稲荷山(伏見稲荷大社)~妖しのインバウンド~
引き続き、京都の話である。
大文字山を登った翌日、帰路につく前に時間があったので、伏見稲荷大社に行ってみることにした。
実は、伏見稲荷大社は「京都一周トレイル」の出発地点。伏見稲荷大社の一ノ峰(山頂)への参拝コースはそのままトレイルコースにもなっているのだ。
少しでもトレイルルートを埋めておき、制覇を目指す。貪欲な私。
伏見稲荷大社には、15年くらい前に行ったことがあるが、その時は奥社までしか行かなかった。「どこまで続くのか、この鳥居は…」と早々に心が折れてしまったのだ。
あの頃の私は坂道を歩くことがひどく苦痛だった。
でも、今の私は違う。必ず、一ノ峰(頂上)まで登ってみせようではないか。
登山だけど登山じゃない。スニーカーにジーンズ、サコッシュを肩掛けし、片手にミネラルウォーター(サコッシュに入らなかった)の軽装で挑む。
ちなみに、天気は雲多めの晴れ。
単独行動だから…。私一人なら、それほど雨女ではない。
8:30 朝だが、伏見稲荷大社はかなり賑わっていた。JR伏見駅は小さな駅だが、その駅前は黒山の人だかり。
たぶん、8割くらいが外国からのお客さま。
インバウンド!
私の頭に、最近、流行りの言葉が浮かぶ。
…すごいな…。話には聞いていたが、これほどとは…!!
15年くらい前に来たときは、訪れる人もまばらだったと記憶しているが…。15年も経てば変わるものなのだろう。生まれた子どもが高校生になっちゃうのか、15年…。
変化にかなり圧倒されながら、インバウンドの皆さんの間をすりぬけ、朱色も鮮やかな本殿にお参りする。(私が来なかった15年くらいの間に修繕したのであろう)
8:40 本殿奥の千本鳥居入口に到着。
ここは京都観光雑誌などに必ず掲載される場所だ。
隙間がないほど立ち並ぶ鳥居が二筋に分かれている。誰が撮ってもインスタ映え~な写真が撮れる。
だがしかし、ここで写真を撮りたいのはみな同じ。ものすごい人だかりだ。
早々に写真はあきらめて先へ進む。
びっしりと並ぶ鳥居の下は、朱に閉じ込められた世界で、朱く色づいた空気が立ち込めている。
この鳥居の道をたどっていくと、現世では無い怪しい世界にたどりついてしまう気がする。鳥居は世界を分ける垣根だから。
「Amazing!」
心の中でだけ、英語圏の人間になりきって叫んでみる。
周りのインバウンドの皆さんは、しきりにシャッターを切っている。一眼レフ率がかなり高い。
鳥居を背景に、仲良く家族写真を撮られている皆さんも多い。
さすが、外国人観光客満足度NO.1!
どうですか?日本旅行、楽しいですか?楽しんでいただければ幸いです!
せっかく日本を選んで旅行に来てもらったんだから、是非とも楽しんでいただきたい。
なんだか旅行会社の社員のような気持になってしまったが、これが日本の「おもてなし」精神の基礎なのかもしれない。
8:45 奥社到着。
わずか15分で到着した。以前来た時はここで引き返したと記憶しているが、たった15分でつける場所だったのか…。もっと遠い気がしていた。
誰も興味を示していなかったので、「おもかる石」を一人で持ち上げてみた。
すっげー重かった!
なんでも、「おもかる石」とは、持ち上げてみて「軽い」と感じると、願い事が叶う日が近い 「重い」と感じると、願い事が叶う日は遠いらしい…。
だめだこりゃ(byいかりや)
奥社でしばし楽しんで、山頂への道を進む。進んでも進んでも鳥居が続く。
以前の私の経験から、観光客の皆さんは、時間の都合もあるので、奥社で引き返す人が多いに違いない。だから、ここから先は人が凄く少ないはずだ。
でも、意外と人は減らない。すごいな、インバウンドパワー。
9:10 三ツ辻
9:15 四ツ辻
峠の茶屋といった感じの土産物店も登場。ちょっとした休憩スポットになっている。景色も良く、京都南部が見渡せた。
ここから頂上の一ノ峰に至るルートが二つに分かれる。どちらのルートを選択しても頂上にはたどり着くのだが、距離が近そうだったので、眼力社、御膳所奉拝所ルートを選択し、案内看板を頼りに石段を登る。
途端に、周りには小さな祠が林立。細い道を進んでも曲がっても小さな祠と鳥居。
古びた石の灰色に、奉納された小鳥居の朱が鮮やかに目に突き刺さる。
何かじっと見られているような気がして後ろを振り返ると、祠の前に置かれた狛狐と目が合う。厳めしく、こっちをにらんでいる。
時が止っているかのような不思議な静けさの中、「とおりゃんせ」がどこかから聞こえてきそうだ。
なぜか、さっきまでいたインバウンドの皆さんはいなくなり、私一人がこの空間をさまよっている。
ここはどこだ?
道間違った!
どうやら荒神峰に迷い込んでしまったらしい。
荒神峰、怪しい雰囲気満点過ぎる。
細い小路を曲がっても曲がっても祠と狐と鳥居だらけで、「どうしよう、異界に迷い込んだ…」と かなり不安になった。
頭の中を「彼岸」とか「人身御供」とか「神隠し」なんて妖しい単語がどんどんよぎっていって、妄想が大爆発。…いくつになっても中二病…。
異世界から脱出をはかり、今度こそ頂上に至る正しい道を行く。やっぱり、鳥居はずっと続いている。
このあたりになると、さすがに人影はかなり少なくなってきた。
9:30 眼力社
9:35 御膳所奉拝所
眼力社ではかなり真剣にお参りした。最近、視力の衰えが激しくてねえ…。
無料のおみくじもあって、楽しい。中吉だった。
ここからが山頂に至る道のラストスパート。
階段を黙々と登っていく。結構辛い。
私の前を行くお兄さん二人連れは「頭から湯気が出そうだ~」と言いながら登っていた。普段、登山をしない人たちなのであろう。(そりゃそうか)
9:55 一ノ峰(山頂) 233m
稲荷山の山頂を示すプレートもあるが、眺望はなし。立派な社がある。
末広大神と書かれた幟がはためいていたが、どうやら、アメノウズメノミコト(天岩戸の前で踊った神様)が祀られているらしい。芸能の神様だ。ここで芸事の神様か…。その関連性は、よくわからない。が、しっかり参拝する。
下の本殿から約1時間半。ここまで登るのは「今日は登る!」という気合いと「半日余裕あります」という時間が必要だと思う。
だが、山頂にはかなりの人がいた。もちろん、インバウンドの皆さんも。
余裕があって、通な旅行だ。あこがれる。きっと、何度目かの京都なのだろう。
帰路は二ノ峰、三ノ峰コースをとる。四ツ辻で行きのコースと合流。
しまった…。社の順番からいうと、このコースで登った方がよかったのかもしれない。
さくさく下る。やはり、鳥居だらけ。比較的新しい鳥居が多い。
10:10 四ツ辻
ここから急に人が増える。眺望もいいので、このあたりまでは登ってくる観光客が多いのだろう。
登山グループもちらほら見える。「京都一周トレイル」巡りだろうか。
三ツ辻で分岐。
本殿へストレートに下るルートをとる。
10:40 本殿到着 約2時間。荒神峰に迷い込まなければ、もうちょっと早く山頂往復できたはず。
下界に帰ってきて、びっくりだ。朝より格段に観光客が増えてる…!
御朱印所も本殿とは離れた場所のビル(?)の一階に大々的に設けられていて、大人数対応型だ。
しかし、いかんせんインバウンドの皆さんには、まだ御朱印文化までは浸透していないらしく、ものすごく空いていた。まだまだ伸びしろ、あるね!
