知らなかったんさねー。(G県方言)
しかし、まわりの登山スタイルの大都会民(推定)を見ていると、どうも女性比率が高い気がする。
これはやはり…。某アイドルの聖地なのではないか?
「ノムさん、やはり某アイドルファンには知れ渡っている山なのではないかい?」
「うむ。もしや、嵐集落に住まう人々なのかもしれん」
「その集落、ファンが住む集落なの!?」
くだらないことを言っていると、電車はすぐに谷峨駅に到着。
無人駅であったが、駅前はこれから大野山に登るであろう人たちで混雑していた。
駅から大野山を目指して舗装路を歩くと、すぐに吊り橋が現れる。
その名も「嵐橋」!
だから何だ、ということはないが、何かトキメキを感じる。
多分、彼らがデビューするずっと前から、この名前でここにあったのだろう。まさか、今、私たちにきゃーきゃー喜ばれることになるとは思ってなかっただろうなあ…。
嵐橋を渡り、舗装された山道をてくてく登っていくと、嵐集落があり、その脇の細い道からが舗装されていない山道になる。
普通の山間の小さな集落であった。もちろんファンが住まう集落では無い。
百人一首に「嵐吹く 三室の山の紅葉場は 竜田の川の 錦なりけり」という歌があるが、このあたりも紅葉がきっと綺麗なのだろう。
いや、名前からすると、本来は風の強い地域なのかもしれない。
同じく百人一首に「吹くからに 秋の草木のしおるれば むべ山風を 嵐というらん」という歌もある。(ちなみにこの歌は「ふ」の一字決まり)
この日は風のない、穏やかな登山日和であったが。
道はひたすら地味な上り坂だが、ずっとダイダラボッチ富士山がはっきりと見えている。
歩き続け、だんだんと高度があがると、富士山の裾野が見えてくる。
「裾野は長し 富士山!赤城みたいだね!」
G県民が染みついている私は、日本一の山に対して大変失礼な発言をする。
単独峰の綺麗な裾野が見えてくると、富士山のダイダラボッチ感が薄れてきて、「キレイだよー。ほんと最高だよー」とカメラマンのような発言をして、写真を撮りまくった。
カメラの腕がまるでナッシングの私でも、絵はがきのような写真が撮れる。
しかし、人間の目ほど、高性能のレンズは無い。
「どうして、この目で見た大迫力の感動が、写真にするとこぢんまりとなっちゃうの!?」
それを表現できるのがプロなのか…。
プロが撮ると、実物よりも良いことが多々あるものなあ…。それで、温泉宿を決めるときに何度だまされたか…。
スカイツリーと同じ634m付近を通過してほどなく、11:00ころ、休憩所に到着。
ここからは山頂に向けて回り込んでいく道になるが、「さあ、富士山を見てくださいよ!」と言わんばかりの富士山ロードである。
ずっと、最高の見晴らしだ。
大野山という私を滅して、ひたすら富士山を立てるという、どこか太鼓持ち、いや、ジャ●ーズジュ●アのような山である。
大スターの先輩を立てる。いい山だ。
さらにである。
富士山に夢中になっていて、しばらく気づかなかったが、斜め反対方向(南側)に目を向けると、なんと、海も見えるのである。(相模湾?)
「う、海だーー!!」
海なし県民の習性として、海を見つけたら、必ず声を出して周囲に知らせる。
「すごいね、大野山!富士山も海も見えるなんて!一度で二度おいしい!二兎追う者が二兎とも得るだよ!」
ノムさんと私は大興奮である。
実力ある。大野山。さすがである。
休憩所から、富士山を共にてくてく歩く。
頂上に着きそうで着かない。
「もー、焦らし上手だなあ」
なんて言っていても、歩いていれば、頂上には着く。
11:15 大野山頂上到着。723m。
子羊のチェーンソーアートがお出迎えをしてくれた。この山はチェーンソーアートも一つの見所らしい。登山道のあちこちにある。
頂上は広い草地になっていて、ベンチ等もいくつかあり、シートを広げた家族連れや10人弱のグループなどの食事で賑わっていた。
電車の中では女性率高い、と思っていたが、別にそういうわけではなかったようだ…。おかしい、あの女性グループ達はどこへ行ってしまったのだ?
