矢木沢ダム 恒例の放流祭り2019
5月のゴールデンウイーク明け。今年もあの季節がやってきた。
年に一度の矢木沢ダムの点検放流である。
毎年、人気がウナギ登り。
このSNS時代、良い情報はあっという間に拡散されてしまう。「穴場」「隠れた人気」なんて言葉は、すぐに意味をなさなくなる。
当たり前といえば、当たり前なのだが、いいものは人気が出るのだ。情報化社会の深化はすごい。
先日、私が最高の穴場として大事にしている果物直売農家さんには「商品が無くなっちゃうので、SNSにはあげないでください」と言われたくらいだ。なかなか、この塩梅は難しい。
さて、点検放流である。
そもそも、観光目的では全くなく、単なる点検目的の放流だったのだが、すでに、町をあげての祭り、フェスティバルになっている気がする。
かつてのように「今年は貯水量が少ないから、やらない」という選択肢は許されないのではないだろうか。そんなことしたら、町長が水●源機構に「そこをなんとか…!」と直談判しに行きそうだ。
そのくらい、急成長の勢いを感じる。
昨年と同じメンバーのジェイ氏とでんさんのダム仲間3人で見物に出掛ける。
今年は前日に奈良俣ダムと藤原ダムの放流があり、堤体内見学もあったようで、大変興味を惹かれたが、都合で矢木沢ダムのみの見学。
まあ、来年にとっておいたと思おう。このイベントは私の中で、毎年行くものとして、しっかり心のスケジュール帳に書き留められている。
ダムへ向かう道は、昨年はガラガラで不安を覚えたほどだったが、今年はそこそこの交通量があり、「みんな、放流祭りに向かってるに違いない。大丈夫だ」と、強く安心できた。
昨年より早く出発したのに、今年は遠めの駐車場を指定され、見物客の増加を実感する。しかし、主催側(観光協会とかの人?)も手際が良くなっているのか、シャトルバスがどんどんやってきて、すぐにダムに向かって出発できた。満員ぎゅうぎゅう詰めだったが…。普段、電車の通勤ラッシュなど、ほとんど経験しない、田舎者のG県民には辛い。都会のサラリーマンって大変だなぁ。
30分弱でダムに到着。今年も地元企業の出店が大人数の客を迎えている。
バスから吐き出された見物客は、わらわらとダムに向かう。
見物客の顔触れを眺めていると、自分たちも含めて、関係性のよくわからない、いい大人のグループが多く、どことなくマニア臭を感じる。
うむ。放流そのものは子どもも大満足のファミリー向けイベントの内容になりうると思うが、集うのはこのメンツ…。
まだまだ、集客拡大の余白はある。でも、そうすると、私も含めたマニア臭ただようメンバーは隅っこに追いやられてしまうのだろう。
ちょっと寂しいので、もうちょっとだけ、私たちにメインの大通りを歩かせていただきたいものだなぁ…と、感慨に耽る。あと3年はいけるかな。
ダム到着時点で、放流開始の10分前くらいになっており、すぐに、吐出口にスタンバイする。
結構余裕がない。来年はもっと早く出ないとダメかもしれない。SNSめ…
放流開始5分前のサイレンが鳴り響き、あたりは緊張感が漲る。
カメラや動画撮影のタブレットを構える人々。
そんな中、ごー、というかすかな唸りとともに、吐出口から水が流れ出る。
おーっという歓声とともに自然と拍手が湧き起こる。
しかし、歓声はすぐに「汚ねー」というつぶやきがあたりを満たす。ざわ…ざわ…。(byカイジ)
1年間、水を流していないので、放水路にたまった土やらなんらやが流されてきて、最初は驚くほど真っ黒な水が流れてくるのだ。すぐに白い水に変わるけど。
ここから、放流は段階的に量を増やしていき、およそ30分後にマックス水量になる。
今年は余裕をかまして、この30分間に出店ソーンに舞い戻り、ベンチで雪イチゴ(凍らせたイチゴをかき氷状にして練乳をかけたもの。美味)をしゃりしゃりといただいた。
何しろ、私はもう4回目なので、タイムスケジュールは把握済みなのだ。優雅。
氷イチゴを食べたしり、新元号の額とダムガード枠で写真を撮ったりして遊んでいると、30分はあっという間。
大迫力のマックス水量に備えて、吐き出し口付近に再び移動する。
すると、妙に人だかりが薄くなっている箇所がある。どうして人が少ないのかな、と思いつつ進むと、その理由はすぐに判明した。
しぶきが凄すぎる!
雨、それも土砂降りクラスにしぶきがふりそそいでいる!
私は4回目だが、今年が一番激しかったと思う。
上だけカッパを着ていたが、その日はいていたジーンズはすぐにびしょびしょ。
「この部分はスプラッシュゾーンだ!突破しよう!」というジェイ氏のかけ声の下、吐き出し口のさらに近くに進むと、若干、しぶきは弱まった。
「去年よりも今年は激しいのか!?」「風向きかな?」とびしょびしょのハイテンションで語り合う。なんか、楽しい。
轟音と共に吐き出される水に、さらにテンションが上がり、他の見物人の皆さん同様、写真を撮りまくる。
なんだか、立派な撮影機材を構えている方もいたので「今流行の(?)ユーチューバーかなあ」などと思っていたのだが、どうだろう?よくわからないけど、生配信とかしている人もいそうだ。
やっぱり、何度見てもこの放流はすごい迫力。人間の原始的な部分の何かが刺激される気がする。血湧き肉躍る。
マックス水量の時間は約10分。
ここが終了すると、すぐに放流は終結に向かう。
水量が減ってきたのを確認すると、我々はすぐに帰路のバス列に並ぶことを選択した。
昨年、放流を最後までしっかり見届けた後で、バス列に並んだところ、えらいこっちゃの大行列で悟りの境地にまで達するほどだったからだ。教訓をいかして、今年は早いうちに切り上げる!
すると、かなり短いバス列に並ぶことが出き、だいたい15分くらいで駐車場に向けて出発。すごい。失敗から学ぶことが出来ている。またぎゅうぎゅうの満員バスだったが…。
車に戻り、せっかくなので「ダム界の女王」奈良俣ダムへ寄り、ダムカレーを食すことにする。当然、奈良俣なので、ロックフィル式だ。ちなみに、カレー的には、形状から「大盛り」らしい。
売り切れの日が多いのだが、この日はギリギリ滑り込みで食べられた。ラッキー。
奈良俣ダムに寄ったのには、実はもう一つ訳があった。
矢木沢ダムの放流で雪イチゴを食べていた時に、後ろのテントでの聞き捨てならない会話を聞いてしまったのだ。
「コンプリートカードはこちらですよ~」
…コンプリートカード…。何それ!?