かつて「頂上までは無理だよう!」と思ったが、意外と簡単に登れて楽しかった。
やはり 、上まで行く!との強い意志を持って臨んだからであろう。
それにしても、どこまでもどこまでも鳥居だった…。朱色の洪水。
この山には、間違いなく神様が住んでいる。
今度登るときは、禁断の夜に行ってみたい。灯籠に照らされた鳥居の朱色が、妖しの世界へ誘ってくれるという。少し、怖いけれど。
最後におまけ。
稲荷山攻略中、私はずっと片手にサ●トリー天然水をぶら下げて歩いていた。朝、京都駅のコンビニで購入した。
何気なく、ラベルを見て、そこに書かれた文字に仰天した。
「奥大山の天然水」
南アルプスじゃ無い!!
ラベルのデザインは全く同じなのに、「奥大山」!!
どこかの会社が大胆にパクったのかと思ったが、何度見ても、サントリーの商品である。
帰宅して調べた。
なんと、「南アルプス」の他「奥大山」「阿蘇」があり、それぞれ販売地域が異なるらしい。
私が住む関東では「南アルプス」、近畿地方では「奥大山」が販売されているという。
知らなかった!
この話を大興奮して山の相棒ノムさんに話し、ラベルの写真を見せた。すると、ノムさんから、さらっとご指摘がある。
「ラベルの山の形が違うと思う」
…!!確かに!
よく見れば、山の形が違うよ!
「違う山のラベルでは商品名に偽りありだよ」
とノムさんは、さらにたたみかける。
言われてみれば、おっしゃる通り。でも、私は気づかなかった。
さすが、サ●トリー!細かいところまでの心配りに、私は感動した。
以後、山のお供の水はサ●トリーにする!
ちなみに、味もかなり違うらしいが、私にはさっぱり…。
<コースタイム>
8:30 伏見稲荷大社本殿…8:40 千本鳥居…8:45 奥社…9:15 四ツ辻…9:20 荒神峰(迷い)…9:30 眼力社…9:35 御膳所奉拝所…9:55 一ノ峰(山頂)…10:10 四ツ辻…10:40 伏見稲荷大社本殿
大文字山~雨女リターンズ~
そうだ、京都行こう。
冬になったら、京都の大文字山に登ろうと、私は密かに計画していた。
冬に行ける雪の無い低山情報をコツコツ集めていたときに、ホシガラス山岳会「あたらしい登山案内」と四角友里「一歩ずつの山歩き入門」を読み、これや!と心のノートに書きとめておいたのだ。
何しろ、私にとって、京都は第2のふるさと!
学生時代の4年間を過ごした街だ。
当時は山に全く興味が無かったので、大文字山に登れるなんて知らなかった。知っていたとしても、決して登ろうとは思わなかっただろう。そのころの私は登山は疲れるだけのものだと思っていたのだから。
そういえば、学生時代に聞いた都市伝説がある。
ある年の五山送り火の日。とある大学の血気にはやった学生達が、「やるで!」と集まった。そして、学生達はそれぞれにたいまつを掲げて「わーっ」と一気に大文字山を駆け登り、目的の地で、一斉に頭上にたいまつを掲げた。その日、送り火は「大」ではなく「犬」になったという。…都市伝説だ。
今回、一応、その伝説が可能かどうかも検証したいと思う…。
今回の同行者は学生時代の友人、キキちゃん(関西在住)
以前、何度かブログにも書いたが、キキちゃんと私は二人揃うと、強烈雨女パワーを炸裂させる。何度か二人で山に行っているが、雨が降らなかったのは、日光男体山に行った時だけだ。他は全部雨!呪われているのかな…。
しかし、時はカラカラ乾燥シーズンの1月だ。しかも、今年の1月は記録的に雨が少ないとのこと。数日前の天気予報では晴れマーク。さすがにいけるやろ~と思った。
前日の天気予報。曇り時々雨。
…うむ。なんか、雨マークが登場したな…。まあ、曇りだろう。きっと大丈夫だ
「曇りやったら、まあいいか。なんとか天気は保つやろ~」と、キキちゃんと前日夜、京都木屋町で酒杯を重ね、就寝前に天気予報の確認を怠った私が悪かったのかもしれない。
当日朝、テレビの情報番組から流れる音声に我が耳を疑った。
「京都市内の天気予報 雨のち曇り 午前中は雨が降りますが、午後には上がるでしょう」
えっ?
テレビからは「ハブアグッタイ~」と陽気な歌が流れてくるが、「グッタイ」を過ごせるのか!雨で!?(八つ当たり)
ホテルの重い遮光カーテンを開けると雨に濡れそぼる道路が見える…。本当に雨だ…。
こういうとき、欧米の皆さんは「Oh Lord!」とか言うのかもしれないが、生粋の日本人の私は「雨女の呪い、顕在か…」と自らを責めることしかできなかった…。
当日朝、8:00 銀閣寺道のバス停でキキちゃんと待ち合わせ。
雨でもとりあえず決行するのだ。やると決めたらやる!
京都の五山送り火の「大」の字は二つあるが、今日、目指すは東の「大」の字の方だ。通常、「大文字」といえば、こちらを指す。
もう一つの「大」の方は金閣寺方面にあり「左大文字」という。(今気づいたが、右京の「大」が左大文字なんだ…。不思議。これだけは、御所中心ではないらしい)
大文字山は「京都一周トレイル」にも組み込まれている。
「京都一周トレイル」は京都を囲む山々を一周するコースで、山だけではなく、時には街も通るトレイルルートで、全長83.3kmの京都市を一周するコースと、全長48.7kmの京北コースがある。
いずれは制覇してみたいものだ。ぐんま県境稜線トレイルよりははるかに実現の可能性が高そう。
本日のルートは銀閣寺の脇から大文字山に登り、南禅寺へ下るルート。おそらく、最もメジャーなルートだと思われる。
まだ観光客のいない土産物屋通りを歩き、登山口を探して少しうろうろ。なにしろ登山客よりはるかに観光客の多い場所なので、「登山口こちら」といった親切な看板はない。
京都市内でないと入手困難な「京都一周トレイル 東山コース」の地図を頼りに、なんとか登山口を発見。
カッパを着込んだりして、登山準備を整え、いざ出発!8:40
行こうではないか、京都の街を一望できるという大文字山へ!雨降ってるけど、もう、腹をくくるしかない。
キキちゃんはカッパを着込みながら「カッパに袖を通すと安心する。ユニフォームみたいなもんや」と豪語し、一周回って吹っ切れた模様。
道は非常に歩きやすい。
さすが、大文字山。多分、登山者のためではなく、送り火で登る方々のためにきちんと整備されている。
しばらく歩くと、千人塚に到着。9:00
謂われはよくわからないけれど、塚に軽く手を合わせて、先へ進む。
行き交う人は皆無。冬枯れの枝にとまったカラスに「こんにちは」と言うことしかできない…。カラスは「ぐるぐるぐる」とよくわからない声で返事(?)してくれたけど、結構寂しい…。
雨だからね…。晴れてればもう少し人がいるはずなんだと思うけれど…。
9:10 五山送り火の火床に到着。登りはじめから約30分。すぐに到着した感じ。
「大」の字の「一」と「人」の交わる部分に到着だ。「大」の字の要と言ってよい場所だ。
京都市街一望!天気が良ければ!
