「かわいい京都御朱印ブック」西村由美子
私は数年前から御朱印収集も趣味にしている。
集め始めたきっかけを話し出すと長くなるのだが、簡単に言うと、NHK大河ドラマ「平清盛」にはまったからだ。
何かというと低視聴率大河ドラマとしてあげられる作品だが、私は大好きだった!なんで人気がでなかったのか、未だにわからない。
美しすぎる待賢門院璋子(壇れい)と西行(藤木直人)のなんとも言えないすれ違いとか、悪左府と呼ばれた藤原頼長(山本耕史)やら、「平家にあらずんは人にあらず」の平時忠(森田剛)やらの怪演とか、平重盛(窪田正孝)の白い直衣が半端なく似合う様子とか、今でも語り出したら止まらないくらいだ。
(北条政子(杏)も建春門院滋子(鳴海凛子)も崇徳上皇(井浦新)も良かった!源頼朝(岡田将生)も他にも…!!言い足りないので、ここらでやめておくが)
当時、あふれる思いを抑えきれず、京都の六波羅蜜寺(平清盛像がある。ついでに空也上人像もある)に出かけたところ、けっこうな人数が御朱印を貰うために並んでいる列を見かけ「ここで御朱印を貰わないなんて、大河ドラマファンの名が廃る!」と、勢いに任せて自然と列に並んでしまったのだ。
六波羅蜜寺ではものすごい熱量で御朱印を貰ったが、平清盛への愛に対する熱量であったため、その後、御朱印収集はたまに貰う程度で、落ち着いていた。
しかし、数年度の平成27年。
友人マーサ(御朱印集めの先輩)に「御朱印帳もかわいいのがたくさんあるよね」と言われて、「確かに…」と深く頷いた。
「でも、マーサ。私、ちょこちょこ御朱印貰ってるけど、全然1冊が埋まる感じがしないよ。次の御朱印帳のことは考えられない状態だよ」
「そう。私もそう。だから、ここらで一発、本場に乗り込むのはどうかね」
私の言葉に、マーサは深く頷き、重々しく告げた。
「京都で御朱印を貰いまくるのはどうかな」
「京都…!!大本場!!」
かつて何かの本で「京都には全部で寺社がいくつあるのか正確な数字はわからない」と書いてあった記憶がある。(本当かな?)そのくらい、寺と神社にあふれる街、京都。
しかも、意外と街が小さくコンパクトにおさまっているので、移動時間が少なく、あちこち何カ所も回れるのだ。ビバ、観光都市!
話はすぐにまとまり、行きの新幹線の中で互いに行きたい寺社のセレクトを発表する。
すると、二人のカバンの中から同じ本が出てきた。
それが「かわいい京都御朱印ブック」である。
友達だから、好み似てるもんね…。想定しておくべき事態だった、と後悔したが後の祭り。
二人で同じガイドブックを買うという非効率極まりない状態になったが、事前に同じ本を見ているので、ルート設定はサクサク進んだ。
「この八咫烏シリーズは行っときたいね」
「私もそう思ってたー」
「この字カッコいいね」
「私もそう思ってたー」
「京都御朱印ブック」には私たちの好みにドンピシャな御朱印が沢山掲載されていて、私とマーサの欲望を駆り立てる。
御朱印って、本来は納経して、仏との結縁の印に頂くものらしい…。
現在、私とマーサには煩悩を呼び覚ますものになっているような気がする。いいのか、それで。いいのだ、それで。
2泊3日の行程で、京都の有名どころの社寺はほとんど行かず、「京都御朱印ブック」に掲載されている割とマイナーな寺社ばかりを巡りまくる。目的はそれのみなのだ。
結果、いただいた御朱印の数、22個。頑張った。
おかげで、初めて六波羅蜜寺で購入した御朱印帳がすべて埋まった。
さすが大本場、京都。狭い街にぎちぎちに寺社が詰まっている。
「嬉しすぎる…。こんなバラエティに富んだ御朱印を集められたのも「京都御朱印ブック」のおかげだよ」
「やっぱり、先達はあらまほしきものだねえ。ありがたや」
二人で「京都御朱印ブック」に感謝する。
ちなみに、マーサは御朱印をいただくマナーとして、おつりの無いように大量の百円玉を持参していたが、すでにそれは1日目で使い果たしていた。
ついでに、お賽銭も「御朱印で納付するから…ね」と途中から相場がガタンと落ちていた。(私は最初からお賽銭の最低相場(?)である)
この時頂いた「京都御朱印ブック」掲載の御朱印をいくつか載せてみる。
動物シリーズ
女子なので、動物のハンコが押されると「かわいー」と嬉しくなる。とりあえず、何でも感動は「かわいー」で表現するのだ。
熊野神社と言えば、八咫烏。サッカーファンにはおなじみの足が3本のカラスだ。
本宮は和歌山であるが、京都には分社(?)が3つもあり、いずれも八咫烏印を採用している。
これは二人で「絶対に3つ揃えよう」と、完全に意見が一致したものだ。
新熊野神社は能面の印もあり、こちらも良い感じ。
●八坂庚申堂(金剛寺)
ちょっとわかりづらいが、「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿の印である。
毛玉っぽくて、ジ●リ映画に出てきそうな感じがかわいい。
余談だが、私は庚申講が好きである。
その人が眠っている間に、三尸の虫が悪行を閻魔大王に言いつけに行く日だから、一晩中寝ずに飲み食いす、という「えっ、そんな屁理屈…。単に一晩中飲み明かしたいだけなんじゃ…」と思ってしまうところが、大変好ましいと思っている。
●千本ゑんま堂
閻魔大王様というのはとても珍しいと、コレクター魂を揺さぶられ、絶対に行こう、とこちらも二人の意見が完全に一致した。
ちなみに、こちらのご本尊は大王様の像で、ろうそくに照らされる厳ついお顔の前に、欲にまみれた我が身をさらすと、完全にびびってしまい「すみません。すみません」とおもわず謝ってしまった。
やっぱり三尸の虫の報告を阻むために、庚申の日は徹夜した方がいいのだろうか。真剣に悩む。
余談だが、閻魔大王といえば、京都では六道珍皇寺も有名である。
小野篁が夜な夜な冥界に下りたという井戸がこのお寺にある。
期間限定(?)で紺地に金文字の「閻魔大王」の御朱印も頂けるのだが、この時は「小野篁」の御朱印を頂いてしまった。今から思えば「閻魔大王」を頂いておくのだった…。
