「さかなクンの一魚一会」さかなクン
私は以前から、さかなクンのことを尊敬している。
「魚が好き」というだけのことを、とことんまで突き詰め、その想いでご飯を食べていける地位にまで上り詰めた人物だ。なかなか、好きという想いだけでそこまでいける人はいない。
あの魚への愛情はホンモノだ。
彼は魚を心から愛している、真の魚人だ。半漁人…はちょっと違うか。
そんな私の勝手なリスペクトに、ある日、衝撃が走った。
ぼーっとテレビを見ていたところ(内容は全く記憶に無い)、さかなクンが釣りをしていた。さかなクンはどうやら釣りが趣味らしい。ここで、何か小さなひっかかりを感じたのだが、その後、さかなクンの口から「このお魚ちゃんはとってもおいしいですよ」との発言があり、釣った魚を食べている姿を見て、私は本当に驚いた。稲妻に打たれた様だった。ぎょぎょっ!
さかなクン、魚、食べるんだ!
共食い…!?
何故か私は、さかなクンは愛すべき魚を食べたりなんかしない、と勝手に思い込んでいたのだ。
名前も「さかなクン」だし、身も心も魚に捧げてしまった人で魚族に近い存在になっているので、友達として飼ったり、海や水族館で眺めているだけだと思っていた。イメージとすると、竜宮城の乙姫様みたいな感じ。乙姫様は浦島太郎をごちそうでもてなしたけれど、多分、お刺身とかは出していないはずだ。
いやいや、よく考えれば、そんな訳ない。一体、何故そんな思い込みをしていたのか、バカな私め。
以前、朝日新聞に掲載されたさかなクンのエッセイ「いじめられている君へ」の中でも、いじめにあっている同級生と一緒に釣りに行った、という話が書かれていたではないか。(この文章は、今は教科書にも載っているらしい)
むしろ、お魚をおいしく頂けるというのは健全な魚好きだ。お刺身も焼き魚も煮魚もおいしい。私も大好きだ。寿司ももちろん大好物。
魚が好きすぎて、サンマもサバも鮭も食べられない、なんて人はちょっと行き過ぎだなあ、と思う。でも、さかなクンは行き過ぎの人の様な気がしていたのだ…。勝手に思い込んでいて、大変申し訳ない。
しかし、さかなクンの自叙伝「さかなクンの一魚一会」を読むと、私の思い込みに近い、幼魚期のさかなクンのエピソードが書かれている。
幼魚期のさかなクンはタコに夢中になっていた。
友達のおじいちゃんがタコとり名人であると聞き、夏休みにタコ釣りに連れて行ってもらう。さすがは名人のおじいちゃんだ。見事なタコ釣りで、さかなクン念願のタコをゲット!
さかなクンは生まれて初めて見る、ホンモノのタコに飛び上がって大喜び。
すると、おじいちゃんはタコをすかさず捕まえ、胴体に指を入れて、タコの胴体をひっくり返して内臓を引きちぎり、ビシビシと石にタコをたたきつけたのだった。
「ぎゃあああああ。やめてー」とさかなクンは叫ぶけれど「なに言ってんだ、こうしなきゃ旨くなんねーんだよ」とおじいちゃんはビシビシを続行。
幼魚のさかなクンはタコに恋い焦がれていただけに、残酷でショックな出来事として、しばらく引きずったそうだ。
幼魚だとね。やっぱりね。
こういう体験から、「もう嫌だ」とならないのがさかなクンの凄いところだ。その後もタコへの愛情は全く冷めず、千葉のいとこの家に行き、近くの海岸でタコを探しに出かける。
いろいろ苦労して、またもやタコゲット!
今度こそ、水槽で飼う気満々で、タコをバケツに入れたまま、しばらく昼寝をし、バケツを覗いて見ると、タコはすでに白くなっており、足も力なくでろーんと伸びきったままになっている。
おばさんは「炎天下ですっとバケツの中にいたら、そりゃあタコだって死んじゃうわよ。今日はやっぱりたこ焼きパーティね」と、タコを台所に運ぼうとする。
さかなクンは「まだ生きてるもん!」とタコを海水につけてみるが、すでに死んでしまったタコの足はだらーんと伸びたまま。
結局、タコはおばさんに渡され、冷凍されたそうだ。
多分、たこ焼きになったのだろう。(そこまでは書かれていない)
その後、ウマヅラハギに恋したさかなクンは、料亭の生け簀で泳いでいるウマヅラハギちゃんを発見。
ウマヅラハギを飼いたいさかなクンは、お母さんにおねだりし、料亭で「表で泳いでいるウマヅラハギちゃんをください」とお願いする。
しばらくして、さかなクンの目の前に現れたのは、ウマヅラハギちゃんの活け作り…!!料亭だからね!
そのショックな姿にさかなクンは思わず泣いてしまう。
しばらくめそめそしていたさかなクンだったが「気持ちはわかるけど。でもこれ、もうお作りにしちゃったから食べてみなよ。ウマヅラハギの命をムダにしたくないだろ。うまいぞー」との板前さんの言葉に、お刺身を口に運んでみる。
すると、あまりのおいしさに涙はピタッと止ったという。
今風に言うと、食育だ。
人は魚を始めとした、いろいろな命ある生き物を食べ物にしているのだ。
やっぱり、さかなクンは健全な魚好きだと思う。
魚好きが高じて、魚を食べないなんて思い込んでいたことが本当に申し訳ない。再度、謝らせていただきたい。ごめんなさい。
ちなみに、私も子どもの頃、スーパーで売られていたドジョウ(多分、柳川鍋とか唐揚げ用)を水槽でしばらく飼っていた。割と長生きした。
「食べるのなんて、かわいそう。うちの水槽で飼う!」という子どもの気持ちは、私もさかなクンも多分同じだっただろう。
さかなクンはそのまま魚に対する「好き」の気持ちを純粋に育てていって、今のお魚博士、大学の名誉助教授にまで成長させたのだ。やっぱり、すごい。好きこそものの上手なれ、という言葉を体現している。
私はその後、特に何かに打ち込むことも無く、ドジョウは食べるもの、という認識の普通の大人になってしまった。ちょっと寂しい…。
「これが好き」と胸を張って言えるものがあり、その好きなもののことをずっと考えたり、調べたり、そして、それを職業にできたりすることは、とてもうらやましい。
私も何かに打ち込んでいれば、今とは違った生き方をしていたかもしれない、などど夢想してみたりする。
ちなみに、この本は、今年の人間ドックお供本だった。(検査の合間に読む本)
とても読みやすく、ぐいぐい読んでいたので「●●番さ~ん」と自分の番号が呼ばれていることに気づかない事態が数度発生した。名前では無く、その日限りの番号で呼ばれるので、本に夢中になっていると気づかないのだ。
うーむ。分量的には最適だったのだが、ちょっとお供本には向かなかったようだ。
やはり、写真やイラストが多く掲載されていて、章立てが細かい本が人間ドックには合う。来年はまた、山ガイドとかにしようかな。
「冒険図鑑」さとうち藍 松岡達英
少し前に地元の図書館に行った際、棚に懐かしい本を見つけた。
「冒険図鑑」である。