実はこの山はすぐ近く(一本木分岐)まで車で上ってこられるのだ。
ほんの少しだけ歩いて、富士山を見ながらランチ、などという贅沢ピクニックも可能な山である。家族連れはそのパターンかもしれない。
私たちもここで昼食休憩。
今回の私は基本に立ち返ってチ●ンラーメンにしてみた。くぼみに卵を落とすことも忘れない。
今回、このために卵ケース(2個タイプ)を新たに投入した。
ラーメンをすすりながら、東側に目を向けると、三保ダムが見えた。
この山の底力は本当にすごい。
富士山も、海も、ダムも見えるのだ。
空は文句のつけようもない青空。
雨でも楽しいとか、苦労して登るとより頂上の達成感があるとか、もちろんそれは間違いじゃないけれど、やっぱり、天気が良いときの登山が最高だ。
ここのところ、ノムさんとの登山は天気が今一つだったので、久しぶりの快晴に感無量である。お互いに無言でうなずき、感動を伝え合う。グッジョブ、大野山。
12:30 ゆっくりめのお昼休憩を終え、下山開始。
下山ルートではもう富士山は見えない。さよなら富士山。また会う日まで。
駐車場のある一本木分岐の先の牧場を過ぎると、放牧地(電柵あり)脇の階段をひたすら下る。本当にひたすら…。
途中、登りの人とすれ違ったが「これはキツい…」と息を切らせていた。確かに、この階段上りはキツい。
ずっと登ってきて、疲れた体にむち打つトドメの長階段…。キツすぎる。しかも、日当たり良好だ。夏場はさらにキツいだろう。
こっちのルートから登る選択をしなくてよかった。次来ることがあっても、今回と同じルートにしよう。
長い階段を過ぎると、樹林帯の中の山道をひたすら下る。ずっとずっと下りである。
登りだったら、この道もけっこうキツいだろうなあ…。
13:30頃 山道を終了し、舗装路に出る。
案内看板によると、ここから駅まで約50分とのこと。結構長い。
炭焼き小屋や廃校になった小学校を通り、集落内の車も通れないような細くて急な坂道をどんどん下ると、大きな車道に到着。
そこからは通常の道路を駅までひたすら歩く。
駅の手前は単線の線路に桜並木、という春には鉄っちゃん垂涎の光景が見られそうな道であった。
案内看板とチェーンソーアートがあちこちに設置してあるので、地図が苦手(控えめな表現)な私たちでも迷わず到着できる。
長めの街歩きはけっこう辛いかな、と思っていたが、割と楽しく歩けた。知らない街を歩くと、当たり前のことなのだが「ここで普通に生活している人がいるんだな」と実感する。
山間の集落で暮らしている子どもは足腰強くなるだろうな。箱根駅伝の5区を走る人たちは、こういうところ出身なのかもしれない。
14:30 スタート地点である山北駅に到着。
700m程度の山なので、楽ちんな低山、だと思っていたが、ずっと地味な登りなので結構疲れた…。
スタート地点が低いから、標高差は結構あるのだ。(約600m)
筑波山登った時に学んだはずだったのに…。すぐに忘れる鳥頭。
でも、ずっと快晴で、楽しい山登りであった。富士山最高。
そして、今年は某アイドル、ひとまずのラストイヤー。
多分、沢山のファンがこの山を登るのではないだろうか。どうなのかしら?ファンの間の知名度は?結局聖地なのかはよくわからなかった…。
<コースタイム>
8:30山北駅…9:00谷峨駅…9:15嵐橋…10:50 634m地点…11:00休憩所…11:15山頂…(お昼休憩)…12:30下山開始…13:30炭焼き小屋…14:30山北駅
桐生 茶臼山〜秘境の石切場探検〜
冬になり、低山登りの季節がやってきた。
年明け最初の登山先に選んだのはG県東部にある茶臼山だ。桐生市と太田市にまたがる294mの低山である。
同じ名前の山は多いが、茶臼に形が似ている山を茶臼山と名付けることが多いためらしい。
…茶臼ってどんなもの?
