「パンツの面目 ふんどしの沽券」米原万里
最近、たまに耳にするが、公共施設のトイレットペーパーを勝手に持って帰ってしまう人がいるらしい。
もしかしたら、家計がものすごく苦しいご家庭なのかもしれないが、なんともセコい話である。トイレットペーパーが無いなら、古新聞でも使えばいいのだ。(おしりが黒くなるらしいが)
先日、友人のシロさんと話をしていたら「うちの会社のトイレットペーパー、ものすごく無くなるのよ…。疑っちゃ悪いけど、工場で働いている外国人があやしいような気がする」との発言が飛び出した。
いや、シロさん、ちょっと待て!
「西洋人というかロシア人は、おしりを拭かないらしいよ!だから、トイレットペーパーを盗む必要がないはずだよ!」
と力強く反論してしまった。
「…おしりを拭かない!?」
とショックで呆然とするシロさん。
そうなのだ。私もその事実を知ったときには激しい衝撃を受けた。
しかし米原万里さんのエッセイ集である「パンツの面目 ふんどしの沽券」にはっきりとその事実が書かれているのだ。
ワイシャツの形が必要以上に(膝に届くほどに)長くて側面にスリットが入っているのはなぜだか知っているだろうか?
それは、かつてヨーロッパの男性は、パンツなどをはかず、ワイシャツの前身頃の下端と後ろ身頃の下端で股を覆っていたからだ。
その当時の名残が、現在のワイシャツ形に名残として残っているそうだ。
終戦直後、日本人が残る北方4島や満州にソビエト兵がやってきた。その際の日本人の目撃端として「ソビエト兵の着ているルパシカ(上着)の下端がひどく黄ばんでいた」という証言がいくつもある。
一体どうして、そんな場所が黄ばむのか。
米原万里さんはもっともな疑問を抱く。
シベリアに抑留された日本人の証言にその解答はあった。
シベリアの収容所では、トイレに一切紙が無く、日本人は困りはてたらしい。
どうにかして、自らのおしりを何かでぬぐいたい日本人。
ぼろ布を小さくちぎってみたり、褌の端をちぎってみたり、防寒着である綿入れから少しずつ綿を取り出してみたり、草や藁を使ってみたりと、涙ぐましい努力をする。
日本人の捕虜なんかにはおしりを拭く必要などないと考えているのか、と憤る日本人もいたようだが、事実はどうやらそうではないようだ。
トイレで一緒に用を足すロシア人を見て、日本人はその理由を理解する。
「ソ連人はまったく紙を使わなかった。彼らの間に需要がないのに、どうして、捕虜の需要に応える必要があるだろうか」
「彼らは紙を使わない、終わればズボンを上げてそのまま出て行ってしまう。もちろん手なども洗わない」(捕虜の方の証言 作中より引用)
どうやら、食生活の違いのせいなのか、彼らは鹿とかウサギみたいにころっとしたものを排泄するらしいので(日本人比による)拭かなくても大丈夫らしいのだ。
しかし、いかにロシア人といえど、時にはお腹がピーになってしまう日もある。そのため、ルパシカの下端は黄ばんでしまうというわけだ。
ちなみに、米原万里さんのさらなる調査によると、拭かない文化は男性だけにとどまらず、女性も同様であるらしい。
そういえば、マリーアントワネットの時代とかの舞踏会では、部屋の隅っこでそのまま用を足したと聞いたことがある。
あの大きく広がったフープドレスはそれを上手に隠してくれるらしい。もちろん、その当時はパンツをはく習慣もなかったと思われる。
そして、ハイヒールは元々、床に落ちている排泄物を踏まないために考案されたものだとか…。
きったねー、ヨーロッパ人(ロシア人)!
どうしても、日本人の習慣になじんだ私は叫んでしまう。
シベリアに抑留された日本人の皆さんの境遇については、もらい泣きしてしまいそうだ。
昔、上海に旅行した時に、1元払ってちっちぇー紙を渡されて用を足したことがあったが、紙くれるだけ、ありがたい国だったのね。アジア民族に同胞意識をいだく。
トレイに紙がないと絶望的な気持ちになる。シベリアではそれが、一回だけじゃなくてずっと、ずっと続くのだ。もう、泣くしかない。
現代の日本なんて、公共施設のトイレにもウオシュレットがかなり設置されている。ウオシュレット付きだからといって、紙がないことなんてない。ちゃんとやわらかくおしりにフィットする紙も備え付けられている。洗った後、さらに拭く!
さらに、先日、私が行った居酒屋さんのトイレでは、扉をあけた瞬間に、ふたがぱかーんと開いてお出迎えしてくれた。
日本人のトイレにかける気合いは、ちょっとやりすぎかもしれん。他国では理解されないレベルのような気もする。でも、さらに快適さを追求してしまうぞ。
だって、トイレで用を足した後に拭かないなんて、考えられない!
トイレこそ清潔で快適な空間であって欲しい!
しかし、米原万里さんは違う。さすが、プラハ・ソビエト学校で少女時代を過ごした人物だ。
「抑留者たちが、異文化に接しながらも、「用を足した後は紙で拭き、手を洗う」という自分たちの日本の風習は至極当たり前の常識として疑問にも思ってもいない(中略)そうしないことには、人間以下、犬猫同然と何人かの元抑留者が断じている」ことが気になって仕方が無くなったそうだ。
21世紀初頭においても、紙でおしりを拭くことを当然の文化としている人は、先進国を中心とした1/3ほどであり、それ以外の人々は、砂やぼろきれや草やロープなんかを使用している国が多いらしい。
さらに、ほ乳類の中でおしりを拭くのは人間だけだ、とも米原さんは言う。
…お言葉を返すようだが、紙で拭かなくても、布きれやら何やらでやっぱり拭いているじゃないか、と私は言いたい。
拭かない習慣の方が少数だよ、多分!
別に、それが悪い習慣だから変えた方がいい、などと押しつける気持ちは無いが、私はこれからも日本の拭く習慣をもって生活して行きたい。(多分ないけど)ロシアで暮らすことになったとしても。
だって、気持ちがどうしても追いつかないから。
さて、拭かない習慣の国はロシアだけなのか、それともヨーロッパ全体なのか。そして、現在ではさすがに拭く習慣が浸透したのか。
とても気になるが、トイレというあまり人には話さない事情だけにそのあたりのことはよくわからない。
間違いなく、パンツをはく習慣は定着しているだろう。
米原さんの少女時代にもパンツは店頭にあったようなので、もう、黄ばんだルパシカはない、と思われる。
拭く方はどうだろう…?こういう習慣はそんなに簡単には変わらないような気がする。
最初の話題に戻るが、友人シロさんの会社で働く人々はロシア人ではないそうだ。
じゃあ、おしり拭いている人々かもしれないので、トイレットペーパーをくすねた犯人の可能性はある。
いやたとえロシア人であったとしても、日本で生活するうちに「おしりを拭く日本の習慣、気持ちいいじゃん。ハラショー」と思い、自らの習慣を変えたのかもしれない。
いや、日本人がシベリアでも習慣を決して曲げなかったように、ロシア人もきっと曲げないだろう。
文化の違いというのは、根深く、そして面白いものだ。
以前、こんなものも書きました。上海でのトイレ事件。
桜咲く
春が来た。
桜が咲くと、春が来た、と急にそわそわしてしまう。早く、花見に行かないと桜が散ってしまう。何が何でも、咲き誇る桜を見なければならない。だって、今年の桜は今年だけだから。
しず心なく 花の散るらん とうたった紀友則の気持ちがよくわかる。
もうちょっとだけ、待っていて欲しい。そんなに散り急がないで。
という私の気持ちが通じたのか、今年は開花してから寒い日が続き、満開まで少し足踏み。週末のぽかぽか陽気で満開になるという、最高の状況。
ありがとうございます。天気の神様。気象神社にお参りした御利益かしら?