私が小学生だった●十年前、読んでいた本だ。確か、山好きの父親が買ってくれた。
児童書はベストセラーになると、長い期間ずっと売れ続けるらしい。小学生だった、私がおばさんになっても。(by森高)
この本も、多分そうだ。
子どもの心をキャッチする何かは、時代が変わってもあまり変わらないものなのだろう。
いつの時代も「冒険」というタイトルで、わくわくしない訳がないじゃないか。
帰宅して、早速本棚の奥をあさると、若干黄ばんだ状態の「冒険図鑑」を発見した。(ついでに「自然図鑑」と「遊び図鑑」も発見)
懐かしい。物持ちの良い自分に感謝だ。
いろいろなイラストが詰め込まれた表紙のデザインが、博物館の標本みたいで、アカデミックな雰囲気を漂わせていて、「この本、やっぱり好き!」と興奮し、小学生当時の様に、ぱらぱらめくって、つまみ読みをしてみる。
松岡達英さんの絵、細密で線が美しく、変なデフォルメがなくてステキだ。
「冒険図鑑」は子ども向けのアウトドアのあれこれ、が書かれた本だ。
ちなみに対象年齢は「少年少女~大人まで」だ。ほぼ全世代。「少年少女」という言葉のチョイスに福音館書店さんのセンスを感じる。ステキ。
内容は子ども(小学生から高校生)のグループがキャンプをするにあたって、必要な知識を紹介、といった体をとって、準備、テントの建て方、料理の仕方、危険への対応など、様々な知識がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
見開き1ページが、1項目の読み切りスタイル。読みやすい。
小学生当時は、本を適当に開き、その箇所だけ読む、といったスタイルでぱらぱら読んでいた。
今なら、トイレで読んだりするかもしれない。あとは、人間ドックのお供本とか。
読み返してみて思ったが、かなり高度な内容もある、と思う。
私が全くできない「地図上で自分がどこにいるか」を判別する方法や、天気図の読み方から雪山で遭難した時のための雪洞の堀り方など。
かなりガチだ。
昨今のキャンプブームで使用されるハイスペックな道具は登場しない。
かまどは石などを利用して作るし、薪は自分で拾い集め、テーブルや椅子も自分で作成する。テントは昔ながらの家形テントだ。(他の形も紹介されている)
ついでに、マッチやライターを使用しないで、きりもみ式や弓切り式で火をつける方法も紹介されている。(ちなみに私は、弓切り式で火をつけて、前髪を燃やしたことがある…)
アウトドアというよりサバイバルという言葉が似合うかもしれない。
子ども向けの本だが、「子どもだからって容赦しないよ」という、真剣さが伝わってくる。だから、読む方も「はい、先生!」とまじめにじっくりと読まなければならない気持ちになる。
当時、ガールスカウトだった私は、家形テントを建てたりする、この本に近いキャンプに行っていたが、かまどはキャンプ場作り付けのものを利用したりしていたので、ここまでガチのキャンプには行ったことがなかった。
本格的なキャンプはすごいな~、とかなり真剣に読んでいたものだった。
なかでも、小学生だった私が真剣に読んでいたのは「野外でのトイレ」だ。
冒険図鑑のイントロダクション部分のマンガでは、キャンプ地に着いた直後に、リーダーのともあき(高校2年生)が「まずトイレを作るか」と言い、地面に穴を掘る。
わーお、本格的なキャンプはトイレも自分で作るのか!
小学生当時の私には衝撃だったのだ。
もちろん、ガールスカウトでも、トイレを自分で作るキャンプには行ったことがない。快適とは言いがたいが、きちんとトイレが設置されている場所でキャンプをしていた。
冒険図鑑で紹介されている手作りトイレは、こんな感じだ。
まず、20センチくらいの深さの穴を掘る。
穴の周りに布を貼って目隠しにする。
臭い対策に杉の葉を敷き詰めたりする。また、使用後にかける土も脇に用意し、手洗い用の水をバケツにくんでおく。
トイレットペーパーは木に刺して使いやすいようにし、足起き用の木を穴の横に設置。
使用中、あき、が両面に書かれた札を用意するとさらによし。
ちなみにキャンプ終了後はしっかりと埋め、後のキャンパーのために、トイレだったことがわかるように、トイレの札を残して置くとよい、とされている。
かなり細やかに気を遣っているトイレであるが、結局は野に掘った穴で用を足す、というだけのものだ。
なお、さりげなく「紙がなくなったら木の葉を使う」などと添え書きされていたりもする。
本当にアウトドアだ。日本語にすると野天だ。
小学生当時の私は「こういう場面になったら、絶対に必要な知識だから、トイレの作り方だけはしっかり覚えておこう」と何度も繰り返して、図解された手作りトイレを眺めていた。
この知識は、いずれ災害時とかに役に立つかもしれないので、今後もしっかりと覚えておこう。再読して、さらに強く聞く心に刻み込んだ。
正直にいうと、「冒険図鑑」の内容で覚えていたのは、トイレの作り方だけだった…。なんだろう、私はトイレに対する関心が人よりもかなり高いような気がする…。なんとなく隠しておく部分だからこそ、「みんな本当はどうなのよ!?」と気になって仕方がないのかもしれない。我が事ながら、やっかいな性格だな、と思う。
ちなみに、登山時には携帯用トイレを持って行っているので、今のところ、それで間に合っている。いずれ、お花を摘みに行く時もあるのだろうが…。
ここまで書いて、緊急時のトイレ対策として、ふと思い出したことがあるので、備忘のためにここに書いておく。
私が韓国へ旅行した時のことである。かなり前だ。
私と友人はショッピングモール(?)のようなところに入っている、ロッ●リアでコーラを飲んで休憩していた。(具体的にどこだったのか、すでに記憶は曖昧…)
コーラを飲み干し、しばらく「韓国のり、お土産に買う?」などど話していると、小さな子どもを抱いた女性がやってきて、私に話しかけた。
「(ハングル)?」←すみません、韓国語の知識が無く、文字で表現できません。
突然、女性に話しかけられ「…えーっと…」と、日本語でつぶやくと、女性は、何だ日本人かい、と理解したようで「ソノコップ、クダサイ。コドモノトイレニシマス」とかなんとか、一応日本語で話かけてくれた。(韓国の方は日本語が話せる人が多かった)
彼女の視線は私の前に置かれたコーラの空き容器に注がれている。
…これ?捨てるだけだから、あげてもいいけど、何に使うの?
子どものトイレ…!!
「ど、どーぞ!!」
と、すぐさまご要望にお応えして、空き容器を差し上げると、女性は「アリガトウ」と足早に去って行った。
子どものトイレ…。
韓国では、紙コップで緊急避難するって、ポピュラーなやり方なのか!?というか、ここはショッピングモール(?)だから、近くにトイレあるんじゃないの?