即座に詳細を確かめにテントに走るジェイ氏。ダムカードに掛ける情熱は私の数倍から数十倍だ。
ジェイ氏の収集してきた情報によると「矢木沢、奈良俣、草木、下久保の4ダムのG県オリジナルカードを集めると、もう一枚のコンプリートカードが貰えるらしい」のだ。
「国交省のカードはすでに全部持っているが、それではダメらしい…。G県オリジナルカードをまた集めないと…」と肩を落とすジェイ氏。
G県、流行に乗って、そんなことを始めたのか…。そつが無いな!
何か、踊らされている感があるが、仕方が無い。挑戦されれば受けて立つ。
率先して踊らせていただこうではないか。
とりあえず、手近なところを押さえておこう、ということで奈良俣に寄ったのだ。
ついでに、この時期は天皇在位30周年記念ダムカードも配布していた。(5月いっぱい)
通常のダムカードの枠が、特別仕様の色味になっているのだ。
こちらも欲しくて、ついでに藤原ダムにも寄った。
枠は4種類あって、矢木沢が「お召し列車」、奈良俣が「宝物」、藤原が「帛」。
もう一つの「黄櫨染」が入手できていないのだ…。個人的には、一番、この黄櫨染が欲しかったのだが、寄ったダムのデザインには無かったのだ。悔しい。
G県オリジナルカードのある草木ダムがこのデザインらしいので、どうにかして5月中に入手したい…。無理かな…。
「せっかくだから集めたい」という気持ちはどうにも抑えがたい。身のうちに、コレクター魂を持っていると、いろいろ苦労する…。
ダムカードはゆるーく集めているだけだったのに…。
尾瀬ヶ原~雪中行進~
大型連休。私はついにあこがれの地に行ってきた。
尾瀬。
夏や秋には何度も行っているが、5月頭のこの時期は行ったことがなかった。
なぜならば、この時期の尾瀬はまだまだ深い雪に覆われているから。尾瀬の代名詞であるミズバショウすらまだ咲いていない。
私は6月くらいまでは尾瀬に入っちゃいけない時期なのかな、とすら思っていた。
しかし、何かの本で「GWの尾瀬は一面雪で、この時期だけはどこを歩いてもいいのです」ということを読み、「行きたい!」と気持ちが一気に加速したのだ。
尾瀬でどこを歩いてもいい!なんて魅力的!
通常の尾瀬はとにかく行儀正しくしなければならない。
木道を一列に右側通行で歩き、決して湿原に足を踏み入れてはならない。かつて、ハイカーが踏み荒らしたせいで湿原が失われてしまった悲しい過去があるので、そこは徹底している。
もちろん私も尾瀬に行くときは、当然のこととして、木道をお行儀良く歩いて楽しんでいるのだが、羽目を外せるチャンスがあるのなら、その誘惑に乗ってみたい気持ちもあるのだ。
「ちょい悪」ってこういうことを言うのだろうか。吉永小百合演じるお嬢様が浜田光夫演じる不良に恋してしまう、あの感じ。(古すぎたか…)
この時期の尾瀬はまだ交通規制前である。自家用車で鳩待峠まで乗り入れることができる。
今回、同行の父は「鳩待峠まで行ければ楽だな。だけど、道が凍結していたら危険だから、きちんと調べて行った方がいい」と、事前に尾瀬保護財団(?)に電話して確認したらしい。父は石橋をたたいて渡るタイプ。行き当たりばったりの私とはまったく血のつながりを感じない…。
そんな父をあざ笑うがごとく、当日、車を走らせる私の前に(運転は私だ)「鳩待峠満車」の表示が現れる。鳩待峠まで車で行けなかった…。
やっぱりね。GWだから、相当早く行かないと鳩待の駐車場は埋まっちゃうだろうな、と思っていたけれど、予想通りだ。
ちなみに戸倉付近では雪は無く、ちょうど桜が満開。凍結の心配はなく、ノーマルタイヤの私でもまったく心配なしだ。(鳩待までの道も除雪されているので、ノーマルでも多分大丈夫)
それにしても、ニュースでは北海道で桜が満開と言っていたようだが、このあたりは北海道と同時期なのか。さすが、雪まだ深いという尾瀬のお膝元だ。
8:00。戸倉の第一駐車場に車を停めて、乗り合いタクシーで鳩待峠をめざす。
台数はハイシーズン並に出ていたので、すぐに乗車できた。値段も同じ。
他の皆さんはスキーやスノーボードを持った方が多く、どうやら至仏山に登って、山スキーを楽しむらしい。至仏山はこの後、入山が規制されるので(確か6月いっぱい)、今のうちにいく、という人が多いようだ。
スキー板やボードを担いで雪山を登り、スキー場でも無い斜面を下るなんて、かなり多方面の能力が必要な気がする。猛者だな…。
8:30 鳩待峠着。
小屋の周りは除雪されているが、よけた雪が積み上げられて、雪の壁になっている。
荒ぶる気持ちを抑えきれずに、その雪壁によじ登り、天辺に仁王立ちしてみる。
あたりは一面の雪景色!
そこは完全に冬だ。
本当に雪が全然溶けていない。
実は、本では「一面の雪」と書かれていたけれど、最近、雪少ない年が多いし、まあまあ溶けていて、残雪ありくらいの状態なのかな、と半信半疑だった。木道も顔を出している部分も多いのだろうと、高をくくっていた。
すみませんでした!