石臼とは違うのだろうか?現代っ子の私にはイマイチピンとこないが、かつての日本では皆がすぐに形を思い浮かべられる身近な道具だったのだろう。
気になってネットで調べてみたが、「富士山のような末広がり型の山」を差すとのこと。説明文と一緒に茶臼の写真も添えられていたが、どうみても、円筒形の石臼であった。末広がり型…??イマイチ納得できないが、これはそういうものだ、と知識として覚えておくこととする。
さて、G県桐生市の茶臼山であるが、地元の小学生のハイキングコースになっており、お手軽簡単に登れる山だ。
というのも、今回のメンバーであるジェイ氏はキャンパーではあるが、登山はほぼ未体験。登りに対する不安を激しく訴えられたので「小学生が登る山だから!大丈夫だから!」と言い聞かせられる山を選択したのだ。
コースはいろいろあるようだが、一番メジャーだと思われる東毛青少年自然の家から登るコースを選択した。
上毛新聞社「ぐんま百名山」によると、ぐるっと周遊できて、2時間10分くらいだそうだ。丁度いい。
10:00 東毛青少年自然の家の駐車場に集合。
まさかの小雪舞い散る空模様である。たとえ悪天候でも、私は登る。登るが…天候不良は悔しい。
空を見上げて「雪止まないかな~」とつぶやいていたところ、ジェイ氏が到着。
車から降りてきたジェイ氏は妙な笑顔を浮かべて「やっちまいました…」といきなり懺悔した。
「靴が…ク●ックスで来ちまいました…。玄関までは持ってたんだけど、車に乗せるのを忘れた…」
なんと、ジェイ氏は靴を忘れたという。足元はサンダルだ。
確か富士山でも同じ足元の人を見たので、茶臼山くらいなら登れるだろうけど…
「ジェイ氏、やっちまったね…」との私のセリフに「でも、これは持って来た!」と、ごそごそとT型ストックを取り出して来た。「どうだ!」と言わんばかりに、私の目の前に突きつけてくる。
登山初心者のくせにイイモノ持ってるじゃないか。
ストックがあればク●ックスでも大丈夫だ、多分。
何故か、1人だけサンダル履きで登らせるのは申し訳ない、という心境になり、私とでんさん(もう一人のメンバー)もスニーカーで登ることにする。
コ●バースで登るの、すごく久しぶりだ。登山ぺーぺー時代にはよく登っていた。懐かしい気持ちに、少しテンションが上がる。
なんだかんだで10:30登山開始。
「ぐんま百名山」に紹介されていた周遊コースの「三本松コース」で登ろうと思っていたが、ク●ックス問題が発生したので、駐車場に張られていたコース案内のうち、最も簡単だとされてた「鎖場コース」で登ることにする。
最も簡単なのに、鎖場…。
何か矛盾したネーミングに首を捻りつつ歩き出すと、すぐに疑問は氷解した。
崖に鎖が3本ほど垂らされており、アスレチック的に登ることが出来るようになってる。もちろん、ここを登らなくても道はある。子どもの練習用?に設置されているようだ。
鎖場コースは最も簡単と言うだけあり、それほど急な登りは無い。
雪も止み、穏やかに会話をしながら頂上を目指した。
ク●ックスのジェイ氏も「これなら大丈夫。山歩き、楽しいじゃないか」とご満悦だ。
でんさんは「ジェイ氏、この山が大丈夫なら、高い山も大丈夫だよ。高い山はロープウェイで一気に標高を稼ぐだけで、この山とほとんど同じだから」と言葉巧みに誘惑している。でんさん、やり手だ。
周りは寒いが、歩いているので体はほかほかだ。
11:15 茶臼山山頂到着。
茶臼山の頂上には電波塔がどーんとそびえている。赤城山の地蔵岳みたいだ。(地蔵の方が大規模)
晴れれば眺望良好らしいが、この日はあいにくのどんより天気。目の前にそびえているであろう赤城山すらほとんど窺えなかった。残念無念、涙が出ちゃう。
しかし、下界は割とよく見える。低山はここがイイ。雲の中の真っ白地獄で何も見えなくなる高い山とは違う。
「あそこ、競艇場かなあ」「車が結構走ってる」などと、しばらく下界を見下ろして楽しむ。この時、何故か私の頭にはド●フの雷様たちが浮かんできていた。彼らが雲の上にいたからだろうな、多分。
頂上から少しだけ下った場所にある四阿で昼食にする。
人が全くいないので、私たちで占領だ。
実は、今回の登山のメインテーマは「山頂でお餅を食べよう!」であった。