友人と「今回の旅行、最大のカルチャーショックかもしれない…」と語り合った。
日本でも、高速渋滞中の車中なんかだと、この方法をとることもあるかもしれないが。(子持ちの友人によると、車中には子ども用携帯トイレを常備しているので、それを使う、とのことだった。日本でもありか?)
町中の緊急時には、「冒険図鑑」で仕入れたトイレ作成方法はあまり役にたたない。むしろ、韓国旅行で得た知識が役に立つ。まあ、男子限定だけど…。
最後にひとつ、「冒険図鑑」を再読して気になったことを書いてみる。
この本は1985年初版なので、だいたい35年前に書かれた内容だ。相当前だが、読み返してみてもあまり古さは感じない。アウトドアは自然相手なので、そんなに大きく変わることはないのだろう。
だが、時々「おっ!」という、時代を感じさせる記載がある。
「下着を選ぶ」での記載。
ラクダのシャツがいい。お父さんの小さくなったものをもらおう。長いときは切る。
ラクダのシャツ!わーい!!
今日日のお父さんは、多分、着てない。
現在、書店で売られている版にもこの記載のままなのだろうか。非常に気になる。
今度、大型書店で見つけたら、必ず確認しようと心に決めた。
(ついでに「ヤッケ(ウィンドブレーカー)」の記載も変わっていないか、確認したいと思う。
こちらも結構楽しい。小学校の授業で「植物図鑑を持ってきなさい」と言われて、この本を持って行き、全然役に立たなかったことを覚えている…。分類方法が違ったので。
「あした、山へ行こう!」鈴木みき
何事もスタートする時には初期投資が必要だ。
登山を始める時にも、登山道具を揃えるべし、と色々な入門書に書かれている。そして、その道具は登山道具専門店に行って、店員のアドバイスの元、揃えるとよい、と判で押したように、どの本も書いている。
登山用の道具はハイスペック。頑丈、防水、軽量など、さすが!の機能性を備えているものが多い。山は危険と隣り合わせの場所なので、性能がよいものが必要なのだ。
しかし、その分お高い。
手元にある入門書に掲載されている、登山の三種の神器の1つであるカッパのお値段は、上下セットでだいたい25,000円から。ファストファッションが定着した現代の日本ではかなり躊躇する値段だ。
靴やザックやその他諸々、山に行くの、初めて〜、という人が、一式揃えようとすると、6桁まではいかないものの、相当な金額になってしまうと思う。
ハードル高すぎ!と思うのは私だけだろうか。
これでは簡単に友人を登山に誘うこともできない。
「山に行こうよ。道具に5万円以上かかるけどね」なんて気軽に言える人がいるだろうか…。
そんな時、鈴木みきさんの「あした、山へ行こう!」を読んだ。
サブタイトルに「日帰り 「山女子」のすすめ」と銘打っているとおり、女性向け登山入門のコミックエッセイだ。
入門書なので、当然、登山道具紹介のページもある。他の入門書同様、押さえるべきところを押さえた道具紹介になっているのだが、「私は、まず家にあるものを探してみました」「(日帰り登山なら)山用じゃなくてもいいんじゃないかなー」などの発言が随所にちりばめられており、私は「おお…!!」と大きくうなずいた。
私も最初、家にある適当な道具で山に行っていたのだ。
数年前、山登りらしきことを始めたきっかけは、友人キキちゃんの一言だった。
「富士山登ったので、登山道具一式揃えたけど、その後、一回も使ってない」
キキちゃんは私とは異なる人種、「形から入る」人だった。しかも、ちゃんと登山用具専門店で「富士山に行くので、必要な道具一式見繕ってください」と言って購入したそうだ。
すごい…。
私は鈴木みきさんと同様、登山用具専門店は「ここは玄人が来る店だぜ」と言われそうな気がして、こわくてなかなか入れなかったタイプだ。(念のために申し添えるが、入ってみたら、全然怖くなかった)
そして、購入後、何度も使うかどうかわからない趣味の道具に高いお金を払いたくない、という初期投資の出来ないドケチ人間だ。
キキちゃんの発言に「一式揃えたのに、使ってないなんて、もったいない!そうだ、一緒に尾瀬に行こう!」とついつい口走ってしまったのだ。(尾瀬は地元なので、すごく前に行ったことがあった)
他人の初期投資にまで、もったいない精神を発揮してしまう私。
だって、具体的な額は聞いていないけど、相当な額だったに違いないよ。それを富士山たった一回しか使わないなんて…。
それにしても、こんな真逆な性格で、私とキキちゃんはよく長年友情を保っていられるものだな。みんな違ってみんないい。(by金子みすず)
そんな成り行きで、キキちゃんを我がG県にお招きして、尾瀬に行くことになったのだ。
キキちゃんは登山フル装備だが(何しろ富士山用の道具だ)私は山道具率ゼロ。アンバランスな2人組だが、お互いにマイペースなので特に気にしない。
私は尾瀬に行くことになったからと言って、何ひとつ道具を買ったりしなかった。キキちゃんみたいに、その後、一度も使わなかったらもったいないから。←ドケチ。
私の基本装備は、コ●バースのスニーカー、コンビニのカッパ(上下一体型)、ユ●クロのザックだ。すべてうちにあった。
服装も、登山始めたての鈴木みきさんと同じく綿のTシャツに、チノパンを合わせて、帽子や靴下はいつも使っているもの。
本当に低装備。山をなめくさった格好である。
でも、基本的に平らな木道をてくてく歩く尾瀬ならば、この装備で十分なはずであった。
雨さえ降らなければ…。
何度も書いているが、私とキキちゃんは強力な雨女である。
この時の尾瀬も、やはり雨であった…。日程は山小屋泊の1泊2日だったが、両日ともずっと雨…。
雨なので、当然、カッパを装着する。キキちゃんはゴアテックスだが(さすが、山道具専門店で購入しているだけのことはある!)私はコンビニのビニールカッパだ。
まわりの諸先輩方の視線が痛い。
作中で鈴木みきさんは、軽装登山で、「山をなめてる」という白い目にさらされた、というエピソードを紹介しているが、この時の私ほどでは無かったであろう、きっと。
「あのこ、あんなカッパで…。全然、山のことを知らないな。ダメだねえ…」と、突き刺さるような視線を浴びまくった。コンビニカッパは、諸先輩方の信頼度は限りなくゼロに近かったのであろう。
今ならわかる。すみません、当時、本当に初心者以下だったので。
ちなみに、泊った山小屋の下駄箱で、皆のトレッキングシューズに囲まれて、私のコ●バースは異彩を放っていたことも付け加えておく。
それでも、当時のペーペーな私は割と楽しく雨の尾瀬を歩いていた。キキちゃんも「夏が来れば思い出す~♪」とご機嫌に鼻歌を歌っていた。
コンビニカッパでもちゃんと雨を防いでくれるし、コ●バースでも足が痛くて歩けなくなったりしないし、私にはこれで十分だ、と満足してたのだ。