多分、木がないせいで、雨足がとても強く感じる…。
でも、雨天にしては、まあまあ下界が見下ろせたと思う。少し天狗の気持ちになれて嬉しい。(この直前に森見登美彦「有頂天家族 2代目の帰朝」を読んでいたのだ)
「あそこが吉田神社かな~?」
「下鴨神社はどこだろう?糺の森には狸がいるんだよな~(直前に読んでいた本の影響)」
などと、しばし楽しむ。
かの有名な鴨川デルタは、くっきりはっきりデルタ地帯を形成していて「ほお、まさしくデルタ!」と妙に感心した。「鴨川ホルモー」にも出てきたな~。
火床を実際に見てみての実感としては、例の都市伝説「犬」事件は、できなくはなさそうだ。そこそこの人数があつまれば、犬の「点」くらいは追加できそうである。
ちょっとだけ現実感があるけど、果てしなく無意味に馬鹿げていて、よくできた都市伝説だな~。ちなみに「太」よりも「犬」の方が、やっぱイイと思う。
ただし、ここにも書いておくが、8月16日は登山禁止である。
そんなアホ学生達が登ってきたら、あっという間にお縄になるであろう。
火床を楽しんだ後、山頂に向けてさらに山を登る。
ここからは登山者用の道なので、急に整備度ががくんと落ちる。
倒木が多く、夏の台風の影響の大きさを改めて感じる。コース全体的に被害が生じたそうだ。
倒木をかわしながら、眺望のない道を歩くこと、約30分。
大文字山山頂到着!9:50 465.4m
眺望は火床の方がいいと思うが、冬枯れているので、そこそこ。
倒木を利用したベンチがあったりして、ちょっとした休憩スポットになっている。
当初の予定では、ここでコーヒーを飲んで「ダバダ~」を歌ったりしたかったのだが、雨なので「ま、いいか」と、ペットボトルの水で疲れを癒やす。雨はやはり、テンションを下げるのだ。
ここからは「京都一周トレイルルート」となる。
実は、銀閣寺方面から大文字山に登るルートは「京都一周トレイル」のルートでは無い。銀閣寺から哲学の道を通って、鹿ヶ谷から登るルートが「京都一周トレイル」のルートだ。
でも、一周トレイルのルートだと、火床を通らないのだ!
火床ははずせない!ということで、今回のルートを選択した。次は鹿ヶ谷コースで登ろうかな。ふふふ。鹿ヶ谷事件、好き。(すみません。大河ドラマ「平清盛」がとにかく好きなもので…)
山頂をしばし楽しんだ後、南禅寺に向けて出発。
ずんずん進む。とにかく倒木が激しい。
しばらく歩き続けて、キキちゃんから気になる発言がある。
「京都一周トレイルルートは、看板があるはずなのに、一つも出てこないのはどうしてかな?」
「……どうしてかな?」
やっちまったか!という不安に駆られて、ヤマレコのGPSログを確認。
…やっちまった。道間違えた。
今、私達がいる場所は如意ヶ嶽に向かう道らしい。
如意ヶ嶽薬師坊様(直前に読んでいた小説の登場人物。天狗)には会いたい気持ちはあるけど、今日は如意ヶ嶽に行くつもりはない!
「あかん。戻ろう」
来た道を戻り、ふたたび大文字山の山頂に立つ。10:20
30分ロスした感じか…。
地図をよく確認したところ、山頂からすこし先の「大文字山四つ辻」で道が分岐するのだが、そこで間違えたらしい。
しまった。山頂まで戻っちゃったよ…。戻りすぎ。
再び、大文字山四つ辻まで歩き、今度は道を慎重に選択する。
私もキキちゃんも地図が読めない女なので、二人で地図をぐるぐるまわして「こっちで間違いないと思う」という道を選択した。
だってさ。北がどっちで、自分が今どこにいるのかとかよくわかんないじゃないの…。
しばらく歩くと、ヤマレコのGPSログが正しい道をたどったので、安心する。私の場合、ヤマレコのGPSログは、道を間違えた時の確認、という役割が一番大きいかもしれない。便利な世の中、ありがとう!
「京都一周トレイル」の看板も現れるようになり、俄然元気が出る私たち。
しかし、次にまた難所が現れる。
この「京都一周トレイル」ルートをそのままたどると、蹴上、インクライン、ねじりマンボ方面(あやしい名前だが、簡単に言うとトンネルだ)に行くのだが、今回は南禅寺に下りたいのだ。
そのためには、途中の「七福思案処」で違うルートに入らなければならない。
「今度こそ間違えないようにしよう」と二人で誓い合って、慎重に道を下る。
だが、道は意外とわかりやすかった。
「京都一周トレイル」の看板には、簡単な地図も付いているので、「38番で分岐」と覚えておけば、38番の看板の地図で簡単に道を選択できるのだ。
さっきの「大文字山四つ辻」でも、この確認をすればよかったのに…。いや、「大文字四つ辻」で失敗したからこそ、次に活かされたのだ。失敗は成功の母。
南禅寺方面への道を選択後、キキちゃんから「この道で大丈夫や!南禅寺の水路閣へ続く道の雰囲気やもん」との発言が飛び出す。
「キキちゃん。大丈夫の根拠は「雰囲気」だけなんか~!!」
「そう、雰囲気だけ!」
「だけかい!」
なんて希薄な根拠!二人でげらげら大爆笑しながら道を下る。
果たして、キキちゃんの言うとおり、水路閣に到着した。11:20
頼りになるな、キキちゃんの直感!
二人で健闘をたたえ合い、山門の下の片隅をお借りしてでカッパを脱いだりして身繕いをする。
お寺の軒先を借りるって、日本むかしばなしみたいだなあ。「今晩一夜、軒先をお貸しくださいませ」って感じだ。
雨にめげずお寺を見学する観光客の皆さんに混じって、登山スタイルの私たちはちょっと浮いていた…。
が、そんなことは一切気にしない。キキちゃんは、まるで自分の家であるかのように、山門下の片隅で、座り込んで荷物を広げてた。キキちゃん、ここ公共の場だからね~!
さて、どうして南禅寺に下りたのか。
それは、湯豆腐を食べるためである。冬の京都といったら湯豆腐。
雨のおかげか、人気店も空いていて、ゆっくり豆腐を味わえた。怪我の功名(?)
あったまる~。おいしい~。
登山後の湯豆腐、最高!
まさかの雨という信じられない出来事が私たちを襲ったが、結構楽しい登山だった。
市街地の眺望もそこそこだったし。次は清水山まで行こうかな~。
しかし、キキちゃんと私の雨女の呪いはどうにかせねばならんな。…どうすればいいんだろう。
天気ばかりはどうにもならない。日頃の行いを良くするくらいしか思いつかないんだけど!
それとも、雨女の呪いを受け入れて、ゴアテックスのいいカッパ買おうかな…。そっちの方向に舵を切った方が建設的かも…。
ちなみに、この日は一日中雨だった…。天気予報は午後止むって言ったのに…。
相当強力な雨女パワーを持ってるみたいだ…。どうしよう。
<コースタイム>
8:00 銀閣寺道…8:40 登山口…9:00 千人塚…9:10 火床…9:50 山頂…(道間違い)10:20 再び山頂…11:20 南禅寺
太田金山〜山頂で鍋〜
昨年の秋から、私には1つの夢があった。
荒船山に登った時に目にした風景。強烈に憧れた。
それは、山頂で鍋!である。もちろん寒いシーズンに!
それも、シングルバーナーで野菜を煮込むだけ、といった簡単なものではない。
私が昨年荒船山の艫岩付近で見かけたものは、卓上ガスコンロに家庭科の授業で使ったような金色の鍋で白菜を大量にぐつぐつ煮込み、それをみんなでつつく本格的な鍋だ。
これを是非やりたい!
しかし、これを実現するためのハードルは結構高い。
まず、広い山頂。できればベンチのような平らなものがある場所が好ましい。
次に、コンロと鍋と食材を背負っていくので、簡単に登れる低山であること。また、寒い時期でも雪の無い低山であること。
(荒船山で鍋をしていた若者3人組は猛者だと思う。よくコンロと鍋を抱えて登ったなあ。さすが若者!)