お正月の余ったお餅を山の上で食べる。我ながら、なんてナイスな企画なんだろう。自画自賛だ。
「ふっふっふっ、餅レシピをクックパッドで検索してきたぜ!」
「実は、正月には餅つき機でついた。自家製なので、おいしいはずだ」
などと思い思いにザックから切り餅を出す私たち。やる気にあふれている。
調理中、四阿の外を見ると、また雪が激しく降っている。
「こ…こなーゆきー ねえ るるるるるるる~」と歌い出す私。後半の歌詞はよくわからない。
お餅調理に夢中の2人は、私をほどよく放っておいてくれた…。
私の歌声だけが、灰色の空に消えていく。
寒い…。何か、外の温度と心の温度が相まって、いっそう寒さが身に染みる。
あんこをクッカーで煮て、焼いたお餅を投入する。あっという間にお汁粉が完成した。
ほかほかのお汁粉を一口すすると「あったまるー」と思わずつぶやいてしまう。冷えた心に染み渡る。
ちらちら舞う雪を眺めながら、ぬくぬくとお汁粉をいただく。まるで、こたつで雪見だ●ふく、の様な贅沢感だ。
ジェイ氏とでんさんも、それぞれ「餅は何でも合う!」「ご飯に合うものは全部いけるね」と、満足げに出来上がったお餅料理を食している。
お互いに交換していろいろ食べたが、お餅にたらこスパソースをかけたもの(仮に「たらこもち」とでも命名しよう)が、簡単お手軽でかなりおいしかった。でんさん制作。
12:30 充実のお昼ご飯タイムを終了して、下山を開始する。雪は止んだ。
下山ではあるが、ただ下るのでは無く、ぐるっと大回りの周遊コースを取って下る。
この周遊コースの終盤にある「石切場」が割と面白そうなのだ。
上毛新聞社「ぐんま百名山」によると「西洋の神殿か古代遺跡を思わせるような」と記載されている。
「まあ、よくある城跡の礎石程度のものかもしれないので、あまり期待しないでおこう」
「そうね。G県東部に住んでるけど、ここに古代遺跡みたいなものがあるなんて、聞いたことないしね」
東部の住民である私もでんさんも聞いたことがないので、やはり、たいしたことないのかもしれない。
行きと同じルートをだいたい庚申塔までたどり、ここから周遊ルートに入る。
そのまま稜線(?)を籾山峠方面へ南下し、石尊宮から下りに入る。
13:00 石尊宮を右折すると、下りの山道は落ち葉に覆われていて、とにかく滑る。しかも、踏み跡があまり無く、道がわかりづらい。
「こんな道なのに、コ●バース!ジェイ氏、ク●ックスで大丈夫!?」
「ストックさん、ありがとう!大丈夫だ」
「この道であってるのかしら?こっち方面の道、人、全然来てないね!」
「ピンクちゃん(登山ルートを示すピンクリボンのこと)がないから、ものすごく不安!」
大声で叫びあいながら、山道を下る。
13:15 この道の選択は失敗だったか!と後悔し始めたあたりで、視界が開け、どーんとコンクリの建造物が姿を現す。
「何だ、あれ!?」
「ダム??ダムだよねえ?ダムカード、ないかな?」
どうやら、砂防ダムのようである。
今日のメンバーはダム好きでもあるので、ちょっとテンションがあがる。ちなみにこの砂防ダムにはダムカードはない。多分。
地図によると、この先は舗装道路を少し歩き、また山道に入るとなっている。
しかし、砂防ダムの脇に、山へ登る道があるのを発見。
「こっちの道かな?」「でも、地図だと違うような…?」
よくわからなかったので、とりあえず少し山道を登ってみることにした。間違ったルートだったら、すぐに戻ればいい。
道を行くと、ルートをそれた脇の木に青いテープがつけられているのを見つける。
「あれ?あっちに行くのかな?」とジェイ氏が道をそれ、確認に行くと、すぐに大声をあげた。
「こ、これは…!!すぐに来て!!」
何だ、何だと、向かった先で見たものに、私とでんさんは「すごい!」と大興奮で叫んでしまった。
まさに、古代遺跡であった。
道の先にぽっかりと口を開けた岩の隙間には、巨大な石切場跡が広がっていた。
当時、平らに切り取られた石壁は少し崩れ、植物だけが絡まっていて、失われた文明の雰囲気を醸し出している。
白い石壁が、日本では無い国のようで「ここはラ●ュタなの?」とついつい口走ってしまう。
まさか、こんなところで古代遺跡に出会うとは!