つづいて植物シリーズ
平野神社は京都では桜の神社で有名である。でも、桜しかないので、観光客にはあまり知られていないと思う。
実は、北野天満宮は「京都御朱印ブック」に掲載されていなかった。
行った時期が梅の時期だったので、ルートの途中にあったこともあり「御朱印目的じゃないところも行ってみようよ」と、たまたま寄ってみたのだ。
すると、はからずも梅の御朱印。
北野神社の桜と北野天満宮の梅が並び、私はひとりで大喜び。(マーサはそれほど喜んでいなかった)
この見開き、華やかでいいな~。
北野天満宮の飛梅伝説が、私は結構好きである。ついでに梅酒も好きである。
山城国一之宮。
下鴨神社は緑で押してくれるので、鮮やかでキレイ。
ちなみに、前にブログのどこかにも書いたと思うが、私は源氏物語の中で「葵の上」が最も好きである。ついでに徳川家もキライでは無い。
「やっぱり、上賀茂神社。ちょっと遠いけど、ここは外すわけにはいかない」と、またしても私とマーサの意見は完全に一致した。某国の首相と大統領のように。(byサンドウィッチマン伊達ちゃん←わかりづらいネタですみません。どうしても書きたくなってしまった)
この時、上賀茂神社で購入した「雷除け御守」は私の登山のお供になっている。天下の上賀茂神社の御守だ。今のところ、雷に遭遇したことはないので、きっとこの御守のおかげであろう。
上賀茂神社の正式名称は「賀茂別雷神社」という、ということを、この時初めて知った。
この旅のあと、私とマーサの御朱印熱は一気に上昇し、あちこち巡り歩くことになる。
京都御朱印巡りがとても楽しかったのだ。
そして、現在、「御朱印帳が埋まらない」などと言っていたことを遠い目で思い出すくらいに、かなりの冊数を重ねている。
しかし、冊数だけならば、あちこち巡ったような気がしているが、行ってみたい寺社は尽きない。
京都も、この時に22カ所も巡ったが、断腸の思いで断念した寺社が沢山あるのだ。いくらコンパクト京都と行っても、限界はある。
最後に、今後、「京都御朱印ブック」に掲載されていて、是非行きたいと思っている寺社を2つあげたい。
その1 廬山寺
廬山寺創建の元三大師は鬼に化けて疫病神を追い払ったとされる伝説があり、鬼の朱印(角大師)を押して頂けるらしいのだ。
私は厄除けのお札に書かれている角大師の図柄がとても好きなので、是非とも頂きに行きたいと思っている。
その2 晴明神社
ここには実は、何度か行っている。
が、その際に「納経印」と書かれていたので「私、お経書いてきてないよ」と、そのまま帰った苦い思い出がある。
あの頃は、御朱印を集め始めたばかりだったので、何故かびくびくしていたのだ。
ちなみに、桔梗が咲く時期限定の「桔梗守り」もステキだ。
秋頃には、是非ともまた行きたいと思っているのだが、どうだろう…??
その際には、鞍馬山の木の根道を通って貴船神社まで歩く、義経ごっこをする予定である。ちなみに、大河ドラマ「平清盛」では、義経は神木隆之介だった!
山の御朱印
数年前から御朱印をコツコツ集めることを趣味にしている。
もう一つの趣味である登山のついでにも御朱印を頂くことが多いので、山で頂いた御朱印をまとめてみることにした。
山の御朱印の収集パターンは分類すると、だいたい次の3パターンになる。
ケース① 頂上ある神社で神主さんなどに書いてもらう。
どの山にも頂上に祠や社があるが、そこに人がいることは滅多になく、これは非常にレアケースだ。ものすごく人気の山に限られる。
ケース② 麓の神社等で頂く。
頂上が「奥社」などになっており、麓に神社本体があるケース。
車や公共交通機関でたどり着ける場所にあり、登山をしなくても参拝できる。
このケースが最も多いと言えるだろう。
ケース③ 神社に置いてある書き置きを頂く。
頂上でも麓でも神社に人がおらず、あらかじめ紙に書いてある書き置きの御朱印を頂くケースだ。
お金はだいたい賽銭箱に投入する。田舎によくある無人の野菜直売所方式だ。
お金を払わずに持ち逃げも可能だが、そんなことしたらまさしく罰当たりだ。恐ろしくてできない。
1 上毛三山
G県を象徴する上毛三山。
赤城山 榛名山 妙義山 それぞれ、G県民にこよなく愛されている。
ちなみに、G県の小学校の運動会は「赤城団」「榛名団」「妙義団」に分かれる、ということは有名だ。
しかし、東部出身の私の小学校では、そんな別れ方はしなかったと思う…。人数が多い時代だったから、3つの団じゃ足りなかったのかもしれないが。そして、途中で他県に転校したので、記憶が曖昧なだけかもしれないが。
収集パターンは最もオーソドックスなケース②である。
登山口付近(山の中腹)にそれぞれ神社がある。
2 高尾山
誰もが楽しめる山、高尾山の薬王院。
地元八王子出身のヒ●ミさんは「高尾山はすごいんだぞ!天狗がいるんだぞ!」と胸を張って主張しておられた。
確かにすごいぞ、高尾山!あれだけ賑わっているのは、天狗様のご加護のおかげか。
ちなみに私は烏天狗が可愛くて好きだ。高尾山にはたくさんいる。
収集パターンは、頂上にあるわけでは無いが、そこそこ登らないとたどり着けない場所にあるため、ケース①としたい。
ただし、ロープウェイやリフトを使えば、すぐに着くといえばすぐに着く。そいう意味ではケース②としても間違いではないか。
3 寶登山
寶 登山。ものすごく縁起のいい名前だ。福々しい。
宝に登る山。いや、ストレートに「宝の山」なのか。
竹取物語に出てくる車作皇子が持参する「蓬莱の玉の枝」が生えていそうだ。
そうか、だから、臘梅が咲き乱れているのか。臘梅の黄色は黄金につながるイメージなのかもしれない。
うっかり者が、地名を根拠に埋蔵金発掘とかをしてしまいそうな気もする。
収集パターンはケース①である。頂上の神社脇の売店で「奥宮」の御朱印が頂ける。
しかし、私が登った時は、書き置きしかなかった。(書ける人がお昼休み中?)