今年もいそいそと花見に出かけた。
桜の下で飲むビールはサイコー!
4月は花見で酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ(by 日本全国酒飲み音頭)
本当はノンアルビールを飲んで、崎陽軒のシュウマイをつつく、という、ピクニック花見だった。絵に描いたような酒盛りしたいな。
さらに 今年は妙な焦燥感が強く、夜桜も見物に出かけた。
宴会で賑わう人たちや、夜桜見物でそぞろ歩く人々で、かなりの人出だった。日本人はどうしても、桜が咲くと浮かれて出かけてしまうものなのだろう。もう、しょうがない。
私もスマホ片手に桜並木をぶらぶら歩く。
ぼんぼりの明かりを頼りに写真を撮っていると、突然、あたりは真っ暗に。
「わあ、停電!?」「ここだけ暗くなったぞ。屋台は明かりがついているのに」と周りの見物客の皆さんと、少しざわついたが、原因は時計をみてすぐに判明。
どうやら、9時半を過ぎると、何の予告もなく照明が落とされるらしい。
割と早い!
うう…もうちょっとぶらぶらしたかった…。
未練がましく、暗闇の中でフラッシュをたいて写真を撮ってみたりするが、桜が幽霊の様に映り込む不気味な写真になってしまい、即座に削除する。ちょっと怖い!
ここは、いさぎよく諦めよう…。
ついでに、春の花と言えば菜の花。
鮮やかな黄色が目にまぶしく突き刺さって、春の到来を教えてくれる。
なんとなく、こちらは庶民的で身近な暖かさを感じるのは私だけだろうか。桜が華族のお嬢様なら、菜の花は平民の女学生って感じ。
車を走らせていたら、土手が黄色に染まっている光景を目にして、たまらず車を脇に駐めて写真を撮ってしまった。
多分、車で通りがかった方には「なにやってんだろう、あいつ…」と不審に思われたに違いない。怪しい行動。
他にも春を告げる花は次々と咲いている。
気温も高くなり、ぽかぽか陽気で朝、起きるのが辛い。(朝起きられないのは春だけでは無いが)
山もおぼろに霞んでいる。
春になった。
春になって、暖かくなれば、また高い山にも行けるシーズンがやってくる。
今年、行きたい山のピックアップを始めよう。
やっぱり、春はうきうきする季節なのだ。わーい。
気象神社で晴れ祈願
登山に行く日は晴れていて欲しい。
京都の大文字山に登った際の実感である。
雨登山もまた別の楽しみがあるとは思う。現に超絶雨女キキちゃんと、お互いを雨女とののしりつつ、楽しい登山ができた。下山後の湯豆腐、最高だったし。
でもやっぱり、晴れがいい。頂上で汗をぬぐいながら、真っ青な空にくっきり映える周囲の山を見渡して、「ヤッホー」と叫びたい。
「なんも見えねえ(北●康介風に)」などど、白いガスを見渡して言いたくないのだ。
天気ばかりは人の力ではどうすることもできない。できることといえば、神頼みしかない。
私は最終手段として、登山前日に何度かてるてる坊主をぶら下げた。遠足前日の小学生の行動より良い手段がまったく浮かばないのだ。他に何か良い方法があれば教えて欲しい。
「あきらめる」とか「別の日にする」が大人の答えのような気もする…。
しかし、私は諦めない。いや、諦められない。
神様へ晴れをお願いするために、ついに日本でただ1つ、という「気象神社」に行ってきた。
なんでも、気象神社は旧陸軍気象部の構内に造営されたもので、戦後、高円寺氷川神社に移設されたそうだ。神社としては非常に新しい神社だが、日本唯一の天気の神様だという。
日本はずっとお米を作って暮らしてきたので、天気のお祈りといえば「雨乞い」。
空梅雨は米の不作に直結するし、水が無いと生きていけないので、馬を生け贄にして捧げたり(発掘すると、畦から馬の歯が見つかることがあるそうです)、火を焚きあげて上昇気流を作るとともに祈りを捧げたりと、雨への祈りの手法は様々に工夫されてきた。全国各地に水の神である竜神を祀った神社もたくさんある。
岡野玲子「陰陽師」には、安倍晴明が雨乞いのため旅をする話があったり、最近読んだ本では榎田ユウリ「宮廷神官物語」でも主人公の一人、鶏冠が雨呼びの儀を強要されていたりする。(もっとも、宮廷神官者物語は朝鮮風の国が舞台だが)
なかなか晴れを祈願する方の神社は見当たらないのだ。長雨は稲に病害虫が発生する恐れもあるはずだけど…。そこは意外と暢気なのか、日本人。
椎名誠「雨がやんだら」は雨がずっとずっと降り続く不気味な話だったが、別に晴祈願はしていなかったはずだ。
そんな中で見つけた、日本唯一だという「気象神社」。
行かねばならぬ。そして、私とキキちゃんの晴れ登山への切実な希望をお伝えしてこなくてはならなぬ。
真剣に真心を込めてお祈りする。心なしか、柏手を打つ音も大きい。
私の本気度を神様にお伝えするため、お賽銭も100円玉を投入した。大奮発だ。
お賽銭の相場については人それぞれだと思うけど、私にとっては「心意気を見せる額」なのだ。100円は。
お天気の神様、ワタクシ、はるばるG県から、やって参りました。
住所氏名も心の中でお伝えし、晴れの山に登りたい旨をお願いする。よろしくお願いいたします。
神様におしりを向けたら失礼にあたるらしいので、そろりそろりと後ずさりして社殿を離れ、参拝完了。
よし。しっかり参拝できた。
由緒の書かれた看板を眺めたり、絵馬を覗いたりする。
絵馬は「あーしたてんきになーれ」と下駄を飛ばして翌日の天気を占う日本伝統の風習(?)から、下駄の形をしている。かわいい。
勝手に見て回るのはあまり良くないんだろうけど「寒暖差が大きくなって スープがたくさん売れますように」との願いが書かれた絵馬を発見し、思わず「ううむ」とうなってしまった。
天気は様々な業界に影響を及ぼすものだなあ。冷夏だと農作物はもちろん、ビール業界やらアイス業界やらが大冷えになるらしいし。
でも、天候は人間にはどうしようもないので、神様にお願いするしかないのだ。
自然崇拝って原始的で当然な気持ちだと実感する。だって、努力すればどうにかなるものじゃないもの。
さて、参拝をすませた後は、社務所へ向かい、今回のお目当てでもある「晴守」を授けていただく。
さらに念を入れ、「てるてる守り」も頂戴する。こっちはスーパー雨女キキちゃんに渡すつもりだ。二人で持っていれば、きっとお天気の神様も味方してくれるはず。頼むで!