この条件に合う山として、真っ先に浮かんだ場所はG県東部にある太田金山である。
太田金山はわずか236mという低山であるが、平野がひろがるG県東部では、ぽこんと際立つ山様で、ふもとのお寺大光院(呑龍さま)とともに、「ふるさとの山」として地元民に親しまれている。この地域を象徴する山なのだ。
また、戦国時代には金山城が建築されていて、当時の遺構が残っており、城好きにもたまらない場所だ。
ついでに、山頂に立つ新田神社の御祭神は鎌倉幕府攻撃で有名な新田義貞である。(地元民もみんな勘違いしているが、金山城は新田義貞の城ではない。城主としては由良成繁が一番有名か?)
私は高校生の頃、歴史好きの先輩(当時は「歴女」なんて言葉は存在しなかった)に「金山城大手道を攻略しよう!」と言葉巧みに誘われて、道無き道(藪)を登った記憶がある…。先輩、お元気ですか?
年末の忘年会という名前の飲み会で「金山で鍋がしたい!」との熱い思いを語ったところ、友人のでんさんが「行こう!私、カセットコンロあるから!」と激しく同意してくれたので、善は急げと、さっそく実行に移した。
当日の集合は10:00。
だが、のっけから私が集合時間を10:30と勘違いしたり、でんさんが忘れ物で途中引き返しがあったりして、顔を合わせたのは11:00。
登山を始める時間とは思えない遅さ…。低山だからとなめまくっている。
しかし、私は鍋と食材などをザックに詰め込んでいるので、北アルプスに行くのか!?と思えるような大荷物。(ちょっと誇張)ちなみにザックの容量は40Lだ。
「登山、久しぶり~」とご機嫌なでんさんは、小さいザックを背負っているため、カセットコンロの箱が見えている。ファスナーが閉まらなかったそうだ。箱から出せばよかったんじゃないかな…?
11:10 大光院駐車場からようやく出発。
西山ハイキングコースという、おそらく一番メインのコースを選択した。
まずは大光院の裏手の道を登っていく。最初は調子よくずんずん登っていたのだが、けっこうな斜度に途中から動悸息切れが激しくなる。
「でんさん、ペースが速いようです!私は救●が必要な感じです!!」
「私も、救●!!久しぶりだから、ペース配分間違えた!」
明らかにペースダウンして、よろよろと急坂を登り切る。低山だからって急な坂が無いわけじゃ無い、という当たり前の事実を身をもって知る…。
15分程度で急坂を登り切った後は、なだらかな道を行く。
途中、案内板もたくさんあり、休憩できる四阿もいくつか設置されていた。すれ違う人たちも多く、やはり地元民に親しまれている山だなあ、という実感が湧く。
「ところで、案内板にちょいちょい現れる「モータープール」って何かな…?」とでんさんが疑問を発する。
「駐車場だと思います。多分…」
私は宮本輝氏の「流転の海」シリーズを愛読しているので知っていたが、確かにあまり聞かない単語だ。(ちなみに「流転の海」シリーズでは、一時期、主人公松坂熊吾がモータープールの管理人をしている)
後で調べてみたところ、主に関西地方で使うらしい。
…G県、関東なのに…。
考古学的には、G県は東海地方との密接な関わりが指摘されているらしいけど…関係ないか。
謎な言葉のチョイスだ、G県東部。
木の階段を再び息を切らして登り切ると、噂のモータープールに到着。だいたい11:40。
ちょっとした見晴台もあり、市街地が一望できる。
本当に軽いハイキングなら、ここまで車で来て、山頂まで徒歩というコースもあり。このコースなら、頑張ればヒールのある靴でもOKだ。
ここからは登山と言うより、史跡めぐりといった感じ。
金山城の遺構がいくつか復元されているので、中世山城を探検する様な気持ちでゆっくり歩く。
私が先輩に連れられて大手道を登った時は、こんな復元建物全然無かったけどな~。ただの山道だったと記憶しているが…時代は変わるものだ。
早馬が「伝令!伝令!」と言って、駆けてきそうな雰囲気がちょっと楽しい。
12:00少し過ぎたくらいに山頂に到着。
ちょうどお昼に到着できたので、集合が遅れたのは結果的には良かったのかもしれない。
かつては名物だった藤棚の残骸を眺めたり、新田神社にお参りして御朱印をゲットしたり(書き置きあり。賽銭箱にお金を投入する形式)で山頂を30分ほどうろうろして楽しむ。
天気が良い日はスカイツリーとか富士山とか見えるのだろうが、この日は天気がイマイチだったため、全く見えず。まあ、いい。今日の目的は景色ではない。
山頂では、最大の目的である鍋の準備に取りかかる。
神社脇の石のベンチにカセットコンロを設置して、鍋にスープをどぼどぼ投入。続いて自宅で切ってきた白菜ほか、具材を次々投入だ。
今回は、ひんしゅく覚悟でキムチ鍋とした。(「もと」を持参した)
こでは、後ほど語るが、私の深い配慮による選択なのだ。まわりにものすごくキムチの匂いが漂ってしまったが…。
広い空の下、ということで勘弁していただきたい。
ほどよく煮詰まったところで、二人で取り分ける。
「でんさん!おたま忘れました!」
「仕方あるまい。スプーンですくおう」
ふは~っ!おいしい!!
この日はそんなに寒い日ではなかったが、暖かい汁物は体の隅々まで染みる!
そして、やっぱり鍋は白菜だね。どんどん食が進む。トマトも意外とイケる!
具をある程度食べ尽くした後、締めに伝家の宝刀「辛ラーメン」を投入だ!
昔、大学のゼミで韓国に行った際に、地元の学生にキムチ鍋をごちそうして貰ったことがあるのだが、その時、締めがインスタントラーメンだったのだ。めっちゃおいしくて、ゼミ生みんなで感動したのだった。
あの味よ、もう一度!
キムチ鍋といえば、締めラーメン。
ついでに、締めラーメンにすれば、鍋の残り汁も飲みやすいかな~という思惑もあった。最後の一滴まできちんとおいしくいただくのだ。山のルール。
はたして、キムチラーメン、おいしかったわ~!
山で食べるラーメンはなぜにこんなにおいしいのだろう?
今まで山のラーメンを否定する人には、ただの一人も出会ったことが無い。
幸せである。満腹である。
夢だった山頂鍋をたっぷり堪能した。楽しい。
山頂で鍋に相当の時間を費やし、13:30下山開始。
途中、見晴台で景色を楽しんだりして、のんびり下る。(でんさんが「ハンカチ落とした!」と言って、探しに戻るアクシデントあり。結局、上着の袖の中にあった…。どうやったら、そんなところに格納できるのだろか…?)
帰りは金龍寺を経由するルートを選択。お寺の裏に由良氏の供養塔?もあるので、ちょっと楽しい。
14:45頃、大光院駐車場着。
すごくゆっくり楽しんだ割に、早い時間に下りてこられた。低山の醍醐味だな。
でんさんは、久しぶりの山が楽しかったそうで「来年の夏は那須岳行って、三斗小屋温泉に行きたい!」と言っていた。もちろん、ワタクシ、お供します!
昨年来の夢が叶い、私も感無量である。
山で鍋!楽しかった。
本当はビールがあれば、なお良かった…!!
<コースタイム>
11:00大光院駐車場…11:40モータープール…12:10山頂(鍋1時間超)…13:30下山開始…14:00モータープール…14:45大光院駐車場
小盆栽講座
ついに、行ってみた。小盆栽講座に。
以前から盆栽には興味があったのだが、まだ手を出してはいけない領域だと自分に言い聞かせていた。せいぜい、盆栽だー!!(大宮市で売っている。サイダー)を飲んで悦に入る程度にとどめていたのだ。
しかし、たまたま行った園芸店で小盆栽講座のチラシを発見してしまい、そのまま勢いで講座を予約してしまった。
多分、冬はあまり山に行かないので、他のことに貪欲になっているのだと思う…。
大宮盆栽だー!!(さいたまるしぇHPより拝借)
盆栽講座といっても、本格的な手入れの仕方とかを教えてくれるわけでは無い。簡単に言うと、寄せ植え講座だ。小盆栽を作って、お家で育てる。
今回のメインは梅。
私、最初の盆栽は梅がいいな、ってずっと思ってた!