麓には宝登山神社本宮がある。
4 日光男体山
「男山」ときたら、対になる「女山」があるものだが、日光では「女峰山」が対になるらしい。まだ登ったことが無いので、いつか登ってみたいものだ。
「女峰」といってイチゴを思い出すのは、もはや、かなりの年齢の世代になってしまったかもしれない。
ストロベリー王国が猛プッシュしている「スカイベリー」も「皇海山」から名付けられたそうな。空じゃないのだ。good!
しまった。イチゴの話では無い。御朱印の話だ。
収集パターンはケース②。中禅寺湖のほとりにある。
5 筑波山
筑波山は高尾山とイメージがかぶるエンターテイメント性にあふれる山だが、こちらはなめてかかってはいけない山だ。
ロープウェイやケーブルカーを使わないと、まあまあ厳しい。
以前も書いたが、軽い気持ちで登山未経験の友人を誘ったところ、二度と一緒に山に行ってくれなくなったくらいだ…。やっぱり、最初は尾瀬から誘うのが最善の策だな。
こちらの収集パターンはしっかりとケース①だ。頂上に人が常駐するくらい人気の山なのだ。女体山、男体山、両方に人がいる。
ただし、ロープウェイやケーブルカーを使えば、すぐに着く。高尾山同様、ケース②と言えなくもないか…。
6 立山
立山の三つの峰のうち、雄山の頂上では、御朱印を書いて貰える。
多分、夏場だけだろうが、人が常駐しているのだ。3000mを超える山の上に。私が行ったときは神主さんを含め、5人くらいは人がいた。
山小屋バイトと同じように、夏場はずっと頂上で住み込みなのだろうか?それとも1週間交代くらいなのだろうか?意表をついて、室堂から毎日往復登山をしているのだろうか?
頂上で御朱印を頂けるのは嬉しいけれど、いろいろと余計な心配をしてしまった。
こちらは超レアなケース①。頂上まで登らないと頂けない。
7 富士山
富士山の山頂には浅間大社がある。
某大学を受験した時に、「富士山の頂上にある神社の名前を答えよ」という問題があり、当時の私は解答できなかった。(こんな変な設問をする大学は滅多に無い)
そんなのみんな知らないよ、とそのときは思ったのだが、今なら「浅間大社」としっかり解答欄を埋めることができる。
その頃、御朱印集めか、登山かどちらかを趣味にしていればよかったのになあ、と後悔してももう遅い。結果は不合格であった。
ちなみに、「浅間山」が身近なG県民には、「富士山の上に浅間があるっておかしくない?」という、しっくりこない気持ちがどうしても消えない…。
こちらもケース①。山頂で頂ける。
富士山は年間30万人が登る山なので、もちろん人が常駐しているのだ。多分、夏中、山頂にいるのだろう。(途中で交代するのかもしれないが)
富士山の上で暮らすって、なんだか凄い。うらやましい。山小屋バイトってこんな気持ちから始まるのだろうか?
オマケ 稲荷山
伏見稲荷大社の鳥居をくぐりにくぐって、山頂まで行くと頂ける。
(正確には山頂付近の「御膳谷奉拝所」で頂ける)
これも、ケース①といえるだろう。
あれ?ケース①はあまりレアじゃない感じになってしまった。
「この御朱印が凄い!」地球の歩き方編集室/「御朱印トレッキング」(公社)東京都山岳連盟監修
富士山で焼印を集めまくった私だが、それと同時に御朱印も頂いてきた。
焼印だけでは片手落ち!御朱印も見逃す訳にはいかない。
富士山の山頂には久須志神社(浅間神社の末社)と冨士山頂上浅間大社奥社があり、それぞれ御朱印が頂けるのだ。
なかなかの高額(1000円)だったが、山頂の御朱印はこのチャンスを逃したら、一生後悔するかもしれない、との強い覚悟で、両方頂いてきた。何しろ、この先、富士山の頂上まで行くことが、そんなに度々あるとは思えない。
頂上まで登って、山の神様(富士山はコノハナサクヤ)にご挨拶した証だ。とても嬉しい。
もちろん、事前情報で御朱印がいただけることは知っていたので、自前の御朱印帳を持参した。
しかしながら、帰宅して、バイブルである「この御朱印が凄い!」(第壱集)を開いて、自分のミスに気づいてしまった。
5合目の小御嶽神社でも御朱印がもらえたらしいのだ。しかも、小御嶽神社の御朱印は、そのものズバリど真ん中に「富士山」と、どーんと書かれるらしい。
しまったー。こっちも頂けばよかったー。
登山前に5合目でうどんを食べているときに、神社があるな、とは思っていた。そして
、ものすごく混んでいるな、とも確か思った。(5合目は全体的にどこもかしこも混んでいた)しかし、その時は、御朱印の発想はなく、頂上までの道のりのことばかり考えていて、お参りすらしそびれてしまったのだ。
登山前の事前学習の時に、どうしてこの本を開かなかったのか、と自分を責めるが、今となっては後の祭りだ。
本を開きながら、一人静かに反省する。根が暗いので、ひたすら、どんより落ち込むだけ。
さらに「この御朱印が凄い!」を再読してみたところ、いろいろな情報が詰め混まれていることに気づいた。
富士山山頂でいただいた御朱印の色は、なんとなく黒ずんでいる。他の寺社の鮮やかな朱印とは明らかに色が違う。
頂いた時は、さすが富士山山頂は、渋い色だな、と思った。渋い大人は深煎りコーヒーをブラックで飲む、みたいな感じだ。
実はそんな、簡単なものじゃなかった!