木道は影も形もない。雪の遙か下だ。
尾瀬ヶ原に至る道のゲート(確か、杭みたいなものがあったはず)がどこだったのかもわからない。
「道がわからない…。まあ、どこ歩いてもいいようなもんだけど」と父もこの真っ白の景色に圧倒されている。
とりあえず、アイゼンをつけて前の人たちのトレースをたどって山ノ鼻を目指す。
夏とはまったく異なる景色に若干不安を覚えるが、トレースがあるから大丈夫だ、と自分に言いきかせる。ああ、やはり先達はあらまほしきものなり。
途中まで、おそらく「ミズバショウ咲いてるんじゃない?」という軽い気持ちでやってきたと思われる家族連れ(スニーカーで平服)もいたが「もう帰れなくなる…」とファミリーの父が引き返す決断を下していた。正しい判断だと思うよ、お父さん。
10:00、山ノ鼻着。ビジターセンターは雪に埋もれていた。しかし、何軒か開いている山小屋もあり、テントも結構張られている。
ここに泊って至仏山登山もいいなあ。でも、まずは7月以降の夏山でトライしたいところ。
山ノ鼻を抜けると、ついに尾瀬ヶ原だ。
大雪原。
真っ白な雪原が四方に広がり、その東西には至仏山と燧ヶ岳がすっくとそびえ立っている。遮るものはない。
そのまっただ中に私が立っている。
人影は少なく、この景色を一人占めしているような気持ちになる。最高だ。
確かに、どこを歩いても問題なし。だって、湿原は雪の下だから。木道もどこにあるのかまったくわからない。
嬉しくなって雪原をうろうろする。走っても大丈夫だ。
ふと「犬はよろこび 庭駆け回り」という雪やこんこのフレーズが私の頭をよぎるが、それを強引に横にどかし、駆け回りを続行する。別にかまわない、わんこでも。
誰も足跡をつけていない場所に自分の足跡をつけるのって、どきどきして楽しい。
学生の頃、雪が降った後、人が全然いない植物園に行って、積もった雪にさくさく足跡をつけて回ったことがあったな…。ついでに雪の妖精(雪にダイブし、手足を大きく動かしてつくる跡。「ここはグリーンウッド」に書いてあったので、あこがれていた)も作成した。
変なことに労力を費やす性格は、昔からまったく変わっていない。
しばらく雪原をうろうろして気持ちを落ち着けた後、先達のトレースをたどるルートに戻る。そのまま、好きなように歩いて前に進んでもいいのだが、やはり安心の道に戻りたくなってしまったのだ。
というのも、尾瀬には池塘がたくさんあり、その部分はさすがに雪も氷も薄くなっている。うっかり踏み込むと水に落ちてしまいそうで怖いのだ。
現に川を渡る部分の雪が薄くなっていて、私も父も片足水に落ちた…。(先達のトレースをたどっていたのだが…)
一瞬「タイタニック」のレオ様が氷の海に沈んでいくシーンが脳裏をよぎった。大丈夫だ、尾瀬の池塘は多分海より浅いぞ、私!でも、かなり怖かった…。
ちなみに、この日は何故か上下とも裏起毛素材の服を着ていたので、一回水に落ちたくらいでは染みこんで来なかった。すごいぞ、モ●ベル!
牛首 10:50 竜宮 11:30
標識が雪に埋もれているので、ポイントがよくわからない。夏の尾瀬なら、休憩のためのベンチがあちこちにあるのだが、雪に埋もれているので、これまたよくわからない。
とにかく黙々と先達のトレースをたどって、雪原を歩く。
牛首から先はほぼ無人で、雪原独り占めという気持ちから、雪原ひとりぼっち(父もいるのだが…)という気持ちにだんだん変わってくる。
雪道歩きの疲れも蓄積してきて「八甲田山の行軍、本当に辛かっただろうなあ…。(高倉)健さんは地元の人に案内を頼んだで生き延びた。やはり、先達は大切だよなあ」と、不穏な事をずっと考えていた。
竜宮小屋手前、そんなやさぐれてきていた私の気持ちを一気に上昇させるものを発見する。
ミズバショウ、咲いてる!
すこしだけ顔を出していた木道の影に、咲いているミズバショウを発見したのだ。
「咲いてるじゃないか~!」と一気にテンションが上がる私と父。
しかし、父は水に片足落ちた際に、カメラも水につけてしまい、写真撮影不可になっていたため「なんでこんな大事な時に、カメラが…!!」と悔しそう。
仕方が無く、スマホのカメラで写真を撮っていた。まあ、いいじゃない、私もスマホのカメラだし。
この周辺は雪解けが早いらしく、あちこちでミズバショウのつぼみ(?)が顔を出していた。もうすこしで、ミズバショウだらけの尾瀬の季節だ。
雪道をどんどん、どんどん進むと竜宮小屋がすこしづつ大きく見えてくる。なんだか、ほっとする。山小屋って暖かくてありがたい存在だ。
竜宮小屋はすでに開いていて、ベンチも掘り出してあったので、ここでお昼ご飯を食べて折り返し。
夏の尾瀬なら少し物足りないくらいのコースだが、慣れない雪道歩きだと思えば、少し頑張りすぎたくらいだったかもしれない。
12:00 竜宮小屋発
また先達のトレースをたどって帰路につく。人が全然いないので、父と雪道を行進する感じ。
広いな。大きな尾瀬にすっぽり包まれている感じがする。
13:40 山ノ鼻 15:10 鳩待峠
夏の尾瀬だとラストの地獄の階段に苦しめられるのだが、雪に埋もれているので、割と楽に登れた。父も「思ったより早く着いたな~」と言っていた。
真っ白大地の尾瀬、とてもキレイだった。そして、大きかった。
夏の花咲く尾瀬、秋の紅葉する尾瀬に加えて、雪景色の尾瀬も堪能できて満足だ。
いつ行っても様々な姿を楽しめる尾瀬。
今年は何回行けるかな。
<コースタイム>
8:00戸倉(駐車場)…8:30鳩待峠…10:00山ノ鼻…10:50牛首…11:30竜宮(昼食30分)…13:40山ノ鼻…15:10鳩待峠…15:45戸倉(駐車場)
「パンツの面目 ふんどしの沽券」米原万里
最近、たまに耳にするが、公共施設のトイレットペーパーを勝手に持って帰ってしまう人がいるらしい。
もしかしたら、家計がものすごく苦しいご家庭なのかもしれないが、なんともセコい話である。トイレットペーパーが無いなら、古新聞でも使えばいいのだ。(おしりが黒くなるらしいが)
先日、友人のシロさんと話をしていたら「うちの会社のトイレットペーパー、ものすごく無くなるのよ…。疑っちゃ悪いけど、工場で働いている外国人があやしいような気がする」との発言が飛び出した。
いや、シロさん、ちょっと待て!
「西洋人というかロシア人は、おしりを拭かないらしいよ!だから、トイレットペーパーを盗む必要がないはずだよ!」
と力強く反論してしまった。
「…おしりを拭かない!?」
とショックで呆然とするシロさん。
そうなのだ。私もその事実を知ったときには激しい衝撃を受けた。
しかし米原万里さんのエッセイ集である「パンツの面目 ふんどしの沽券」にはっきりとその事実が書かれているのだ。
ワイシャツの形が必要以上に(膝に届くほどに)長くて側面にスリットが入っているのはなぜだか知っているだろうか?