青テープをたどり、道なき道をかき分けて進むと(落ち葉だらけで道がわかりにくかったので)、さらに数カ所、石切場を覗き込める場所がある。
ここに来て、気分が登山から、秘境探検へと一気に切り替わってしまった。
「隊長!切り通しのツタを抜けた先に、第2の石切場を発見しました!」
「よし、安全を確保して進もう!」
石切場を大興奮でさまようこと30分。堪能し尽くして、砂防ダム脇の道へ戻る。
改めて地図をよく見てみると、「石切場」は地図上、2カ所あり、うち一カ所の石切場Aへの道は破線になっている。
どうやら、この石切場Aをさまよっていたらしい。
まったく何も考えていなかったが、石切場Aにたどり着けたのは本当に幸運だった。
「もしかすると、これは偶然じゃ無いとたどりつけない場所なのかもよ。行こうと思うと絶対に元来た道に戻ってしまうような不思議な場所…」とでんさん。
さすが読書家のでんさん。すばらしい発言だ!
うさぎを追いかけるアリスとか、猫に案内されて店にたどり着く波津彬子さんの世界みたい。私はいくつになっても夢見がち。でんさんも同士だ。
13:50 砂防ダムの先の舗装路を少し歩いた後、案内看板にそって、再び山道に入る、本来のルートに戻る。
14:10 「石切場跡」の看板が現れた。こちらの道の先には、石切場Bがあるらしい。もちろん石切場Bへ行ってみる。
こちらもすごい。
ぽっかり空いた岩の隙間から覗く石切場Aとは異なり、石切場Bはその中まで入っていける。
切り取られた巨大な石の空間で上を見上げて「うへー」と唸ることもできるのだ。
しっかりと見学できるように整備されている印象だ。小学生がハイキングの途中に見学したりするのかもしれない。
こちらの石切場Bしか見なかったのであれば、これでも十分満足だ。西洋の神殿のようで圧倒される。しかし、石切場Aを探検してしまった私たちには、若干物足りない。
行くなら秘境感あふれる石切場Aの方が楽しい。
この感動をバネに、これから石切場Aの広報に努めよう、と3人の意見は一致した。
しかし、石切場Aの楽しさは、整備されていないところにある。
沢山の人が行くようになって、きっちり見学ルートが作られたりしたら魅力が半減してしまうかもしれない…。密かに広報することにする。このブログはその第一歩だ。
ちなみに、この石切場は「薮塚石」を切り出していた場所だそうだ。
藪塚石は、かまどの石等として広く流通したようだが、「水に弱い」という決定的な弱点を持ち、現在では廃れてしまったとのことである。
水に弱けりゃダメだよな…。
石切場Bから、集合場所である東毛青少年自然の家まではすぐである。
14:20 滝の入神社に到着し、周遊ルートはほぼ完了。
14:30 てくてく道路を歩き、東毛青少年自然の家駐車場に到着。
当初の予想を裏切る楽しさがあり、充実した一日であった。茶臼山、スバラシイ。
ジェイ氏も「最高だった。登山、これからも行く」と力強く宣言してくれた。しめしめ。登山要員を一人確保だ。
今回、唯一の反省点はコ●バースで登ってしまったことだろうか…。
やはり、トレッキングシューズの方がいい。当たり前のことだった。低山だとなめてかかった自分に猛省を促したい。
そして、ク●ックスて登り切ったジェイ氏に拍手を送りたい。でも、次はせめてスニーカーにしてね。
初日の出 2020
あけましておめでとうございます。
無事に年を越せました。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、今年は初日の出見物に行ってきた。人生初の試みである。
今までの私の頭の中には「初日の出」なんて代物はまったくなかったのだが、昨年、富士山の御来光を拝んで、「ありがたや!」と突然開眼したのである。