「この御朱印が凄い!」によると、この色は、朱肉に富士山の溶岩をすりつぶしたものを混ぜ、溶岩の色に似せているのだそうだ。
溶岩が混ざっているとは!ホンモノだ!!
相場より相当高い費用は、山頂価格というよりは溶岩価格だったのかもしれない。これは納得のお値段だ。
富士山を登っているときに、実感として、周りの岩が赤いな、と感じていた。同行のイト坊と「赤富士って本当なんだねえ」「昔の富士山の絵を見ると、赤で書かれたものがたくさんあるらしいよ」などと会話していたのだ。
朱印の赤色で富士山の溶岩の色を表すとは、さすが山頂の浅間神社だ。
御朱印を見返す度に、あの富士山の光景がよみがえってくるではないか。ありがたい!
そして、山頂でただ御朱印を貰っただけでは、溶岩が混ざっていることなど知らなかった。
知った今、いただいた御朱印にありがたさと益々の愛着を感じる。お気に入り御朱印だ。英語で言うとMy favorit GOSYUINだ。英語で言う必要なかったか。
知ることって大事なことだ。教えてくれてありがとう、本よ。
もう一つ、この本で得た情報をついでに記しておく。
富士山の土地の所有者は一体誰なのか?
実は、8合目より上は、浅間神社の境内なのだそうだ。(それより下は…?どうやら国有地か県有地のよう)
このあたりのいきさつは、本には記載されていないが、いろいろ面白そうなので、別に調べてみたいと思う。(静岡山梨県境問題とかもからむみたい)
日本の山にはそれぞれ山の神様がいて、概ねその神様を祀った神社がある。山は信仰の対象で、修験者達などが修行の場として、山道を切り開いて、山頂などに祠や社を設置した。
有名な剱岳の逸話(明治時代に剱岳に初登頂した際に、頂上で平安時代くらいの僧侶の持ち物である錫杖の頭が発見された)もあるとおり、修験者は登山家と言った方がいいのでは、と思うくらい、各地の険しい山を登頂している。
それなので、登山のために山に行くと、一緒に神社やお寺にも参拝できることが多い。そうすると、御朱印も頂けるのだ。
登山と御朱印集めはとても近い場所にある。
先日、深夜のア●ゾン閲覧中に私はある本のタイトルに釘付けになった。
「御朱印トレッキング」東京都山岳連盟 監修
操られるように自然と人差し指に力がこもり、ぽちっと買い物カートに追加してしまった。
やはりあったか。登山と御朱印集めの二つを合わせたガイド本が。
あると思ったのだ。だって、先ほども言ったが、登山と御朱印集めはとても近いのだ。山に登りに行くついでに、御朱印も集められるのだ。
だったら、両方を兼ね備えた本が出るのも必然だ。かゆいところに手が届く、日本の出版業界!ニッチな需要に応えてこそ!
この本のターゲットはどのどちらか一方でも興味がある人なのだろうが、その両方に興味がある私が購入しないわけがない。深夜のア●ゾンという危険ゾーンにいなかったとしても、即決で購入したはずだ。多分…。
さて、「御朱印トレッキング」は東京近郊の低山トレッキングを中心に、御朱印も頂ける社寺を紹介している。
低山中心ではあるが、なんと富士山も紹介されている。やはり、これはどうしても押さえておかねばならない、と東京都山岳連盟が考えたのだろう、きっと。
紹介されているのは、まずは静岡県の富士山本宮浅間大社から山梨の北口本宮富士山浅間大社に巡り、吉田ルートで富士山頂まで登るというがっつりコースだ。
そうか。麓の浅間大社から巡る方が、より本格的だったか。
しかしながら、この本では富士スバルライン5合目を通過するコースだが、小御嶽神社には全く触れず、完全スルーである。
「この御朱印が凄い!」によると、「富士山」御朱印が頂けるというのに。
代わりと言っては何だが、焼印集めが紹介されている。
私とすると、「この御朱印が凄い!」と「御朱印トレッキング」の2冊の情報が、うまい具合に補完し合っているので、ちょうど良い。ガイドブックは2冊以上は読む方が、自分好みの情報が取捨選択できてちょうど良いのかもしれない。
しかし、この2冊を改めて読んだのは富士山下山後なのだった…。
その他にも、「御朱印トレッキング」ではオススメの山と寺社のコースが紹介されている。
最も目を引いたのは、御岳山と武蔵御嶽神社だ。
お犬様(狼)を祀っているという。秩父の三峯神社のように、狼が狛犬なのだろうか。是非とも行ってみたい。
トレッキングコースもケーブルカーが利用できて3時間半くらいと冬の低山めぐりにとても良さそうである。
今年の冬は御岳山だな、と期待ににやにや含み笑いをしながら、心のノートにメモをした。いい本、見つけたな~。
しかし、本を読み進めていくと、私に大きな失望が走った。
12年に一度の戌年の式年大祭の年のみ狼の限定御朱印が頂けるという。
本には「今年はいただける」などと記載があるが、私は令和元年、亥年に読んでいるのである。次の戌年っていつよ!11年先だよ!