何しろ、花が咲くので華やかで可愛い。香りもいいし。
そして、なんだか梅は情に厚い姐さんっぽい気がするのだ。大事に育てれば、しっかり応えてくれると思う。単に、飛び梅の話が好きなだけかもしれないけど。
(飛び梅は、太宰府に左遷された菅原道真を追いかけて、梅が京都から飛ぶ、という話です。キテレツ)
ついでに梅酒も好き!
当日、園芸店の片隅のプレハブに向かう。
参加者は私と友人のノムさんを含めて5人。少数精鋭だ。
こんな片田舎で盆栽を作りたい人が5人もいることにちょっと驚きも感じた。みなさん、どういった素性の方なのだろうか…?
語り合うチャンスは無かったのでよくわからないが、きっと仲良くなれただろうな。ちょっと惜しいことをした気がする…。
目の前には、これから盆栽になる具材(?)が準備されていた。
白梅ちゃんと斑入りのハタザオだそうだ。
これを講師(園芸店の店員さん)の方の指示のもと、鉢にぐいぐい詰めていく。
鉢が小さいので、とにかく、土をガツガツ落とす。そうしないと入らない。
盆栽は小さい鉢で木を大きくしないものなのだろうが、用意された鉢が私には小さすぎる気がする…。根を制する者が盆栽を制する(?)
とりあえず詰め込んだ私の白梅ちゃんは鉢から相当はみ出しているが、講師の方に「よし」とうなずいていただけたので、これでいいと勝手に判断する。
根はある程度はちぎってしまっても大丈夫なのだろうか?びくびくして、これ以上はできない…。
続いて、角あたりの隙間に赤玉土をガツガツ詰め込む。割り箸でザクザクつつくと、結構入る。なんだか、寄せ植えって詰め込んでばかりだな…。
余談。赤玉土を見て思い出したのだが、園芸でよく使われる土に「鹿沼土」がある。土地木県(仮)鹿沼市で採れる土なのだが、元をたどるとこの土は我がG県の赤城山の噴火による軽石なのだ。
友人のでんさんは「土地木(仮)が、G県のもので潤ってる!」と悔しがっていた…。G県民、心狭い…。
さて、植物を鉢に詰め込んだら、最後の仕上げとして、土にコケを張る。
コケについては、私も多少は知識がある。が、今までコケを育てられた事が無い。すぐに枯れちゃうのよ、コケ…。私のお世話にご満足いただけないのだ…。気むずかしいご主人様。
きっと、このコケもすぐに枯れちゃって、土むき出しの盆栽になるんだわ…と最初から諦めモードで割と手荒にコケを貼り付ける。
講師の方によると、コケと土がよく混じるように上からぎゅっと押さえつけると根付きやすい、とのこと(コケに根は無いが…)
でも、きっとすぐに枯れちゃうんだ…。コケに関しては最初から期待しないの。そのほうが、後で傷つかないもん…。
ジョウロで水をやり、アクセントに灯籠をのっけて完成!
所要時間は1時間くらい。
結構、よくできた気がする。(自画自賛)
鉢のビビットな赤とコケの緑が良い感じ。これに、白い花が咲けばすごく映えるに違いない。
花が咲くのが楽しみだ。
「すぐにでも咲くと思いますよ」と講師の方は言っていた。
いつかな~?待ち遠しいな~。
コケが枯れるのと、花が咲くのと、どちらが早いだろう…?
赤城山(黒檜山)~雪ふる前に~
新年あけましておめでとうございます。
今年も変わらず、気ままに続けて行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
新年明けてはいるのだが、昨年の12月初旬の赤城登山の話から2019年をスタートしたい。
赤城からスタートだと、なんだか縁起が良い気がする。なんといっても、わがふるさとの山!
実は当初は赤城に登る気持ちは全く無かった。しかし、11月に妙義山と榛名山を立て続けて登ってしまい、私の頭の中に「上毛三山制覇」の文字がちらつき出したのだ。
2つ行ったら、最後の1つを外すわけにはいかない。
コンプリートを目指すコレクター魂がわき上がり、欲望という名の電車が走り出してしまった。欲望は振り払おうとしても振り払いきれず「もう、行こう。行くしか、自分の気持ちをおさめる方法が思いつかない…」と、なにか悲壮な気持ちで赤城行きを決意したのだ。
時は12月。今すぐにでも行かないと、雪が降ってしまう!もう、明日にでも行きたい気持ちだ。
週末すぐにでも山に誘える一番手軽な人選として、今回、私は伝家の宝刀を抜いた。
父と登山。
ちなみに父は本人曰く登山歴60年以上だそうだ。すごいな。山を登って半世紀以上。
11月までは秋の延長線上のような気候だったが、12月に入って、一気に寒さを増してきた。
登山口に向かう車の温度計は「-2℃」を表示している。
寒いじゃないか!マイナスじゃないか!
さすが赤城。冬本番にはカルデラ湖である大沼が全面結氷して、ワカサギ釣りが楽しめる場所である。寒いのだ。
8:30 大沼湖畔の大洞駐車場着。
赤城山は榛名山と同じく、「赤城山」という山頂は無い。地蔵岳や長七郎山や鍋割山などのたくさんの峰をあわせて「赤城山」なのだ。
ちなみにG県民のソウルカルチャー「上毛かるた」で「裾野は長し 赤城山」と読まれているとおり、その長く美しい裾野が特徴である。数万年前に大噴火し、山の上部分が吹っ飛んだため、今のようなガタガタの形になったが、それ以前は富士山型をしていたであろうと言われている。上部がそのまま残っていたら、富士山より高かったのではないか…?と聞いたこともあるが、どうだろう?
山の神様の話としては、日光男体山と激しい戦いを繰り広げた話なども有名だ。(諸説あるが、赤城が負けたらしい…。昔から、土地木県(仮)には負けっぱなしな気がして涙を禁じ得ない)
本日は駒ヶ岳側から登り、黒檜山に縦走して、そのまま下るコースで行く。父曰く、その方が登りが緩いので楽だと思う、とのことである。
私は山登りぺーぺー時代に、この逆コースで登った。とにかく加減のわからない時代にガツガツ登ったので、翌日以降数日間、激しい筋肉痛に泣いた記憶がある。
今回はどうだろう?装備も充実、嬉しいな(byエキセントリック少年ボウイ)なので、少しは上手に登れるようになったと思うのだが…。
8:50 登山開始。寒いけれど、天気良好。
木々の間から大沼が見え、登るにつれてだんだんと遠くなるのがなんだか嬉しい。
振り返ると、地蔵岳の上に電波塔がたくさん並んでいるのも見える。テレビなどの電波の中継点なのだ。G県では屋根の上のテレビアンテナは赤城に向けて設置する。(ちなみに地蔵岳は小学生の遠足定番コースでもある)
しばらく歩くと、鉄の階段が現れる。
「うん。そうだ、長い階段ばかりだったな、確か」と父。十数年ぶり(もっと?)に登るという父はどんな感じだったかまったく覚えていないらしい。
…実は、数年ぶりの私もあまり覚えていない…。筋肉痛しか覚えていないなんて、あんまりだ…。
階段を黙々と登ると「階段はキライだな、うん」という父の声。激しく同意だ、父よ!
でも、赤城は整備がしっかりしていて、段差が低めにそろっているので、比較的登りやすい。
9:45 階段を登りきり、見晴らしのいい場所に出る。
下界が見渡せていい景色だ。
写真を撮ろうと、アイちゃん(iPhone)を取り出して、カメラを起動した途端、ブラックアウト…。
またか!?またなのか、アイちゃん!!