それは、かつてヨーロッパの男性は、パンツなどをはかず、ワイシャツの前身頃の下端と後ろ身頃の下端で股を覆っていたからだ。
その当時の名残が、現在のワイシャツ形に名残として残っているそうだ。
終戦直後、日本人が残る北方4島や満州にソビエト兵がやってきた。その際の日本人の目撃端として「ソビエト兵の着ているルパシカ(上着)の下端がひどく黄ばんでいた」という証言がいくつもある。
一体どうして、そんな場所が黄ばむのか。
米原万里さんはもっともな疑問を抱く。
シベリアに抑留された日本人の証言にその解答はあった。
シベリアの収容所では、トイレに一切紙が無く、日本人は困りはてたらしい。
どうにかして、自らのおしりを何かでぬぐいたい日本人。
ぼろ布を小さくちぎってみたり、褌の端をちぎってみたり、防寒着である綿入れから少しずつ綿を取り出してみたり、草や藁を使ってみたりと、涙ぐましい努力をする。
日本人の捕虜なんかにはおしりを拭く必要などないと考えているのか、と憤る日本人もいたようだが、事実はどうやらそうではないようだ。
トイレで一緒に用を足すロシア人を見て、日本人はその理由を理解する。
「ソ連人はまったく紙を使わなかった。彼らの間に需要がないのに、どうして、捕虜の需要に応える必要があるだろうか」
「彼らは紙を使わない、終わればズボンを上げてそのまま出て行ってしまう。もちろん手なども洗わない」(捕虜の方の証言 作中より引用)
どうやら、食生活の違いのせいなのか、彼らは鹿とかウサギみたいにころっとしたものを排泄するらしいので(日本人比による)拭かなくても大丈夫らしいのだ。
しかし、いかにロシア人といえど、時にはお腹がピーになってしまう日もある。そのため、ルパシカの下端は黄ばんでしまうというわけだ。
ちなみに、米原万里さんのさらなる調査によると、拭かない文化は男性だけにとどまらず、女性も同様であるらしい。
そういえば、マリーアントワネットの時代とかの舞踏会では、部屋の隅っこでそのまま用を足したと聞いたことがある。
あの大きく広がったフープドレスはそれを上手に隠してくれるらしい。もちろん、その当時はパンツをはく習慣もなかったと思われる。
そして、ハイヒールは元々、床に落ちている排泄物を踏まないために考案されたものだとか…。
きったねー、ヨーロッパ人(ロシア人)!
どうしても、日本人の習慣になじんだ私は叫んでしまう。
シベリアに抑留された日本人の皆さんの境遇については、もらい泣きしてしまいそうだ。
昔、上海に旅行した時に、1元払ってちっちぇー紙を渡されて用を足したことがあったが、紙くれるだけ、ありがたい国だったのね。アジア民族に同胞意識をいだく。
トレイに紙がないと絶望的な気持ちになる。シベリアではそれが、一回だけじゃなくてずっと、ずっと続くのだ。もう、泣くしかない。
現代の日本なんて、公共施設のトイレにもウオシュレットがかなり設置されている。ウオシュレット付きだからといって、紙がないことなんてない。ちゃんとやわらかくおしりにフィットする紙も備え付けられている。洗った後、さらに拭く!
さらに、先日、私が行った居酒屋さんのトイレでは、扉をあけた瞬間に、ふたがぱかーんと開いてお出迎えしてくれた。
日本人のトイレにかける気合いは、ちょっとやりすぎかもしれん。他国では理解されないレベルのような気もする。でも、さらに快適さを追求してしまうぞ。
だって、トイレで用を足した後に拭かないなんて、考えられない!
トイレこそ清潔で快適な空間であって欲しい!
しかし、米原万里さんは違う。さすが、プラハ・ソビエト学校で少女時代を過ごした人物だ。
「抑留者たちが、異文化に接しながらも、「用を足した後は紙で拭き、手を洗う」という自分たちの日本の風習は至極当たり前の常識として疑問にも思ってもいない(中略)そうしないことには、人間以下、犬猫同然と何人かの元抑留者が断じている」ことが気になって仕方が無くなったそうだ。
21世紀初頭においても、紙でおしりを拭くことを当然の文化としている人は、先進国を中心とした1/3ほどであり、それ以外の人々は、砂やぼろきれや草やロープなんかを使用している国が多いらしい。
さらに、ほ乳類の中でおしりを拭くのは人間だけだ、とも米原さんは言う。
…お言葉を返すようだが、紙で拭かなくても、布きれやら何やらでやっぱり拭いているじゃないか、と私は言いたい。
拭かない習慣の方が少数だよ、多分!
別に、それが悪い習慣だから変えた方がいい、などと押しつける気持ちは無いが、私はこれからも日本の拭く習慣をもって生活して行きたい。(多分ないけど)ロシアで暮らすことになったとしても。
だって、気持ちがどうしても追いつかないから。
さて、拭かない習慣の国はロシアだけなのか、それともヨーロッパ全体なのか。そして、現在ではさすがに拭く習慣が浸透したのか。
とても気になるが、トイレというあまり人には話さない事情だけにそのあたりのことはよくわからない。
間違いなく、パンツをはく習慣は定着しているだろう。
米原さんの少女時代にもパンツは店頭にあったようなので、もう、黄ばんだルパシカはない、と思われる。
拭く方はどうだろう…?こういう習慣はそんなに簡単には変わらないような気がする。
最初の話題に戻るが、友人シロさんの会社で働く人々はロシア人ではないそうだ。
じゃあ、おしり拭いている人々かもしれないので、トイレットペーパーをくすねた犯人の可能性はある。
いやたとえロシア人であったとしても、日本で生活するうちに「おしりを拭く日本の習慣、気持ちいいじゃん。ハラショー」と思い、自らの習慣を変えたのかもしれない。
いや、日本人がシベリアでも習慣を決して曲げなかったように、ロシア人もきっと曲げないだろう。
文化の違いというのは、根深く、そして面白いものだ。
以前、こんなものも書きました。上海でのトイレ事件。
桜咲く
春が来た。
桜が咲くと、春が来た、と急にそわそわしてしまう。早く、花見に行かないと桜が散ってしまう。何が何でも、咲き誇る桜を見なければならない。だって、今年の桜は今年だけだから。
しず心なく 花の散るらん とうたった紀友則の気持ちがよくわかる。
もうちょっとだけ、待っていて欲しい。そんなに散り急がないで。
という私の気持ちが通じたのか、今年は開花してから寒い日が続き、満開まで少し足踏み。週末のぽかぽか陽気で満開になるという、最高の状況。
ありがとうございます。天気の神様。気象神社にお参りした御利益かしら?
今年もいそいそと花見に出かけた。
桜の下で飲むビールはサイコー!
4月は花見で酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ(by 日本全国酒飲み音頭)
本当はノンアルビールを飲んで、崎陽軒のシュウマイをつつく、という、ピクニック花見だった。絵に描いたような酒盛りしたいな。
さらに 今年は妙な焦燥感が強く、夜桜も見物に出かけた。
宴会で賑わう人たちや、夜桜見物でそぞろ歩く人々で、かなりの人出だった。日本人はどうしても、桜が咲くと浮かれて出かけてしまうものなのだろう。もう、しょうがない。
私もスマホ片手に桜並木をぶらぶら歩く。
ぼんぼりの明かりを頼りに写真を撮っていると、突然、あたりは真っ暗に。
「わあ、停電!?」「ここだけ暗くなったぞ。屋台は明かりがついているのに」と周りの見物客の皆さんと、少しざわついたが、原因は時計をみてすぐに判明。
どうやら、9時半を過ぎると、何の予告もなく照明が落とされるらしい。
割と早い!