通常の御朱印も木(杉?)でなかなかステキな意匠だが、どうせなら狼の方がいい。だって、カッコいいから。俗な理由で申し訳ない…。
11年後に行くために、ずっと暖めておくべきか、もう諦めて今年行くか…迷う。
限定御朱印の事など知らなければ、すっきり思い立った時に行けるのだが…。時に情報はあればあったで人を惑わすものなのだ。
その他、紹介されていたコースでは、鎌倉アルプスに行きたい。鎌倉五山制覇は私の悲願である。
日本全国この御朱印が凄い! 第壱集 増補改訂版 (地球の歩き方―御朱印シリーズ)
- 作者: 地球の歩き方編集室
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気象神社で晴れ祈願
登山に行く日は晴れていて欲しい。
京都の大文字山に登った際の実感である。
雨登山もまた別の楽しみがあるとは思う。現に超絶雨女キキちゃんと、お互いを雨女とののしりつつ、楽しい登山ができた。下山後の湯豆腐、最高だったし。
でもやっぱり、晴れがいい。頂上で汗をぬぐいながら、真っ青な空にくっきり映える周囲の山を見渡して、「ヤッホー」と叫びたい。
「なんも見えねえ(北●康介風に)」などど、白いガスを見渡して言いたくないのだ。
天気ばかりは人の力ではどうすることもできない。できることといえば、神頼みしかない。
私は最終手段として、登山前日に何度かてるてる坊主をぶら下げた。遠足前日の小学生の行動より良い手段がまったく浮かばないのだ。他に何か良い方法があれば教えて欲しい。
「あきらめる」とか「別の日にする」が大人の答えのような気もする…。
しかし、私は諦めない。いや、諦められない。
神様へ晴れをお願いするために、ついに日本でただ1つ、という「気象神社」に行ってきた。
なんでも、気象神社は旧陸軍気象部の構内に造営されたもので、戦後、高円寺氷川神社に移設されたそうだ。神社としては非常に新しい神社だが、日本唯一の天気の神様だという。
日本はずっとお米を作って暮らしてきたので、天気のお祈りといえば「雨乞い」。
空梅雨は米の不作に直結するし、水が無いと生きていけないので、馬を生け贄にして捧げたり(発掘すると、畦から馬の歯が見つかることがあるそうです)、火を焚きあげて上昇気流を作るとともに祈りを捧げたりと、雨への祈りの手法は様々に工夫されてきた。全国各地に水の神である竜神を祀った神社もたくさんある。
岡野玲子「陰陽師」には、安倍晴明が雨乞いのため旅をする話があったり、最近読んだ本では榎田ユウリ「宮廷神官物語」でも主人公の一人、鶏冠が雨呼びの儀を強要されていたりする。(もっとも、宮廷神官者物語は朝鮮風の国が舞台だが)
なかなか晴れを祈願する方の神社は見当たらないのだ。長雨は稲に病害虫が発生する恐れもあるはずだけど…。そこは意外と暢気なのか、日本人。
椎名誠「雨がやんだら」は雨がずっとずっと降り続く不気味な話だったが、別に晴祈願はしていなかったはずだ。
そんな中で見つけた、日本唯一だという「気象神社」。
行かねばならぬ。そして、私とキキちゃんの晴れ登山への切実な希望をお伝えしてこなくてはならなぬ。
真剣に真心を込めてお祈りする。心なしか、柏手を打つ音も大きい。
私の本気度を神様にお伝えするため、お賽銭も100円玉を投入した。大奮発だ。
お賽銭の相場については人それぞれだと思うけど、私にとっては「心意気を見せる額」なのだ。100円は。
お天気の神様、ワタクシ、はるばるG県から、やって参りました。
住所氏名も心の中でお伝えし、晴れの山に登りたい旨をお願いする。よろしくお願いいたします。
神様におしりを向けたら失礼にあたるらしいので、そろりそろりと後ずさりして社殿を離れ、参拝完了。
よし。しっかり参拝できた。
由緒の書かれた看板を眺めたり、絵馬を覗いたりする。
絵馬は「あーしたてんきになーれ」と下駄を飛ばして翌日の天気を占う日本伝統の風習(?)から、下駄の形をしている。かわいい。
勝手に見て回るのはあまり良くないんだろうけど「寒暖差が大きくなって スープがたくさん売れますように」との願いが書かれた絵馬を発見し、思わず「ううむ」とうなってしまった。
天気は様々な業界に影響を及ぼすものだなあ。冷夏だと農作物はもちろん、ビール業界やらアイス業界やらが大冷えになるらしいし。
でも、天候は人間にはどうしようもないので、神様にお願いするしかないのだ。
自然崇拝って原始的で当然な気持ちだと実感する。だって、努力すればどうにかなるものじゃないもの。
さて、参拝をすませた後は、社務所へ向かい、今回のお目当てでもある「晴守」を授けていただく。
さらに念を入れ、「てるてる守り」も頂戴する。こっちはスーパー雨女キキちゃんに渡すつもりだ。二人で持っていれば、きっとお天気の神様も味方してくれるはず。頼むで!