しかし、尾瀬沼湖畔の山小屋でカッパを脱いで、休憩した時である。
私は「いっぱい歩いたから、のど渇いた!炭酸だ、炭酸!」と、いそいそとコーラを買って「くはーっ!染みるぜ!」と飲み干した。
コーラ片手に「ニッコウキスゲキレイだったね」などど、キキちゃんとしばらく話していると、何だか冷える…。寒くなってきた…。
透湿性の無いコンビニビニールカッパで尾瀬を歩き回ったので、カッパの下は汗でびちょびちょ。カッパを脱いで、外気に触れたので、一気に体温を奪われたのだ。気化熱って本当にすごいな、と妙に感心する。
このままでは寒さに負けてしまう、と思いすぐにカッパを再装着。湿ってるけど、暖かい…。
その後、カッパを脱ぐこと無く、登山口に帰着した。
山道具率ゼロ装備でも大丈夫ではあったけど、やっぱりコンビニカッパはやめた方がいいかもしれない。
この実感を元に、その後、キキちゃんと屋久島に行った際に、ようやくカッパを買ったのだった。(でも、実はそれは数年後。それまではコンビニカッパを愛用)
ちなみに鈴木みきさんも「まずはカッパを買いましょう」「透湿性のないビニール素材はNG!」と書かれている。…おっしゃる通り。
でも、家にあるものから始めればいいのよね。作中で、お母さんの「メーカー品のレインコート」でも大丈夫、とひっそり書いているし。
その後、登山が本当に楽しくなったので、靴を買い、ザックを買い、帽子を買い、靴下は山用のふかふかだし、Tシャツは速乾性のポリ素材になっている。
もはや、諸先輩方に白い目で見られることもない。むしろ、時々、サンダルとかで登山をしている人を見かけると「ひゃー」と見てしまうようになった。さすがの私もサンダルでは登っていなかったぞ。
しかし、実は未だに装備をグレードアップさせていない部分もある。
鈴木みきさんが「肝心要」と言っているベースレイヤーである。
…未だにユ●クロのエ●リズム着ている時がある…。
汗だくになっても、さらっとしてていて、そして、あのお値段。非常にイイと思うのだ。
山用じゃなくても十分だ。
冬山に行くとかであれば、それにふさわしいものにすると思うけれど、今の私にはユ●クロでちょうど良い。
鈴木みきさんの言う「適着適山」の精神で、これからも徐々に登山道具を買い足していくつもりだ。
最初に揃えていないからこそ、徐々に買い足していく楽しみがある。
ちなみに今欲しいものはサングラスだ。近いうちに買っちゃおうかな~♪
「パンツの面目 ふんどしの沽券」米原万里
最近、たまに耳にするが、公共施設のトイレットペーパーを勝手に持って帰ってしまう人がいるらしい。
もしかしたら、家計がものすごく苦しいご家庭なのかもしれないが、なんともセコい話である。トイレットペーパーが無いなら、古新聞でも使えばいいのだ。(おしりが黒くなるらしいが)
先日、友人のシロさんと話をしていたら「うちの会社のトイレットペーパー、ものすごく無くなるのよ…。疑っちゃ悪いけど、工場で働いている外国人があやしいような気がする」との発言が飛び出した。
いや、シロさん、ちょっと待て!
「西洋人というかロシア人は、おしりを拭かないらしいよ!だから、トイレットペーパーを盗む必要がないはずだよ!」
と力強く反論してしまった。
「…おしりを拭かない!?」
とショックで呆然とするシロさん。
そうなのだ。私もその事実を知ったときには激しい衝撃を受けた。
しかし米原万里さんのエッセイ集である「パンツの面目 ふんどしの沽券」にはっきりとその事実が書かれているのだ。
ワイシャツの形が必要以上に(膝に届くほどに)長くて側面にスリットが入っているのはなぜだか知っているだろうか?
それは、かつてヨーロッパの男性は、パンツなどをはかず、ワイシャツの前身頃の下端と後ろ身頃の下端で股を覆っていたからだ。
その当時の名残が、現在のワイシャツ形に名残として残っているそうだ。
終戦直後、日本人が残る北方4島や満州にソビエト兵がやってきた。その際の日本人の目撃端として「ソビエト兵の着ているルパシカ(上着)の下端がひどく黄ばんでいた」という証言がいくつもある。
一体どうして、そんな場所が黄ばむのか。
米原万里さんはもっともな疑問を抱く。
シベリアに抑留された日本人の証言にその解答はあった。
シベリアの収容所では、トイレに一切紙が無く、日本人は困りはてたらしい。
どうにかして、自らのおしりを何かでぬぐいたい日本人。
ぼろ布を小さくちぎってみたり、褌の端をちぎってみたり、防寒着である綿入れから少しずつ綿を取り出してみたり、草や藁を使ってみたりと、涙ぐましい努力をする。
日本人の捕虜なんかにはおしりを拭く必要などないと考えているのか、と憤る日本人もいたようだが、事実はどうやらそうではないようだ。
トイレで一緒に用を足すロシア人を見て、日本人はその理由を理解する。
「ソ連人はまったく紙を使わなかった。彼らの間に需要がないのに、どうして、捕虜の需要に応える必要があるだろうか」
「彼らは紙を使わない、終わればズボンを上げてそのまま出て行ってしまう。もちろん手なども洗わない」(捕虜の方の証言 作中より引用)
どうやら、食生活の違いのせいなのか、彼らは鹿とかウサギみたいにころっとしたものを排泄するらしいので(日本人比による)拭かなくても大丈夫らしいのだ。
しかし、いかにロシア人といえど、時にはお腹がピーになってしまう日もある。そのため、ルパシカの下端は黄ばんでしまうというわけだ。
ちなみに、米原万里さんのさらなる調査によると、拭かない文化は男性だけにとどまらず、女性も同様であるらしい。
そういえば、マリーアントワネットの時代とかの舞踏会では、部屋の隅っこでそのまま用を足したと聞いたことがある。
あの大きく広がったフープドレスはそれを上手に隠してくれるらしい。もちろん、その当時はパンツをはく習慣もなかったと思われる。
そして、ハイヒールは元々、床に落ちている排泄物を踏まないために考案されたものだとか…。
きったねー、ヨーロッパ人(ロシア人)!
どうしても、日本人の習慣になじんだ私は叫んでしまう。
シベリアに抑留された日本人の皆さんの境遇については、もらい泣きしてしまいそうだ。
昔、上海に旅行した時に、1元払ってちっちぇー紙を渡されて用を足したことがあったが、紙くれるだけ、ありがたい国だったのね。アジア民族に同胞意識をいだく。
トレイに紙がないと絶望的な気持ちになる。シベリアではそれが、一回だけじゃなくてずっと、ずっと続くのだ。もう、泣くしかない。
現代の日本なんて、公共施設のトイレにもウオシュレットがかなり設置されている。ウオシュレット付きだからといって、紙がないことなんてない。ちゃんとやわらかくおしりにフィットする紙も備え付けられている。洗った後、さらに拭く!