うう…もうちょっとぶらぶらしたかった…。
未練がましく、暗闇の中でフラッシュをたいて写真を撮ってみたりするが、桜が幽霊の様に映り込む不気味な写真になってしまい、即座に削除する。ちょっと怖い!
ここは、いさぎよく諦めよう…。
ついでに、春の花と言えば菜の花。
鮮やかな黄色が目にまぶしく突き刺さって、春の到来を教えてくれる。
なんとなく、こちらは庶民的で身近な暖かさを感じるのは私だけだろうか。桜が華族のお嬢様なら、菜の花は平民の女学生って感じ。
車を走らせていたら、土手が黄色に染まっている光景を目にして、たまらず車を脇に駐めて写真を撮ってしまった。
多分、車で通りがかった方には「なにやってんだろう、あいつ…」と不審に思われたに違いない。怪しい行動。
他にも春を告げる花は次々と咲いている。
気温も高くなり、ぽかぽか陽気で朝、起きるのが辛い。(朝起きられないのは春だけでは無いが)
山もおぼろに霞んでいる。
春になった。
春になって、暖かくなれば、また高い山にも行けるシーズンがやってくる。
今年、行きたい山のピックアップを始めよう。
やっぱり、春はうきうきする季節なのだ。わーい。
気象神社で晴れ祈願
登山に行く日は晴れていて欲しい。
京都の大文字山に登った際の実感である。
雨登山もまた別の楽しみがあるとは思う。現に超絶雨女キキちゃんと、お互いを雨女とののしりつつ、楽しい登山ができた。下山後の湯豆腐、最高だったし。
でもやっぱり、晴れがいい。頂上で汗をぬぐいながら、真っ青な空にくっきり映える周囲の山を見渡して、「ヤッホー」と叫びたい。
「なんも見えねえ(北●康介風に)」などど、白いガスを見渡して言いたくないのだ。
天気ばかりは人の力ではどうすることもできない。できることといえば、神頼みしかない。
私は最終手段として、登山前日に何度かてるてる坊主をぶら下げた。遠足前日の小学生の行動より良い手段がまったく浮かばないのだ。他に何か良い方法があれば教えて欲しい。
「あきらめる」とか「別の日にする」が大人の答えのような気もする…。
しかし、私は諦めない。いや、諦められない。
神様へ晴れをお願いするために、ついに日本でただ1つ、という「気象神社」に行ってきた。
なんでも、気象神社は旧陸軍気象部の構内に造営されたもので、戦後、高円寺氷川神社に移設されたそうだ。神社としては非常に新しい神社だが、日本唯一の天気の神様だという。
日本はずっとお米を作って暮らしてきたので、天気のお祈りといえば「雨乞い」。
空梅雨は米の不作に直結するし、水が無いと生きていけないので、馬を生け贄にして捧げたり(発掘すると、畦から馬の歯が見つかることがあるそうです)、火を焚きあげて上昇気流を作るとともに祈りを捧げたりと、雨への祈りの手法は様々に工夫されてきた。全国各地に水の神である竜神を祀った神社もたくさんある。
岡野玲子「陰陽師」には、安倍晴明が雨乞いのため旅をする話があったり、最近読んだ本では榎田ユウリ「宮廷神官物語」でも主人公の一人、鶏冠が雨呼びの儀を強要されていたりする。(もっとも、宮廷神官者物語は朝鮮風の国が舞台だが)
なかなか晴れを祈願する方の神社は見当たらないのだ。長雨は稲に病害虫が発生する恐れもあるはずだけど…。そこは意外と暢気なのか、日本人。
椎名誠「雨がやんだら」は雨がずっとずっと降り続く不気味な話だったが、別に晴祈願はしていなかったはずだ。
そんな中で見つけた、日本唯一だという「気象神社」。
行かねばならぬ。そして、私とキキちゃんの晴れ登山への切実な希望をお伝えしてこなくてはならなぬ。
真剣に真心を込めてお祈りする。心なしか、柏手を打つ音も大きい。
私の本気度を神様にお伝えするため、お賽銭も100円玉を投入した。大奮発だ。
お賽銭の相場については人それぞれだと思うけど、私にとっては「心意気を見せる額」なのだ。100円は。
お天気の神様、ワタクシ、はるばるG県から、やって参りました。
住所氏名も心の中でお伝えし、晴れの山に登りたい旨をお願いする。よろしくお願いいたします。
神様におしりを向けたら失礼にあたるらしいので、そろりそろりと後ずさりして社殿を離れ、参拝完了。
よし。しっかり参拝できた。
由緒の書かれた看板を眺めたり、絵馬を覗いたりする。
絵馬は「あーしたてんきになーれ」と下駄を飛ばして翌日の天気を占う日本伝統の風習(?)から、下駄の形をしている。かわいい。
勝手に見て回るのはあまり良くないんだろうけど「寒暖差が大きくなって スープがたくさん売れますように」との願いが書かれた絵馬を発見し、思わず「ううむ」とうなってしまった。
天気は様々な業界に影響を及ぼすものだなあ。冷夏だと農作物はもちろん、ビール業界やらアイス業界やらが大冷えになるらしいし。
でも、天候は人間にはどうしようもないので、神様にお願いするしかないのだ。
自然崇拝って原始的で当然な気持ちだと実感する。だって、努力すればどうにかなるものじゃないもの。
さて、参拝をすませた後は、社務所へ向かい、今回のお目当てでもある「晴守」を授けていただく。
さらに念を入れ、「てるてる守り」も頂戴する。こっちはスーパー雨女キキちゃんに渡すつもりだ。二人で持っていれば、きっとお天気の神様も味方してくれるはず。頼むで!
ついでに御朱印もいただく。
7~8名並んでいたのだが、神社の人のよると「今日は空いていてラッキーですよ」とのことだった。通常の土日だと1時間とか待つこともあるとか。うへぇ。
なんでも、こちらの御朱印は毎月変わる手彫りの木版で、また一部、天気に応じて押してくれるハンコが違うらしい。ちなみにすべてハンコで、神社名もハンコ。墨で書いてくれるわけでは無い。
最近、神社は御朱印に工夫を凝らしているところが大変多い。期間限定とか。
何か踊らされているような気もするが、私の中のコレクター魂は「通うしかないやろー」と叫んでいる。毎月は無理だけど、雨の日御朱印とか欲しい。
でも実を言うと、私はお寺の御朱印の方が好きだ。特に大日如来の御朱印をいただけると心がときめく。密かに大日如来だけで染めた御朱印帳が欲しいと思っている。道は険しいけど…。
さて、この「晴守」をザックに装着して、宝登山に登ってみた。
晴れた!
御利益あらたかなり!
これできっと大丈夫だ。多分。
今年の夏あたりに、またキキちゃんと山に行くと思うが、この晴守とてるてる守りで、快晴と最高の景色にヤッホーと叫んでみせようではないか。
そして、気象神社にお礼参りに行って、御朱印をいただきたい。できれば、雨のハンコが欲しいので、雨の日に!