昨年、荒船山に登った時も、寒さに凍えて、冬眠しちゃったよね!
(アイちゃんは寒がりなので、気温が低い場所では電源が落ちることがある)
うう…。しかし、これは予想すべき事態だった…。なんと言っても2回目だからね…。しかし、前回同様何の対策も講じていない私…。ばかばか。私のばか。
モバイルバッテリー持って行くべきだった。以後、寒い登山には必ず持って行くこと、と心のノートに書き留めた。うう…。
できることといえば、アイちゃんを暖めるべく、ズボンのお腹部分に挟み込むことだけ。人肌で暖めるのが一番よね。遭難時の常識(?)
復活してくれ、アイちゃん!
ヤマレコでGPSログもとっていたのに…。(でも、相変わらずブログへの貼り付け方はよくわかんない)
10:05 駒ヶ岳山頂着。1685m。魚肉ソーセージを食べて休憩。
ここで、アイちゃんを再起動してみたところ、復活した!
電源につながなくても、復活するみたい!よかった~。体温を分け与えた甲斐があった!
GPSのログが不自然に途絶えているが、まあいい。後からみたら、「ここで消息を絶った」という感じがするけど…。
ここから、頑張ってね、アイちゃん!凍えないよう、ポケットに入れて歩くことにする。
休憩後、次なる目的である黒檜山を目指して出発する。
当たり前と言えば当たり前なのだが、駒ヶ岳山頂から一気に下る。
かなり下るので、なんだかもったいないような気になる。せっかく登ったのに…。黒檜に行くには下った以上に登らなくちゃならないのね…。
10:30 大だるみ着。下りきったので、ここから黒檜に向けて、登りが始まる。
登りは木の階段が多く、階段嫌い親子の私たちにはちょっと辛い。整備はしっかりしているので、登りやすいけれども。
「やっぱり、駒ヶ岳から下ったのがもったいなかったな」と父は階段をにらんでいる。登山歴60年超えでも、初心者の私と同じようなこと言うんだなあ、となんだか感慨深い。三つ子の魂百まで(使い方間違い?)
黙々と階段を登り、11:20頃、「絶景スポット60歩」の看板に出会う。
60歩…!!細かっ!
山頂とは反対方向だが、60歩なら行くよねえ…。60分じゃ行かないけど。
歩数を数えていた登山者の方が、「ま、そんくらい」と言っていた。
「日本一の関東平野 筑波山」との触れ込みも書いているけれど、私は筑波山見るの忘れた…。うっかり日光方面ばっかり見てしまった。痛恨のミス!
よく見れば、筑波山見えたのかな…?
絶景スポットから、標識どおりすぐに黒檜大神が祀られた神社のある南峰に着。11:30。
さらに先に歩を進め、11:40黒檜山頂着。1828m。
気温があがってきたので、多分霜柱が溶けて、山頂付近はどろどろ、ぐちゃぐちゃ。
うーむ、お昼ごはんを食べるスペースを探すのが大変だ。泥の海にわずかに顔を出す岩はすでに先人に占められている。
隅っこの方の比較的固めのゾーンで、空気いす状態になりながら、鍋焼きうどんをすする。長時間、空気いすは辛いので、最終的には立ち食い。まあ、それもまた良し。
鍋焼きうどんは寒い日には最高!
お腹がふくれた後は、山頂の奥にある「絶景スポット」とやらに行ってみる。2分だっていうし、行かないわけにはいかない。
どろどろぐちゃぐちゃ道をたどると、確かに絶景スポット!下界一望!
しかも、こちらは地面が比較的乾いている。父も「こっちでお昼にすればよかった…」と言っていた。そうね。お互いに初めて登った山じゃ無いのに、この絶景スポットをまったく覚えていなかった…。
目を転じれば、木の枝が砂糖菓子のように凍り付いている。これが霧氷!地元テレビの視聴者投稿コーナーによく出てくるヤツだ!初めてみたので感動。
もう、すっかり冬なんだな~。本当に雪降る直前ギリギリなのだろう。
12:30 山頂発で下り始める。
黙々と下って、写真一枚撮っていない…。寒さのせいか、アイちゃんの充電残量がかなりの危険ゾーンに達してしまったのだ。
ヤマレコを動かしていると、結構電池くうのね。やっぱり、モバイルバッテリーが必要だった。
道は結構急で岩が多い。こんなに急だったのか…。
ぺーぺー時代の私は、この道を愛用のスニーカー(コン●ース)で登ったのだ。(ついでにザックはユニ●ロ)
…すごいな、当時の私。
今、まわりを見渡しても、そんな無茶をしている人はいない。当時、きっとまわりのベテラン登山者の方をハラハラさせてたんだろうなあ。
安心してください。今ではトレッキングシューズ、履いてますよ。(by安村さん)
14:00 無事、黒檜登山口着。楽しい登山であった。父も満足気。
赤城山、いい山だ!
初めての登山にぴったりの山なのではないだろうか。ちなみに、私も初めて登った百名山は赤城山だ。(コン●ースで…)
急勾配もあって登り甲斐もあるし、その先に絶景スポットはあるし、登山道もしっかり整備されているし。ついでに下山すると湖畔に売店もあるし。(冬はわかさぎの天ぷらも食べられる!)
雪が降る前に赤城に登れてよかった。
これにて、2018年上毛三山制覇である!
そういえば、今年「上毛三山スタンプラリー」というのをやっていたけど、どうせ、全部は行かない、と思って参加しなかった…。悔やまれる…。
<コースタイム>
8:30大洞駐車場…8:50駒ヶ岳登山口…10:05駒ヶ岳…10:30大だるみ…11:20絶景スポット…11:20黒檜南峰…11:40黒檜山(昼食30分)…12:20絶景スポット②…12:30下山開始…14:00黒檜登山口…(赤城神社経由)…14:30大洞駐車場
「大草原の小さな家」シリーズ ローラ・インガルス・ワイルダー
年末だ。寒さも一気に増してきて、街はすっかりクリスマスムード一色だ。
クリスマスと言えば、サンタクロース。良い子の元にプレゼントを届けにやってくる。
私も子どもの頃はプレゼントが楽しみで、今年は何を貰おうか、一生懸命考えたものだった。「こえだちゃんのお家」とかを貰ったような…。
そんな風習について、最近気になっていることがある。
本場、キリスト教圏である欧米では、何歳くらいまで子どもの元にサンタクロースがやってくるんだろう?
というのも、欧米の児童書とかで出てくるクリスマスは、朝起きるとツリーの周りに家族や親戚、友達からのプレゼントがたくさん置いてあって、「わあ、おばあちゃんのプレゼント、今年も腹巻きだよ!」なんてぶつくさ言う風景であることが多いからだ。あれ?サンタさんからは貰わないのかしら?
「ハリー・ポッターと賢者の石」では、ハリーのベッドの足下にプレゼントが置かれていて、その数は5つ。それぞれ、ハグリット、叔父夫婦、ロンのお母さん、ハーマイオニー、謎の人物からのものだ。(どんなに折り合いが悪い(虐待気味?)叔父夫婦でも、一応クリスマスプレゼントは贈る、というところに、欧米社会におけるクリスマスプレゼントの重要性を感じる)
サンタクロースからのプレゼントが無い…。この時、ハリーは11歳。
日本では、だいたい小学生くらいまでがサンタさんからプレゼントをもらえる年齢だと思うが、欧米ではもうちょっと早く、サンタさんを卒業するのだろうか?
いや、もしかすると、欧米では大人もプレゼントを贈り合う習慣があるので、物心ついたころから、パパやママからのプレゼントを貰うことはあっても、サンタさんから貰わないものなのかもしれない…。
本場には行ってないのに、日本には来てるのか!?サンタクロース!