ついでに御朱印もいただく。
7~8名並んでいたのだが、神社の人のよると「今日は空いていてラッキーですよ」とのことだった。通常の土日だと1時間とか待つこともあるとか。うへぇ。
なんでも、こちらの御朱印は毎月変わる手彫りの木版で、また一部、天気に応じて押してくれるハンコが違うらしい。ちなみにすべてハンコで、神社名もハンコ。墨で書いてくれるわけでは無い。
最近、神社は御朱印に工夫を凝らしているところが大変多い。期間限定とか。
何か踊らされているような気もするが、私の中のコレクター魂は「通うしかないやろー」と叫んでいる。毎月は無理だけど、雨の日御朱印とか欲しい。
でも実を言うと、私はお寺の御朱印の方が好きだ。特に大日如来の御朱印をいただけると心がときめく。密かに大日如来だけで染めた御朱印帳が欲しいと思っている。道は険しいけど…。
さて、この「晴守」をザックに装着して、宝登山に登ってみた。
晴れた!
御利益あらたかなり!
これできっと大丈夫だ。多分。
今年の夏あたりに、またキキちゃんと山に行くと思うが、この晴守とてるてる守りで、快晴と最高の景色にヤッホーと叫んでみせようではないか。
そして、気象神社にお礼参りに行って、御朱印をいただきたい。できれば、雨のハンコが欲しいので、雨の日に!
…なんて欲深いのかしら、私は…。
一緒につけているのは、上賀茂神社の「雷除御守」。神様が喧嘩しないか、ちょっと心配…。
宝登山〜春近し〜
実は昨年、モ●ベルのイベントの抽選で、宝登山ロープウェイの無料券が当たったのだ。
有効期限は無いみたいだけど、早めに使った方がいいだろう。どうせなら、宝登山の代名詞である蠟梅が咲いている時期に行こう、と2月中旬に設定した。
催玉県(仮)北部はほぼG県である。長瀞も北部なので、ほぼG県と言って間違いないであろう。距離的にも我が家から車で1時間半弱くらいで到着する。近い。
…催玉県(仮)民は「ほぼG県」であることに、どのような感情を抱いているのか知らないが、ホンモノのG県に住まう我々は催玉県(仮)北部を快く受け入れる用意がある!
学校の校歌に赤城山を歌う地域として、共に手を携えて世間の荒波に立ち向かって行こうではないか!
近いので、当日朝は8時出発。今回の同行は山の相棒ノムさんだ。
ただ宝登山に登るだけではつまらないので、長瀞アルプスから宝登山山頂を目指すルートを歩くことにする。
「…そのルートだと、ロープウェイ使わないのでは…?」とノムさんが気づく。
「…うむ。下りだけ使うってのはどうかな?券は往復券だけどね…。贅沢をしてみようよ」
とりあえず、行きは自分の足で歩く。
この山はロープウェイを使うと、ほぼ登らない、歩かないで山頂に到着できてしまう。
普段、ロープウェイは大好きなのだが、この山ではさすがにパスしてみた。
がらーんとした駐車場に車を駐める。料金は1日300円。安い。
駐車場のおじさんは私たちの服装を見て「神社だけなら、もっと安くするんだけど、山の人は長いから300円ね」と告げた。…ディスカウントできるくらい、閑古鳥が鳴いているのか、冬の長瀞駅前!
夏場はライン下りやら何やらで、かなりの賑わいぶりなのだろうが、寒い冬に来る人は少ないのか…。こたつ船でライン下り実施しているみたいだけど。
何かもの悲しい気持ちで駅へ向かう。
すると、意外や意外、駅前はたくさんの人であふれており、観光協会の人(?)が次々訪れるハイカー達を宝登山へと案内している。
そうか!大都会の人は車じゃなくて、電車で来るのか!
ほぼG県といえど、さすが催玉県(仮)。大都会に近いので、訪れる人も多いらしい。
観光協会の人(?)が田舎から訪れた私たちにも「宝登山ですか?」と優しく声を掛けてくれた。
ありがとうございます!
でも、私たちはここから一駅だけ電車に乗り、そこから宝登山を目指すので、今、案内はいらないのだ。
田舎者への優しさに対する感謝を胸に駅の改札をくぐる。
当然、自動改札なんてものはない。秩父鉄道はどローカル線。Suicaも使えないのだ。
10:00 野上駅到着。
ここも人で大賑わい。私たちと同じく長瀞アルプス経由で宝登山を目指す人はたくさんいるらしい。
しかし、こちらの駅は観光協会の人(?)はおらず、自らの力で目指す登山口までのルートを歩くことになる。
正直、人がたくさんいてくれてよかった…!
野上駅から登山口までは徒歩およそ20分程度だが、住宅地(いや、田舎道といった方が正しいか?)の一般道路を歩いて行くので、先を行く人々がいなかったら迷っていた可能性が高い。
長瀞駅前で地図貰ったけど、私もノムさんも地図は苦手だ。…登山する上で大切な能力が私たちには欠けている…。
「何事にも先達はあらまほしき事なり(by吉田兼好)」とつぶやきながら、迷うこと無く長瀞アルプス登山口である万福時に到着した。9:20。ありがとう、先達!
長瀞アルプスは、穏やかな樹林帯の道がほとんどで、眺望はあまりない。冬なので、木々の合間から少し景色が望める。
「アルプス」いうよりは「里山」という雰囲気だ。
道を行く人も多く、なんとなく、先日登った太田金山を思い出した。ただ、太田金山は地元民がほぼすべてなのに対し、長瀞アルプスは大都会民が大勢を占めている点が大きく異なる。うーむ、さすが催玉(仮)。
「神まわり分岐」「天狗山分岐」「氷池分岐」をてくてくと超える。
四角友里「山登り12ヶ月」によると、この氷池から秩父名物天然氷が切り出されるそうだ。冬に切り出しておいた氷で、夏にかき氷を食べる。贅沢の極みである。
清少納言も枕草子で、甘蔓をかけた削り氷は上品なもの、なんて言っていたらしい。平安の昔は、本当に限られた一部の人だけが食べることができた超高級品だっただろう。それが庶民でも田舎者でも食べられる現代って、すごい時代だなあ。
氷池を見てみたい気持ちになったが、そこはぐっと堪え、引き続き長瀞アルプスコースを行く。長瀞アルプスの「神まわりコース」だと、氷池をとおるらしいので、今度来るときは、そのルートにしてみたい。
11:25小鳥峠
名前が可愛いので「ぴよちゃん峠」と呼んで、手を鳥の形にして写真を撮る。
私は鳥が好き。
11:40 毒キノコ看板前
長瀞駅で地図貰った地図に、しっかりと書かれている「毒キノコ看板前」という地名(?地名というか、スポット名?)
…他に言い方、無かったのかな…?