ついでに御朱印もいただく。
7~8名並んでいたのだが、神社の人のよると「今日は空いていてラッキーですよ」とのことだった。通常の土日だと1時間とか待つこともあるとか。うへぇ。
なんでも、こちらの御朱印は毎月変わる手彫りの木版で、また一部、天気に応じて押してくれるハンコが違うらしい。ちなみにすべてハンコで、神社名もハンコ。墨で書いてくれるわけでは無い。
最近、神社は御朱印に工夫を凝らしているところが大変多い。期間限定とか。
何か踊らされているような気もするが、私の中のコレクター魂は「通うしかないやろー」と叫んでいる。毎月は無理だけど、雨の日御朱印とか欲しい。
でも実を言うと、私はお寺の御朱印の方が好きだ。特に大日如来の御朱印をいただけると心がときめく。密かに大日如来だけで染めた御朱印帳が欲しいと思っている。道は険しいけど…。
さて、この「晴守」をザックに装着して、宝登山に登ってみた。
晴れた!
御利益あらたかなり!
これできっと大丈夫だ。多分。
今年の夏あたりに、またキキちゃんと山に行くと思うが、この晴守とてるてる守りで、快晴と最高の景色にヤッホーと叫んでみせようではないか。
そして、気象神社にお礼参りに行って、御朱印をいただきたい。できれば、雨のハンコが欲しいので、雨の日に!
…なんて欲深いのかしら、私は…。
一緒につけているのは、上賀茂神社の「雷除御守」。神様が喧嘩しないか、ちょっと心配…。
稲荷山(伏見稲荷大社)~妖しのインバウンド~
引き続き、京都の話である。
大文字山を登った翌日、帰路につく前に時間があったので、伏見稲荷大社に行ってみることにした。
実は、伏見稲荷大社は「京都一周トレイル」の出発地点。伏見稲荷大社の一ノ峰(山頂)への参拝コースはそのままトレイルコースにもなっているのだ。
少しでもトレイルルートを埋めておき、制覇を目指す。貪欲な私。
伏見稲荷大社には、15年くらい前に行ったことがあるが、その時は奥社までしか行かなかった。「どこまで続くのか、この鳥居は…」と早々に心が折れてしまったのだ。
あの頃の私は坂道を歩くことがひどく苦痛だった。
でも、今の私は違う。必ず、一ノ峰(頂上)まで登ってみせようではないか。
登山だけど登山じゃない。スニーカーにジーンズ、サコッシュを肩掛けし、片手にミネラルウォーター(サコッシュに入らなかった)の軽装で挑む。
ちなみに、天気は雲多めの晴れ。
単独行動だから…。私一人なら、それほど雨女ではない。
8:30 朝だが、伏見稲荷大社はかなり賑わっていた。JR伏見駅は小さな駅だが、その駅前は黒山の人だかり。
たぶん、8割くらいが外国からのお客さま。
インバウンド!
私の頭に、最近、流行りの言葉が浮かぶ。
…すごいな…。話には聞いていたが、これほどとは…!!
15年くらい前に来たときは、訪れる人もまばらだったと記憶しているが…。15年も経てば変わるものなのだろう。生まれた子どもが高校生になっちゃうのか、15年…。
変化にかなり圧倒されながら、インバウンドの皆さんの間をすりぬけ、朱色も鮮やかな本殿にお参りする。(私が来なかった15年くらいの間に修繕したのであろう)
8:40 本殿奥の千本鳥居入口に到着。
ここは京都観光雑誌などに必ず掲載される場所だ。
隙間がないほど立ち並ぶ鳥居が二筋に分かれている。誰が撮ってもインスタ映え~な写真が撮れる。
だがしかし、ここで写真を撮りたいのはみな同じ。ものすごい人だかりだ。
早々に写真はあきらめて先へ進む。
びっしりと並ぶ鳥居の下は、朱に閉じ込められた世界で、朱く色づいた空気が立ち込めている。
この鳥居の道をたどっていくと、現世では無い怪しい世界にたどりついてしまう気がする。鳥居は世界を分ける垣根だから。
「Amazing!」
心の中でだけ、英語圏の人間になりきって叫んでみる。
周りのインバウンドの皆さんは、しきりにシャッターを切っている。一眼レフ率がかなり高い。
鳥居を背景に、仲良く家族写真を撮られている皆さんも多い。
さすが、外国人観光客満足度NO.1!
どうですか?日本旅行、楽しいですか?楽しんでいただければ幸いです!
せっかく日本を選んで旅行に来てもらったんだから、是非とも楽しんでいただきたい。
なんだか旅行会社の社員のような気持になってしまったが、これが日本の「おもてなし」精神の基礎なのかもしれない。
8:45 奥社到着。
わずか15分で到着した。以前来た時はここで引き返したと記憶しているが、たった15分でつける場所だったのか…。もっと遠い気がしていた。
誰も興味を示していなかったので、「おもかる石」を一人で持ち上げてみた。
すっげー重かった!
なんでも、「おもかる石」とは、持ち上げてみて「軽い」と感じると、願い事が叶う日が近い 「重い」と感じると、願い事が叶う日は遠いらしい…。
だめだこりゃ(byいかりや)
奥社でしばし楽しんで、山頂への道を進む。進んでも進んでも鳥居が続く。
以前の私の経験から、観光客の皆さんは、時間の都合もあるので、奥社で引き返す人が多いに違いない。だから、ここから先は人が凄く少ないはずだ。
でも、意外と人は減らない。すごいな、インバウンドパワー。
9:10 三ツ辻
9:15 四ツ辻
峠の茶屋といった感じの土産物店も登場。ちょっとした休憩スポットになっている。景色も良く、京都南部が見渡せた。
ここから頂上の一ノ峰に至るルートが二つに分かれる。どちらのルートを選択しても頂上にはたどり着くのだが、距離が近そうだったので、眼力社、御膳所奉拝所ルートを選択し、案内看板を頼りに石段を登る。
途端に、周りには小さな祠が林立。細い道を進んでも曲がっても小さな祠と鳥居。
古びた石の灰色に、奉納された小鳥居の朱が鮮やかに目に突き刺さる。
何かじっと見られているような気がして後ろを振り返ると、祠の前に置かれた狛狐と目が合う。厳めしく、こっちをにらんでいる。
時が止っているかのような不思議な静けさの中、「とおりゃんせ」がどこかから聞こえてきそうだ。
なぜか、さっきまでいたインバウンドの皆さんはいなくなり、私一人がこの空間をさまよっている。
ここはどこだ?
