睡紫庵文庫

身辺雑記をまじえた読書雑記です。

「パンツの面目 ふんどしの沽券」米原万里

最近、たまに耳にするが、公共施設のトイレットペーパーを勝手に持って帰ってしまう人がいるらしい。

もしかしたら、家計がものすごく苦しいご家庭なのかもしれないが、なんともセコい話である。トイレットペーパーが無いなら、古新聞でも使えばいいのだ。(おしりが黒くなるらしいが)

 

先日、友人のシロさんと話をしていたら「うちの会社のトイレットペーパー、ものすごく無くなるのよ…。疑っちゃ悪いけど、工場で働いている外国人があやしいような気がする」との発言が飛び出した。

いや、シロさん、ちょっと待て!

「西洋人というかロシア人は、おしりを拭かないらしいよ!だから、トイレットペーパーを盗む必要がないはずだよ!」

と力強く反論してしまった。

…おしりを拭かない!?

とショックで呆然とするシロさん。

そうなのだ。私もその事実を知ったときには激しい衝撃を受けた。

しかし米原万里さんのエッセイ集である「パンツの面目 ふんどしの沽券」にはっきりとその事実が書かれているのだ。

 

ワイシャツの形が必要以上に(膝に届くほどに)長くて側面にスリットが入っているのはなぜだか知っているだろうか?

それは、かつてヨーロッパの男性は、パンツなどをはかず、ワイシャツの前身頃の下端と後ろ身頃の下端で股を覆っていたからだ。

その当時の名残が、現在のワイシャツ形に名残として残っているそうだ。

 

終戦直後、日本人が残る北方4島や満州ソビエト兵がやってきた。その際の日本人の目撃端として「ソビエト兵の着ているルパシカ(上着)の下端がひどく黄ばんでいた」という証言がいくつもある。

一体どうして、そんな場所が黄ばむのか。

米原万里さんはもっともな疑問を抱く。

 

シベリアに抑留された日本人の証言にその解答はあった。

シベリアの収容所では、トイレに一切紙が無く、日本人は困りはてたらしい。

どうにかして、自らのおしりを何かでぬぐいたい日本人。

ぼろ布を小さくちぎってみたり、褌の端をちぎってみたり、防寒着である綿入れから少しずつ綿を取り出してみたり、草や藁を使ってみたりと、涙ぐましい努力をする。

日本人の捕虜なんかにはおしりを拭く必要などないと考えているのか、と憤る日本人もいたようだが、事実はどうやらそうではないようだ。

 

トイレで一緒に用を足すロシア人を見て、日本人はその理由を理解する。

ソ連人はまったく紙を使わなかった。彼らの間に需要がないのに、どうして、捕虜の需要に応える必要があるだろうか」

彼らは紙を使わない、終わればズボンを上げてそのまま出て行ってしまう。もちろん手なども洗わない」(捕虜の方の証言 作中より引用)

どうやら、食生活の違いのせいなのか、彼らは鹿とかウサギみたいにころっとしたものを排泄するらしいので(日本人比による)拭かなくても大丈夫らしいのだ。

しかし、いかにロシア人といえど、時にはお腹がピーになってしまう日もある。そのため、ルパシカの下端は黄ばんでしまうというわけだ。

ちなみに、米原万里さんのさらなる調査によると、拭かない文化は男性だけにとどまらず、女性も同様であるらしい。

 

そういえば、マリーアントワネットの時代とかの舞踏会では、部屋の隅っこでそのまま用を足したと聞いたことがある。

あの大きく広がったフープドレスはそれを上手に隠してくれるらしい。もちろん、その当時はパンツをはく習慣もなかったと思われる。

そして、ハイヒールは元々、床に落ちている排泄物を踏まないために考案されたものだとか…。

 

きったねー、ヨーロッパ人(ロシア人)!

どうしても、日本人の習慣になじんだ私は叫んでしまう。

シベリアに抑留された日本人の皆さんの境遇については、もらい泣きしてしまいそうだ。

昔、上海に旅行した時に、1元払ってちっちぇー紙を渡されて用を足したことがあったが、紙くれるだけ、ありがたい国だったのね。アジア民族に同胞意識をいだく。

 

トレイに紙がないと絶望的な気持ちになる。シベリアではそれが、一回だけじゃなくてずっと、ずっと続くのだ。もう、泣くしかない。

現代の日本なんて、公共施設のトイレにもウオシュレットがかなり設置されている。ウオシュレット付きだからといって、紙がないことなんてない。ちゃんとやわらかくおしりにフィットする紙も備え付けられている。洗った後、さらに拭く!

さらに、先日、私が行った居酒屋さんのトイレでは、扉をあけた瞬間に、ふたがぱかーんと開いてお出迎えしてくれた。

日本人のトイレにかける気合いは、ちょっとやりすぎかもしれん。他国では理解されないレベルのような気もする。でも、さらに快適さを追求してしまうぞ。

だって、トイレで用を足した後に拭かないなんて、考えられない!

トイレこそ清潔で快適な空間であって欲しい!

 

しかし、米原万里さんは違う。さすが、プラハソビエト学校で少女時代を過ごした人物だ。

「抑留者たちが、異文化に接しながらも、「用を足した後は紙で拭き、手を洗う」という自分たちの日本の風習は至極当たり前の常識として疑問にも思ってもいない(中略)そうしないことには、人間以下、犬猫同然と何人かの元抑留者が断じている」ことが気になって仕方が無くなったそうだ。

21世紀初頭においても、紙でおしりを拭くことを当然の文化としている人は、先進国を中心とした1/3ほどであり、それ以外の人々は、砂やぼろきれや草やロープなんかを使用している国が多いらしい。

さらに、ほ乳類の中でおしりを拭くのは人間だけだ、とも米原さんは言う。

 

…お言葉を返すようだが、紙で拭かなくても、布きれやら何やらでやっぱり拭いているじゃないか、と私は言いたい。

拭かない習慣の方が少数だよ、多分!

別に、それが悪い習慣だから変えた方がいい、などと押しつける気持ちは無いが、私はこれからも日本の拭く習慣をもって生活して行きたい。(多分ないけど)ロシアで暮らすことになったとしても。

 だって、気持ちがどうしても追いつかないから。

 

さて、拭かない習慣の国はロシアだけなのか、それともヨーロッパ全体なのか。そして、現在ではさすがに拭く習慣が浸透したのか。

とても気になるが、トイレというあまり人には話さない事情だけにそのあたりのことはよくわからない。

間違いなく、パンツをはく習慣は定着しているだろう。

米原さんの少女時代にもパンツは店頭にあったようなので、もう、黄ばんだルパシカはない、と思われる。

拭く方はどうだろう…?こういう習慣はそんなに簡単には変わらないような気がする。

 

最初の話題に戻るが、友人シロさんの会社で働く人々はロシア人ではないそうだ。

じゃあ、おしり拭いている人々かもしれないので、トイレットペーパーをくすねた犯人の可能性はある。

いやたとえロシア人であったとしても、日本で生活するうちに「おしりを拭く日本の習慣、気持ちいいじゃん。ハラショー」と思い、自らの習慣を変えたのかもしれない。

いや、日本人がシベリアでも習慣を決して曲げなかったように、ロシア人もきっと曲げないだろう。

文化の違いというのは、根深く、そして面白いものだ。

 

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

 

 

 以前、こんなものも書きました。上海でのトイレ事件。


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