「毒キノコ看板って何!?」とキノコ好きなノムさんは若干興奮気味。
「宝登山頂、もうすぐ、と毒キノコが教えてくれる看板じゃない?ベニテングダケとか!ク●ボーかも!」と私もかなり期待大。
実際に見てみると「毒キノコに注意!」という看板だった。
タマゴダケの絵とか書いてあるけど、「やたらにとって食べないことが最も安全といえます」というあたりまえの結論に至る、いたってまじめな看板だ。
なんか、学校の先生にこんこんと諭されているような文章で、どうも、身が縮むような気持ちになる…。
地名(スポット名?)になるようなキャッチーなインパクトのあるものを想像していたので、この生真面目さに少し拍子抜けした気分になる。
そりゃ、そうだよね…。何に期待していたのだろうか、私たちは。
毒キノコ看板を過ぎると、最後の仕上げ(?)の木の階段地獄が待っていた。
地図には「山頂まで約200段の階段」と書いてある。ここまでアップダウンのあまりない穏やかな道だったが、ついに登りが現れた。
ラスボス、という言葉が私の頭をよぎる。
「階段、キライ!」と涙ながらにノムさんに訴えてみるが「私も嫌いだけど、仕方がないじゃないか」と返されるのみ。淡々と登るしかあるまい。
段になっているべき土が流れてしまっていて、丸太が飛び出しているだけの階段で「丸太、かえって邪魔やねん!」と、私はついつい不満を口に出してしまう。いかん、いかん。楽しく登らなくては。
ノムさんは私の後ろから「ママ~ う~うぅぅ~」となぜか、ボヘミアンラプソディを歌っている、というか呻いている。やはり、進退窮まった時に助けを求めるのはママなのだろうか…。
12:10山頂着。497.1m
かなり広く、ベンチなども設置されているが、人が多く、お昼を食べる場所を確保するのもちょっと大変だった。
思い思いにくつろぐ皆さんに混じって、今回も私はカレーメシの良い匂いを周囲にまき散らした。最高においしいから!ソーリー、ごめんあそばせ。
ノムさんからレモンケーキのチョココーティング、といった感じのおやつを分けてもらい、甘いものの補給も万全だ。
天気が良かったので、山頂からは秩父のシンボル、ピラミッド山武甲山や、百名山の両神山が望めた。
いずれは、どちらも山も登るつもりだ。しばし、待ってて!
食後は、宝登山神社奥宮へお参り。13:15。
ここの狛犬も三峯神社と同じく、狼である。この地方はそういう信仰の地らしい。
隣の売店ではたき火があり、焼きミカンを売っている。
焼きミカン、とても、おいしいそう!しかし、さきほどご飯をじっかり食べてしまったので、今回は買わずなかった。甘さが増すんだろうな、きっと。
たき火、いいな~。
奥宮の先は、今回の目玉である臘梅園。ちょうど見頃。
黄色い花弁に日の光が透けてほんのり輝き、あたりは甘い香りが漂っている。
春が近い。
ついでに福寿草も梅も咲いている。
春って、華やかな季節だな。こんなに一気に花が咲き乱れる景色になれば、そりゃあ、浮かれるってもんだ。
ロープウェイ組も加わり、春の花見の賑わいだ。
みんな、春の訪れを感じているのか、どこか足取りが軽く、笑い声のさざめきが賑やかだ。
賑わいにつられて、うらうら歩いていると、すぐにロープウェイの駅に到着。
「ノムさん…ロープウェイ乗る?」
「…いや、歩こうか」
なんだか、春の気配に心が浮き立っていたせいか、長瀞アルプスが割と穏やかだったせいなのか、気力体力共に余裕があったので、歩いて下山を選択してしまった。
つまり、せっかく貰ったロープウェイ無料券は全く使わず…。
モ●ベルさんに言いたい。
モ●ベルのイベントには、登山が好きな人が行くのであって、宝登山の場合は登山が好きな人はロープウェイは使わない…。
どうしよう、この無料券。一応、次の機会があると信じて、持っておこう。でも、次の機会も足で登っちゃう気がする…。
宝登山の登山道は綺麗に砂利で整備された道で、急坂にならないよう勾配に沿って、うねうね曲がって作られており、多分とても歩きやすい。でも、単調なので、ちょっと飽きる気もする。
途中、藪の中を一気に下る獣道のようなショートカットルートがつけられていたので、(おそらく登山者が勝手につけたと思われる)ついつい、ショートカットルートに入ってしまった。そっちの方が楽しかったので…。スミマセン。
14:30 麓の宝登山神社着。
下りはショートカットルートを使ったせいか、多分、30分ちょいくらいで下りられてしまった。
今回、長瀞アルプス登り、宝登山下りルートを選んだのは正解だった。
逆コースだと、宝登山の登りが単調で地味にずっと登るだけのルートで、あまり変化が無く面白みに欠けたような気がする。
長瀞アルプスコースは、楽しい山歩きからスタートして、宝登山を楽しんだ後、一気に下ってフィニッシュという、いい配分になっていると思う。
御朱印も2カ所貰えたし、春の花も堪能できて、楽しい一日であった。
余談だが、宝登山神社から駅までは土産物屋さんなどが多く並んでいる。
「豚みそ丼」や「こんにゃく」が名物らしい。
「…名物が完全にG県なんだけど…」
「やっぱり、催玉県(仮)北部はG県で間違いないね」
ノムさんと二人、確かな確信を持って、催玉県(仮)を後にした。
G県はいつでも、催玉県(仮)北部を歓迎する!
<コースタイム>
9:45長瀞駅…10:00野上駅…10:20万福寺…11:10氷池分岐…11:25小鳥峠…11:45毒キノコ看板…12:10山頂(お昼50時間)…13:15宝登山神社奥宮…13:45臘梅園…14:30宝登山神社
「とりぱん」とりのなん子
先日、道の駅の農産物直売所をうろついていて、「訳あり りんご」(8個くらいで350円)を発見して、私は驚喜した。
すぐさまレジに直行だ。
自分で食べるために購入した訳でない。庭に来る鳥にあげるのだ。
もうずっと以前から、我が家では冬場に時折、庭の木にりんごを差しておく。
すると、すぐさま「ちぃーっ」という鳴き声と共に、ヒヨドリがやってくるのだ。
一体、どこで監視しているのだろう?うち、毎日、りんご出してるわけじゃないのに。
ヒヨちゃんはりんごが大好物。一心不乱に食べ続け、他の鳥がやってきても、決してりんごのベストポジションを譲らない。
時々、ヒヨではない鳥(ムクドリが多い)がりんごを食べていると、「どけやーっ」と激しく威嚇し、りんごをかっさらう、という傍若無人さを発揮する。
地面に撒かれた残りご飯を食べに来ているつぐみん(ツグミ)やらジョウビたん(ジョウビタキ)にも飛びかかって、蹴散らす。
りんご食べない面々にも容赦が無いヒヨちゃん。無人となった我が家の庭で、一羽悠々とりんごを食べ尽くすのだ。
ちなみに、ヒヨちゃん同士だと、たまーにりんごの順番待ちしている光景も見られる。が、待ちきれずに、激しい戦闘に突入することも多い。同士討ちも辞さないのだ。