さらに、先日、私が行った居酒屋さんのトイレでは、扉をあけた瞬間に、ふたがぱかーんと開いてお出迎えしてくれた。
日本人のトイレにかける気合いは、ちょっとやりすぎかもしれん。他国では理解されないレベルのような気もする。でも、さらに快適さを追求してしまうぞ。
だって、トイレで用を足した後に拭かないなんて、考えられない!
トイレこそ清潔で快適な空間であって欲しい!
しかし、米原万里さんは違う。さすが、プラハ・ソビエト学校で少女時代を過ごした人物だ。
「抑留者たちが、異文化に接しながらも、「用を足した後は紙で拭き、手を洗う」という自分たちの日本の風習は至極当たり前の常識として疑問にも思ってもいない(中略)そうしないことには、人間以下、犬猫同然と何人かの元抑留者が断じている」ことが気になって仕方が無くなったそうだ。
21世紀初頭においても、紙でおしりを拭くことを当然の文化としている人は、先進国を中心とした1/3ほどであり、それ以外の人々は、砂やぼろきれや草やロープなんかを使用している国が多いらしい。
さらに、ほ乳類の中でおしりを拭くのは人間だけだ、とも米原さんは言う。
…お言葉を返すようだが、紙で拭かなくても、布きれやら何やらでやっぱり拭いているじゃないか、と私は言いたい。
拭かない習慣の方が少数だよ、多分!
別に、それが悪い習慣だから変えた方がいい、などと押しつける気持ちは無いが、私はこれからも日本の拭く習慣をもって生活して行きたい。(多分ないけど)ロシアで暮らすことになったとしても。
だって、気持ちがどうしても追いつかないから。
さて、拭かない習慣の国はロシアだけなのか、それともヨーロッパ全体なのか。そして、現在ではさすがに拭く習慣が浸透したのか。
とても気になるが、トイレというあまり人には話さない事情だけにそのあたりのことはよくわからない。
間違いなく、パンツをはく習慣は定着しているだろう。
米原さんの少女時代にもパンツは店頭にあったようなので、もう、黄ばんだルパシカはない、と思われる。
拭く方はどうだろう…?こういう習慣はそんなに簡単には変わらないような気がする。
最初の話題に戻るが、友人シロさんの会社で働く人々はロシア人ではないそうだ。
じゃあ、おしり拭いている人々かもしれないので、トイレットペーパーをくすねた犯人の可能性はある。
いやたとえロシア人であったとしても、日本で生活するうちに「おしりを拭く日本の習慣、気持ちいいじゃん。ハラショー」と思い、自らの習慣を変えたのかもしれない。
いや、日本人がシベリアでも習慣を決して曲げなかったように、ロシア人もきっと曲げないだろう。
文化の違いというのは、根深く、そして面白いものだ。
以前、こんなものも書きました。上海でのトイレ事件。
「とりぱん」とりのなん子
先日、道の駅の農産物直売所をうろついていて、「訳あり りんご」(8個くらいで350円)を発見して、私は驚喜した。
すぐさまレジに直行だ。
自分で食べるために購入した訳でない。庭に来る鳥にあげるのだ。
もうずっと以前から、我が家では冬場に時折、庭の木にりんごを差しておく。
すると、すぐさま「ちぃーっ」という鳴き声と共に、ヒヨドリがやってくるのだ。
一体、どこで監視しているのだろう?うち、毎日、りんご出してるわけじゃないのに。
ヒヨちゃんはりんごが大好物。一心不乱に食べ続け、他の鳥がやってきても、決してりんごのベストポジションを譲らない。
時々、ヒヨではない鳥(ムクドリが多い)がりんごを食べていると、「どけやーっ」と激しく威嚇し、りんごをかっさらう、という傍若無人さを発揮する。
地面に撒かれた残りご飯を食べに来ているつぐみん(ツグミ)やらジョウビたん(ジョウビタキ)にも飛びかかって、蹴散らす。
りんご食べない面々にも容赦が無いヒヨちゃん。無人となった我が家の庭で、一羽悠々とりんごを食べ尽くすのだ。
ちなみに、ヒヨちゃん同士だと、たまーにりんごの順番待ちしている光景も見られる。が、待ちきれずに、激しい戦闘に突入することも多い。同士討ちも辞さないのだ。
ヒヨちゃん、最強。けんか上等。
我が家は完全にヒヨちゃんの支配下に置かれている。
まさに「とりぱん」に登場するヤンキーヒヨちゃんと全く同じだ。
私は初めて「とりぱん」を読んだときに、どこのヒヨちゃんも一緒なんだ…とえらく感動した。
最も、「とりぱん」のヒヨちゃんはオナガの集団やら、ゲラさんたちには負けていたけど…。うちにくるオナガは単独が多いし、ゲラさんたちは来ないから、ヒヨちゃんの天下なのであろうか。
「とりぱん」は庭にやってくる野鳥の話をメインとした四コママンガだ。2005年からモーニングで連載されているそうなので、かれこれ14年続いていることになる。かなりの長寿マンガといっていいだろう。
そもそも、「とりぱん」は作者の投稿作品であり、それがそのまま連載作品になって、長寿連載になるというすごい作品だ。まさに代表作。
投稿時、ペットマンガはたくさんあるけれど、野鳥をメインにしたマンガはないだろう、と作品内容を決めたそうだ。(1巻による)
確かに、新しいかも。あちこちに鳥がいることは知っていても、その鳥の名前すら知らないで生活している人がほとんどだろう。ましてや、その鳥たちが、実はいろいろな個性を持っていることも当然知らないのだ。
「とりぱん」では作者の目を通した野鳥たちの姿が、実に生き生きと描かれている。
我が家の庭を牛耳るヒヨちゃんは、ケンカ上等のヤンキーで、小心者で貧乏性のツグミ(つぐみん)をいじめている。でも、大甘党でお花とかを食べたり、オナガ集団には勝てなかったりと、どこか愛嬌のある存在。
オナガはその美しいブルーの羽根の色から「おしゃれ番長」。
日本画に出てきそうな「和風美人」としてはじめは登場したシメはひまわりの種を長時間食べ続ける大食い鳥として描かれる。(うちにはあまり来ない…)
また、本来、水辺の鳥であるハクセキレイは、なぜかアスファルト大好きな「駐車場の鳥」…。
本格的な餌台を作っているとりの家には、他にもさまざなま種類の野鳥が訪れている。
アオゲラ(ポンちゃん)、アカゲラ(ペンちゃん)、コゲラのキツツキさん(ゲラさん)たち。
毛玉のように愛らしいエナガたん。
我が家には、一度もやってきたことがない種類の鳥たちだ。うらやましい。
うちのえさは、りんごと余りご飯くらいなので、牛脂やひまわりの種とかが好きな種類の鳥は来ないのかもしれない。そもそも、頻度が「たまに」なのもダメなのだろう。