…なんて欲深いのかしら、私は…。
一緒につけているのは、上賀茂神社の「雷除御守」。神様が喧嘩しないか、ちょっと心配…。
宝登山〜春近し〜
実は昨年、モ●ベルのイベントの抽選で、宝登山ロープウェイの無料券が当たったのだ。
有効期限は無いみたいだけど、早めに使った方がいいだろう。どうせなら、宝登山の代名詞である蠟梅が咲いている時期に行こう、と2月中旬に設定した。
催玉県(仮)北部はほぼG県である。長瀞も北部なので、ほぼG県と言って間違いないであろう。距離的にも我が家から車で1時間半弱くらいで到着する。近い。
…催玉県(仮)民は「ほぼG県」であることに、どのような感情を抱いているのか知らないが、ホンモノのG県に住まう我々は催玉県(仮)北部を快く受け入れる用意がある!
学校の校歌に赤城山を歌う地域として、共に手を携えて世間の荒波に立ち向かって行こうではないか!
近いので、当日朝は8時出発。今回の同行は山の相棒ノムさんだ。
ただ宝登山に登るだけではつまらないので、長瀞アルプスから宝登山山頂を目指すルートを歩くことにする。
「…そのルートだと、ロープウェイ使わないのでは…?」とノムさんが気づく。
「…うむ。下りだけ使うってのはどうかな?券は往復券だけどね…。贅沢をしてみようよ」
とりあえず、行きは自分の足で歩く。
この山はロープウェイを使うと、ほぼ登らない、歩かないで山頂に到着できてしまう。
普段、ロープウェイは大好きなのだが、この山ではさすがにパスしてみた。
がらーんとした駐車場に車を駐める。料金は1日300円。安い。
駐車場のおじさんは私たちの服装を見て「神社だけなら、もっと安くするんだけど、山の人は長いから300円ね」と告げた。…ディスカウントできるくらい、閑古鳥が鳴いているのか、冬の長瀞駅前!
夏場はライン下りやら何やらで、かなりの賑わいぶりなのだろうが、寒い冬に来る人は少ないのか…。こたつ船でライン下り実施しているみたいだけど。
何かもの悲しい気持ちで駅へ向かう。
すると、意外や意外、駅前はたくさんの人であふれており、観光協会の人(?)が次々訪れるハイカー達を宝登山へと案内している。
そうか!大都会の人は車じゃなくて、電車で来るのか!
ほぼG県といえど、さすが催玉県(仮)。大都会に近いので、訪れる人も多いらしい。
観光協会の人(?)が田舎から訪れた私たちにも「宝登山ですか?」と優しく声を掛けてくれた。
ありがとうございます!
でも、私たちはここから一駅だけ電車に乗り、そこから宝登山を目指すので、今、案内はいらないのだ。
田舎者への優しさに対する感謝を胸に駅の改札をくぐる。
当然、自動改札なんてものはない。秩父鉄道はどローカル線。Suicaも使えないのだ。
10:00 野上駅到着。
ここも人で大賑わい。私たちと同じく長瀞アルプス経由で宝登山を目指す人はたくさんいるらしい。
しかし、こちらの駅は観光協会の人(?)はおらず、自らの力で目指す登山口までのルートを歩くことになる。
正直、人がたくさんいてくれてよかった…!
野上駅から登山口までは徒歩およそ20分程度だが、住宅地(いや、田舎道といった方が正しいか?)の一般道路を歩いて行くので、先を行く人々がいなかったら迷っていた可能性が高い。
長瀞駅前で地図貰ったけど、私もノムさんも地図は苦手だ。…登山する上で大切な能力が私たちには欠けている…。
「何事にも先達はあらまほしき事なり(by吉田兼好)」とつぶやきながら、迷うこと無く長瀞アルプス登山口である万福時に到着した。9:20。ありがとう、先達!
長瀞アルプスは、穏やかな樹林帯の道がほとんどで、眺望はあまりない。冬なので、木々の合間から少し景色が望める。
「アルプス」いうよりは「里山」という雰囲気だ。
道を行く人も多く、なんとなく、先日登った太田金山を思い出した。ただ、太田金山は地元民がほぼすべてなのに対し、長瀞アルプスは大都会民が大勢を占めている点が大きく異なる。うーむ、さすが催玉(仮)。
「神まわり分岐」「天狗山分岐」「氷池分岐」をてくてくと超える。
四角友里「山登り12ヶ月」によると、この氷池から秩父名物天然氷が切り出されるそうだ。冬に切り出しておいた氷で、夏にかき氷を食べる。贅沢の極みである。
清少納言も枕草子で、甘蔓をかけた削り氷は上品なもの、なんて言っていたらしい。平安の昔は、本当に限られた一部の人だけが食べることができた超高級品だっただろう。それが庶民でも田舎者でも食べられる現代って、すごい時代だなあ。
氷池を見てみたい気持ちになったが、そこはぐっと堪え、引き続き長瀞アルプスコースを行く。長瀞アルプスの「神まわりコース」だと、氷池をとおるらしいので、今度来るときは、そのルートにしてみたい。
11:25小鳥峠
名前が可愛いので「ぴよちゃん峠」と呼んで、手を鳥の形にして写真を撮る。
私は鳥が好き。
11:40 毒キノコ看板前
長瀞駅で地図貰った地図に、しっかりと書かれている「毒キノコ看板前」という地名(?地名というか、スポット名?)
…他に言い方、無かったのかな…?
「毒キノコ看板って何!?」とキノコ好きなノムさんは若干興奮気味。
「宝登山頂、もうすぐ、と毒キノコが教えてくれる看板じゃない?ベニテングダケとか!ク●ボーかも!」と私もかなり期待大。
実際に見てみると「毒キノコに注意!」という看板だった。
タマゴダケの絵とか書いてあるけど、「やたらにとって食べないことが最も安全といえます」というあたりまえの結論に至る、いたってまじめな看板だ。
なんか、学校の先生にこんこんと諭されているような文章で、どうも、身が縮むような気持ちになる…。
地名(スポット名?)になるようなキャッチーなインパクトのあるものを想像していたので、この生真面目さに少し拍子抜けした気分になる。
そりゃ、そうだよね…。何に期待していたのだろうか、私たちは。
毒キノコ看板を過ぎると、最後の仕上げ(?)の木の階段地獄が待っていた。
地図には「山頂まで約200段の階段」と書いてある。ここまでアップダウンのあまりない穏やかな道だったが、ついに登りが現れた。
ラスボス、という言葉が私の頭をよぎる。
「階段、キライ!」と涙ながらにノムさんに訴えてみるが「私も嫌いだけど、仕方がないじゃないか」と返されるのみ。淡々と登るしかあるまい。
段になっているべき土が流れてしまっていて、丸太が飛び出しているだけの階段で「丸太、かえって邪魔やねん!」と、私はついつい不満を口に出してしまう。いかん、いかん。楽しく登らなくては。
ノムさんは私の後ろから「ママ~ う~うぅぅ~」となぜか、ボヘミアンラプソディを歌っている、というか呻いている。やはり、進退窮まった時に助けを求めるのはママなのだろうか…。
12:10山頂着。497.1m
かなり広く、ベンチなども設置されているが、人が多く、お昼を食べる場所を確保するのもちょっと大変だった。
思い思いにくつろぐ皆さんに混じって、今回も私はカレーメシの良い匂いを周囲にまき散らした。最高においしいから!ソーリー、ごめんあそばせ。
ノムさんからレモンケーキのチョココーティング、といった感じのおやつを分けてもらい、甘いものの補給も万全だ。
天気が良かったので、山頂からは秩父のシンボル、ピラミッド山武甲山や、百名山の両神山が望めた。
いずれは、どちらも山も登るつもりだ。しばし、待ってて!