ヒヨちゃん、最強。けんか上等。
我が家は完全にヒヨちゃんの支配下に置かれている。
まさに「とりぱん」に登場するヤンキーヒヨちゃんと全く同じだ。
私は初めて「とりぱん」を読んだときに、どこのヒヨちゃんも一緒なんだ…とえらく感動した。
最も、「とりぱん」のヒヨちゃんはオナガの集団やら、ゲラさんたちには負けていたけど…。うちにくるオナガは単独が多いし、ゲラさんたちは来ないから、ヒヨちゃんの天下なのであろうか。
「とりぱん」は庭にやってくる野鳥の話をメインとした四コママンガだ。2005年からモーニングで連載されているそうなので、かれこれ14年続いていることになる。かなりの長寿マンガといっていいだろう。
そもそも、「とりぱん」は作者の投稿作品であり、それがそのまま連載作品になって、長寿連載になるというすごい作品だ。まさに代表作。
投稿時、ペットマンガはたくさんあるけれど、野鳥をメインにしたマンガはないだろう、と作品内容を決めたそうだ。(1巻による)
確かに、新しいかも。あちこちに鳥がいることは知っていても、その鳥の名前すら知らないで生活している人がほとんどだろう。ましてや、その鳥たちが、実はいろいろな個性を持っていることも当然知らないのだ。
「とりぱん」では作者の目を通した野鳥たちの姿が、実に生き生きと描かれている。
我が家の庭を牛耳るヒヨちゃんは、ケンカ上等のヤンキーで、小心者で貧乏性のツグミ(つぐみん)をいじめている。でも、大甘党でお花とかを食べたり、オナガ集団には勝てなかったりと、どこか愛嬌のある存在。
オナガはその美しいブルーの羽根の色から「おしゃれ番長」。
日本画に出てきそうな「和風美人」としてはじめは登場したシメはひまわりの種を長時間食べ続ける大食い鳥として描かれる。(うちにはあまり来ない…)
また、本来、水辺の鳥であるハクセキレイは、なぜかアスファルト大好きな「駐車場の鳥」…。
本格的な餌台を作っているとりの家には、他にもさまざなま種類の野鳥が訪れている。
アオゲラ(ポンちゃん)、アカゲラ(ペンちゃん)、コゲラのキツツキさん(ゲラさん)たち。
毛玉のように愛らしいエナガたん。
我が家には、一度もやってきたことがない種類の鳥たちだ。うらやましい。
うちのえさは、りんごと余りご飯くらいなので、牛脂やひまわりの種とかが好きな種類の鳥は来ないのかもしれない。そもそも、頻度が「たまに」なのもダメなのだろう。
(以前、インコのえさの余りを置いたら、春になってよくわからない草がにょろにょろ生えてきて大変だったので、以後、余りご飯になった)
そして、豪快なドラミングを披露して欲しい!そのためならば、うちの壁の一部くらい、喜んで提供する!(家族、未承諾)
ポンちゃんへの憧れと、ヒヨちゃんばかりが幅をきかせている現状に少し変化を呼び込みたいという気持ちで、えさを拡充するべきかどうか、毎年少し迷う。
しかし、生来の怠惰な性格が邪魔をして、どうしよっかなーと思っているうちに、シーズンオフに突入してしまうのだ。今年も、そろそろ春が近い頃合いになってしまったので、まあ、拡充は来年以降考えよう。
メジロくるかもしれないから、ミカンは出してみようかな~、そのうち。
そもそも私は餌付けが好きだ。
観光地に「鯉のえさ」があれば必ず買う。
外国に行った際(台湾)でも買ったし、周りがポ●モンGOに興じる人だらけだった大●氷●神社でも買った。(ついでに氷●神社では「盆栽だー」も買った)
その他、数え切れないくらい「●●のえさ」を購入しているが、最も印象に残っているえさやり体験を記してみたい。
それは、京都六角堂の「鳩のえさ」である。
六角堂は華道の池坊発祥の地として有名なお寺だが、「鳩みくじ」も売っているくらい、とにかく鳩がいるお寺だ。
境内はこじんまりとしていて、ビルの合間にお堂がちょこっとあるだけで、敷地面積は小さい。
その六角堂を訪れ、売店で鳩みくじを買った際に、白い袋に入った「鳩のえさ」を売られている事に気づいた。100円か200円くらいだったと思う。
「鳩にえさあげられるんだ~。外にいっぱいいたもんね」と何も考えずに、いつものようにえさを購入。
えさが売られている横に「鳩のえさは、売店から離れたところであげてください」といった注意書きが書かれていることをよく考えてみるべきだったと後から後悔したが、その時は「ふーん」という感想しか持たなかった。
売店から出て、注意書きに従い、えさを片手に少し離れた場所に移動した。
すると、さっきまで平和に地面をうろついていた鳩たちが、一斉に私めがけて移動を開始する。鳥なので、もちろん低空飛行で飛んでくる。
「どうしたんだ、みんな!(鳩たちのこと)落ち着け!」と小走りに売店から離れるが、爛々と目を輝かせた鳩たちはさらに私に群がる。
肩に、頭に十数羽たかられ、右手に持った「鳩のえさ」を左手でつかみ出すという簡単な行為さえできず(両腕に鳩が乗ってるから)、右手にとまった勇気ある鳩が、えさの入った白い袋に勝手に頭を突っ込んで食べているのを「あわわわわ」と言いながら見ていることしかできない。鳩のなすがまま。
地面に「えーい」とえさを投げると、鳩が寄ってきてそれをついばむ、という正に平和の象徴のような状況を予想していただけなのに…。こんな暴力的な状況を誰が予想した!?
あの売店の張り紙は「近くでえさやりをすると、鳩が集まってきて迷惑」という状況を言っていたのか…!!京都人らしく、遠回しな言い方しやがって!もっと、直接的に「鳩がすごく寄ってきます」って書いとけよ!!
(他の方のブログによると、どうやら現在は「鳩が寄ってきます」的な書き方になっているらしいです)
一番、えさ袋に近いところの勇気ある鳩は一羽で勝手にえさを独占している。
このままでは、この一羽しかえさが食べられない!
鳩にまみれながら、突然その事実に気づき「ほかの鳩にもえさやりたいんじゃー!」と叫び、右手を下に向けて(手首を動かすので精一杯だった)、残ったえさを全部地面にざらーっと落とした。
途端に、落ちたえさに群がる鳩たち。
あっというまにえさは食べ尽くされ、鳩たちは何事も無かったかのように散っていった…。
ぼさぼさの頭で呆然と立ち尽くす私(頭にも鳩が乗っていたので)
なんか、すごい敗北感。鳩たちによってたかって身ぐるみはがされた気分だ。
ひどいわ。えさがなくなったら、私になんて、もう見向きもしないのね…
ちなみに、この一部始終を目撃していた友人には「ごめん、本当に怖くて、何もしてあげられなかった…」と謝られた。
私個人としては、オカメインコ(信頼関係はないが、一応手乗り)を飼っているので、鳥を腕にとまらせること自体は慣れていて全く抵抗がないので、別に怖くは無かった。
しかし、傍目から見ると「数十羽の鳩にたかられていて、完全にホラーだった!」とのことだ。ヒッチコックみたいな感じ?