道間違った!
どうやら荒神峰に迷い込んでしまったらしい。
荒神峰、怪しい雰囲気満点過ぎる。
細い小路を曲がっても曲がっても祠と狐と鳥居だらけで、「どうしよう、異界に迷い込んだ…」と かなり不安になった。
頭の中を「彼岸」とか「人身御供」とか「神隠し」なんて妖しい単語がどんどんよぎっていって、妄想が大爆発。…いくつになっても中二病…。
異世界から脱出をはかり、今度こそ頂上に至る正しい道を行く。やっぱり、鳥居はずっと続いている。
このあたりになると、さすがに人影はかなり少なくなってきた。
9:30 眼力社
9:35 御膳所奉拝所
眼力社ではかなり真剣にお参りした。最近、視力の衰えが激しくてねえ…。
無料のおみくじもあって、楽しい。中吉だった。
ここからが山頂に至る道のラストスパート。
階段を黙々と登っていく。結構辛い。
私の前を行くお兄さん二人連れは「頭から湯気が出そうだ~」と言いながら登っていた。普段、登山をしない人たちなのであろう。(そりゃそうか)
9:55 一ノ峰(山頂) 233m
稲荷山の山頂を示すプレートもあるが、眺望はなし。立派な社がある。
末広大神と書かれた幟がはためいていたが、どうやら、アメノウズメノミコト(天岩戸の前で踊った神様)が祀られているらしい。芸能の神様だ。ここで芸事の神様か…。その関連性は、よくわからない。が、しっかり参拝する。
下の本殿から約1時間半。ここまで登るのは「今日は登る!」という気合いと「半日余裕あります」という時間が必要だと思う。
だが、山頂にはかなりの人がいた。もちろん、インバウンドの皆さんも。
余裕があって、通な旅行だ。あこがれる。きっと、何度目かの京都なのだろう。
帰路は二ノ峰、三ノ峰コースをとる。四ツ辻で行きのコースと合流。
しまった…。社の順番からいうと、このコースで登った方がよかったのかもしれない。
さくさく下る。やはり、鳥居だらけ。比較的新しい鳥居が多い。
10:10 四ツ辻
ここから急に人が増える。眺望もいいので、このあたりまでは登ってくる観光客が多いのだろう。
登山グループもちらほら見える。「京都一周トレイル」巡りだろうか。
三ツ辻で分岐。
本殿へストレートに下るルートをとる。
10:40 本殿到着 約2時間。荒神峰に迷い込まなければ、もうちょっと早く山頂往復できたはず。
下界に帰ってきて、びっくりだ。朝より格段に観光客が増えてる…!
御朱印所も本殿とは離れた場所のビル(?)の一階に大々的に設けられていて、大人数対応型だ。
しかし、いかんせんインバウンドの皆さんには、まだ御朱印文化までは浸透していないらしく、ものすごく空いていた。まだまだ伸びしろ、あるね!
かつて「頂上までは無理だよう!」と思ったが、意外と簡単に登れて楽しかった。
やはり 、上まで行く!との強い意志を持って臨んだからであろう。
それにしても、どこまでもどこまでも鳥居だった…。朱色の洪水。
この山には、間違いなく神様が住んでいる。
今度登るときは、禁断の夜に行ってみたい。灯籠に照らされた鳥居の朱色が、妖しの世界へ誘ってくれるという。少し、怖いけれど。
最後におまけ。
稲荷山攻略中、私はずっと片手にサ●トリー天然水をぶら下げて歩いていた。朝、京都駅のコンビニで購入した。
何気なく、ラベルを見て、そこに書かれた文字に仰天した。
「奥大山の天然水」
南アルプスじゃ無い!!
ラベルのデザインは全く同じなのに、「奥大山」!!
どこかの会社が大胆にパクったのかと思ったが、何度見ても、サントリーの商品である。
帰宅して調べた。
なんと、「南アルプス」の他「奥大山」「阿蘇」があり、それぞれ販売地域が異なるらしい。
私が住む関東では「南アルプス」、近畿地方では「奥大山」が販売されているという。
知らなかった!
この話を大興奮して山の相棒ノムさんに話し、ラベルの写真を見せた。すると、ノムさんから、さらっとご指摘がある。
「ラベルの山の形が違うと思う」
…!!確かに!
よく見れば、山の形が違うよ!
「違う山のラベルでは商品名に偽りありだよ」
とノムさんは、さらにたたみかける。
言われてみれば、おっしゃる通り。でも、私は気づかなかった。
さすが、サ●トリー!細かいところまでの心配りに、私は感動した。
以後、山のお供の水はサ●トリーにする!