食後は、宝登山神社奥宮へお参り。13:15。
ここの狛犬も三峯神社と同じく、狼である。この地方はそういう信仰の地らしい。
隣の売店ではたき火があり、焼きミカンを売っている。
焼きミカン、とても、おいしいそう!しかし、さきほどご飯をじっかり食べてしまったので、今回は買わずなかった。甘さが増すんだろうな、きっと。
たき火、いいな~。
奥宮の先は、今回の目玉である臘梅園。ちょうど見頃。
黄色い花弁に日の光が透けてほんのり輝き、あたりは甘い香りが漂っている。
春が近い。
ついでに福寿草も梅も咲いている。
春って、華やかな季節だな。こんなに一気に花が咲き乱れる景色になれば、そりゃあ、浮かれるってもんだ。
ロープウェイ組も加わり、春の花見の賑わいだ。
みんな、春の訪れを感じているのか、どこか足取りが軽く、笑い声のさざめきが賑やかだ。
賑わいにつられて、うらうら歩いていると、すぐにロープウェイの駅に到着。
「ノムさん…ロープウェイ乗る?」
「…いや、歩こうか」
なんだか、春の気配に心が浮き立っていたせいか、長瀞アルプスが割と穏やかだったせいなのか、気力体力共に余裕があったので、歩いて下山を選択してしまった。
つまり、せっかく貰ったロープウェイ無料券は全く使わず…。
モ●ベルさんに言いたい。
モ●ベルのイベントには、登山が好きな人が行くのであって、宝登山の場合は登山が好きな人はロープウェイは使わない…。
どうしよう、この無料券。一応、次の機会があると信じて、持っておこう。でも、次の機会も足で登っちゃう気がする…。
宝登山の登山道は綺麗に砂利で整備された道で、急坂にならないよう勾配に沿って、うねうね曲がって作られており、多分とても歩きやすい。でも、単調なので、ちょっと飽きる気もする。
途中、藪の中を一気に下る獣道のようなショートカットルートがつけられていたので、(おそらく登山者が勝手につけたと思われる)ついつい、ショートカットルートに入ってしまった。そっちの方が楽しかったので…。スミマセン。
14:30 麓の宝登山神社着。
下りはショートカットルートを使ったせいか、多分、30分ちょいくらいで下りられてしまった。
今回、長瀞アルプス登り、宝登山下りルートを選んだのは正解だった。
逆コースだと、宝登山の登りが単調で地味にずっと登るだけのルートで、あまり変化が無く面白みに欠けたような気がする。
長瀞アルプスコースは、楽しい山歩きからスタートして、宝登山を楽しんだ後、一気に下ってフィニッシュという、いい配分になっていると思う。
御朱印も2カ所貰えたし、春の花も堪能できて、楽しい一日であった。
余談だが、宝登山神社から駅までは土産物屋さんなどが多く並んでいる。
「豚みそ丼」や「こんにゃく」が名物らしい。
「…名物が完全にG県なんだけど…」
「やっぱり、催玉県(仮)北部はG県で間違いないね」
ノムさんと二人、確かな確信を持って、催玉県(仮)を後にした。
G県はいつでも、催玉県(仮)北部を歓迎する!
<コースタイム>
9:45長瀞駅…10:00野上駅…10:20万福寺…11:10氷池分岐…11:25小鳥峠…11:45毒キノコ看板…12:10山頂(お昼50時間)…13:15宝登山神社奥宮…13:45臘梅園…14:30宝登山神社
「とりぱん」とりのなん子
先日、道の駅の農産物直売所をうろついていて、「訳あり りんご」(8個くらいで350円)を発見して、私は驚喜した。
すぐさまレジに直行だ。
自分で食べるために購入した訳でない。庭に来る鳥にあげるのだ。
もうずっと以前から、我が家では冬場に時折、庭の木にりんごを差しておく。
すると、すぐさま「ちぃーっ」という鳴き声と共に、ヒヨドリがやってくるのだ。
一体、どこで監視しているのだろう?うち、毎日、りんご出してるわけじゃないのに。
ヒヨちゃんはりんごが大好物。一心不乱に食べ続け、他の鳥がやってきても、決してりんごのベストポジションを譲らない。
時々、ヒヨではない鳥(ムクドリが多い)がりんごを食べていると、「どけやーっ」と激しく威嚇し、りんごをかっさらう、という傍若無人さを発揮する。
地面に撒かれた残りご飯を食べに来ているつぐみん(ツグミ)やらジョウビたん(ジョウビタキ)にも飛びかかって、蹴散らす。
りんご食べない面々にも容赦が無いヒヨちゃん。無人となった我が家の庭で、一羽悠々とりんごを食べ尽くすのだ。
ちなみに、ヒヨちゃん同士だと、たまーにりんごの順番待ちしている光景も見られる。が、待ちきれずに、激しい戦闘に突入することも多い。同士討ちも辞さないのだ。
ヒヨちゃん、最強。けんか上等。
我が家は完全にヒヨちゃんの支配下に置かれている。
まさに「とりぱん」に登場するヤンキーヒヨちゃんと全く同じだ。
私は初めて「とりぱん」を読んだときに、どこのヒヨちゃんも一緒なんだ…とえらく感動した。
最も、「とりぱん」のヒヨちゃんはオナガの集団やら、ゲラさんたちには負けていたけど…。うちにくるオナガは単独が多いし、ゲラさんたちは来ないから、ヒヨちゃんの天下なのであろうか。
「とりぱん」は庭にやってくる野鳥の話をメインとした四コママンガだ。2005年からモーニングで連載されているそうなので、かれこれ14年続いていることになる。かなりの長寿マンガといっていいだろう。
そもそも、「とりぱん」は作者の投稿作品であり、それがそのまま連載作品になって、長寿連載になるというすごい作品だ。まさに代表作。
投稿時、ペットマンガはたくさんあるけれど、野鳥をメインにしたマンガはないだろう、と作品内容を決めたそうだ。(1巻による)
確かに、新しいかも。あちこちに鳥がいることは知っていても、その鳥の名前すら知らないで生活している人がほとんどだろう。ましてや、その鳥たちが、実はいろいろな個性を持っていることも当然知らないのだ。
「とりぱん」では作者の目を通した野鳥たちの姿が、実に生き生きと描かれている。