わずか100円だか200円だかで、滅多にできない体験ができる場所、六角堂。
鳥好きにはオススメの寺だ。とりの氏にも、きっと気に入っていただけるのではないだろうか。
ちなみに私は、この体験が忘れがたく、2回目に行った際も「鳩のえさ」を買ってしまった。中毒。
以前、こんな記事もかきました。
藪内美術館にはその後行って、本とかグッズとか買い込んできました。八ヶ岳のついでに、また行きたい。
稲荷山(伏見稲荷大社)~妖しのインバウンド~
引き続き、京都の話である。
大文字山を登った翌日、帰路につく前に時間があったので、伏見稲荷大社に行ってみることにした。
実は、伏見稲荷大社は「京都一周トレイル」の出発地点。伏見稲荷大社の一ノ峰(山頂)への参拝コースはそのままトレイルコースにもなっているのだ。
少しでもトレイルルートを埋めておき、制覇を目指す。貪欲な私。
伏見稲荷大社には、15年くらい前に行ったことがあるが、その時は奥社までしか行かなかった。「どこまで続くのか、この鳥居は…」と早々に心が折れてしまったのだ。
あの頃の私は坂道を歩くことがひどく苦痛だった。
でも、今の私は違う。必ず、一ノ峰(頂上)まで登ってみせようではないか。
登山だけど登山じゃない。スニーカーにジーンズ、サコッシュを肩掛けし、片手にミネラルウォーター(サコッシュに入らなかった)の軽装で挑む。
ちなみに、天気は雲多めの晴れ。
単独行動だから…。私一人なら、それほど雨女ではない。
8:30 朝だが、伏見稲荷大社はかなり賑わっていた。JR伏見駅は小さな駅だが、その駅前は黒山の人だかり。
たぶん、8割くらいが外国からのお客さま。
インバウンド!
私の頭に、最近、流行りの言葉が浮かぶ。
…すごいな…。話には聞いていたが、これほどとは…!!
15年くらい前に来たときは、訪れる人もまばらだったと記憶しているが…。15年も経てば変わるものなのだろう。生まれた子どもが高校生になっちゃうのか、15年…。
変化にかなり圧倒されながら、インバウンドの皆さんの間をすりぬけ、朱色も鮮やかな本殿にお参りする。(私が来なかった15年くらいの間に修繕したのであろう)
8:40 本殿奥の千本鳥居入口に到着。
ここは京都観光雑誌などに必ず掲載される場所だ。
隙間がないほど立ち並ぶ鳥居が二筋に分かれている。誰が撮ってもインスタ映え~な写真が撮れる。
だがしかし、ここで写真を撮りたいのはみな同じ。ものすごい人だかりだ。
早々に写真はあきらめて先へ進む。
びっしりと並ぶ鳥居の下は、朱に閉じ込められた世界で、朱く色づいた空気が立ち込めている。
この鳥居の道をたどっていくと、現世では無い怪しい世界にたどりついてしまう気がする。鳥居は世界を分ける垣根だから。
「Amazing!」
心の中でだけ、英語圏の人間になりきって叫んでみる。
周りのインバウンドの皆さんは、しきりにシャッターを切っている。一眼レフ率がかなり高い。
鳥居を背景に、仲良く家族写真を撮られている皆さんも多い。
さすが、外国人観光客満足度NO.1!
どうですか?日本旅行、楽しいですか?楽しんでいただければ幸いです!
せっかく日本を選んで旅行に来てもらったんだから、是非とも楽しんでいただきたい。
なんだか旅行会社の社員のような気持になってしまったが、これが日本の「おもてなし」精神の基礎なのかもしれない。
8:45 奥社到着。
わずか15分で到着した。以前来た時はここで引き返したと記憶しているが、たった15分でつける場所だったのか…。もっと遠い気がしていた。
誰も興味を示していなかったので、「おもかる石」を一人で持ち上げてみた。
すっげー重かった!
なんでも、「おもかる石」とは、持ち上げてみて「軽い」と感じると、願い事が叶う日が近い 「重い」と感じると、願い事が叶う日は遠いらしい…。
だめだこりゃ(byいかりや)
奥社でしばし楽しんで、山頂への道を進む。進んでも進んでも鳥居が続く。
以前の私の経験から、観光客の皆さんは、時間の都合もあるので、奥社で引き返す人が多いに違いない。だから、ここから先は人が凄く少ないはずだ。
でも、意外と人は減らない。すごいな、インバウンドパワー。
9:10 三ツ辻
9:15 四ツ辻
峠の茶屋といった感じの土産物店も登場。ちょっとした休憩スポットになっている。景色も良く、京都南部が見渡せた。
ここから頂上の一ノ峰に至るルートが二つに分かれる。どちらのルートを選択しても頂上にはたどり着くのだが、距離が近そうだったので、眼力社、御膳所奉拝所ルートを選択し、案内看板を頼りに石段を登る。
途端に、周りには小さな祠が林立。細い道を進んでも曲がっても小さな祠と鳥居。
古びた石の灰色に、奉納された小鳥居の朱が鮮やかに目に突き刺さる。
何かじっと見られているような気がして後ろを振り返ると、祠の前に置かれた狛狐と目が合う。厳めしく、こっちをにらんでいる。
時が止っているかのような不思議な静けさの中、「とおりゃんせ」がどこかから聞こえてきそうだ。
なぜか、さっきまでいたインバウンドの皆さんはいなくなり、私一人がこの空間をさまよっている。
ここはどこだ?
道間違った!
どうやら荒神峰に迷い込んでしまったらしい。
荒神峰、怪しい雰囲気満点過ぎる。
細い小路を曲がっても曲がっても祠と狐と鳥居だらけで、「どうしよう、異界に迷い込んだ…」と かなり不安になった。
頭の中を「彼岸」とか「人身御供」とか「神隠し」なんて妖しい単語がどんどんよぎっていって、妄想が大爆発。…いくつになっても中二病…。
異世界から脱出をはかり、今度こそ頂上に至る正しい道を行く。やっぱり、鳥居はずっと続いている。
このあたりになると、さすがに人影はかなり少なくなってきた。
9:30 眼力社
9:35 御膳所奉拝所
眼力社ではかなり真剣にお参りした。最近、視力の衰えが激しくてねえ…。
無料のおみくじもあって、楽しい。中吉だった。
ここからが山頂に至る道のラストスパート。
階段を黙々と登っていく。結構辛い。
私の前を行くお兄さん二人連れは「頭から湯気が出そうだ~」と言いながら登っていた。普段、登山をしない人たちなのであろう。(そりゃそうか)
9:55 一ノ峰(山頂) 233m
稲荷山の山頂を示すプレートもあるが、眺望はなし。立派な社がある。
末広大神と書かれた幟がはためいていたが、どうやら、アメノウズメノミコト(天岩戸の前で踊った神様)が祀られているらしい。芸能の神様だ。ここで芸事の神様か…。その関連性は、よくわからない。が、しっかり参拝する。
下の本殿から約1時間半。ここまで登るのは「今日は登る!」という気合いと「半日余裕あります」という時間が必要だと思う。
だが、山頂にはかなりの人がいた。もちろん、インバウンドの皆さんも。
余裕があって、通な旅行だ。あこがれる。きっと、何度目かの京都なのだろう。
帰路は二ノ峰、三ノ峰コースをとる。四ツ辻で行きのコースと合流。
しまった…。社の順番からいうと、このコースで登った方がよかったのかもしれない。
さくさく下る。やはり、鳥居だらけ。比較的新しい鳥居が多い。
10:10 四ツ辻
ここから急に人が増える。眺望もいいので、このあたりまでは登ってくる観光客が多いのだろう。
登山グループもちらほら見える。「京都一周トレイル」巡りだろうか。
三ツ辻で分岐。
本殿へストレートに下るルートをとる。
10:40 本殿到着 約2時間。荒神峰に迷い込まなければ、もうちょっと早く山頂往復できたはず。
下界に帰ってきて、びっくりだ。朝より格段に観光客が増えてる…!
御朱印所も本殿とは離れた場所のビル(?)の一階に大々的に設けられていて、大人数対応型だ。
しかし、いかんせんインバウンドの皆さんには、まだ御朱印文化までは浸透していないらしく、ものすごく空いていた。まだまだ伸びしろ、あるね!