(以前、インコのえさの余りを置いたら、春になってよくわからない草がにょろにょろ生えてきて大変だったので、以後、余りご飯になった)
そして、豪快なドラミングを披露して欲しい!そのためならば、うちの壁の一部くらい、喜んで提供する!(家族、未承諾)
ポンちゃんへの憧れと、ヒヨちゃんばかりが幅をきかせている現状に少し変化を呼び込みたいという気持ちで、えさを拡充するべきかどうか、毎年少し迷う。
しかし、生来の怠惰な性格が邪魔をして、どうしよっかなーと思っているうちに、シーズンオフに突入してしまうのだ。今年も、そろそろ春が近い頃合いになってしまったので、まあ、拡充は来年以降考えよう。
メジロくるかもしれないから、ミカンは出してみようかな~、そのうち。
そもそも私は餌付けが好きだ。
観光地に「鯉のえさ」があれば必ず買う。
外国に行った際(台湾)でも買ったし、周りがポ●モンGOに興じる人だらけだった大●氷●神社でも買った。(ついでに氷●神社では「盆栽だー」も買った)
その他、数え切れないくらい「●●のえさ」を購入しているが、最も印象に残っているえさやり体験を記してみたい。
それは、京都六角堂の「鳩のえさ」である。
六角堂は華道の池坊発祥の地として有名なお寺だが、「鳩みくじ」も売っているくらい、とにかく鳩がいるお寺だ。
境内はこじんまりとしていて、ビルの合間にお堂がちょこっとあるだけで、敷地面積は小さい。
その六角堂を訪れ、売店で鳩みくじを買った際に、白い袋に入った「鳩のえさ」を売られている事に気づいた。100円か200円くらいだったと思う。
「鳩にえさあげられるんだ~。外にいっぱいいたもんね」と何も考えずに、いつものようにえさを購入。
えさが売られている横に「鳩のえさは、売店から離れたところであげてください」といった注意書きが書かれていることをよく考えてみるべきだったと後から後悔したが、その時は「ふーん」という感想しか持たなかった。
売店から出て、注意書きに従い、えさを片手に少し離れた場所に移動した。
すると、さっきまで平和に地面をうろついていた鳩たちが、一斉に私めがけて移動を開始する。鳥なので、もちろん低空飛行で飛んでくる。
「どうしたんだ、みんな!(鳩たちのこと)落ち着け!」と小走りに売店から離れるが、爛々と目を輝かせた鳩たちはさらに私に群がる。
肩に、頭に十数羽たかられ、右手に持った「鳩のえさ」を左手でつかみ出すという簡単な行為さえできず(両腕に鳩が乗ってるから)、右手にとまった勇気ある鳩が、えさの入った白い袋に勝手に頭を突っ込んで食べているのを「あわわわわ」と言いながら見ていることしかできない。鳩のなすがまま。
地面に「えーい」とえさを投げると、鳩が寄ってきてそれをついばむ、という正に平和の象徴のような状況を予想していただけなのに…。こんな暴力的な状況を誰が予想した!?
あの売店の張り紙は「近くでえさやりをすると、鳩が集まってきて迷惑」という状況を言っていたのか…!!京都人らしく、遠回しな言い方しやがって!もっと、直接的に「鳩がすごく寄ってきます」って書いとけよ!!
(他の方のブログによると、どうやら現在は「鳩が寄ってきます」的な書き方になっているらしいです)
一番、えさ袋に近いところの勇気ある鳩は一羽で勝手にえさを独占している。
このままでは、この一羽しかえさが食べられない!
鳩にまみれながら、突然その事実に気づき「ほかの鳩にもえさやりたいんじゃー!」と叫び、右手を下に向けて(手首を動かすので精一杯だった)、残ったえさを全部地面にざらーっと落とした。
途端に、落ちたえさに群がる鳩たち。
あっというまにえさは食べ尽くされ、鳩たちは何事も無かったかのように散っていった…。
ぼさぼさの頭で呆然と立ち尽くす私(頭にも鳩が乗っていたので)
なんか、すごい敗北感。鳩たちによってたかって身ぐるみはがされた気分だ。
ひどいわ。えさがなくなったら、私になんて、もう見向きもしないのね…
ちなみに、この一部始終を目撃していた友人には「ごめん、本当に怖くて、何もしてあげられなかった…」と謝られた。
私個人としては、オカメインコ(信頼関係はないが、一応手乗り)を飼っているので、鳥を腕にとまらせること自体は慣れていて全く抵抗がないので、別に怖くは無かった。
しかし、傍目から見ると「数十羽の鳩にたかられていて、完全にホラーだった!」とのことだ。ヒッチコックみたいな感じ?
わずか100円だか200円だかで、滅多にできない体験ができる場所、六角堂。
鳥好きにはオススメの寺だ。とりの氏にも、きっと気に入っていただけるのではないだろうか。
ちなみに私は、この体験が忘れがたく、2回目に行った際も「鳩のえさ」を買ってしまった。中毒。
以前、こんな記事もかきました。
藪内美術館にはその後行って、本とかグッズとか買い込んできました。八ヶ岳のついでに、また行きたい。
「大草原の小さな家」シリーズ ローラ・インガルス・ワイルダー
年末だ。寒さも一気に増してきて、街はすっかりクリスマスムード一色だ。
クリスマスと言えば、サンタクロース。良い子の元にプレゼントを届けにやってくる。
私も子どもの頃はプレゼントが楽しみで、今年は何を貰おうか、一生懸命考えたものだった。「こえだちゃんのお家」とかを貰ったような…。
そんな風習について、最近気になっていることがある。
本場、キリスト教圏である欧米では、何歳くらいまで子どもの元にサンタクロースがやってくるんだろう?
というのも、欧米の児童書とかで出てくるクリスマスは、朝起きるとツリーの周りに家族や親戚、友達からのプレゼントがたくさん置いてあって、「わあ、おばあちゃんのプレゼント、今年も腹巻きだよ!」なんてぶつくさ言う風景であることが多いからだ。あれ?サンタさんからは貰わないのかしら?
「ハリー・ポッターと賢者の石」では、ハリーのベッドの足下にプレゼントが置かれていて、その数は5つ。それぞれ、ハグリット、叔父夫婦、ロンのお母さん、ハーマイオニー、謎の人物からのものだ。(どんなに折り合いが悪い(虐待気味?)叔父夫婦でも、一応クリスマスプレゼントは贈る、というところに、欧米社会におけるクリスマスプレゼントの重要性を感じる)
サンタクロースからのプレゼントが無い…。この時、ハリーは11歳。
日本では、だいたい小学生くらいまでがサンタさんからプレゼントをもらえる年齢だと思うが、欧米ではもうちょっと早く、サンタさんを卒業するのだろうか?