以来、近場の初日の出スポットをちまちま調べ、見物場所を刀水橋(G県と飛んで県(仮)の県境)に決定した。隠れた穴場らしい。
折りよくも、天気予報によると、今年は太平洋側は絶好の初日の出日よりらしい。
G県と飛んで県(仮)の県境が太平洋側なのかは、若干疑義があるところであるが、多分大丈夫だ。なにしろ、元旦の晴れ出現ランキングではG県の県庁所在地は93%で堂々の第3位なのだ。ちなみに飛んで県(仮)の県庁所在地は86%で第4位。(ウェザーニュースの調査による。ちなみに1位は静岡と徳島で驚異の100%だ)
その県境の刀水橋が今年晴れないわけがない。
勢い込んで、朝、6時。初日の出見物に出かける。ちなみに、日の出時刻は6:55だ。
真っ暗かと思ったが、外はすでに薄明るかった。
一緒に見物に出かけた父(山男)は「実はヘッドランプ持ってきたけど、いらなかったな」と、すこしはにかんで私に見せてきたので「いらないよ。街には街灯もあるんだよ」と答えたが、実は私もポケットにヘットランプを忍ばせていた…。ついつい登山気分になってしまって…。
見栄を張って、スカしたこと言ってしまって申し訳ない、父よ。
到着した橋の上には、かなりの人数が震えながら日の出を待っている。
こんなに沢山の人が初日の出見物に行くものなのか。私は今まで●●年生きてきて、ただの一度も来たことがなかったのに…。
いくつになっても日々は新しい発見に満ちている。
橋の真ん中あたり(ややG県側)に位置どり、日の出を待ちかまえる。
空は快晴。…であるが、何故か、肝心要の東側だけ、低い雲に覆われている。
他の方角はすべて雲一つない暗闇(?青空ではない…)だというのに。
なんか、練習では世界新記録を出しているのに、本番でメダルが取れないスポーツ選手みたいじゃないか…とオリンピック開催の年始めに思ってしまった…。
いやいやいや。大丈夫だ。雲の位置が低いので、その雲の上に日が昇るところが見られそうである。世界新は出せなくても、金メダルは取れそうだ。
東の雲のあたりは、だんだんオレンジの輝きが強まっていく。
今か、今出るのか、と寒さに耐えながらじりじり待ち続け、午前7時をまわった頃、金色の光の塊がゆっくりと姿を見せる。
太陽って凄い。金の光がぎらぎら迸る。野蛮なまでに明るい。
父は「太陽の周りに紫の光が!なんだ、この現象は!」と一人で騒いでいたが、まぶしすぎるだけだと思う…。「来年はサングラス持ってこよう」と静かに諭してみた。
太陽を眺めたり、写真を撮ったりでばたばたと忙しい。
あっという間に太陽は昇りきり、あたりは暗闇から朝の光景に様変わりだ。
東の空に雲なんてたいした問題ではなかった。95%、いやほぼ100%バッチリな初日の出であった。
時間にすると約5分。
満足しきった私を含めた見物客は橋を後にする。
この短い時間のために、朝もはよから、寒さもいとわず大勢が集まるのだ。
そして、多分、みな「今年はいい初日の出が見られた。来年も来るぞ」と思っていると思う。
短いけれど、充実した時間であった。いい年明けになった。
初日の出見物に心をわしづかみされた私は、また来年もこの場所に立つことになるだろう。
いつもと同じように朝日が昇ると、雪化粧の赤城山と真っ白な浅間山がよく見えた。
今年は浅間に登りたい、と新年の抱負を胸に帰路に着いた。
大菩薩嶺~富士見道中~
9月下旬に大菩薩嶺に行ってきた。今回は山の相棒、ノムさんと一緒だ。
この時期に設定したのは、私にとって大きな意味がある。
それは、ついでにぶどうを買えるから!である。
今や衆目が一致するところの、最高においしい品種、シャインマスカットを購入するのだ。産地で買えば、●疋屋クラスのぶどうもグラム売りだ。農家さん、太っ腹!いつもありがとう!