かつて「頂上までは無理だよう!」と思ったが、意外と簡単に登れて楽しかった。
やはり 、上まで行く!との強い意志を持って臨んだからであろう。
それにしても、どこまでもどこまでも鳥居だった…。朱色の洪水。
この山には、間違いなく神様が住んでいる。
今度登るときは、禁断の夜に行ってみたい。灯籠に照らされた鳥居の朱色が、妖しの世界へ誘ってくれるという。少し、怖いけれど。
最後におまけ。
稲荷山攻略中、私はずっと片手にサ●トリー天然水をぶら下げて歩いていた。朝、京都駅のコンビニで購入した。
何気なく、ラベルを見て、そこに書かれた文字に仰天した。
「奥大山の天然水」
南アルプスじゃ無い!!
ラベルのデザインは全く同じなのに、「奥大山」!!
どこかの会社が大胆にパクったのかと思ったが、何度見ても、サントリーの商品である。
帰宅して調べた。
なんと、「南アルプス」の他「奥大山」「阿蘇」があり、それぞれ販売地域が異なるらしい。
私が住む関東では「南アルプス」、近畿地方では「奥大山」が販売されているという。
知らなかった!
この話を大興奮して山の相棒ノムさんに話し、ラベルの写真を見せた。すると、ノムさんから、さらっとご指摘がある。
「ラベルの山の形が違うと思う」
…!!確かに!
よく見れば、山の形が違うよ!
「違う山のラベルでは商品名に偽りありだよ」
とノムさんは、さらにたたみかける。
言われてみれば、おっしゃる通り。でも、私は気づかなかった。
さすが、サ●トリー!細かいところまでの心配りに、私は感動した。
以後、山のお供の水はサ●トリーにする!
ちなみに、味もかなり違うらしいが、私にはさっぱり…。
<コースタイム>
8:30 伏見稲荷大社本殿…8:40 千本鳥居…8:45 奥社…9:15 四ツ辻…9:20 荒神峰(迷い)…9:30 眼力社…9:35 御膳所奉拝所…9:55 一ノ峰(山頂)…10:10 四ツ辻…10:40 伏見稲荷大社本殿
大文字山~雨女リターンズ~
そうだ、京都行こう。
冬になったら、京都の大文字山に登ろうと、私は密かに計画していた。
冬に行ける雪の無い低山情報をコツコツ集めていたときに、ホシガラス山岳会「あたらしい登山案内」と四角友里「一歩ずつの山歩き入門」を読み、これや!と心のノートに書きとめておいたのだ。
何しろ、私にとって、京都は第2のふるさと!
学生時代の4年間を過ごした街だ。
当時は山に全く興味が無かったので、大文字山に登れるなんて知らなかった。知っていたとしても、決して登ろうとは思わなかっただろう。そのころの私は登山は疲れるだけのものだと思っていたのだから。
そういえば、学生時代に聞いた都市伝説がある。
ある年の五山送り火の日。とある大学の血気にはやった学生達が、「やるで!」と集まった。そして、学生達はそれぞれにたいまつを掲げて「わーっ」と一気に大文字山を駆け登り、目的の地で、一斉に頭上にたいまつを掲げた。その日、送り火は「大」ではなく「犬」になったという。…都市伝説だ。
今回、一応、その伝説が可能かどうかも検証したいと思う…。
今回の同行者は学生時代の友人、キキちゃん(関西在住)
以前、何度かブログにも書いたが、キキちゃんと私は二人揃うと、強烈雨女パワーを炸裂させる。何度か二人で山に行っているが、雨が降らなかったのは、日光男体山に行った時だけだ。他は全部雨!呪われているのかな…。
しかし、時はカラカラ乾燥シーズンの1月だ。しかも、今年の1月は記録的に雨が少ないとのこと。数日前の天気予報では晴れマーク。さすがにいけるやろ~と思った。
前日の天気予報。曇り時々雨。
…うむ。なんか、雨マークが登場したな…。まあ、曇りだろう。きっと大丈夫だ
「曇りやったら、まあいいか。なんとか天気は保つやろ~」と、キキちゃんと前日夜、京都木屋町で酒杯を重ね、就寝前に天気予報の確認を怠った私が悪かったのかもしれない。
当日朝、テレビの情報番組から流れる音声に我が耳を疑った。
「京都市内の天気予報 雨のち曇り 午前中は雨が降りますが、午後には上がるでしょう」
えっ?
テレビからは「ハブアグッタイ~」と陽気な歌が流れてくるが、「グッタイ」を過ごせるのか!雨で!?(八つ当たり)
ホテルの重い遮光カーテンを開けると雨に濡れそぼる道路が見える…。本当に雨だ…。
こういうとき、欧米の皆さんは「Oh Lord!」とか言うのかもしれないが、生粋の日本人の私は「雨女の呪い、顕在か…」と自らを責めることしかできなかった…。
当日朝、8:00 銀閣寺道のバス停でキキちゃんと待ち合わせ。
雨でもとりあえず決行するのだ。やると決めたらやる!
京都の五山送り火の「大」の字は二つあるが、今日、目指すは東の「大」の字の方だ。通常、「大文字」といえば、こちらを指す。
もう一つの「大」の方は金閣寺方面にあり「左大文字」という。(今気づいたが、右京の「大」が左大文字なんだ…。不思議。これだけは、御所中心ではないらしい)
大文字山は「京都一周トレイル」にも組み込まれている。
「京都一周トレイル」は京都を囲む山々を一周するコースで、山だけではなく、時には街も通るトレイルルートで、全長83.3kmの京都市を一周するコースと、全長48.7kmの京北コースがある。
いずれは制覇してみたいものだ。ぐんま県境稜線トレイルよりははるかに実現の可能性が高そう。
本日のルートは銀閣寺の脇から大文字山に登り、南禅寺へ下るルート。おそらく、最もメジャーなルートだと思われる。
まだ観光客のいない土産物屋通りを歩き、登山口を探して少しうろうろ。なにしろ登山客よりはるかに観光客の多い場所なので、「登山口こちら」といった親切な看板はない。
京都市内でないと入手困難な「京都一周トレイル 東山コース」の地図を頼りに、なんとか登山口を発見。
カッパを着込んだりして、登山準備を整え、いざ出発!8:40
行こうではないか、京都の街を一望できるという大文字山へ!雨降ってるけど、もう、腹をくくるしかない。
キキちゃんはカッパを着込みながら「カッパに袖を通すと安心する。ユニフォームみたいなもんや」と豪語し、一周回って吹っ切れた模様。
道は非常に歩きやすい。
さすが、大文字山。多分、登山者のためではなく、送り火で登る方々のためにきちんと整備されている。
しばらく歩くと、千人塚に到着。9:00
謂われはよくわからないけれど、塚に軽く手を合わせて、先へ進む。
行き交う人は皆無。冬枯れの枝にとまったカラスに「こんにちは」と言うことしかできない…。カラスは「ぐるぐるぐる」とよくわからない声で返事(?)してくれたけど、結構寂しい…。
雨だからね…。晴れてればもう少し人がいるはずなんだと思うけれど…。
9:10 五山送り火の火床に到着。登りはじめから約30分。すぐに到着した感じ。
「大」の字の「一」と「人」の交わる部分に到着だ。「大」の字の要と言ってよい場所だ。
京都市街一望!天気が良ければ!