我が家の庭を牛耳るヒヨちゃんは、ケンカ上等のヤンキーで、小心者で貧乏性のツグミ(つぐみん)をいじめている。でも、大甘党でお花とかを食べたり、オナガ集団には勝てなかったりと、どこか愛嬌のある存在。
オナガはその美しいブルーの羽根の色から「おしゃれ番長」。
日本画に出てきそうな「和風美人」としてはじめは登場したシメはひまわりの種を長時間食べ続ける大食い鳥として描かれる。(うちにはあまり来ない…)
また、本来、水辺の鳥であるハクセキレイは、なぜかアスファルト大好きな「駐車場の鳥」…。
本格的な餌台を作っているとりの家には、他にもさまざなま種類の野鳥が訪れている。
アオゲラ(ポンちゃん)、アカゲラ(ペンちゃん)、コゲラのキツツキさん(ゲラさん)たち。
毛玉のように愛らしいエナガたん。
我が家には、一度もやってきたことがない種類の鳥たちだ。うらやましい。
うちのえさは、りんごと余りご飯くらいなので、牛脂やひまわりの種とかが好きな種類の鳥は来ないのかもしれない。そもそも、頻度が「たまに」なのもダメなのだろう。
(以前、インコのえさの余りを置いたら、春になってよくわからない草がにょろにょろ生えてきて大変だったので、以後、余りご飯になった)
そして、豪快なドラミングを披露して欲しい!そのためならば、うちの壁の一部くらい、喜んで提供する!(家族、未承諾)
ポンちゃんへの憧れと、ヒヨちゃんばかりが幅をきかせている現状に少し変化を呼び込みたいという気持ちで、えさを拡充するべきかどうか、毎年少し迷う。
しかし、生来の怠惰な性格が邪魔をして、どうしよっかなーと思っているうちに、シーズンオフに突入してしまうのだ。今年も、そろそろ春が近い頃合いになってしまったので、まあ、拡充は来年以降考えよう。
メジロくるかもしれないから、ミカンは出してみようかな~、そのうち。
そもそも私は餌付けが好きだ。
観光地に「鯉のえさ」があれば必ず買う。
外国に行った際(台湾)でも買ったし、周りがポ●モンGOに興じる人だらけだった大●氷●神社でも買った。(ついでに氷●神社では「盆栽だー」も買った)
その他、数え切れないくらい「●●のえさ」を購入しているが、最も印象に残っているえさやり体験を記してみたい。
それは、京都六角堂の「鳩のえさ」である。
六角堂は華道の池坊発祥の地として有名なお寺だが、「鳩みくじ」も売っているくらい、とにかく鳩がいるお寺だ。
境内はこじんまりとしていて、ビルの合間にお堂がちょこっとあるだけで、敷地面積は小さい。
その六角堂を訪れ、売店で鳩みくじを買った際に、白い袋に入った「鳩のえさ」を売られている事に気づいた。100円か200円くらいだったと思う。
「鳩にえさあげられるんだ~。外にいっぱいいたもんね」と何も考えずに、いつものようにえさを購入。
えさが売られている横に「鳩のえさは、売店から離れたところであげてください」といった注意書きが書かれていることをよく考えてみるべきだったと後から後悔したが、その時は「ふーん」という感想しか持たなかった。
売店から出て、注意書きに従い、えさを片手に少し離れた場所に移動した。
すると、さっきまで平和に地面をうろついていた鳩たちが、一斉に私めがけて移動を開始する。鳥なので、もちろん低空飛行で飛んでくる。
「どうしたんだ、みんな!(鳩たちのこと)落ち着け!」と小走りに売店から離れるが、爛々と目を輝かせた鳩たちはさらに私に群がる。
肩に、頭に十数羽たかられ、右手に持った「鳩のえさ」を左手でつかみ出すという簡単な行為さえできず(両腕に鳩が乗ってるから)、右手にとまった勇気ある鳩が、えさの入った白い袋に勝手に頭を突っ込んで食べているのを「あわわわわ」と言いながら見ていることしかできない。鳩のなすがまま。
地面に「えーい」とえさを投げると、鳩が寄ってきてそれをついばむ、という正に平和の象徴のような状況を予想していただけなのに…。こんな暴力的な状況を誰が予想した!?
あの売店の張り紙は「近くでえさやりをすると、鳩が集まってきて迷惑」という状況を言っていたのか…!!京都人らしく、遠回しな言い方しやがって!もっと、直接的に「鳩がすごく寄ってきます」って書いとけよ!!
(他の方のブログによると、どうやら現在は「鳩が寄ってきます」的な書き方になっているらしいです)
一番、えさ袋に近いところの勇気ある鳩は一羽で勝手にえさを独占している。
このままでは、この一羽しかえさが食べられない!
鳩にまみれながら、突然その事実に気づき「ほかの鳩にもえさやりたいんじゃー!」と叫び、右手を下に向けて(手首を動かすので精一杯だった)、残ったえさを全部地面にざらーっと落とした。
途端に、落ちたえさに群がる鳩たち。
あっというまにえさは食べ尽くされ、鳩たちは何事も無かったかのように散っていった…。
ぼさぼさの頭で呆然と立ち尽くす私(頭にも鳩が乗っていたので)
なんか、すごい敗北感。鳩たちによってたかって身ぐるみはがされた気分だ。
ひどいわ。えさがなくなったら、私になんて、もう見向きもしないのね…
ちなみに、この一部始終を目撃していた友人には「ごめん、本当に怖くて、何もしてあげられなかった…」と謝られた。
私個人としては、オカメインコ(信頼関係はないが、一応手乗り)を飼っているので、鳥を腕にとまらせること自体は慣れていて全く抵抗がないので、別に怖くは無かった。
しかし、傍目から見ると「数十羽の鳩にたかられていて、完全にホラーだった!」とのことだ。ヒッチコックみたいな感じ?
わずか100円だか200円だかで、滅多にできない体験ができる場所、六角堂。
鳥好きにはオススメの寺だ。とりの氏にも、きっと気に入っていただけるのではないだろうか。
ちなみに私は、この体験が忘れがたく、2回目に行った際も「鳩のえさ」を買ってしまった。中毒。
以前、こんな記事もかきました。
藪内美術館にはその後行って、本とかグッズとか買い込んできました。八ヶ岳のついでに、また行きたい。