いや、もしかすると、欧米では大人もプレゼントを贈り合う習慣があるので、物心ついたころから、パパやママからのプレゼントを貰うことはあっても、サンタさんから貰わないものなのかもしれない…。
本場には行ってないのに、日本には来てるのか!?サンタクロース!
そんなもやっとした疑問を抱きつつ、ふと思い立って「大草原の小さな家」シリーズを本棚から引っ張り出してみた。確か、主人公ローラがクリスマスプレゼントを貰う場面があったはずだ。
「大草原の小さな家」シリーズは、アメリカ西部開拓時代に少女時代を過ごした、ローラ・インガルス・ワイルダーの自伝的小説である。古き良きアメリカの家族を描いた作品として、ドラマ化もされ、人気を博した。
ドラマの記憶はかなり薄いが、「父さん」「母さん」と呼ぶのが、当時新鮮で、ちょっとあこがれた。何か、子ども心に知的な感じがしたのだ。実際に、使ってみる勇気はなかったけど。
シリーズ第1巻「大きな森の小さな家」はローラが5歳から6歳の頃の話だ。
なんと、ここでローラの元にサンタクロースがやってきていた!
イブの晩、暖炉の前につるした靴下の中にはサンタさんからのプレゼントが入っていた。
朝になって、みんなは、ほとんどいっしょに目をさましました。すぐに靴下に目をやると、たしかに何かはいっています。サンタクロースがきてくれたのです。(中略)
どの靴下にも、あかるい赤のミトンと、長くてひらたい、紅白のしまになったハッカいりキャンディーがはいっていました。(中略)でも、ローラはだれよりもいちばんうれしいのです。ローラにも、布人形のプレゼントがはいっていたのですから。
さすが、本場のサンタはちゃんと靴下にお菓子を入れている。トラディショナルな「サンタさんからのプレゼント」そのものだ。
やっぱり、欧米でも良い子の元へは、ちゃんとサンタさんが来ているのだ、と納得した。5歳は大丈夫らしい。
シリーズ第2巻「大草原の小さな家」。ローラ6歳から7歳。
この巻でも、一応、サンタクロースがローラの元にやって来ていた。「一応」というのは、街でサンタクロースに会ったエドワーズさん(父さんの知人)が、プレゼントを預かって来てくれたのだ。(雨で増水した川をエドワーズさんが渡ってこられない、と一度は諦めるが、ちゃんとやってきてくれて、無事、プレゼントを貰うことができた、というエピソードだ)
…なんか、かなり怪しくなってきている気がする…。
エドワーズさんが川を渡れない=サンタクロースも渡れないので、プレゼントはもらえない、とローラは考え、がっかりする。さらに、母さんは、今年はサンタクロースは来られないけれど、来年はきっと来てくれる、とローラに話している。
6歳になると、もう、割とオープンだ!日本では小学1年生なのに。
ちなみに、この時のプレゼントはブリキのカップと棒キャンディとハートのお菓子。そして、1ペニイの硬貨。
シリーズ第3巻「プラム・クリークの土手で」ローラ7歳から8歳。
この巻にはクリスマスが2回描かれている。
最初のクリスマスでは、母さんが娘達に大胆な提案をしている。
「もしも、みんなで馬がほしいと思ったら、ほかには何もいらないから、ただ馬だけだということにしたら、もしかすると」
母さんは娘達のクリスマスプレゼントを父さんがほしがっている馬にしようと提案するのだ。
怪訝に思ったローラが「サンタクロースは、ほんとにいるのよ、ね?」と聞くと「もちろん、サンタクロースはいますよ」「もう、おまえたちもそんなに大きくなったのだし、サンタクロースがたったひとりだとはまさか思ってないでしょ?」「ね、じゃ、それがどういうことがわかるでしょ」と返す母さん。
…割と厳しい教育方針だな。
結局、娘達はクリスマスプレゼントに「馬が欲しい」と父さんに伝え、馬がやってくるのだ。でも、ちゃんとクリスマスの朝にはキャンディーがプレゼントされる。そういうところ、父さんは抜かりないのだ。
もう1回のクリスマス。ローラ8歳。
この年は何日も続く吹雪のため、街に買い出しに出かけた父さんが帰って来られなくなる。父さんは、吹雪の間、偶然落ちた穴の中で、クリスマスプレゼントのキャンディーを食べて飢えをしのいだのだ。だから、ローラたちへのプレゼントは無し。
もう、サンタクロースどころではない。
最後に、シリーズ第4巻「シルバー・レイクの岸辺で」。ここはぐっと間があいて、ローラ13歳。
もうすっかり大人になって、家族とプレゼントを贈り合っている。インガルス一家にはサンタクロースはやって来ない。
ローラのプレゼントは、父さんへはネクタイ。母さんへはエプロンとハンカチ。妹のメアリーには手袋。もちろん、みんな自分で縫って作ったものだ。すごいな。ミシンもないのに。
女性にとって、裁縫は必須だった、ということがよくわかる。…私は当時だったら、失格だ。ボタン付けも満足に…。
ということで、調査の結果、西部開拓時代のアメリカでは、サンタクロースがやってくるのは7歳までだということが判明した。
プレゼントの代わりに馬が来た年だ。ここが天下分け目の関ヶ原。
7歳か…。早い、と思う。でも、現実的に、そのくらいがサンタクロースという妖精みたいな存在を無条件で信じられる年齢のラインなのかもしれない。でも、7歳はやっぱり早い気持ちがする。本場なのに…なんだか寂しい。
しかし、この調査は100年以上前のアメリカの話なので、現代はどうなのか、やっぱりよくわからないのだった。なんとなく、最近は7歳以下でもサンタクロースが来てない気がする。引き続き調査を続けたい。
ついでに、インガルス家のクリスマスプレゼントは毎年キャンディーである事も判明した。
この当時、キャンディーはクリスマスに一度だけ食べられる貴重品だったらしい。確かに、砂糖を大量に使う嗜好品だもんね。
ローラは大喜びで、ちょっとずつ、ちょっとずつ大事に食べていく。
これは、私にも覚えがある。
子どもの頃の私はチーズが大好きだった。(今でも好きだが)
たまにスライスチーズを食べるチャンスがあると、一気に食べてしまうのがもったいなくて、あの四角を折りたたんで、できるだけ小さな細切れにして、1枚ずつ食べていたものだった。できるだけ長い時間、チーズを楽しむために。
時代は違うけど、ローラと同じ!
この話をたまにすると、みんなに引かれるのだが、どうしてだろう…?きっと、ローラなら激しく同意してくれるに違いない!
大きな森の小さな家 ―インガルス一家の物語〈1〉 (福音館文庫 物語)
- 作者: ローラインガルスワイルダー,ガースウィリアムズ,恩地三保子
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (31件) を見る
ローラが抱いているのが、クリスマスプレゼントでもらったお人形。
ドラマ版。懐かしいー。
「火の鳥ーヤマト編ー」手塚治虫
先日、我がG県では「HANI-1グランプリ」という大会(?)が開催された。
一体何が頂点を目指して戦ったのか!?