行きの道中、車の窓から眺めるぶどう屋さんは、まだ開店していなかった。でも、たわわに実ったぶどうが、心をかき立てる。
帰りにかならず寄ろうね、とノムさんと固く誓い合う。ノムさんは、このために事前に現金を下ろしてきたそうだ。
「ぶどうは、野菜と違って高級品だって、気づいたの。さすが、私。よく気づいた!」と自画自賛していた。気合いが入っている。
登山だけでも楽しいのに、さらにプラスアルファの楽しみだ。心がトキメク。
9:30 登山口の上日川峠到着。
遅い時間になってしまったせいか、かなりの混雑模様。
駐車場案内のおじさまの指示に従って、なんとか第3駐車場?(歩いて数分)に駐めることができたが、私たちがラストだった。この後、来た人が案内される第4駐車場は徒歩だと15分くらいかかるそうだ。ギリギリセーフ。幸運だ。
毎回思うけど、もっと早く出発するべきだった…。登山者の早立ち、という本来あるべき姿を未だに学べない私たち。生来の怠惰な性格が邪魔しているのだろう、きっと。
9:45 ロッジ長兵衛脇の登山口から登山開始。
そこそこ急な樹林帯をてくてく登る。天気は良好で、綺麗な青空だ。
だいたい30分後の10:15 福ちゃん荘到着。
囲炉裏で鮎?が焼かれていて良い匂いがする。
小屋の名前の謂われは定かでは無いが、多分、小屋のご主人(初代?)の名前からつけられたのだろう。登山関係は「●●ちゃん」というネーミングが多い気がする。「●●ちゃん新道」とか。
何となく、時代を感じる名前だ。
昭和の登山ブームのころは、友人同士はちゃん付けで呼ぶのが流行していたのかと、勝手に推測する。石●浩二さんが「兵ちゃん」と呼ばれているみたいな。(彼の本名は武藤兵吉)
平成にも「●●っち」と呼ぶのが流行した時期があった。でも、「●●っち新道」というのは聞いたことがない…。いや、私が寡聞にして知らないだけで、どこかの山にはあるのかもしれない。
福ちゃん荘でしばし休憩して、10:30頃、再び出発する。
ここからは唐松尾根を頂上に向けて登っていく。
唐松といえば、秋には黄色に紅葉するが、9月下旬のこの時期は、さすがに紅葉には少し早かった。
ここからは「振り返れば富士山」ゾーンとなる。
はじめの頃は、木々の合間からその姿を見るのだが、登るにつれて、遮るものも無く、その綺麗な円錐形の姿が目に入る。
しかし、福ちゃん荘くらいまでは晴天で青空が広がっていたが、だんだんと天気は下降気味になり、白い雲が空を覆いだした。
富士山の姿を隠すほどではないが、頂上あたりが少し怪しい感じになってきた。
「いつ、見えなくなるかわからないから、見えるうちに写真を撮っておこう」
ノムさんと二人で、貪欲に富士山の写真を撮りまくる。
やっぱり、朝早い時間の方が天気がいい。登山者の皆さんはそれを知っているから朝早くから登るのだ。
もうちょっと早くから登るようにした方がいいよなあ…。毎回、思うだけは思うのだけど…。
11:30 轟岩
眺望が良く、富士山もしっかり見える。お昼ご飯に最適の場所だ。
しかし、ここは頂上である大菩薩嶺ではない。大菩薩嶺は、ここから10分くらいの場所にあるという。
「頂上を極めて来てからご飯にしよう」と、とりあえずここは通過し、大菩薩嶺を目指すことにした。
11:45 大菩薩嶺到着。2057m。
周りは木々で覆われており、まったく眺望なし。
頂上の看板はあるが、景色が良くないので、何だか暗い感じがして、ちょっとつまらない。
写真だけ撮って、すぐに引き返す。
12:00 再び轟岩
やはり、景色が良いところは気持ちいい。
雲は多めだが、富士山はまだまだ見通せる。富士山を眺めながら、お昼ご飯を食べるなんて、最高の贅沢だ。ヤッホーだ。
ご飯を食べながら、富士山を眺めていると、ノムさんから「富士山はすごいなあ」との感じ入った、発言がある。
さらに「やっぱり、富士山は孤高のトップアイドルだね。グループアイドルとは違うのよ。聖子ちゃんとか、百恵ちゃんとか」
「連峰系、日本アルプスの皆さんはグループアイドルなのよ」と続ける。
「おお!北アルプス48なのね!センター争い激しいね、北は!」と興奮して答える私。
「穂高さんと槍さんあたりかね。燕さんあたりは美人キャラで確固たる人気を保ってそう」
「中央アルプス48は木曽駒ちゃんが絶対的エースだね。南アルプス48は派手さは無いけど、実力者揃い!鳳凰三山のソロ曲とか、アルバム収録して欲しい!」
食事そっちのけで、異様に盛り上がる。
「槍さんはブルーで、剣さまはブラックかな」と、戦隊モノにまで話が発展する。(ちなみに、レッドは穂高さん。あくまで私とノムさんの意見だ。人によって異論はあることは承知している)
この日、轟岩付近でお昼ご飯を食べている人はたくさんいたが、焼き肉で酒盛りを繰り広げているグループや、ハンバーグを焼いている人など、この日はフライパン率が高かった。
周りからはじゅーっと肉の焼ける音やいい匂いと共に、笑い声が聞こえてきて、たいそう楽しそう。
いいなあ。山の食事って何倍もおいしくて楽しい。
私も次はフライパン系をやってみたい。是非とも、ハンバーーグ!!(by師匠)
ちなみに、私のごはんはG県民ソウルフードである焼きまんじゅうであった。網にしたら火力が足りなくてイマイチだった…。
13:00 いろんな意味で昼食を満喫し、大菩薩峠に向けて出発する。
この道はずっと富士山を右に眺めながらの稜線歩きで、楽しい道だ。快晴なら、最高だろう、多分。
この日は雲が厚いが、なんとか富士山の姿はキープ。ずっと右手にどーんとそびえていた。
やっぱり、富士山は特別だ。このあたりの人は、年中富士山を間近に眺めていて、「ふるさとの山」が富士山なのか。うらやましい。
少し強くなった風の冷たさに、秋の訪れを感じながら、楽しく歩く。
13:45 大菩薩峠手前の親不知の頭
眺めがいい!