ちなみに、味もかなり違うらしいが、私にはさっぱり…。
<コースタイム>
8:30 伏見稲荷大社本殿…8:40 千本鳥居…8:45 奥社…9:15 四ツ辻…9:20 荒神峰(迷い)…9:30 眼力社…9:35 御膳所奉拝所…9:55 一ノ峰(山頂)…10:10 四ツ辻…10:40 伏見稲荷大社本殿
「司馬遼太郎が考えたこと」司馬遼太郎
意識した訳ではないけれど、今年の夏、二大東照宮に立て続けに行ってしまった。本当にたまたま。
徳川家康は自分の亡骸をまず、久能山に葬った後、日光に小堂を造営するよう遺言したという。(京都の金地院にも小堂を造るように遺言)
日光に小堂…。小さいのかな、あれ?家光くんと天海僧正が派手にしすぎたような気がする…。
それはともかく、日本全国に東照宮は数多あれど、(ウィキペディアによると現在は約130社だそうだ)この2つの東照宮は別格。徳川将軍家が江戸時代中、維持費をつぎ込んだおかげで(?)、現在でもとにかく絢爛豪華できらびやか。彫刻が細部まで施されていて「は~結構ですな~」とやっぱりつぶやいてしまう。
こちらは久能山東照宮。写真ではわからないけど、見晴らしサイコー。
この二つを二大東照宮とだけ言っていればそれでいいと思うが、どうも日本人は「三大●●」にしたくてたまらないらしく、全国各地の東照宮が「我こそは三つめの東照宮!」と名乗りをあげているらしい。
…狭い世界で、狭い争い…。
いいじゃん、2つでも…。
そのうちの1つが、我がG県にある。その名も「世良田東照宮」。
この名を聞いてぴんと来る人はかなりの家康ラヴァーであろう。
このあたりには「徳川」という地名があり、「徳川家発祥の地」とされているからなのだ。別に、現代の地元民が「うちの地名、将軍家と同じじゃん!だから、ここが発祥の地に違いねえ!」との薄い根拠で、発祥の地を名乗っている訳では無い。家康自らが、この地を発祥の地としたのだ!
「司馬遼太郎が考えたこと」は歴史小説の大家、司馬遼太郎の論評やエッセイなどの雑記を集めたものだが、その中に収録されている「徳川家康」という文章の中で、家康の祖先に触れている。
家康の数代前、北国のほうをうろうろしていた乞食坊主が、松平郷にやってきた。(中略)
その男も、松平郷の松平家に長逗留していたが、やがて当家の後家さんとできてしまって子がうまれた。(中略)
その子が、家康の祖である。(中略)
家康はえらくなってから家門をかざるために「じつはその乞食坊主が新田義貞の子孫であり、従ってわが家は源氏の名門になる」などというようになった。
世良田東照宮のホームページの由緒によると、その新田義貞の子孫は、新田(徳川)義季。その後、9代目の親氏の代に、領地を追われて出奔。これが、司馬遼太郎のいうところの「うろうろしていた乞食坊主」のようだ。(婿に入り、松平親氏と称する)そして、その7代後が家康だそうだ。
遠いな…。
無理矢理感、半端ね~。
まあ、当時の人も、現代の人も(多分家康本人も)、信じてないね。
司馬氏も「そういう家ではない」と言い切っている。
しかし、徳川家の皆さんはそうも言っていられないようで、家光くん&天海僧正ペアにより、1644年に日光東照宮からの遷宮が行われ、世良田東照宮が誕生したとのこと。家光くんにとってもご先祖の地だしね…。
一応、由緒正しいので、世良田東照宮は「三大東照宮」を名乗っている、ということなのだ。(何でも、久能山と日光を一直線に結ぶ位置、云々もHPには書いてあったけど、私、そういうの好きじゃ無いな…)
世良田東照宮には数年前に参拝した。
二大東照宮に比べると明らかに格が違いすぎるが、まあ、G県の片隅にしてはそこそこ立派。
御駕籠の顔はめパネルが楽しかった…。(日光東照宮にも久能山東照宮にも顔はめパネル、結構あった…。東照宮一門、顔はめ好き…??)
前の駕籠かきさん、辛そう…。顔を出す部分はカットしました。写真を見返したら、これしかなかった…。
これで、私は三大東照宮を制覇したことになる。
わーい!嬉しい。
なんだろう。やっぱり、私も日本人だから「三大●●」がしっくりくるのよね。代表選手は3人まで!
しかし、他にも三大東照宮の名乗る神社はある…。
それどころか、日本国内には他にも100を超える東照宮があるのだ。
うーむ、一生かかってもすべてに参拝するのは無理だな。いや、コンプリートを目指す気はさらさらないけど!
江戸時代には、東照宮は500社とか700社とかあったらしい。
やっぱり、徳川家康のご威光はすごいな~。
司馬氏は、家康は「だまさない人」だと言う。
天才ではないが、義理堅さ、律儀さがすぐれていて、この性格に対する信用が天下を取らせた、としている。
しかし、晩年の「まるで死にものぐるいのように秀頼をいじめ、だまし、ついにその家を覆滅した」ことから「たぬきおやじ」になってしまった、と同情する。
東照宮にはだいたい、「家康公遺訓」が掲げてあった。
(遺訓自体はどうやら偽物の疑い濃厚らしいが…)
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
確かに司馬氏のいう「だまさない人」らしい、堅忍質直などっしりとした貫禄を感じるお言葉。
どんな人物だったのか、今となってはもうわからない。ただ、推測するだけ。
最後に行った、久能山東照宮で、富士山を眺めていたら、「徳川家康という人がいて、ここに眠っているんだな~」という妙な実感が今更湧いてきて、なんだか不思議な気分だった。
歴史と現代は地続きなんだな~。
ちなみに、司馬氏によると、徳川家先祖の乞食坊主は隣村の酒井家の後家さんともできて、子どもがうまれた。その子は徳川家の譜代大名の筆頭になった酒井家の祖だそうだ。
…世良田東照宮は、酒井家の発祥の地でもあるね…。
御朱印ゲットだぜ!
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/12/22
- メディア: 文庫
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「徳川家康」は2に収録。