そう。大会タイトルを読めばすぐにわかる。
ハニワである!
G県で出土した埴輪の中のナンバーワンを決める戦いだ。そして、1位を獲得すると、その埴輪がオリジナルソングのセンターで踊るというのだ!
…最初聞いたときは、何て盛り上がらなさそうな企画なんだ、と思った。タイトルも●●-1グランプリで二番煎じどころか三番煎じ以上のマンネリ感。
しかも、G県には、日本で唯一の国宝埴輪、スーパーアイドル「挂甲武人埴輪」くんがいるため、彼がナンバーワンになることが見え見えだったのだ。
武人埴輪くん。G県出土だが、東京国立博物館のもの。都会に連れて行かれちゃった…。同館HPより。
しかし、ふたを開けてみれば、この大会、結構盛り上がった。投票総数59,261票。(ちなみに私は投票していない)
投票者の愛にあふれたコメントが秀逸だったし、何より、G県だけでもこんなにバラエティ豊かな埴輪があるんだ!という、純粋な驚きが大きかった。
エントリー埴輪数は100体。
何故か顔がついてる円筒埴輪や、わんわん鳴きそうな犬の埴輪やら、ほぼほぼ復元で足してるつぶらな瞳の水鳥の埴輪とか、騎乗している人間がやたら小さすぎる馬の埴輪などなど。←最後、イチオシ。馬に力そそいだら、人作るのどうでもよくなったとしか思えない出来映え!
知らなかった!埴輪って、いろいろあって面白い!
1500年近く前の人が作ったものが、今でもしっかり残っているというのは、不思議な気持ちになるものだ。是非、実物をこの目で見なくては!
↑ HANI-1グランプリのHPです。いろんな子がいるから、寄っていって~。
わんこ埴輪。しっぽがラブリー。こちらもG県出土だけど、東京国立博物館のもの。みんな都会に…。同館HPより。
そもそも埴輪は古墳の周りに並べられたものであるが、なぜそんなものを並べたのかという起源については諸説あるらしい。
でも、私は「殉死の人の代わりに、土で人形を作って並べたもの」だと思っている。
なぜならば、手塚治虫先生の「火の鳥ーヤマト編ー」で、そのように書かれていたからだ。
(ウィキペディアによると「日本書紀」垂仁紀に古墳の周りに殉死者を埋めるかわりに人馬の人形を立てることを提案した、という記載があるらしい。多分、手塚先生はそれを採用したのだろう)
「火の鳥ーヤマト編ー」の主人公は、ヤマト国王子オグナ。彼は殉死の風習を廃止するべきだと考えている。
そのため、父王の墓(古墳)建設をめちゃめちゃにし(かわりにアミューズメントパークを造営。サル山もあります)、憤死した父王の墓(突貫工事で作ったので、石を置いただけ:石舞台古墳)に、殉死者として生き埋めにされることになる。
しかし、オグナは他の殉死者と共に、火の鳥の血をなめたため、生き埋めにされてもすぐには死なない。1年以上もずっと、土の中から「殉死反対!」を叫び続けるのだ。
それから何年かたち、埴輪を墓の周りに埋めるようになってから、殉死の風習は廃止された。と物語も終わる。
(火の鳥の生き血を飲むと、永遠の命を得ることができる)
私が初めて読んだ手塚作品。学校の図書館で読んだ。
当時、学校の図書館にあるマンガは、伝記とかの学習マンガの他は、「はだしのゲン」と手塚作品(「火の鳥」と「ブラックジャック」)だけだった。
そう。手塚マンガは別格だったのだ。
お堅い先生達にも、手塚マンガなら図書館においても良し!と、納得させる圧倒的な王者の風格が手塚作品にはあった。
(ちなみに禁帯出であったように記憶している。なぜだろう…??)
私たちは争うように手塚作品を読みあさり、書棚で発見するとすかさず確保。「よっしゃ~!火の鳥があった~!」と小躍りして喜んだものだった。
しかし、ページを開くと「読んだな、これ…」ということも多かった。当時は、なにしろ人気があって、全巻そろって書棚に並んでいることがなかったので、全部で何冊あるのかもよくわからなかったのだ。そのため、まだ未読の巻があるのではないか?との希望が捨てきれず、書棚で見つけると、とりあえず確保。確保したら、再読でももう一回読む、を繰り返していた。(貧乏性)
特に私は過去バージョンの「火の鳥」が好きで、ストーリーに練り込まれた歴史のエピソードを読み込んで胸躍らせていた。史実を元にしたエピソードは、ふむふむ、そういうことが日本の過去にはあったのか、と私の歴史基礎知識として今でもしっかり植え付けられている。
卑弥呼は弟に実権を握られていたのかーとか、源義経は実は常識が通じないタイプだなとか、清盛はエロじじいだな、とか。
僧侶の究極の成仏である即身仏を知ってびびりまくったりもした。すごくない?地中に一人で閉じこもって餓死するんだよ!?
(ちなみに、手塚作品「アドルフに告ぐ!」を読んで、ヒトラーはユダヤ人だったと信じていた時期も結構長くあった…)
それなので、埴輪は殉死者のかわりに置いたもの、というのも私の歴史基礎知識だ。今でも。
作中、生き埋めにされる前に、オグナは、殉死者の代用として埴輪を作ることを提案する。そのときに、こんなことも言っている。
「人間だけじゃない おやじが生前使いなれていた道具や家や武器なんか みんな似せてつくるんだ」
これで、埴輪がバラエティに富んでいる理由もちゃんと説明できる。
わんこ埴輪が置かれた古墳の主は、犬好きだったんだろうね。綱吉?(違う)
騎乗している人間がやたら小さすぎる馬の埴輪は…古墳の主がすごく背が低かったのかしら…??亡くなった人をディスってないか、それ!?
いずれにせよ、昔あった事についての正解は現在ではわからない。ただ推測ができるだけ。
現代に残された石舞台古墳や埴輪から、推測という想像力で、この壮大で完成度の高い作品を作り上げた手塚先生はやっぱり、天才、というしかない人物だなあ。
ちなみに、HANI-1グランプリでは、私の予想を鮮やかに裏切って、「笑う埴輪」がセンターに輝いた。
ええっ!!スーパーアイドル武人くんじゃないの!?(武人くんは7位!惨敗、惨敗だよね!!)
国宝なんて肩書き、このグランプリには関係なかった。大事なのは(多分)見た目だ!
現代の視点で見て「これ、かわいー」とか「変なの」という素直な気持ちで楽しめたところが、きっとこのグランプリの盛況につながったのだろう。
とりあえず、私は何とかして、イチオシの人がちっちゃい馬の埴輪を見に行くぞ!
私のイチオシ。馬もかわいいなー。グランプリHPより。
現在、刊行中の角川文庫バージョン。異形編もイイです。