多分、木がないせいで、雨足がとても強く感じる…。
でも、雨天にしては、まあまあ下界が見下ろせたと思う。少し天狗の気持ちになれて嬉しい。(この直前に森見登美彦「有頂天家族 2代目の帰朝」を読んでいたのだ)
「あそこが吉田神社かな~?」
「下鴨神社はどこだろう?糺の森には狸がいるんだよな~(直前に読んでいた本の影響)」
などと、しばし楽しむ。
かの有名な鴨川デルタは、くっきりはっきりデルタ地帯を形成していて「ほお、まさしくデルタ!」と妙に感心した。「鴨川ホルモー」にも出てきたな~。
火床を実際に見てみての実感としては、例の都市伝説「犬」事件は、できなくはなさそうだ。そこそこの人数があつまれば、犬の「点」くらいは追加できそうである。
ちょっとだけ現実感があるけど、果てしなく無意味に馬鹿げていて、よくできた都市伝説だな~。ちなみに「太」よりも「犬」の方が、やっぱイイと思う。
ただし、ここにも書いておくが、8月16日は登山禁止である。
そんなアホ学生達が登ってきたら、あっという間にお縄になるであろう。
火床を楽しんだ後、山頂に向けてさらに山を登る。
ここからは登山者用の道なので、急に整備度ががくんと落ちる。
倒木が多く、夏の台風の影響の大きさを改めて感じる。コース全体的に被害が生じたそうだ。
倒木をかわしながら、眺望のない道を歩くこと、約30分。
大文字山山頂到着!9:50 465.4m
眺望は火床の方がいいと思うが、冬枯れているので、そこそこ。
倒木を利用したベンチがあったりして、ちょっとした休憩スポットになっている。
当初の予定では、ここでコーヒーを飲んで「ダバダ~」を歌ったりしたかったのだが、雨なので「ま、いいか」と、ペットボトルの水で疲れを癒やす。雨はやはり、テンションを下げるのだ。
ここからは「京都一周トレイルルート」となる。
実は、銀閣寺方面から大文字山に登るルートは「京都一周トレイル」のルートでは無い。銀閣寺から哲学の道を通って、鹿ヶ谷から登るルートが「京都一周トレイル」のルートだ。
でも、一周トレイルのルートだと、火床を通らないのだ!
火床ははずせない!ということで、今回のルートを選択した。次は鹿ヶ谷コースで登ろうかな。ふふふ。鹿ヶ谷事件、好き。(すみません。大河ドラマ「平清盛」がとにかく好きなもので…)
山頂をしばし楽しんだ後、南禅寺に向けて出発。
ずんずん進む。とにかく倒木が激しい。
しばらく歩き続けて、キキちゃんから気になる発言がある。
「京都一周トレイルルートは、看板があるはずなのに、一つも出てこないのはどうしてかな?」
「……どうしてかな?」
やっちまったか!という不安に駆られて、ヤマレコのGPSログを確認。
…やっちまった。道間違えた。
今、私達がいる場所は如意ヶ嶽に向かう道らしい。
如意ヶ嶽薬師坊様(直前に読んでいた小説の登場人物。天狗)には会いたい気持ちはあるけど、今日は如意ヶ嶽に行くつもりはない!
「あかん。戻ろう」
来た道を戻り、ふたたび大文字山の山頂に立つ。10:20
30分ロスした感じか…。
地図をよく確認したところ、山頂からすこし先の「大文字山四つ辻」で道が分岐するのだが、そこで間違えたらしい。
しまった。山頂まで戻っちゃったよ…。戻りすぎ。
再び、大文字山四つ辻まで歩き、今度は道を慎重に選択する。
私もキキちゃんも地図が読めない女なので、二人で地図をぐるぐるまわして「こっちで間違いないと思う」という道を選択した。
だってさ。北がどっちで、自分が今どこにいるのかとかよくわかんないじゃないの…。
しばらく歩くと、ヤマレコのGPSログが正しい道をたどったので、安心する。私の場合、ヤマレコのGPSログは、道を間違えた時の確認、という役割が一番大きいかもしれない。便利な世の中、ありがとう!
「京都一周トレイル」の看板も現れるようになり、俄然元気が出る私たち。
しかし、次にまた難所が現れる。
この「京都一周トレイル」ルートをそのままたどると、蹴上、インクライン、ねじりマンボ方面(あやしい名前だが、簡単に言うとトンネルだ)に行くのだが、今回は南禅寺に下りたいのだ。
そのためには、途中の「七福思案処」で違うルートに入らなければならない。
「今度こそ間違えないようにしよう」と二人で誓い合って、慎重に道を下る。
だが、道は意外とわかりやすかった。
「京都一周トレイル」の看板には、簡単な地図も付いているので、「38番で分岐」と覚えておけば、38番の看板の地図で簡単に道を選択できるのだ。
さっきの「大文字山四つ辻」でも、この確認をすればよかったのに…。いや、「大文字四つ辻」で失敗したからこそ、次に活かされたのだ。失敗は成功の母。
南禅寺方面への道を選択後、キキちゃんから「この道で大丈夫や!南禅寺の水路閣へ続く道の雰囲気やもん」との発言が飛び出す。
「キキちゃん。大丈夫の根拠は「雰囲気」だけなんか~!!」
「そう、雰囲気だけ!」
「だけかい!」
なんて希薄な根拠!二人でげらげら大爆笑しながら道を下る。
果たして、キキちゃんの言うとおり、水路閣に到着した。11:20
頼りになるな、キキちゃんの直感!
二人で健闘をたたえ合い、山門の下の片隅をお借りしてでカッパを脱いだりして身繕いをする。
お寺の軒先を借りるって、日本むかしばなしみたいだなあ。「今晩一夜、軒先をお貸しくださいませ」って感じだ。
雨にめげずお寺を見学する観光客の皆さんに混じって、登山スタイルの私たちはちょっと浮いていた…。
が、そんなことは一切気にしない。キキちゃんは、まるで自分の家であるかのように、山門下の片隅で、座り込んで荷物を広げてた。キキちゃん、ここ公共の場だからね~!
さて、どうして南禅寺に下りたのか。
それは、湯豆腐を食べるためである。冬の京都といったら湯豆腐。
雨のおかげか、人気店も空いていて、ゆっくり豆腐を味わえた。怪我の功名(?)
あったまる~。おいしい~。
登山後の湯豆腐、最高!
まさかの雨という信じられない出来事が私たちを襲ったが、結構楽しい登山だった。
市街地の眺望もそこそこだったし。次は清水山まで行こうかな~。
しかし、キキちゃんと私の雨女の呪いはどうにかせねばならんな。…どうすればいいんだろう。
天気ばかりはどうにもならない。日頃の行いを良くするくらいしか思いつかないんだけど!
それとも、雨女の呪いを受け入れて、ゴアテックスのいいカッパ買おうかな…。そっちの方向に舵を切った方が建設的かも…。
ちなみに、この日は一日中雨だった…。天気予報は午後止むって言ったのに…。
相当強力な雨女パワーを持ってるみたいだ…。どうしよう。
<コースタイム>
8:00 銀閣寺道…8:40 登山口…9:00 千人塚…9:10 火床…9:50 山頂…(道間違い)10:20 再び山頂…11:20 南禅寺