そんなもやっとした疑問を抱きつつ、ふと思い立って「大草原の小さな家」シリーズを本棚から引っ張り出してみた。確か、主人公ローラがクリスマスプレゼントを貰う場面があったはずだ。
「大草原の小さな家」シリーズは、アメリカ西部開拓時代に少女時代を過ごした、ローラ・インガルス・ワイルダーの自伝的小説である。古き良きアメリカの家族を描いた作品として、ドラマ化もされ、人気を博した。
ドラマの記憶はかなり薄いが、「父さん」「母さん」と呼ぶのが、当時新鮮で、ちょっとあこがれた。何か、子ども心に知的な感じがしたのだ。実際に、使ってみる勇気はなかったけど。
シリーズ第1巻「大きな森の小さな家」はローラが5歳から6歳の頃の話だ。
なんと、ここでローラの元にサンタクロースがやってきていた!
イブの晩、暖炉の前につるした靴下の中にはサンタさんからのプレゼントが入っていた。
朝になって、みんなは、ほとんどいっしょに目をさましました。すぐに靴下に目をやると、たしかに何かはいっています。サンタクロースがきてくれたのです。(中略)
どの靴下にも、あかるい赤のミトンと、長くてひらたい、紅白のしまになったハッカいりキャンディーがはいっていました。(中略)でも、ローラはだれよりもいちばんうれしいのです。ローラにも、布人形のプレゼントがはいっていたのですから。
さすが、本場のサンタはちゃんと靴下にお菓子を入れている。トラディショナルな「サンタさんからのプレゼント」そのものだ。
やっぱり、欧米でも良い子の元へは、ちゃんとサンタさんが来ているのだ、と納得した。5歳は大丈夫らしい。
シリーズ第2巻「大草原の小さな家」。ローラ6歳から7歳。
この巻でも、一応、サンタクロースがローラの元にやって来ていた。「一応」というのは、街でサンタクロースに会ったエドワーズさん(父さんの知人)が、プレゼントを預かって来てくれたのだ。(雨で増水した川をエドワーズさんが渡ってこられない、と一度は諦めるが、ちゃんとやってきてくれて、無事、プレゼントを貰うことができた、というエピソードだ)
…なんか、かなり怪しくなってきている気がする…。
エドワーズさんが川を渡れない=サンタクロースも渡れないので、プレゼントはもらえない、とローラは考え、がっかりする。さらに、母さんは、今年はサンタクロースは来られないけれど、来年はきっと来てくれる、とローラに話している。
6歳になると、もう、割とオープンだ!日本では小学1年生なのに。
ちなみに、この時のプレゼントはブリキのカップと棒キャンディとハートのお菓子。そして、1ペニイの硬貨。
シリーズ第3巻「プラム・クリークの土手で」ローラ7歳から8歳。
この巻にはクリスマスが2回描かれている。
最初のクリスマスでは、母さんが娘達に大胆な提案をしている。
「もしも、みんなで馬がほしいと思ったら、ほかには何もいらないから、ただ馬だけだということにしたら、もしかすると」
母さんは娘達のクリスマスプレゼントを父さんがほしがっている馬にしようと提案するのだ。
怪訝に思ったローラが「サンタクロースは、ほんとにいるのよ、ね?」と聞くと「もちろん、サンタクロースはいますよ」「もう、おまえたちもそんなに大きくなったのだし、サンタクロースがたったひとりだとはまさか思ってないでしょ?」「ね、じゃ、それがどういうことがわかるでしょ」と返す母さん。
…割と厳しい教育方針だな。
結局、娘達はクリスマスプレゼントに「馬が欲しい」と父さんに伝え、馬がやってくるのだ。でも、ちゃんとクリスマスの朝にはキャンディーがプレゼントされる。そういうところ、父さんは抜かりないのだ。
もう1回のクリスマス。ローラ8歳。
この年は何日も続く吹雪のため、街に買い出しに出かけた父さんが帰って来られなくなる。父さんは、吹雪の間、偶然落ちた穴の中で、クリスマスプレゼントのキャンディーを食べて飢えをしのいだのだ。だから、ローラたちへのプレゼントは無し。
もう、サンタクロースどころではない。
最後に、シリーズ第4巻「シルバー・レイクの岸辺で」。ここはぐっと間があいて、ローラ13歳。
もうすっかり大人になって、家族とプレゼントを贈り合っている。インガルス一家にはサンタクロースはやって来ない。
ローラのプレゼントは、父さんへはネクタイ。母さんへはエプロンとハンカチ。妹のメアリーには手袋。もちろん、みんな自分で縫って作ったものだ。すごいな。ミシンもないのに。
女性にとって、裁縫は必須だった、ということがよくわかる。…私は当時だったら、失格だ。ボタン付けも満足に…。
ということで、調査の結果、西部開拓時代のアメリカでは、サンタクロースがやってくるのは7歳までだということが判明した。
プレゼントの代わりに馬が来た年だ。ここが天下分け目の関ヶ原。
7歳か…。早い、と思う。でも、現実的に、そのくらいがサンタクロースという妖精みたいな存在を無条件で信じられる年齢のラインなのかもしれない。でも、7歳はやっぱり早い気持ちがする。本場なのに…なんだか寂しい。
しかし、この調査は100年以上前のアメリカの話なので、現代はどうなのか、やっぱりよくわからないのだった。なんとなく、最近は7歳以下でもサンタクロースが来てない気がする。引き続き調査を続けたい。
ついでに、インガルス家のクリスマスプレゼントは毎年キャンディーである事も判明した。
この当時、キャンディーはクリスマスに一度だけ食べられる貴重品だったらしい。確かに、砂糖を大量に使う嗜好品だもんね。
ローラは大喜びで、ちょっとずつ、ちょっとずつ大事に食べていく。
これは、私にも覚えがある。
子どもの頃の私はチーズが大好きだった。(今でも好きだが)
たまにスライスチーズを食べるチャンスがあると、一気に食べてしまうのがもったいなくて、あの四角を折りたたんで、できるだけ小さな細切れにして、1枚ずつ食べていたものだった。できるだけ長い時間、チーズを楽しむために。
時代は違うけど、ローラと同じ!
この話をたまにすると、みんなに引かれるのだが、どうしてだろう…?きっと、ローラなら激しく同意してくれるに違いない!
大きな森の小さな家 ―インガルス一家の物語〈1〉 (福音館文庫 物語)
- 作者: ローラインガルスワイルダー,ガースウィリアムズ,恩地三保子
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 19回
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ローラが抱いているのが、クリスマスプレゼントでもらったお人形。
ドラマ版。懐かしいー。
榛名山 掃部ヶ岳~鍋焼きうどんであちち~
今年はちっとも冬が来ない気がする。確かに朝晩は寒さを感じるけれど、まだ秋の延長戦上にいるような気持ちで、日中はのほほんと過ごしている。山も全然白くない。
まだまだ行けるな、という気持ちで榛名山の最高峰、掃部ヶ岳に行ってきた。
榛名山はG県民にこよなく愛されている上毛三山の1つであるが、「榛名山」という山は無い。噴火でできたカルデラ湖の榛名湖を中心に、榛名富士や掃部ヶ岳や相馬山などの数多くの峰の総称である。
下界から眺めると、どどーんとその雄姿がそびえ立ち「榛名、今日もカッコいいなあ…」とほれぼれする。私のイメージだと、赤城山がお母さん。榛名山はお父さん。
(じゃあ、妙義は…と聞かないで欲しい…)
6:30過ぎ、G県東部発。
近いので、もうちょっとゆっくり出発しても良かったのだが、余裕があったら、掃部ヶ岳と榛名富士の2つ制覇も狙っていたので、やや早めに出発した。
今回も同行は山の相棒ノムさん。
伊香保温泉を経由して、「静かな湖畔」のメロディーラインも堪能し、掃部ヶ岳登山口到着は9:00少々前。登山口の目印にしていた国民宿舎「榛名吾妻荘」は市の林間学校施設「榛名湖荘」に変わっていたので、しばらく見つからなかった。3~4年前に来た時はまだ吾妻荘だったと記憶しているけど…。時代は変わるなあ。
ちなみに、私も中学生の時の林間学校は榛名山だった。遠い昔の記憶だけど…。
準備をして、9:00過ぎに登山開始。
私は以前、1度だけ登った事があるが、そのときの細かい記憶はぼんやり。
「確か、笹だらけの直登で、辛かった」「道、間違えて違う山登っちゃった」という辛かった記憶だけが残っていて、あまり良くない印象なのだ…。今回は楽しい登山にして、その印象を払拭したい!