●●と煙は高いところが好き、とはよく言ったもので、私はこういう岩場をついつい登ってしまう。ヤギみたいなものだ。
「よし!ラン●ネ表紙風だ!」「いや、これはP●AKS表紙風も行けるぞ!」と、ノムさんと介山荘をバックに、キメキメ写真を撮り合った。いい写真が撮れてご満悦。
私たちの後にやってきた若い娘さんは、ファッション誌の表紙風の写真を取り合っていたし(映え?)、この場所は写真撮影に最高だ。
14:00 大菩薩峠
感慨深いが、実は「大菩薩峠」は未読の上、ストーリーもよくわかっていない。剣豪の話でいいんだっけか?巌流島で武蔵が遅刻するのは違う話だよな…。
とりあえず、「南無八幡大菩薩!!」と心の中で唱えながら、写真を撮る。
大菩薩峠の由来は、源義光が峠を越える際に、八幡大菩薩に祈念したことによるらしいので、再現してみたのだ。密かに楽しい。
確か、平家物語で那須与一が扇を射るときにも、この台詞を言っていた気がする。
源義家は八幡太郎だし、武家と八幡さまは関係が深いのであろう。
ちなみに、私の出身高校では「八幡太郎」というと、学校周辺に出没する変質者のことであった。…すみません、八幡大菩薩…。
轟岩からの道中、ほとんど人がおらず、ノムさんと「どうしていつも周りに人がいなくなってしまうのだろうか…」と話し合っていたほどだったが、ここには人がたくさんいた。
どこからともなく現れる人たちは、私たちとは違うルートからやって来たのだろうか?謎だ。異空間からやってきたのかもしれない。(ラノベ風)
いや、本当は、ただ単に、休憩ポイントには人が集まる、というだけのことなのだろう。
ちなみに、介山荘自体は営業していなかったが、トイレは借りられた。
大菩薩峠からは山を下る。ずっと姿を見せてくれていた富士山とはお別れだ。
道はかなり整備されていて歩きやすい。
かつては営業していたのかもしれない山小屋をいくつか過ぎると、行きにも通った福ちゃん荘に到着する。15:00
ここからは行きと同じルートを戻る。
アスファルト舗装された車道もあるようだが、「いや、土の道を行こう」とのノムさんの言葉により、登山道を下る。こういうところは変にストイックな私たち。
15:30 上日川峠到着
私たちとしてはちょうど良い時間に下山でき、今日もいい山旅であった。
そして、今回は大事なプラスアルファがある。山を下り、勝沼ぶどう郷へ直行し、その日収穫したブドウを購入。いいぶどう買わせていただいてありがとう!
シャインマスカットおいしい!甲斐路も美味!幸せだ。
ちなみに、勝沼のぶどう屋さんはだいたい5時くらいまでは営業している。
<コースタイム>
9:45上日川峠…10:15福ちゃん荘…11:30雷岩…11:45大菩薩嶺…12:00雷岩(昼食1時間)…13:45親不知の頭…14:00大菩薩峠…15:00福ちゃん荘…15:30上日川峠