しばらくはクマザサは生えているけれど、しっかり登山道は整備されていて、割と歩きやすい道が続く。あれ?クマザサまみれゾーンはどこだったのかしら?
しばらく登山道をえっちらおっちら登って行くと、私の後ろから「せっせっせいやっ」というノムさんのつぶやきが聞こえてきた。
どうやら、登りを歩く自分を鼓舞しているらしい。
「おお!ノムさん!霜降り明星、せいやだね!」※この時点ではM-1の結果でてません
なかなか渋いネタついてくるな~!さすが、ノムさん!と後ろを振り返ると
「違うよ!BEBY METALの曲だよ!せいやって誰!?」と怒られてしまった…。
知らなかったけど、せいやのネタ元はBABY METALだったのかしら?全然関係無い?
くだらない会話を続けながら登り続けて約30分、硯岩との分岐に到着。案内看板には「硯岩0.1km」と書かれている。
事前学習によると、硯岩は絶景ポイントらしいので、勿論行く。好天の絶景ポイントを素通りする登山者なんて、きっといない。たとえ、その100mが急登だとしても!
なんとか登り詰めた硯岩は噂に違わぬ絶景ポイント!榛名湖と榛名富士がよく見える。
「カルデラ湖~!」「プリンだ!プリンだ!←榛名富士のこと」と喜ぶ私たち。
榛名富士は本当に綺麗な富士山型で見映えがいい。THE 山!でも、登ると日光男体山と同じで辛そう…。事前には榛名富士も登りたい、と思っていたが、この時点でその気持ちはかなり失われている…。
分岐に戻り、しばらく行くと、階段が現れる。
ずっと階段…。まだまだ階段…。疲れる…。
階段の途中で倒木が道をふさいでいた。最近、倒れたのかもしれない。
とりあえず、倒木でポーズを決め、モデルごっこをして、疲れを紛らわす。最近、私たちが写真を取り合う時の合い言葉は「ラ●ドネ風」だ。振り返りポーズとか、それっぽい!
10:30 長い階段終了後、少々歩くと頂上到着。1449m。だいたい1時間半で到着。
榛名湖が眼下にお出迎え。でも、硯岩からの眺めと比べると、かなり角度が違う。結構歩いたんだな~。
雪でうっすら白い浅間山や先日登ったギザギザ妙義山も見える。頂上から周りを見渡す時間は楽しい。
「あの山は何かな?」とノムさんや居合わせた登山者の方と話す。不思議だ。山に登らなかったころは、山を見ても名前なんて全然気にならなかったのに。
さて、今回、私は印象の悪かった掃部ヶ岳を最高の楽しい思い出にするための秘策を用意してきた。
それは、鍋焼きうどんである!
寒くなるのを待ってた!(この日は実はそんなに寒くなかったけど)
コンビニで売っているアルミの鍋に入っているヤツだ。これをそのままバーナーに載せ、ぐつぐつ煮て食す。最高じゃない?最高だよね!
このために私は前日コンビニを4軒ハシゴした。どうして探している時に限って無いものなのか。4軒目で発見した時は「えいどりあ~ん!」と心の中で勝利の雄叫びを上げたね。苦労したの。
お昼には少し早い時間だったが、かまわず鍋焼きうどん製作に取りかかる。
やってきた登山者の方に「おっ鍋焼きうどんかい?最高だね」と言っていただいたので「はい。最高です!」と堂々と答えてみた。
ちなみにノムさんはレトルトの鍋焼きうどん(スーパーで購入)と刻んだネギ(冷凍)を持参。こちらも気合いが入っている。
ぐつぐつ煮立った頃合いで、コンビニで購入した半熟たまごをトッピング。
できあがり!
うーまーいー!!(味皇様、降臨)
暖かいものは染みるねえ。本当に最高だ。
しかし、食べるときにアルミの鍋を持つと、ちょっと熱い。
「ノムさん、熱いねえ。大丈夫?」と聞いてみたら、ノムさんはアルミ皿を持つ方の手にしっかりと手袋をはめていた。さすが!ミトンの要領か!
手が熱い問題も早々に解決され、山頂でひたすらうどんをすする。
幸せだなぁ 僕は君といるときが一番幸せなんだ…(by君といつまでも)
ついつい加●雄三を口ずさんでしまうくらい、幸せを感じたよ、私は。
11:30 大満足のお昼を食べ終え、帰路に着く。
「行きとは違うルートがあるみたいなので、そっちで帰ろう」と「杏ヶ岳」方面のルートへ。
クマザサ クマザサ クマザサ
「笹だらけじゃないか~!足下も見えないぞ」
「ああ、前に登った時のクマザサまみれゾーンはここだったか!」
笹にまみれながら一気に下る。
しばらく下ったところで、ヤマレコのGPSログを確認して気づく。
「あ、道間違った…。このルートだと相当先(杖の神峠)まで行かないと帰れないや」
「……この笹まみれの急坂を登って戻るのか……」
「……。」
戻ったよ。笹にまみれて。
くっ…やはり、榛名は道を間違う山なのか。今回、ヤマレコのGPSログ使ってて良かったな~(でも、このブログへの貼り付け方法とかよくわからない…)
「ただいま~」と再び掃部ヶ岳山頂に戻ったのは12:00少し前。
予定外に30分ロスしてしまったが、「ラ●ドネ風」の笹まみれ写真が撮れたからよかったとしよう。ポジティブ。
山頂から10分弱歩くと、非常にわかりにくい分岐があった。(一応、看板があった)
「…こっちに道あるの…?」「かすかに見える。ある…!!」
せっかくだから違うルートで帰りたい、という単純な発想でこのルートを選択したけれど、決して人には勧めない。ときっぱり言えるくらいの道。
さっき間違えた杏ヶ岳方面への道ほどじゃないけど、笹だらけ!急な一直線の下り!落ち葉が滑る!(これは季節のせいだが)
ピストンで帰った方がよかったかもしれないい。他に人、全然いなかったし。(一人も出会わなかった)
途中からは、やけくそ気分になったのか、これはこれで楽しくなってきた。自分でも呆れるほどの前向きさ。
多分、下りが上手な人は、このルートの方がコースタイム的には早いのかもしれない。私もノムさんも下りが上手ではないので、全く早くならなかった。どうしたら、うまく下れるのかな~。
13:00 多分、人より相当時間をかけて、湖畔記念公園に到着。
いろいろ消耗したので、榛名富士には当然登らず、湖畔から眺めるだけにした。もう、達成した気分だったので、もう一回はじめから登る気持ちになれなかったの。ヘタレな私たち…。プリンちゃんはまた今度。
振り返ってみると、変化に富んでいて楽しい山だった。何より、鍋焼きうどん、おいしかった!
これで、私の榛名山の印象は良い方向に転換したぞ。
帰宅途中に、榛名湖温泉で露天風呂からのんびり榛名富士を眺めるという、最高の締めでこの日の山登りを終えた。
は~、温泉がいい時期になったな~。
<コースタイム>
9:00榛名湖畔駐車場…9:30硯岩…10:30掃部ヶ岳山頂(お昼1時間)…(道間違え)… 12:00山頂再び…12:10分岐…13:00湖畔記念公園